罠もどこにでもあるようです4
マドセリア家に展示された魔力画は、蒐集を趣味とするだけあってどれも素晴らしいものばかりだった。
篝火に照らされた湖面が城を映しているところ、妖精のように軽々と舞う踊り子たち、大きな鷲が悠然と獲物を狙って降下する姿。歴史上の偉人が演説をする姿。額縁も凝った装飾のものが多く、宝石が嵌め込まれていたり、額縁そのものが魔力画となってきらめいているものもある。
「すごい……とっても豪華」
「リュエット見てみろ、この額縁の一番大きな宝石だけでうちの馬車を2台も新調できるぞ。こっちはダイニングのテーブルを買えるな。この絵は金箔だけでも羊50頭くらいか」
「お兄さま、わかってますから、欲しいなどと言いませんから少し静かにしておいてください」
所有欲を削ぐためか、お兄さまがやたらと高価さを絡めてコメントしてくる。
魔力画について興味のないミュエルも「価値ならわかる」と大体の値段を教えてくれたりするので、今日展示を見て回るだけでも魔力画の相場を学べそうだった。
「ミュエル、退屈じゃない?」
「いつもならそろそろ逃げ出したい頃なんだけど、リュエットが楽しそうだから私も飽きないわ。あらこれ、同じ画家の似たようなのがうちにもある」
「温室ひとつ分だな」
お兄さま、もう少し寡黙になってくれたらいいのに。
ミュエルが気を悪くしないか心配になるけれど、ミュエル自身は気にしていないらしく「大体そのくらいねえ」とお兄さまの話に付き合ってくれていた。優しい。
「ね、そろそろお庭に戻ってみる? お茶しながら足を休めない?」
「そうね」
「では席を用意してもらおうか」
お兄さまが手近な使用人に手を上げ、ミュエルがそちらの方へ歩いていく。私もそれに続こうとして、不意に今まで見ていた魔力画を見る。夜会をモチーフにした、蝋燭やドレスが揺らめくその絵の額縁に、何かが付いている。
ごく細い糸が、額縁の下辺から垂れている。他の場所のどこにも似たようなものはついていないので、糸くずか、または蜘蛛の糸か何かがついているようだ。
せっかくの綺麗な魔力画なのに、埃を落とし忘れたのかしら。
見回すと、手の空いてそうな使用人はいるけれど、近くにマドセリア伯爵の姿も見える。
こういった場はホスト側の力量を図られる場でもある。多くの人が目にする展示物にごみが付いていたとマドセリア家の人が気付いたら、後で使用人が叱られてしまうかもしれない。
ちょっと考えてから、私はそっと糸くずに息を吹きかけた。
展示されてから付いてしまったものかもしれないし、私だけが気付いただけなら落とせば問題ないだろう。
そんな気持ちで、ごく軽く、離れたところから糸を揺らすくらいの一息。
その瞬間、糸くずがついていた魔力画がいきなり火に包まれた。
「リュエット!!」
「危ないっ!!」
顔と腕に熱風を感じ、それからミュエルの叫ぶような声とお兄さまの声を感じる。お兄さまに抱えられるようにしてその場から離れたけれど、目は燃え上がる絵画から離すことができなかった。
炎に包まれた絵は見る見るうちに変色し、歪み、そしてどす黒くなる。壁紙を黒く染め上げながら、炎は激しく燃えていた。
助けを求める女性の悲鳴と、火事を知らせる男性の怒号が響き渡る。
「ここは危険だ。リュエット、外へ。どこかで様子を見よう。ミュエル嬢?」
「ええ、あぁ、驚いたわ……。リュエット、怪我はない?」
「燃え移ったところはないようだが、大丈夫か?」
お兄さまとミュエルに引っ張られるようにして、人混みと共に中庭に出る。なんとか
空いているベンチを見つけて座ると、お兄さまが正面で屈んで私の腕や顔を確かめ始めた。
「お兄さま?」
「炎の間近にいただろう。火傷したところはないか? どこか痛みや熱さを感じるところは?」
「いえ、あの、大丈夫です」
「本当に? 私、炎がリュエットに当たったのじゃないかと思ったわ」
隣に座ったミュエルも私を心配そうに覗き込んでいる。
確かに熱風を強く感じたし、炎の明るさが視界を覆ったように感じた。
けれど今は痛むところもない。
「なんともないわ。少し目がちかちかするけれど」
「炎をまともに見たからだな。すぐ治ると思うが、必要であれば医師を呼んでもらおう」
「前髪も焦げてないし、うまく距離があったのかしら。よかったわね」
「ええ、心配してくれてありがとうミュエル。お兄さまも」
時間を置いたからか、ようやく現実感が湧いてきたような気がする。
庭には多くの人が逃げ出してきていて、それぞれが不安な様子で話しているのでかなりのざわめきだった。帰ろうとする人たちが押し合っているのも見える。マドセリア家の使用人が忙しそうに移動していた。
騒がしいけれど、ここは安全だ。
ほっと息を吐いて2人の顔を見ると、2人も同じようにほっとした顔をしていた。
「こんなことになって、展示会もお開きになるでしょうね」
「馬車が混むだろうから、少しここで休んでから帰ろう。ミュエル嬢のご両親が見つかればいいが、この混乱具合だ。使用人に伝言を頼んでうちの馬車でお送りしよう」
「ありがとうございます。リュエットと一緒に帰れるなんて、とっても素敵。どうせうちの帰りの馬車なんて魔力画の話で息ができないくらいだもの」
ミュエルはもう立ち直った様子で微笑み、私にぱちんと片目を瞑った。
使用人に馬車の用意を頼み、混雑を避けてしばらく待っていると、人影が近付いてくる。
そうして私たちが連れて行かれたのは馬車の前ではなく、マドセリア伯爵家の2階にある小さな部屋だった。