神様の前で絵は描けない1
「……っ」
進学の近付いた、冬めく午後の美術の時間。
私はとうとう筆を取り落としてしまった。
「リュエットさま、どうかなさったの?」
「もしかしてご気分でも?」
「……けない……」
「先生をお呼びしましょうか」
顔を覆って絶望する私を気遣ってくれるお友達は、みんな顔料の馴染み深くいい匂いがしている。美術の時間だから当然だ。けれど、私はまだその匂いを纏えてはいなかった。
「描けないの……!!」
直視するのすらつらいと感じるようになってしまった私のイーゼルには、歪んだ曲線が数本描かれてあるのみだった。
ウィルさまとお付き合いを始めて、一緒に絵を描くことが増えた。
私は相変わらず魔力画にのめり込んでおり、日々美術の授業を楽しみにしている。鑑賞だけでなく自分でも絵を描こうと頑張っており、ウィルさまは、ご本人は絶対に認めないけれど、私の大好きな大好きな魔力画家。
デッサンについて質問しているうちに、いつの間にか実技で絵の指導をしてもらう……というような流れは、私たちのデートでは珍しくない光景だった。
一緒に石膏像を前にスケッチをしたり、野原を眺めながら日差しに踊り輝く草原を描いてみたり、授業で描いたもので気に入らない箇所について、アドバイスをもらったり……。
ウィルさまのわかりやすい説明と巧みな筆さばきで、私の絵の技術はなかなか進歩したと思う。先生に褒めてもらうことも多くなったから、私のうぬぼれだけじゃないはず。
けれど。
絵を描けば描くほど、遠ざかっているような気がしてならないのだ。
ウィルさまの描くような、生き生きとした絵の世界と。
進級を前にして、実技試験として出されたのは「身近な方の人物画」という課題。
その方のお人柄や、自分との関係性を考えながら描きましょう、と課されたもので、私はもちろんウィルさまを選んだ。私の身近な方といえばウィルさまだし、ウィルさまも人物画は得意としている。モデルになってもらいながら、アドバイスもしてもらおうと思っていたのだけれど。
「描けば描くほど違うと思ってしまうの!!」
「まあ、リュエットさま……」
下描きの段階で、私は大いに躓いていた。階段で転んだかのように、前へ進むどころか起き上がるのも難しいほどに。
「なるほど、それはスランプというものですな」
「リュミロフ先生……」
「絵の道を歩む者には、ついてまわる影のようなものです」
いつのまにかやってきていた、温和な顔をした先生が労るように頷いた。
こんな気持ちがついてまわるなんて、絵を描くというのはなんという苦しい道なのだろう。ウィルさまもこの気持ちを味わったのだろうか。
……ウィルさまは味わっていない気がする。そう思うとまたちょっと気持ちが落ち込んだ。
「リュエットさん、そう嘆くものでもありませんよ」
「でも先生、私、本当に描けないのです……描いても描いても、前よりも下手になってしまったような気がして」
「そう思えるのは、あなたが成長している証拠なのです。あなたの見えている世界が、もう少し広くなった。今はまだ届かないけれど、高い場所を見てしまった。だからこそ、そこに届きたくて、届かないことに歯痒さを感じるのです」
お年を重ねたリュミロフ先生は、今でも絵の勉強を欠かさず続けている。その先生が言うことには、深い実感が込められているような気がした。
「先生、どうすればよいのですか?」
「見つめるのです。そして描くのです、リュエットさん。描きたいものをしっかりと見て、そして何度でも描くのです。失敗を恐れてはなりません。あなたの目は、少なくとも『この線ではいけない』ということを見抜く技術を身に付けたのですから」
「何度も……」
「この線だ、というのを見つけるまで、描くしかないのです。雛鳥は羽ばたかねば飛べるようになりません。落ちることを恐れてはなりません。羽ばたけばいつか、飛べる日が来るのです」
「先生……!!」
ひしと握り合ったリュミロフ先生の手は、絵筆を握ることによって付いた硬い手のひらをしていた。
描かないと。
何度も何度も、諦めずに。