お兄さま、大事件17
ミュエルと恋人になってからというもの、お兄さまの様子は元に戻った。ミュエルに関わることを除いては。
学園から家へと戻り、御者にお礼を言っているとお兄さまが早歩きでやってきた。
「我が妹よ。よく無事に帰ってきた。お兄ちゃまは嬉しい」
「ただいま帰りました、お兄さま。今日はお仕事が早く終わったのですか?」
「そうだ。そんなことより、今日は学園で何があったのかこのお兄ちゃまに話してみるといい。微に入り細を穿ち語るといい」
「お腹が空いたので先に食事をいただきましょう」
学園と仕事に阻まれて会えない平日、執拗に私からミュエルの様子を聞き出そうとするところが少し面倒だけれど、そわそわと恋人を気にするお兄さまはなんだか微笑ましい。
ミュエルもお兄さまも恋人としてもっと仲良くなって、できたら幸せになってほしい。なので私もお兄さまに協力することはやぶさかではなかった。
夕食後にお兄さまの部屋にお邪魔して、ヴィルレリクさまの素敵なところを語るついでにミュエルがどうしていたかを教えるのが日課になりつつある。
今日もお兄さまは私をお茶でもてなしつつ、ミュエルが音楽のテストでクラス首席になったという話に満足げに頷き、男子生徒に話し掛けられていたという話に血相を変え、そしてお兄さまの話題を出していたという話に盛大に照れていた。
「ミュエルが、手紙をまめに送ってくれるのは嬉しいけど、無理してるならやめてって言ってましたよ」
「無理はしていない。ただ想いはしっかり伝えた方がいいだろうから、文書としての記録にもなる手紙を使っているだけだ。面と向かって言うよりも推敲できる方がいいからな。そうだ、そろそろ紙がなくなるからまた発注しておいたぞ」
紙の発注は今月で2回目である。明らかに我が家の紙の消費量が上がっているけれど、ミュエルの家にはどれだけ手紙が届いているのだろうか。
「そ、そうですか。そういえば、空の手紙はもう送らないのですか?」
「送らん。ラーンズデール博士には失礼だが、あれで気持ちが通じるという意味がわからん」
お兄さまも、ラーンズデール博士と夫人の馴れ初めについてはよくわかっていないらしい。「唐突に意味不明な行動をした上に感情の盛り上がりの理由も不明だ。理解に苦しむ」とまで言い切っていた。
やっぱり兄妹だろうか。同じようなことを考えている人を見つけて私はちょっと嬉しくなった。
「でもお兄さま、ミュエルから空の手紙が届いたとき、同じようにした手紙を届けたんですよね?」
「あれはミュエル嬢から届いたから、その返事として送ったまでだ。想っているという気持ちを伝えるために使われているのはわかるが、何も書いていないもので感情が伝わるわけないだろう」
「お兄さま……」
力強く言い切られると、自分の読解力が低いのかと悩んでいたことが吹き飛ばされていくようだ。
「お兄さま、あのやりとり、私も全然わかりませんでした。手紙には言葉がないと」
「そうだろうリュエット。我々は言葉を操る種族なのだ。それを使わずしてどうする」
「さすがお兄さまです。感動しました」
「そうだろうそうだろう、もっとお兄ちゃまを誉めていいんだぞ」
「私も早速言葉を使ってまいります。ヴィルレリクさまにお手紙を書くので今日は失礼しますね。おやすみなさいお兄さま」
「待つんだリュエット。昼食後の様子を聞いていないぞ、リュエット、待ちなさいリュ」
お兄さまの部屋から出て、自分の部屋へと戻る。
気持ちの伝え方は人それぞれ。他人のやり方が理解できないからといって悩む必要はないのだ。私は私の伝え方をしたらいい。それでヴィルレリクに伝わるならそれでいい。
手紙には、やっぱり沢山の文字を詰め込んで贈りたい。
ヴィルレリクさまがくれた嬉しい言葉の分に私の気持ちを乗せて、喜んでもらえるような手紙を送りたい。
そう思うと、2日前にも送ったのにまた沢山書きたいことができてしまった。
「……というわけなのでウィルさま、お手紙をどうぞ」
「ありがとう。手渡しは新鮮だね」
「はい。送ったら届くのが明日になるので。おうちで読んでくださいね」
週末になって私の家に遊びに来てくれたヴィルレリクさまが、大事に読もうと返事をしながら額にキスをくれた。それをじっと物陰から見つめているのはお父さまひとりである。家令によると、お兄さまは日の出と同時に意気揚々と出かけたそうだ。そのままミュエルの家に行ったわけではないことを祈るほかない。
ミュエルやお兄さまからも許可をもらって、ヴィルレリクさまには簡単に2人のことについては話していた。経緯についてもいつもと同じ顔で聞いていたけれど、一応「よかったね」と言っていたので喜んでくれているのだろう。
今日は2人でのんびり、庭を見たり便箋の枠飾りを描いたりする予定だ。ヴィルレリクさまが小さな花束を持ってきてくれたので、今日は花をモチーフにした飾りを描くつもりでいる。お互いに何かをやっていても、ヴィルレリクさまが同じ空間にいるだけで嬉しい。前にヴィルレリクさまが言っていたように、早くこの時間が日常になってほしいなと思ってしまうほどだ。
庭に咲いている花からも可愛いものを選び、モチーフにするために摘んでいく。ヴィルレリクさまが花を持ってくれているのだけれど、無造作に腕に花をかけていく姿がとても絵になっていて素敵だった。私に才能があったら、この瞬間を魔力画にしたい。
「……ウィルさまの気持ちの伝え方が、私にわかる方法でよかったです。ラーンズデール博士の方法も、ミュエルとお兄さまのやりとりも、私にはちょっと理解しがたいので」
「ティスランたちのは確かによくわからないけど、ラーンズデール夫妻の気持ちはわかるな」
「そうなのですか?!」
私が驚いて声を上げると、ヴィルレリクさまが花を選びながらうんと頷く。
まさかヴィルレリクさまがあの謎のやりとりについてわかるだなんて。さすがだ。
「あのウィルさま、どういう気持ちなのか教えていただいても?」
「うーん……例えば、リュエットに何か絵を贈ろうと描き始めたとき、リュエットのことを考えてると何も浮かばなくなることがある。真っ白なままが一番気持ちを伝えられるんじゃないかって思うよ。時々ね」
「そ、それは……わかるような、わからないような」
ヴィルレリクさまがプレゼントしてくれる絵は、いつも表情豊かで素敵なものが多い。一緒に描いているときはヴィルレリクさまがキャンバスを前に迷っているところを見たことがないので、てっきり贈られてくる絵たちもスラスラと描かれたものだと思っていた。
気持ちが溢れて手につかない、ということなのだろうか。それなら少しわかる気がするけれど。
「まあ、白紙の絵を贈ってもリュエットは喜ぶどころかすごく悲しみそうだからやらないけど」
「そうですね……絶望すると思います」
どんな素敵な世界が描かれているのかとワクワクしながら見た絵が白紙だったら、私は1週間は立ち直れない自信がある。そして立ち直り、真っ白に見せかけて何か仕掛けがあるのではないかと調べまくり、やっぱりないとわかるとまた立ち直れなくなりそうだ。それがヴィルレリクさまの気持ちだと言われたとしても、私は素直に喜べないのではないかと思う。
ヴィルレリクさまの気持ちのこもったプレゼントを困惑することなく喜べるのは、ヴィルレリクさまが私に伝わる方法で伝えてくれているからなのだ、ということに気付いた。
そしてそれもヴィルレリクさまがちゃんと私のことを見てくれているからできるわけで、つまりヴィルレリクさまのプレゼントには沢山の愛情が詰まっているのだろう。そう思うと、言葉にはできないような気持ちが溢れてくる。
「ウィルさま、私もラーンズデール夫人が空の手紙を送った気持ちが、少しわかった気がします」
「そう。僕はリュエットの分厚い手紙が好きだけど」
「はい、これからも、いっぱい手紙を書きますね」
うん、と頷いたヴィルレリクさまが、琥珀色の目を細めて優しく微笑んだ。
言葉にできない気持ちでも、それが伝わるまで私は手紙を書き続けたい。一生をかけてヴィルレリクさまにそれを読んで貰えたら嬉しい。
そう思って気が付いた。
私とお兄さまは、やっぱり似ているところがあるのかもしれない。