お兄さま、大事件14
「あっ」
思わず声を上げてしまい、私は慌てて口に手を当てた。
お兄さまだ。
ずんずんと庭園を横切るようにして歩いてきたお兄さまが、ミュエルと男性の間へと無理矢理入り込む。そして何かを捲し立てて男性を怯ませると、そのままミュエルの手首を掴んでまたずんずんと歩き出してしまった。ダンスホールとは反対のほう、庭園の端を示す木々の間に入って見えなくなる。
「行っちゃいましたね……」
「追いかける?」
「追い……かけていいのでしょうか」
お兄さまとミュエルが2人で話したいと思っているのなら、このままそっとしておいてあげるべきなのかもしれない。でも、2人を心配する気持ちもある。
きちんと気持ちを伝えられるか心配だけれど、でもそれは私が口を出すことでは……でも2人に悲しい気持ちになって欲しくないし……と悩んでいると、ヴィルレリクさまが「心配してるくらいなら行ったほうがいいんじゃない?」と気軽に立ち上がった。
「会話がわからないくらいの位置で様子を見て、大丈夫そうなら帰ろう。約束もしていない未婚の男女が人気のない場所にいるのもあまり良くないことだろうし」
「そうですね。お兄さまが何かすることはないと思いますけど……」
私たちのように婚約した間柄でも、2人きりになるのはどちらかのお屋敷か、カフェのように近くに人目があるところがよいとされている。変に外聞が立って2人の間を邪魔してもよくないので、私たちはお兄さまたちの消えた方へと行ってみることにした。
「普通お庭を囲うのは生垣が多いですけど、ここは大きな木がいっぱい生えてますね。街のはずれですし、元は林だったのでしょうか」
「人工的に植えたんだと思うよ。人目を隠しやすいように木があるから。社交会の夜はあまり近寄りたくないね」
ヴィルレリクさまの言葉に、大人の火遊びにも使われるような場所なのかもしれないとちょっと思った。お兄さま、そんなとこにミュエルを連れ込むなんて。あとで文句を言おうと思いながら歩いていると、ヴィルレリクさまに軽く肩を引かれた。
「いた。あの茂みの近く」
木に隠れるようにそっと促されながら茂みの方を覗くと、ヴィルレリクさまの言った通り2人の姿が小さく見えた。距離があるのと背の高い木々の影でよく聞こえないけれど、向き合った2人は何かを言い合っているようだ。目立たないように帽子を手に持ちながら、私は2人の様子を見て感じた疑問を口に出す。
「あの、ウィルさま? あの2人、何か言い合っているように見えます」
「うん」
「……ケンカしているように見えるのですが」
「そうみたいだね」
私が知っている限り、お兄さまとミュエルは例の手紙が送られてから一度も顔を合わせていない。その前に顔を合わせたのは、私の家にミュエルが遊びに来たときだろうか。その日はいつものようにヴィルレリクさまもいて楽しくおしゃべりしたし、ミュエルは蔵書を見てもらいたいと言ってお兄さまと二人になる時間もあったけれど、お別れのときまで和気藹々と喋っていたように思う。
手紙を送ったり送られたりしてからも、お兄さまは取り乱したりミュエルも寂しそうにしていたりしたものの、喧嘩をするような状況には見えなかったけれど。ここに来るまでの間に何かあったのだろうか。引っ張られすぎて靴が痛くなったり、ドレスが破けてしまったとかそれくらいならまだいいけれど、それにしてはお互いに何かを言い合っている時間が長いような気がする。
「どうしてあんなことに……」
「さあ」
「仲違いしてしまったのでしょうか? あんなに言い合ってるなんて」
「そうとも言えないんじゃない?」
私が振り向くと、ヴィルレリクさまが2人の方を見ながら言う。同じ木に一緒に隠れて覗き見しているので、思ったよりも距離が近くてちょっとどきっとした。
「本当にどうでもいい相手なら喧嘩なんかしないと思うよ」
「そうでしょうか」
「うん。面倒だし」
「面倒……」
確かにヴィルレリクさまなら、どうでもいいと思った相手については意識に入れないまま過ごしていそうだ。
「そういえば私たち、ケンカをしたことありませんね」
「する必要ある?」
「ないですけど、ウィルさまが怒ることってほとんどないなと思って」
ヴィルレリクさまはあまり何かしたいと意見を通すことがない。会いたいとかは言ってくれるけれど、それは私も同じ気持ちなので衝突することはないし。たまに誘導されているのではと思うこともあるけれど、それも無理矢理じゃないので悪い雰囲気になったこともない。
私は人並みに怒ったりするほうだと思うけれど、ヴィルレリクさまといるとなんだかそういう気持ちもあまり起こらないから不思議だ。お兄さまが邪魔してくると怒るけど。
「結婚してからも、ずっと仲良しでいたいです」
「いられるよ」
「ウィルさま、誰よりも長生きして、楽しいこといっぱいして暮らしましょうね」
ヴィルレリクさまはときどき、何かを考え込むように遠くを見ているときがある。それは今までの記憶がそうさせるのか、他に悩み事があるのかは今の私にはわからない。あまり自分のことを喋る人ではないから、きっと私や他の誰かに言わないでいることも多いのだろう。
でも、だからこそ、ヴィルレリクさまが今まで感じてきた辛い気持ちより、幸せな気持ちの方が多くなるまで長生きしたい。もしこれから先に何があっても私も一緒に乗り越えていきたい。いや、そうしよう。運命だろうが乙女ゲーだろうが、ヴィルレリクさまが沢山幸せになってくれるまでもがいてでも生きていくつもりだ。
「うん、そうしよう」
「はい」
ヴィルレリクさまが微笑み、私を抱き締めた。その力がいつもよりも強かったので、私はそっとヴィルレリクさまの背を撫でた。
「ところでリュエット」
「はい、ウィルさま」
「ティスランたちが大人しくなってる」
ヴィルレリクさまが小さく呟いた言葉に私が慌てて顔を上げると、遠くに2つあったはずの影がひとつしかない。よく見てみると、2人は抱き合っていた。
ほんの少し前までは掴みかからんばかりに言い合っていた2人が、今は私たちがしていたように抱きしめ合っている。明らかに友好のハグではなかった。
「な、なぜ!?」
「うまくいったんじゃない?」
「それは嬉しいのですけど、なぜ、というか何があったらそうなるんでしょうか。全然わかりません」
ケンカをしていて、次の瞬間には抱き締めあっている2人。私はミュエルともお兄さまとも仲良しのつもりだったけれど、今は2人のことが遠く感じた。
もしかして私、人の気持ちに疎いのだろうか。ミュエルとお兄さまが何が理由でケンカをすることになって、そして和解からの抱き締め合うことになったのか想像もつかない。学園のテストに出ない領域であることが救いだ。
何がどうなったの。どうしてなの。教えて。
「よかったねリュエット」
「よかった……のですよね。多分」
至近距離で何やら語り合っているミュエルとお兄さまは、非常に仲睦まじいカップルに見える。2人が幸せになったのならそれが一番だ。
それはわかるけれど、私の心は疑問だらけだ。