07 オカルト女
「おい、聞いたか? 中庭にあったあの校長像!」
「聞いた聞いた、今朝、忽然と姿を消したってやつだろ? 実際見に行ったけど、マジだったぜ。本当に台座しか残ってないでやんの」
「これは本当にあるかもしれないな、ほら、あの七不思議の……」
「いや、ないだろ。どうせ補修のために撤去したとかそういうオチだって」
「いやいや、でもさ。この前、サッカー部の三年が全員大怪我して入院した事件あったろ? あれ、先輩らはあの像そっくりの大男に殴られたって言ってるとか……」
「いやいやいや、ないわ。さすがにそれはない」
「いやいやいやいや、それがあるんだって! 俺、三年の先輩から確かに聞いたし!」
昼休みのざわめきの中、楽しげに交わされる生徒たちの雑談を小耳に挟みながら、僕は部室棟の廊下を歩いていた。
目的地は一階突き当りの角部屋。オカルト研究会と書かれた看板を確認し、扉を開く。
「うふっ、うふふ、ふふふふ」
窓もない四方を本棚に囲まれた狭い部室の中央で、長い黒髪に黒縁眼鏡の女子生徒が満面の笑みを浮かべながら、リズミカルにノートパソコンのキーボードを叩いていた。
まぁ、いつもの光景だ。僕はさほど気にせず、部室の中へと足を踏み入れる。
「あら、安堂君。こんにちは」
「今日もご機嫌ですね。跡部先輩」
「うふふ、わかります?」
そう言うと彼女はタイピングの手を止め、自分の頬に手をやりながら優雅に微笑む。
日本人形のように整った相貌と艶やかな黒髪。大和撫子然とした佇まいと、鈴を転がすような声。
その所作だけを見ると、深窓の令嬢が窓の外に綺麗な蝶々を見つけて思わず微笑んでいる場面に見えなくもないが、彼女の脳内がそんなにお淑やかではないことを僕は知っていた。
「今しがた、部室の前で男子生徒が学園七不思議の噂話をしていたのが聞こえたんです。彼らだけじゃありません。今やこの学園中のどこもかしこも、似たような怪談話で持ち切りですよ。今、この学校は空前絶後の怪談ブームなんです! 見てくださいよホラ、我らオカ研が運営する情報サイト『ユメガブチ・シンドローム』の閲覧数!」
そう言って得意げにノートパソコンを突き出してくる彼女の名前は、跡部マリ。
僕の一学年上の先輩で、ここオカルト研究会の会長を務める人物だ。
まぁ、会長と言っても、こんな怪しい部活動をしているのは彼女一人で、後のメンバーは僕を含めて全員が名前を貸しただけの幽霊部員なわけなのだけれど。
彼女は、たった一人でこんな部活を立ち上げてしまうくらいの熱狂的なオカルト趣味の持ち主で、怪しげなグッズ集めやセミナー参加に傾倒しており、「外見だけならトップクラスなのに」「成績優秀で明るくてかわいいのに」「十年に一度見られるかどうかの巨乳なのに」と学園中の男子生徒から残念がられている有名人だ。
そんな彼女の部にどうして僕が所属しているのかと言えば、ちょうど部設立のために都合のいい幽霊部員を探していた跡部先輩が、運悪く目の前を歩いていた暇人であるところの僕を見つけてしまったのが始まりだ。その後、彼女の勢いに流され押され、気が付いたらこうなっていた。
「ね、ね? この数週間で、こんなに! 数字だけ見れば全校生徒が一時間に一回はうちのサイトを見ている計算になるんです! すごいでしょ!? やばいです!」
無邪気な笑顔で、そんなことを言ってくる跡部先輩。
「まぁ、確かに……」
詰め寄ってきたせいでちょうど目の前で揺れる彼女のやばい胸部から目をそらしながら僕は答える。
「いまどき、こんな話題で盛り上がってる学校なんてウチくらいかもしれないですね」
そんな僕の気のない返事に、彼女は過剰に反応した。
「そうなのです! そこなのですよ安堂君!」
「そこ、というと?」
僕が首をかしげると、彼女は得意げにニヤリと笑う。
「十年、二十年前のスマホもネットも普及してない頃ならともかく、あらゆる娯楽が溢れかえっているこの時代で、中学生にもなった私たちがこんな話題で盛り上がっている……、この状況が既にもう普通じゃないと思いませんか?」
「それは……」
学校内で一番この手の話題に盛り上がっている人の台詞ではないと思うが、確かに言われてみるとその通りだ。
現に僕が入学したばかりの頃にも噂自体はあったはずだが、こんな熱心に囁かれてはいなかった。
「つまりですね、私はこう思っているんです。最近の夢ヶ淵学園にはみんなが騒がずにはいられない何か……。変な言い方ですが、現実味みたいなものがあるのではないかと」
「現実味?」
「言ってしまえば私、この学校には本物の幽霊がいるんじゃないかと思っているんです」
鋭い。大正解です。
そう答えるわけにもいかず、僕は無言で彼女に続きを促す。
「事実、最近この学校では怪異現象としか思えない事件が実際に発生しています。昨夜だけでも『中庭の校長像消失事件』や『水飲み場念動爆破事件』……、他にもまだ裏付けはとれていないのですが、うちのサイトの情報フォームに、理科室の人体模型がいつの間にかズタズタに切り刻まれていたなんていうタレコミもありまして」
「な、なるほど……」
曖昧に頷く僕の背中に、一筋の冷や汗が流れていく。
どうしよう、その話の全てに心当たりがある。
そして、わざわざ彼女が僕を呼び出した理由がなんとなくわかってきた。
「あ、すみません。ちょっと用事を思い出しまして……」
咄嗟の判断でそう答え即座に撤退しようとした僕だったが、一手遅かった。
いつのまにか僕の腕は彼女によってガッシリとホールドされている。というか、身体を押し付けないで欲しい。思わぬ柔らかさに平静が乱される。
「せ、先輩……?」
「思い出したといえば、私もさっき思い出したんです」
そう囁く先輩の眼鏡がキラリと光った。
「つい先日、久しぶりに部室にやってきたと思ったら、真剣な表情でこの学校の七不思議について聞いてきた後輩の幽霊部員がいたなー、ってね……」
やはり、そういうことだったか。
「……へぇ、そうなんですか。そんな人物が……」
「安堂君?」
「はい」
とぼけようとしたが、跡部先輩の笑顔に封殺された。
天使のような微笑なのに、目が全く笑っていない。怖い。
思わず硬直する僕に顔を近づけ、先輩は聞いてくる。
「安堂君、あなた……。何か隠してはいませんか?」
「い、いや……」
「というか、昨夜。夜の学校に忍び込みましたよね?」
「えっと……」
「あなたはそこで、一体何を見たんです?」
「それは……」
やばい。これはもう、言い逃れできないのでは。
いっそのこと正直に全て話すのもありかもしれない。普通なら正気を疑われるか笑い飛ばされるような昨夜の騒動も、彼女ならちゃんと信じてくれるはず。
一瞬そう思った僕だったが、いまだ全身に残る鈍い痛みがその考えを否定した。
……いや、駄目だ。僕が昨夜の出来事を話したら彼女は間違いなく、自分でも見たがって夜の校舎に忍び込むだろう。それはあまりにも危険すぎる。
なにせ、夜の校舎に潜む魑魅魍魎は彼女の考えている通り、正真正銘本物の化物なのだから。
「それは…………」
では、どうやってこの場を誤魔化すか。
難しいその課題に本気で頭を悩ませる僕に、更に詰め寄ってくる跡部先輩。
「そんなに話したくないなら仕方ありませんね。……実は、ちょっと試してみたいことがあったんです」
彼女はとてもいい笑顔で、こんなことを言ってくる。
「素直になれるおまじない。……これは、とある宗教団体が警察の内通者を炙り出すときに使っていたものらしいのですが」
「ちょっ、それ、おまじないなんて可愛らしいものじゃないでしょ絶対!」
慌てて逃げようとしたが、彼女の拘束は意外に強固で振り払えない。
「うふふ、年貢の納め時ってやつですよ。安堂君!」
彼女が勝ち誇り、そんな言葉を吐いた次の瞬間だった。
彼女のすぐ後ろ……完全なる死角から、白くて細長い紐のようなもの……というか、どこかで見たような自律型トイレットペーパーがにょろりと現れ、蛇のような動きで彼女の首に巻き付きつくと、そのままきゅっと絞め落とす。
「ふきゅっ」
そんな可愛らしい声をたて、倒れ伏す跡部先輩。
恐ろしく早く、僕でなければ見逃してしまいそうな一瞬の出来事だった。
「って、おい!」
一拍遅れて事態のやばさに気付いた僕は、慌てて先輩を抱き起こす。
急いで脈と呼吸を確認。どちらも正常。ただ気絶しているだけだと判明し、深いため息をつく。
安心すると同時に、怒りの感情が沸き上がってきた。
「いくらなんでも今のはやりすぎ……って、あれ?」
先ほどまで例のトイレットペーパーが浮かんでいた空間に目を向けるも、既にその姿はなくなっていた。
その代わり、近くに白い封筒が落ちている。
というか、さきほどのトイレットペーパーが折り畳まれて封筒の形になっているようだった。
拾い上げて、差出人を確認する。
やはりというか、なんというか。
それは、トイレの花子さんからの招待状だった。




