13 急転
「は?」
想像もしていななかった言葉に、思わず素の反応をしてしまう僕。
しかし、久瀬はそんなこちらの様子も気にせず妙に納得したかのような表情でうんうんとうなずいている。
「あれだろ? 度胸試しだのなんだのってことで無理矢理、女子トイレに行くよう言われて、行ってきた証拠を残してこいとか言われたんだろ。だから鏡を割ろうとしたんじゃないか? そうしなきゃ、暴力を振るうって言われたのか? それとも無理矢理撮られた恥ずかしい写真を握られているとか……」
「あ、あの……?」
「いや、悪い。ここではいそうです、なんて言えるわけないよな。俺もな、一応クラスの中にそういう雰囲気を感じたんで警戒はしてたんだが、すまん。気づくのが遅くなったな」
「え? いやいや」
違うんですけど。
そう続けようとした僕に、久瀬は皆まで言うなとジェスチャーで伝えてくる。
いや、本当に違うんだが。なんだこれ。
何がきっかけかは不明だが、急に久瀬の中で何かのスイッチが入ってしまったらしい。
先程まで時限爆弾でも見るような表情を隠せていなかった彼の瞳に、情熱の炎が宿っていた。
「大丈夫だ。俺は他の先生たちみたいに、こういうのを見て見ぬフリして誤魔化したりはしないぞ。お前も虐められてるからって自分を恥ずかしいと思うことはない。よく虐められる奴にも虐めの原因があるとかいう輩がいるが、あんなの間違っているんだからな。虐めはする奴が100%悪いんだ。実を言うと俺も、学生の頃に似たような経験をしたことがあってな。クラスを牛耳っていたサッカー部の霜山って奴がいたんだが、そいつに財布を取り上げられてな。女子更衣室から体操着を盗んでこないと返さないとか脅されて、俺は無理矢理……、いや、何が言いたいかっていうとだな。そういう目にあってるのはお前だけじゃないんだってことさ。これまで散々ひどい目にあって、つらかったよな。怖かったよな。でも、大丈夫だぞ。お前はもう一人じゃないんだからな」
「はぁ」
怒濤の勢いで語りかけてくる久瀬に、僕は気の抜けた返事を返すことしかできない。
確かに僕は間違いなくクラスに馴染んでいないし、一歩間違えれば虐められそうだという自覚もあるが、今のところはうまく回避できているはずだ。
クラスカーストの上位にいるような連中の視界には極力入らないようにしているし、話し相手の嗜虐心を煽らない立ち振る舞いは、小学校の頃わりと虐められていたので頑張って習得した。
……習得できているはずだ。多分。
だから、この先生が心配しているような事態には陥っていないのだが……。
あ、そうだ。この話に乗っかって適当な奴をいじめっ子に仕立て上げ逃げるのはどうだろう。僕がそんなわりと最低な事を考えている間にも、久瀬は熱心に熱い言葉を投げかけてくれている。
「最近ニュースとかで学校側が虐めを黙殺していて被害者が自殺してから発覚する、なんて酷い話をよく聞くが、お前は不安に思わなくてもいいぞ。確かに教師の中にはうちの学年主任みたいに事なかれ主義の奴も存在するが、俺はそういう奴ら相手に常に声を上げ続けるし。何よりこの学校には今、そういう不正を絶対に許さない正義の味方がいるからな。噂とか聞いたことないか? 他校の女子に乱暴したサッカー部の3年が全員病院送りにされたとか、隠れて喫煙してた不良グループが壊滅したとか、生徒へのセクハラが酷かった教師が突然学校に来なくなったとか……。あれは全部、学内の悪を許せない初代校長の霊魂が裏庭の校長像に宿って夜な夜な動き出し、不正を働く者どもをその鉄拳でたたきのめしているからだっていう、まぁ、よくある都市伝説みたいなものなんだけど。俺はこの話もあながち嘘じゃないと思っていてな。なにしろ、実際に悪い奴らは学園からどんどんいなくなっているわけで」
「…………」
なんだこいつ。
途中から、これまでとは別の意味でおかしなことを言い始めた。
正義の味方? 夜な夜な動く校長像?
昨晩、僕を襲ったあの初代校長の姿をした銅像のことを言っているのか?
確かに深夜に不法侵入していた僕は悪い生徒だったかもしれないが、あの追い詰められた獲物をいたぶって楽しむかのような邪悪な表情は、正義の味方のそれとはかけ離れて……、
って、いや、そうじゃない。
問題はそんなところじゃなく、なぜ、この教師が突然こんなことを言い出したかってことだ。
その時、僕の脳裏にはついさっきの、僕がこんな状況におかれる原因となった花子さんとのやり取りが思い起こされていた。
七不思議の怪談である、彼女たち幽霊の強さの指標。その一つ。
彼女たちの怪談としての知名度が、幽霊としての質に影響を与える。
周囲の人間に噂され、強く恐れられればられるほど存在感を強くし、力を増すことができるようになる。そして、彼女ら幽霊は汚れた魂を持つ人間に取り憑くことで、更に強い力を得ることができる。
「……!」
そもそもからして。警備員が配備されている今の夢ヶ淵学園で、宿直の教師が見回りをしているなんてことがあるのだろうか。
まさか、この男…………。
いや、だめだ。ここで反応するのはまずい。
奴は僕が未来や花子さんと繋がっていることは知らないはず。
ならば、今とるべき最善策は……、
「あ、そうだ。ところでさ」
ふいに思い出したかのように、久瀬がこれまでの話を中断して手を叩いた。
「安堂、お前、トランプとか弱いって言われないか?」
「はい?」
唐突な話題変換に、首をかしげる僕。
これまたいきなり、なんでそんな話を?
「…………あ」
理解は、数秒遅れてからやってきた。
椅子に座る僕の背後。
先ほどまで誰もいなかったはずのそこに、誰かが立っている気配がある。
多分そこにいるのは、全長2メートルほどで、全身が銅でできていて、初代学園長の姿をしている何かなのだろう。
「ポーカーフェイスが下手すぎるんだよなぁ」
直後、僕の視界を遮る銅の手のひらを見たのを最後に、僕は意識を失っていた。