第六話
「何?哲、集落に行くの?なら車出してやるよ。」
そう悟史に言われ、哲は顔を顰めていらないと答えた。
「哲、お前。そうやっていつも考えもせずすぐ断るけどさ。歩きだと、あの山道二十分くらい下らなきゃだぞ。帰りも同じだけ登ってこないとだし、引きこもりもやしのお前がそんな運動量に耐えられるの?」
そうからかうように笑いながら悟史に絡まれ、悪いこと言わないから乗ってけよなんて言われて、哲は苛ついた。そこまでもやしじゃねーよなんて思うが、集落についてからも歩き回ることを考えるとそこまで活動可能な体力が自分にはない気がして、哲は忌々しげに悟史に車をだしてもらう事をお願いした。
「言っとくけど、色々調べものあるから時間かかるぞ。待つの怠くなったとかって、先に帰るなよ。」
「そりゃもちろん。俺は俺で、買い物できるとこの確認したりとか、意外とやることがあるから。予想外に食材使ったから、少し買い足さないといけないしな。それに俺は、カメラ持ってきゃいくらでもヒマ潰せるし。あ、そうそう。ネットで調べたら、食材の定期配送してくれるサービスがこの辺にもあるみたいだったから契約しといたから。お前の口座引き落としで。」
そう爽やかな笑顔で悟史にしれっと言われて、哲は怒りをあらわに、何勝手なことしてんだよと怒鳴った。
「だって必要だろ?いちいち買い出し行くのも手間だし。哲が一番金持ってるし、家主なんだから、ゲストの飯代ぐらい奢れよ。掃除も荷物の搬送もやってやったろ?それに、全員分飯は俺が作るんだし、俺がいる間の駄賃だと思って、な?」
「頼んでない。何しれっと人の金で当たり前に生活しようとしてんだよ。俺の通帳と印鑑返せ。そしてさっさと帰れ。」
「固いこと言わない、言わない。だって俺、今仕事してないし、お前に寄生しないと生きてけないじゃん。そのかわり、掃除洗濯家事炊事なんでもこなしてやるから、な。あと、通帳と判子返しても、銀行のカードと暗証番号抑えてるから意味ないぞ。お前、自分でちゃんと管理しないから。通帳とか作ってやった時、そのまま俺が預かったままになってんだよな。必要な時はいつも俺が代わりに手続きしてるし。だから多少使っても手数料って事でいいよな?」
「いいわけあるか。全部返せ。それと俺は帰れって言ってんだよ。少しは人の話し聞け。」
何を言ってもどうせきかないのは分かっているが、それでも文句をたれてみて、結局、笑いながら軽く流されて苛ついて、哲は忌々しげに溜め息をついた。女相手なら面倒臭い事言われるとすぐ、じゃあもういいやって別れるくせに、なんで俺には付きまとうんだよ。いい加減、俺のことも面倒がって捨てろよ。そんなことを考えると余計腹が立ってきて、哲は不機嫌に黙り込んで外に向かった。
玄関を出ると、二人とも出掛けるの?と明るい悠太の声が響いて、彼が駆け寄ってくる。
「どこ行くの?二人とも出掛けるなら、俺も行く。」
「来るな。ウザい。」
苛ついた哲に即座に切られて睨まれて、悠太がすくむ。
「集落。哲、調べものするから時間かかるってさ。だから、悠太行っても暇持て余すだけじゃね?お前は留守番してろよ。冷蔵庫に常備菜作ってあるから、昼はそれで適当にすましとけ。」
「兄ちゃんまで、俺を置いてこうとかヒドイ。俺も行く。一人でここ残ってるのヤダ。」
「はい、はい。ワガママ言わないの。どうせ行ってもお前、暇持て余してぐだくだぐずり始めるんだろ。ゲームしてたって、暑いだの何だの言って、静かに暇潰せないの目に見えてるし。悪いこと言わないから、留守番してろ。」
そう柔和な笑みで、暗にお前の子守りするの面倒だから大人しく留守番してろと悟史に圧を送られて、悠太はそれに押されて言葉を詰まらせた。
「じゃあ、行ってくるから。」
そう言って車に乗り込み、兄達が去っていくのを見送って、悠太は気落ちした。
「ここに一人残されるとか、マジ勘弁なんだけど。」
そうぼやいて溜息をつく。
「なんで?」
そうきかれて、だって怖いじゃんと何も考えずに口に出す。
「だってさ。ここお化け出んだよ?自称神様だけど。見た目は超美少女だけど。なんかさ、なんかありそうで怖くない?凛ちゃん、マジ奇跡起こせるし。なんか怖いことも言ってたし。凛ちゃんと二人きりでこの家残るとか、怖すぎだから。凛ちゃん何考えてんだかわかんないし、本当怖い。」
そこまで言って悠太はハッとして、恐る恐る声の方を振り返った。
「悠太はわたしが怖いんだ。」
目があった凛が無表情のままそう呟くのを聞いて、悠太は背筋が凍って、反射的にごめんなさいを連呼していた。
「本当にごめんなさい。凛ちゃんと二人きりが怖いとか、嫌だとか思ってすみませんでした。そんな事本人に言っちゃって、本当、すみませんでした。この通りだから、許して。俺の事呪わないで。本当、ごめんなさい。マジでごめんなさい。」
そう平謝りしてくる悠太を見て、凛が今日は土下座しないの?と呟く。
「前は土下座して謝ってた。でも今はしない。会う前より、今の方がわたしのこと軽く見てる?」
相変わらずの無表情にその上感情の読み取れない声でそう言われ、悠太はとっさに土下座しようとして止められた。
「いらない。そういうの。わたしが怖いから謝るとか、許してもらうために土下座するとか、凄く嫌。わたしが怖いなら出てけば?ここの家主もそれを望んでるでしょ。わたしも悠太はいらない。悟史だけいてくれればそれでいい。」
静かな声でそう言う凛の言葉に、悠太は心がざわついて、踵を返し姿が消える気配がした彼女の腕を掴んでいた。
「兄ちゃんに何かするのはやめて。それと、ごめん。確かに凛ちゃんの事怖いと思ったし、だから許してもらわなきゃって思ったけど。でも、ごめんって思ってるのは本当だから。ああいう事、思ってても言っちゃいけない事だって、いくらバカでも、それくらい俺だってわかってるよ。だから、酷いこと言ってごめん。ごめんね。なんか、謝って余計、凛ちゃんの事傷つけたかなって思う。だから、ごめん。許してくれなくていいから。俺が本当に悪いことしたって思ってるのは信じて。」
そう伝えると、凛が相変わらず感情の読み取れない表情でじっと見つめてきて、悠太は少し怖気づいた。
「怒らせたじゃなくて、傷つけたって思うの?」
身構えていたのに凛が口にしたのはそんなことで、なんか拍子抜けした気分になって気が抜ける。
「あ、うん。なんていうか、人が怒ってる時とさ、傷ついてる時って違うじゃん。哲がさ、その辺わかり辛いんだけど。あいつが傷ついてる時と、今の凛ちゃんが似てるなって。そんだけなんだけど。だから・・・。」
そうしどろもどろに弁解して、でも自分でも自分が何を言ってるのかよく分からなくなってきて、悠太はとりあえず笑って誤魔化した。
「だからさ。仲良くしようよ。凛ちゃんのこと良く知らないから怖いんだと思うし、知れば怖く無くなる気がするんだ。」
そう言うと、凛が顔を曇らせて俯くのを見て、悠太は疑問符を浮かべた。
「わたしは人とは相容れない。これから仲良くしたとしても、仲良くなったように思えたとしても、それはずっと貴方の勝手な一方方向で、わたしから貴方に何かを返すことはない。信頼も親愛も友情も愛情も期待も切望も。全てが一方方向。わたしは受け取るだけで返さない。わたしは神様だから。神様は自分勝手で横暴なものだから。人の信頼なんて簡単に裏切って、わたしは人に禍をもたらす。わたしを人と同じに扱おうなどとはおこがましい。侮れば、その報いを必ず受けることになる。わたしは貴方を助けない。絶対に。」
「それじゃあまるで、凛ちゃんが俺に何かするんじゃなくて。凛ちゃんに関わると俺が不幸になって、凛ちゃんはそれから俺を助けられないって言ってるみたいだよ。だから関わるなって。なんかそういうとこも凛ちゃんと哲って似てるね。」
「わたしと哲が似てる?」
「うん。なんとなく。だからかな、なんか凛ちゃんに親近感湧いてきちゃった。だから俺、凛ちゃんが楽しそうに笑ってるとこ見てみたくなってきた。哲も全然笑わないんだ。あいつの事も笑わしたいんだけどさ、俺、全然笑わせられなくて。凛ちゃんはどうしたら笑ってくれる?」
「そういうのいらない。」
「やっぱり凛ちゃんもそう言うんだ。ごめんね。今のはちょっと凛ちゃんを試した。俺の勘が当たってるかどうか。うん。哲と凛ちゃんは似てるよ。凄く。凛ちゃんも、あいつと同じで怖いんでしょ。自分のせいで人が不幸になるのが怖いから、人から逃げてるんでしょ。分かるよ、俺、ずっと見てきたもん。側で哲のこと見てきたから。」
「わたしは哲じゃない。わたしと哲は違う。」
「うん。わかってる。でもさ・・・。」
「悠太。わたしは哲じゃない。そもそもわたしは人じゃない。哲とは違って、わたしは本当に人に禍をもたらす。だから、哲を救えないからってわたしを代わりにしようとしないで。わたしは本当にそんなものは求めてない。本当はこの家にわたし一人にさせておいて欲しい。でも、ここは人の世で、ここは今は哲の所有物だから。だから、仕方ない。仕方なく貴方達がここにいるのを許してるだけ。わたしは仕方なくここに人がいる事を許しているだけだから。」
そう言って、凛は悠太に掴まれていない方の手をそっと自分の首に当て目を伏せた。
「悠太は義男に似てるね。義男も、わたしに哲を重ねてた。哲への罪滅ぼしをわたしでしようとしてた。」
暫くしてポツリとそう言うと、凛は顔を上げ悠太を見上げた。
「教えてあげる。貴方達じゃわたしの願いは叶えられない。そもそも、わたしの願いは誰にも叶える事は出来ない。例えそれが神様でも。だからわたしの願いを叶えようなんてことは諦めて。そもそもわたしは、願いを叶えて欲しいなんて思ってない。義男もわたしの願いを叶えたかったんじゃなくて、哲の代わりにわたしを救いたかっただけだから。誰も助けてほしいなんて思ってないのに、わたしを不幸だと決めつけて。だから、義男の遺言だからってわたしのことまで考える必要なんてない。義男と同じように、わたしに哲を重ねて、わたしにまで同情しないで。」
「ごめん。またなんか、俺、凛ちゃんのこと傷つけたみたい。でもさ。俺もじーちゃんも、凛ちゃんを哲の代わりにしようなんて思ってないから。そもそもそうなら、じーちゃんが哲に凛ちゃんの願いを叶えてあげて欲しいなんて頼む意味が分からないし。哲の事は哲の事で。凛ちゃんの事は凛ちゃんの事で。別の事として。だけど、二人共にちゃんと心から笑えるようになって欲しいって俺は思う。じーちゃんもきっとそうだったと思う。だから、じーちゃんは凛ちゃんの願い事を叶えてあげて欲しいなんていう遺言を残したんだと思うよ。凛ちゃんこそ、人のこと勝手に決めつけるなよ。じーちゃんが凛ちゃんを通して哲の事しか考えてなかったわけないじゃん。じーちゃんは、絶対、凛ちゃんのことも大切に考えてた。凛ちゃんの事もほっとけないと思ってた。凛ちゃんに幸せになって欲しいって思ってたに決まってるから。じーちゃんをバカにするな。」
そう言うと、今まで静かだった凛の空気が一気に激しいものに変化して、それは実際の風圧となって悠太を襲い、悠太は吹き飛ばされた。
「わたしの幸せが何かなんて人が勝手に決めつけるな。今のわたしが幸せじゃないなんて勝手に決めつけて、勝手に救おうとなんてしてくるな。わたしは今が幸せなんだ。感じる痛みも苦しみも、その全てが愛おしくて、その全てに幸せを感じているんだ。これがわたしの幸せなんだ。だから、わたしの幸せを壊そうとするな。悠太も義男も大っ嫌いだ。」
そう叫ぶ凛が泣いているように感じ、悠太は、やっぱ凛ちゃんは苦しんでるんじゃん、幸せなんかじゃないんじゃんなんて思った。でも、その激情が自分に向かってくるのを感じ、悠太はこれは俺死んだなと妙に冷静に思った。