お兄さま、大事件7
「お兄さまは、間違えて送ってしまった手紙をその……ラーンズデール博士と同じだと思ってしまったみたいね」
空の手紙をやりとりすることによって、愛を育んだらしいラーンズデール博士。
お兄さまは理屈っぽく見えて夢見がちなところもあるので、勘違いしてしまってもおかしくはない。ましてや、自分がその話の載った本を貸した相手から送られてきたのであればなおさら。
「でもミュエル、誤解ならそうだと説明すれば、お兄さまも……」
「これを見て。リュエット」
ミュエルが引き出しから取り出したものを私に押し付けるように渡す。
それは手紙だった。
えらく軽い。
「……」
白い上質な紙で作られた封筒には、表面の四隅に小さな縁取りが型押しで浮かんでいる。癖のある字でミュエルの名前が記されていて、そして裏には印のない封蝋。
紙はユーグリフタス商会特選上質北部紙。縁取りの方はカスタノシュ地方の冬ベリー。封蝋は特別に練り合わせた濃紺。その封筒のあらゆるところに見覚えがあった。
そしてこの癖のある字にも。
「お、お、お兄さまが……これを?」
ミュエルがコクリと頷く。
「便箋が入ってない手紙を……?」
ミュエルがまたコクリと頷く。
「そ、そう……そうなの……」
ラーンズデール博士は、送られてきた空の手紙に同じく空の手紙を返したのだという。そして私の窺い知れないなんやかんやの末に結婚したのだという。
そしてミュエルのからの何も入っていない手紙を受け取り、返ってきたのがこれだという。
なんだか私、とても大変なことに踏み込んでしまってはいないだろうか。ヴィルレリクさま助けて。
ポケットに手を入れ、巾着に入った魔力画をそっと撫でて心を落ち着ける。青ワニちゃん、どうか無事にこの状況を乗り越えられますように。
「手紙を出して、その日の午前中に返事が届いたの」
「そ、それは」
朝に届けられた手紙を読んで、そのまま返信を出したのではないだろうか。通常なら朝渡したとしてもその日の夜か、もしくは翌日に届くものだ。午前中に出して午前中に届いたのであれば、きっと配達人にいくらか渡して急いでもらったのだろう。
あのお兄さまの様子が変わった日の朝、お兄さまは寝坊したのではなく、私たちよりも早起きしていたのかもしれない。そしてミュエルからの手紙を受け取り、慌てて返事を書いて出し、それから部屋であれこれと取り乱していたと。静かな朝だと思っていたけれど、お兄さまにとっては大変な騒ぎだったのかもしれなかった。
それにしても。
ラーンズデール博士の話を知っていて、そしてそんなにすぐに返事を出すだなんて、その、お兄さまは、ミュエルのことを……?
いやでも、ミュエルとしては間違いで出したものだ。それに対して勘違いで返事を出してしまったのだから、お兄さま、もしかしてとてもお気の毒な状況なのでは。そしてお兄さま自身も後からその可能性に気が付いて取り乱しているのでは……。
これでもし事実を知ってしまった場合、めげないことで定評があるお兄さまでも流石に傷心してしまうのではないだろうか。ショックのあまりに領地に引きこもってしまったりしないだろうか。
普段はちょっとうるさいとかヴィルレリクさまに対して口出しし過ぎるとか思っているけれど、やっぱりお兄さまは私の大事なお兄さまだ。できるだけ力になってあげたい。
昔から、私が困っているとあの手この手で楽しませてくれたお兄さまだ。私だってお兄さまを励ますことくらいはできるはず。
「ミュエル。あの、もし本当のことを言い出しにくいと思っているのだったら、私から……」
お兄さまに優しい環境を作らなくては、と思いながらミュエルを見た私は、あれ、と思わず言葉を途切れさせてしまった。
きゅっと手を握り、かたくなに机の上に載ったポットを眺め続けているミュエル。
なんだかその頬が赤い気がする。
「えっと、ミュエル? その、手紙は間違いで出してしまったものなのよね?」
「……」
「だからその、お兄さまにそう言ってしまって……いいのかしら?」
「……」
口をきゅっと結んだミュエルの頬は、鮮やかに熟れた桃のように色付いている。ちょっと拗ねたような表情は、いつもの大人な美しさを纏うミュエルとはちょっと違っていた。今までに見たことがないようなミュエルの様子に、私はつい口を噤む。
もしかして、もしかして、もしかするのだろうか。
これはお兄さま、お気の毒ではないのでは。
ミュエルの染まった頬は、お兄さまにとっての希望になりうるのかもしれない。
そう思うと、私までなんだかソワソワしてしまうのだった。