12 持て余した性欲を女子トイレで発散させる系の男子
「……………………」
「……………………」
これまで生きていて、これほど重苦しい沈黙があっただろうか。
僕は全身から粘度の高い汗がにじむのを感じながらも顔を伏せ、その重圧に耐え続ける。
あれから……、つまり、深夜の女子トイレで取り乱し叫びながら、血がでるまで鏡を殴りつけていた僕が宿直の教師に目撃されてから、一時間ほどが経過していた。
完全に頭のおかしい変質者であるところの僕はとりあえず確保され、保健室で手の治療を施され、そのままの流れで先生と向かい合って椅子に座らされている。
「……確か、安堂だったよな。二年A組の」
ひぃ、と悲鳴をあげそうになるのを必死にこらえた。
まずい、名前を把握されている。
というのも当たり前だった。僕を見つけたこの先生の名前は久瀬金次。
年齢は三十路手前。小柄な体格に、きちっとアイロンがけされたグレーのスーツとノンフレームの眼鏡、短めの癖っ毛が特徴的な、どこか数学教師っぽい風貌を持つがその実、担当教科は体育という男であった。
ちなみに、二年……つまりが僕のクラスの保険体育も担当している。
顔さえ割れていなければ強行突破して逃げるという手段もあったかもしれないが、もうそれもかなわない。僕のお先は真っ暗だった。
「あー……、うーむ……、なんというか、だなぁ……」
腕を組み、意味のない言葉を繰り返し口にする久瀬。
明らかに向こうも僕の奇行をどう受け止めるか、持て余しているようだった。
無理もない。彼の五年かそこらの教師生命で、こんなレアモンスターに遭遇した経験なんてないだろうし。
「まぁ、俺は保険の先生でもあるわけだし、以前は十代の男子中学生でもあったわけで……、つまり何が言いたいかというと、先生にもある程度の理解はあるということなんだけど……」
「違います誤解です。別に僕は持て余した性欲を女子トイレで発散する系の男子じゃないんです」
「そう言うがお前、じゃあなんでこんな時間にあんなところに?」
「それは……」
「それは?」
「……………………」
さて、本当にどう答えればよいのだろうか。
正直に七不思議たちのことを話したところで、それはそれで頭のおかしい異常者だし。作り話をしようにも、深夜の女子トイレで暴れ回る合理的な理由なんて思いつかない。
くそ、だから女子トイレでの会合なんて嫌だったんだ。本気で恨むぞ、あの女……。
あの話の通り、恨み辛みが幽霊のエネルギー源になるのなら、今の僕にはこの辺り一帯を焼き払えるだけの熱量が蓄えられているに違いない。
というか、あの花子さんはどこにいったんだ。
僕が連行される直前、ジェスチャーで「自分は未来を追いかけるからあとは頑張れ!」みたいな素振りをしていたが……。
その前に、昼間の跡部先輩のときみたいにこの教師の首をきゅっと締めておいてくれれば、こんな窮地に陥らなくてすんだものを……。
「さて、どうしたものか……」
そんな彼の独り言が、花子さんへの恨み言で誤魔化していた僕の意識を非情な現実へと引き戻す。
「親だけは! 親に連絡するのだけはやめてください。お願いします何でもしますから!」
なりふり構わずそう叫び、頭を下げる僕。
なんて情けない。ついさっきまで命をかけて学園異能バトルロワイヤルの世界に足を踏み入れようとしていた男と同一人物だとは思えない。
だが、今の僕には格好をつける余裕なんてないのだ。
もし、この一件が親に……、弟の親権争奪戦に敗北し、僕というハズレを引き取ることになってしまったあの母親に伝わったら……。
想像するだけで心臓が止まりそうになる。
「いや、しかしだなぁ……」
困ったように鳥の巣頭をかき乱す久瀬。
「まぁ、先生もね? 正直、お前はこんなことするような奴じゃないとは思ってるんだ。お前はまぁ、ちょっと内向的だしクラスに馴染めていない感はあるが、成績はいいし授業態度も、まぁそんなに悪いわけじゃないし……、なんていうかキャラじゃないっていうか……、どっちかっていうとお前は、そう……」
そう続けた久瀬が、ふと何かに気づいたのか手を止めた。
その視線の先には、僕の腕や顔に残った昨日の騒動でついた青痣の数々。
「……もしかして安堂、あれか?」
そして、彼はこんなことを言ってくる。
「虐められているのか? お前」