お兄さま、大事件10
お兄さまの奇行はそれからも続いた。
食事を食べている最中に急に顔が赤くなったまま動きが止まってしまったり、新聞の同じページを1時間も見ていたり、夜な夜な屋敷をうろついたり。
口出しするのも良くないかと思って家族で見守っていたけれど、何も知らないお父さまとお母さまは特に心配そうにしていた。経緯や関係性を考えると私から事情を伝えるのも戸惑われて、お兄さまに聞いてみたけれど色々と悩んでいるようだ、と伝えるだけになった。
「お嬢さま、お手紙が届いております」
「ありがとう」
家令が持ってきてくれた私宛ての手紙を、お兄さまがガン見している。2通のうち1通がミュエルからの手紙だからだろう。薄ピンクの紙は女性の間で流行っているものなのに察しがいい。
「リュイちゃん、またヴィルレリクさまのお手紙? 仲良しねえ」
「はい。ウィルさまがここのところ忙しくて会う時間が取れないので、その分手紙を送ると」
「まあー! いいわねえ。私も旦那さまに手紙書こうっと」
ウキウキと手紙の用意をお願いしているお母さまの横で、お父さまがちょっと顔を赤くして嬉しそうにしている。お父さま、またきっとお母さまの好きな花束を買ってくるんだろうなあ。
ラブラブな雰囲気になってきたので、私は手紙を読むために部屋に戻ることにした。おやすみの挨拶をして席を立つと、後ろからガタガタと音が聞こえる。振り向くとお兄さまが立ち上がろうとして飲み物をこぼしていた。
今日のヴィルレリクさまの手紙は薄紫の封筒だ。
ヴィルレリクさまは絵が上手だからか、字も綺麗だ。読みやすい上に形が美しいし、宛名などはうっとりするほど綺麗な文字で書かれている。もうそのまま額縁に入れたい。
完璧な形で綴られた自分の名前を眺めながら階段を上っていると、後ろから足音がついてくる。振り返ると、階段の途中でお兄さまが不自然に体をほぐしていた。私が歩き出すと、足音もついてくる。
「お兄さま、どうかしたのですか?」
「どうもしていないぞ。リュエットはこのお兄ちゃまに何か用事があるのか?」
「私は特にないですけど」
兄妹の間にちょっとした沈黙が流れ、私はまた前を向いて歩き出す。そのまま部屋に入ろうとすると「あっ……」と小さな声が聞こえた。
「何ですか?」
「いや、その、リュエット、何か話しておきたいことなどあれば、お兄ちゃまはいつでも聞くぞ」
「大丈夫です。お兄さま、おやすみなさい」
にっこり笑ってそう言うと、お兄さまは少ししょんぼりした顔でおやすみと返事をした。
扉を閉めると、廊下でウロウロしている音が聞こえる。
お兄さまはミュエルが何か言っていないか気になっているのだろう。とはいえ、それを話題にせず私から話させようとしてくるので、ちょっと意地悪してしまった。でも私が空の手紙についての話題をしてもそれはそれで困るだろうし、悩むところだ。
ペーパーナイフで封筒を切り、それぞれの手紙を取り出す。
ミュエルからの手紙はいつも通り、学校でのことや新しいお店、洋服のことなどが書かれている。話を聞いた日から数日後、学校帰りに「返事もできていないし、相手からも何もこない」と小さい声で呟いたあとは、まるでなにもなかったかのように一切触れられていない。
でも、そのことが逆にミュエルも平常心ではないのではないかと私に思わせた。お兄さまについてのちょっとした話題などにも乗ってこなくなったし、ミュエル自身からもお兄さまについて触れることが一切なくなったからだ。
前は毎日のおしゃべりで軽く触れることもあったし、今度出かけるときはついてきてもらおうといったことをミュエルから言い出すことも普通だった。それがまったくなくなったのだから、ミュエルはミュエルでお兄さまを意識しているのだろう。
そして意識しているからこそ、手紙が間違いだった、と打ち明けることもできずに不安になっているのかもしれない。もし私がミュエルの立場だったら、同じように悩んでしまいそうだ。気になっているけれど、いきなりそんな風に気持ちを伝えるつもりじゃなかったのなら、どうしていいかわからなくなるだろう。
もう1通の手紙、ヴィルレリクさまからのものには、チケットが挟まれていた。
鉱石の展覧会のものだ。お願いしていたのを用意してくれたらしい。
この週末は仕事の関係で地方に行く予定で、今はその準備に追われていると書かれていた。会えないのが残念だとストレートに書いてくれるので、私も残念だけれど読むだけで嬉しくなってしまう。
前に話していた魔力画の流通についての話題と、それから私の体調を気遣うくだり。締め括りには愛の言葉も添えてある。
「かわいい」
便箋の縁取りには、私が好きな小鳥が描かれていた。四隅を四季に見立てて折々の姿が書かれており、その間に餌を探して土に顔を入れ尻尾を上げた姿や、仲間と寄り添っている姿など微笑ましい絵もあった。
指でそっと小鳥を撫でて、それからヴィルレリクさまのサインも撫でる。色の薄い睫毛を伏せてペンを走らせる姿が目に浮かぶと、長く会えないわけではないのに寂しくなってしまった。
寂しい気持ちさえもどこか嬉しいのは、ヴィルレリクさまが私を好きでいてくれているときちんと伝えてくれるからだ。手紙や言葉や、ちょっとした贈り物を貰うたびに、ヴィルレリクさまの気持ちを貰っているようで嬉しくなる。私もお返しして喜んでほしいと思う。
私はチケットを持ってドアを開けた。勢いよく廊下に出ると、まだウロウロしていたお兄さまがビックリした顔で固まっている。
「お兄さま!」
「な、なんだ、どうしたリュエット」
お兄さまの手を取り、ヴィルレリクさまが送ってくれたチケットを持たせる。
「お兄さまが不安な気持ちもわかります。でも、お兄さまがどれだけ悩んでいても、伝えなければ相手に伝わりません。訊きたいことがあるなら訊いてみてください。伝えたいことがあるなら、ちゃんと伝えてあげてください」
「な……なん……」
「お兄さまならきっと大丈夫です。応援しています」
「リュエット」
ぎゅっと手を握って、私はお兄さまににっこり笑った。
「誰とは言いませんが、彼女、前にもまして男性から人気を集めていますよ。可愛いし、賢いし、優しいので。先週は10通もお誘いの手紙を貰ったとか。あ、昨日も誰かに呼び出されていたかしら」
「?!」
「ではおやすみなさいませお兄さま」
固まっているお兄さまをそのままにしておいて、私は部屋に戻った。
私が言えることといえばこれくらいだ。お兄さまも奇行はほどほどにして具体的な行動に移ってみたらいいと思う。
いい方向に進みますように、あとヴィルレリクさまが無事に帰ってきますように、と祈りながら、その日は眠りについた。