沼はどこにでもあるようです1
ふわふわと揺れる柔らかな髪、優しく微笑む瞳、温かな微笑み。
学年を表すリボン。
「リュエット・カスタノシュさまね? ようこそ学園へ。私たちがご案内致しますわ」
微笑む二人の先輩を前に、私は唐突に思い出した。
あ、これ液晶の向こうで見たことあるやつ。
めまいがしてうっかり先輩たちを心配させたけれど、意外に早く立ち直った。
日本で暮らした20年間よりも、今の16年間の方が鮮明だったからかもしれない。
「……本日より学園へ入学します、リュエット・カスタノシュでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
できるだけ丁寧にお辞儀をしながら挨拶をする。
そうして顔を上げ、改めて学園を見上げた。
いやー、どう見てもこれスチルであったやつだわ。
これは異世界転生だわー。
ハマりすぎて「転生するならこのゲームがいいわー」とか思ってたせいだろうか。
今までまったく気づかなかったけれど、どうやら私は本当に、乙女ゲームで見た世界で暮らしているようだ。
「教室へと案内いたしますわ」
「ありがとうございます」
「課外活動も活発ですのよ。リュエットさま、何か興味があることはあって?」
ふわふわした二人の先輩に連れられて学園の中を歩く。
門の前に立つ大きな銅像、妖精が踊る彫刻を囲んだ噴水、大きな広葉樹、厩舎。
初めての場所なのに、どれも見覚えがあった。デジャヴってレベルじゃない。
メルシア王立学園。
このメルシア王国唯一の王立学園であり、物語の舞台であるこの場所は、私の記憶にある限り、なんというかとても平和な学園である。
乙女たちが恋をし、恋に生き、そして恋のために頑張るための学園だった、という前世の記憶でもそうだし、肥沃な土地で周囲に争いもない土地柄で国民みんながのんびり暮らしている中の貴族子女が集う場所、という今世の記憶でもそうだった。
お父さまお母さまも入学し、そして恋をした場所である。
前は純粋にロマンチックだと思っていたけれど、今思うと、お母さまも乙女ゲープレイヤーということになるのだろうか。微妙な気分。
とはいえ、メルシア王立学園は私が大好きな乙女ゲーの舞台である。
ここに転生したということは、私も乙女ゲームの主人公的な位置ということか。
ならばここで前世憧れていたようなイケメンとの胸キュン展開が待ち受けていると……!!
神様、ありがとうございます。
静かに感謝していると、先輩がたが心配そうな顔で覗き込んできた。
あ、大丈夫です、具合が悪いとかじゃないです。
「リュエットさまは確かお兄様がいらっしゃいますわね?」
「はい、兄は二学年上です」
「でしたらそう緊張なさることはないかしら。この学園ではね、男性とも同じ授業を受けることもありますの。最初はびっくりするかもしれないけれど、どなたもお優しいからすぐに慣れますわ」
指さしじゃなく揃えた手でそっと示された先には、ものすごいイケメンたちが談笑している姿があった。視線に気付いた数人が手を上げると、先輩2人が軽くお辞儀をする。それに倣ってお辞儀をしつつ、私は顔をひくつかせた。
ちょっと待って?
イケメンすぎやしないか?
確かにイケメンとのラブとか希望したけども、私の感性に対してイケメンゲージが振り切れすぎている人が多くないか?
いや、あんなイケメン慣れるほうが無理だわ。無理無理。
「あの……慣れる気がしません……」
「女性のみの授業も多いですけれど、ここは社交を習う場でもありますから。少しずつで大丈夫よ」
「何かあったら同級生同士でも助け合えるし、もちろん私たちも手を貸しますわ。心配しないで」
イケメンに囲まれて一年も経てば、先輩2人のようにサラッと流せるようになるのだろうか。いや無理。
「あら、生徒会長さまがご挨拶に来てくださったわ」
革靴の音が響き、先輩がたが姿勢を正した。
その先には金髪碧眼で眩しい顔をした青年がいる。
「やあ、新入生だね。私はラルフ。この学園の生徒会長をしている。これからよろしく」
「……よ、よろしくお願いいたします……」
震える声で挨拶をして、頭を下げたまま去っていくのを待つ。足音が遠くなっても、私は顔を上げることができなかった。
「ああ、会長はいつ見ても麗しいわねえ」
「びっくりなさったかしら? 彼は素敵ですものね」
行儀が悪いと思いつつ、頷きだけで返事を返す。
私の心の中が嵐すぎて、言葉とか出せる状態じゃなかった。
いや、今の人、前世の私の推し——!!
新入生に気軽に声をかけてくれた時点で推しだと定めた推しだ——!!!
推し生きてる——!!!!
でも無理——!!
前世の私へ。
今世の私には、ラルフさまはちょっと、いやかなり眩し過ぎるようです。
ラルフさまだけじゃない。
この学園、同じようなレベルの眩しいイケメンしかいない。
恋愛とかそういう気持ちすら起こらないイケメンしかいないのである。
好きな乙女ゲーに転生できた幸せより、不安の方が大きくなってきた。
楽しみにしていた学園生活、無事に送れるのだろうか。