お兄さま、大事件16
「ぐいぐい引っ張って人気のないとこに連れていかれて、ティスランさま何を言うのかと思ったらお説教よ?! 『未婚の貴族女性が単身で集まりに参加した場合、それまで親交のなかった相手との成婚率が上がる。なおその場合没落した相手に嫁ぐことも多い』とかいきなり言ってくるのよ?」
「そ、それは……お兄さま、ミュエルが心配だったのね」
「それにしても言い方ってものがあるじゃない!」
ミュエルがやったお兄さまの声真似は、妹の私が聞いてもかなり似ていた。お兄さまの理屈っぽい言い方は、ときに人の神経を逆撫ですることもある。ミュエルもあのとき、まさにそうなってしまったようだ。
「その前に絡まれて心細かっただけに怒られてムカッときちゃって、私がどなたと結婚しようがティスランさまには関係ないでしょ、手紙も間違いで送っただけでラーンズデールの恋物語にあやかったものではないんですって言ったの」
「ミュエル……」
「そしたら、そんなわけないだろうってティスランさまがまた怒ったの。そう言われたら普通、君は僕の想いびとだから、とか言われるかなって思うじゃない?」
「え、ええ、そうね。そうじゃなかったの?」
「ティスランさまは『君はリュエットの大事な友達だから、変な相手に嫁ぐとリュエットも悲しむ』って言ったのよ!!」
お兄さま、悪手過ぎます。
ムキーと思い出して怒っているミュエルに、私は深く同情してしまった。
なぜ、空の手紙が来て即自分も送り返した相手に、私生活に支障が出るほど取り乱してしまう相手に対して、そんなことごとくダメな対応をしてしまったのか。緊張していたからといっても、もっと何か手はあったのでは。
やはりあのとき、私とヴィルレリクさまは姿を現した方が良かったのではないか、という気持ちになった。
「あのねミュエル? お兄さまはその、普段はもう少しまともというか、常識的な行動をしているはずなの。その、突然の恋の予感にちょっと色々と普通じゃなかったというか」
「ええ、それは……わかっているわ」
怒っていたミュエルはそう答えると、するすると勢いを失い、それどころか顔を赤くして黙ってしまった。もじもじと指を動かしているほど大人しくなるミュエルは珍しい。私が眼を瞬かせていると、その視線に気付いたミュエルがちょっと口を尖らせた。
「その、それから色々あって……お付き合いすることになったの」
「色々ってなに?!」
「い、色々は色々よ」
一番大事なところが省略されていて、思わず問い詰めてしまった。
私の勢いの良さにミュエルが少し体をそらす。じっと待っていると、ミュエルは観念したように息を吐いた。
「……リュエットとは誰と結婚しても仲良くするわって言い返したら、ティスランさまがじゃあ自分と結婚してくれって言って」
「ええ?!」
「そんな投げやりな求婚は絶対にいやですって言ったら、投げやりじゃないって怒りながら、その、手紙を沢山くれたの。ものすごく沢山」
「ええ?」
「それで、空の手紙が間違いだろうが、求婚を断ろうが、そんなことで気持ちが変わらないから、何度でも思いを伝えるので諦めるようにって」
「えええ……」
「で、じゃあお付き合いしましょうって言ったの」
「ええええー!!」
これが歌劇なら前幕後幕まるまる使いそうな展開なのに、あの短時間でそんなことが。
私がひたすらビックリしていると、ミュエルも「気持ちはわかるわ」と頷いた。
「あのときはなんだかその、勢いに流されてしまったというか、その場の雰囲気に酔っていたというか」
「え、じゃあミュエル」
「付き合うことになったのは流されてじゃないから! 後悔はしてないわよ! その、ちゃんと私もティスランさまに対して気持ちはあるもの!」
慌てて言ったミュエルに私はホッとした。
なんだか普通の経緯からは遠くかけ離れているけれど、ミュエルとお兄さまがどちらも納得した結果でそうなったのであればそれでいい、のだろう。おそらく。
「それで、その、2人はお付き合いすることになったのね」
「そうなの。求婚はひとまず置いておいて、まずお付き合いしてみましょうって。ほら、友人としての相性と恋人としての相性は違うとかいうじゃない? だからまずお試しで、ダメならやめましょうって」
「それはお兄さま抗議しそうね」
「してたわよ。あとからダメでした、よりずっといいじゃない。じゃないと絶対求婚は断るって言ったら、ティスランさまは折れてくれたわ」
お兄さまは押しが強いので、ミュエルくらいにはっきり意見を言えるような女性だと相性がいいのかもしれない。学園でも、兄さまの演説にミュエルはあれこれ意見していたことを思い出す。
「そうなの……。色々あったみたいだけど、ともかく、良い結果になったみたいで嬉しいわ。おめでとう、ミュエル」
「ありがとう。リュエットとヴィルレリクさまのおかげね。学園であれだけ2人の世界を作ってくれたおかげで、あぶれたティスランさまと親しくなれたんだもの」
「そ、それはごめんなさい」
「冗談よ」
ミュエルはいたずらっぽく片目を瞑る。お昼を一緒に食べているとき、私とヴィルレリクさまが話しているとミュエルとお兄さまが気を遣って違う場所に移動したりしていたので、それについては感謝とお詫びが尽きることがない。それでも2人が楽しく話をして、きっかけになったのなら、ちょっとだけ嬉しいと思ってもいいだろうか。
「ねえミュエル、お兄さまから手紙を沢山もらったって、あの空の手紙を貰ったの?」
「違うわ。手紙の中身だけ。ものすごく分厚い便箋の束を渡されたの。これくらいあるかしら」
ミュエルが指で示したのは、学術本くらいの厚みだった。
彼女いわくお兄さまは「空の手紙では熱意が伝わらないと思った」らしく、思いの丈を全て便箋にしたためてそれをミュエルに渡したらしい。お兄さまが仕事人間になっていたあいだ、仕事の合間に書いていたのだろうか。だとするとすごい熱意だ。
「……どんな手紙だったの?」
「それはねえ、秘密!」
そう言って笑ったミュエルは、今までで一番可愛い表情をしていた。