11 死にたがり
突然の制止に僕と花子さんは声のした先、手洗い場に設置された洗面鏡へと目を向ける。
「あなた、いつから……」
そこには予想通り、金髪碧眼の女幽霊・春里未来の姿があった。
いつものオドオドとした態度ではなく、口をきゅっと噤んでまっすぐにこちらへ目を向けている。
いつも八の字になっていた困り眉は目尻が少しつりあがり、その眼には珍しく怒りの感情が浮かんでいるように見えた。
「未来……?」
「あんちゃんのアホたれ。夜の学校は危ないから、もう来ないでって言ったのに……」
そういえば、昨夜そんなことを言っていたような気がするが。
「確かに忠告を聞かなかったのは悪かったけど。それより、今は……」
「駄目だからね!」
僕の言葉を遮るようにして、未来が叫ぶ。
「どうせ、花ちゃんから『卒業試験』の話を聞いて、私に協力しようだなんて思ってたんでしょ!? そんなの駄目だから! 私、絶対にあんちゃんにとり憑いたりなんかしないから!」
「どうして? こんな優良物件他にないと思うけど」
「どうしてもこうしてもないよ! そんなの危ないからに決まってるじゃん! だって、バトルロイヤルでデスゲームだよ? バトルして! ロイヤルして! デス!! つまりが下手すりゃ死んじゃうってことなんだよ!?」
そう言って身振り手振りで『卒業試験』の危険性を説こうとする未来だが、必死そうにしているわりには全然緊張感が伝わってこない。
思わず僕も、気の抜けた返事をしてしまう。
「まぁ、そりゃそうなんだろうけど……」
正直に言うと、僕は花子さんの提案にかなり乗り気になっていた。
未来をこのまま放っておくことなどできないし、ゴミ人間であるところの僕が大きな力になれるなんて最高だとすら思っている。
しかし、未来は断固反対の姿勢を崩さなかった。
そういえば、昨夜も花子さんが『卒業試験』の話題に触れそうになった際、慌てて話を断ち切っていた。
未来は最初から僕をこの件に関わらせるつもりなんてなかったのだ。未来のくせに生意気な。
「そもそも私、この戦いに真面目に参加するつもりなんてないんだよ! 私、戦う力は何もないけど、自分の身を守るだけなら最強だもん。私が力を使わない限り誰もこっちの世界に入ってこれないんだから。つまり誰も私に指一本触れられない。でしょ?」
「でも、それは……」
「花ちゃんは黙ってて!」
何かを言いかけた花子さんを遮り、未来は僕の方へと向き直る。
「だから、ね? 私は大丈夫だから。別にあんちゃんの手助けなんて、いらないから」
「いらないって、お前……」
彼女なりに僕を気遣っているのは分かるし、これが重大な選択肢だってこともわかっている。でも、僕は……、
「ここまで話を聞いたんだ。ここで僕が、はいそうですかって引き下がれると思うか?」
「思わないけど……」
「さっきの花子さんの話、聞いてたろ? なんか僕ってすごいらしいぜ。確かに、普段の僕を知る未来からしてみれば頼りないのは分かるけど」
「そうじゃない! そうじゃないけど、でも……」
「でも?」
僕がそう聞き返すと、未来は痛みを堪えるように顔を歪ませ、叫ぶ。
「だって、あんちゃん。死にたがりなんだもん!」
それは……、
「花ちゃんから命がけの戦いって聞いて、思わなかった? ちょうどいい、命を捨てる大義名分ができたな、って」
「…………」
「私を、死ぬための言い訳にされるのは嫌なの……」
何か言い返そうとして口を開いたが、うまい言葉を見つけることができない。
「……ごめんなさい」
そんな僕を見つめる未来の目には、いつの間にか大粒の涙が浮かんでいた。
「本当は私、あんちゃんの死にたがりが治るまで側にいて、生きる理由とか希望とか、そういうのを一緒に探そうって、そう思って……でも」
彼女はそこで言葉を断ち切り、
「私、もう、死んじゃ……、……ッ」
弾かれるように振り返る。
「……っ! 待っ……」
そのまま女子トイレから走り去ろうとする未来。慌ててそれを追おうとしたが、その行く手は薄い鏡に阻まれる。
それもそのはず、彼女がいるのは鏡の向こう側で現実世界ではないのだ。
「待て未来、お前! 中に入れろ!!」
両手を思いっきり鏡に叩きつけるが、しっかり固定された鏡はびくともしない。
「おいッ! ふざけんな! 戻ってこい未来!」
皮膚が破けて血が出ていたが、構わなかった。
そのままの勢いで二、三度、鏡に向かって拳を叩き込む。
しかし、向こう側に繋がるどころか、鏡にはヒビひとつ入らなかった。
そうこうしているうちに未来は女子トイレから立ち去り、僕の視界に映らない場所へと消えている。
「あの馬鹿……」
せっかく人が協力するって言ってるのに。
今度こそ、ちゃんと力になれると思っていたのに。
なのに……、クソッ……。
僕は力なく、洗面台の前にへたり込む。
「あ」
そんな僕を黙って見ていた花子さんが、小さく声を上げた。
「ちょっと……、ちょっと、あなた」
何かに気付いたのか、項垂れた僕の頭をちょんちょんと小突いてくる。
「クソッ、なんだよ一体!?」
そんな彼女の手を振り払って、僕が叫んだその時だった。
現実世界の方の、女子トイレの扉が開く。
そして、
「お前……、こんな所で何やってんだ?」
そこにいたのは、見回りの途中なのか、懐中電灯を片手に持った生徒指導の先生だった。