第五話
「俺、しばらくここにいる事に決めたから。」
引っ越し作業は終わったんだしとっとと帰れと言おうとしたのに、それより先に悟史にそう言われ、哲は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに顔を顰めた。
「幸い、俺の職業はフリーのカメラマンで、今仕事入ってないし。そもそも自分から使ってもらえるように売り込み行かないとそうそう仕事ないし。たまに誰かが仕事紹介してくれる時もあるけど、どうしても俺じゃなきゃなんて依頼は今まであったためしがないしさ。気がすむまでここにいて、凛ちゃんの食事係するよ。そうしてたら、本当に俺の願い事叶えてくれるかもしれないって希望も、現実になる可能性が結構あるみたいだしさ。」
そう柔和な笑顔で語る悟史を見て、哲は不機嫌そうな顔を更に不機嫌なものに変えた。
「餌に釣られてあんな得体の知れないものの話しを鵜呑みにするとかバカだろ。アレはそんな良いものなんかじゃない。善意で人の願いを叶えてやるような生温いもんじゃないぞ、絶対。」
「わかんないだろ、そんなんどうだか。哲はあの子の何を知ってるんだよ。」
「それはお前も同じだろ。あんなもの、信じるより先に疑って当然。とり殺されたくなきゃ出てけ今すぐ。」
「そう言うけど、じゃあお前はどうすんだ?お前の言う通りあの子が危険なモノだったら。それこそそんなのがいるとこに、お前を一人残しておいていける訳ないだろ。お前こそここに居座る気なら、俺を使ってあの子がどういうモノだか見極めればいいだろ。それに言ったろ?兄ちゃんがちゃんと、ここがお前が生きてける環境なのか確かめてやるって。な?」
「そんな事のために体張るとかバカにも程があるだろ。迷惑だ。悠太連れて、さっさと出てけ。」
「諦めろ。もう決めたんだ。俺が頑固で融通きかないの、哲だってよくわかってるだろ?俺は出てかない。悠太が帰りたいって言うなら、あいつだけ帰るように交通費わたして一番近くの駅まで送ってくけど。俺は絶対ここに居座るからな。」
そう悟史にニッと笑顔を向けられて、哲は何も言わず怒りを露わに顔を背けた。悟史は一回言い出したら本当に意思を曲げないと分かっているから、哲は、話しにならないと呟いてその場を後にした。
部屋に戻り、どかっと座る。息を吐いて怒気を吐き出し、そして、ため息をついて。哲はふと視界に、祖父が使っていたであろう鍵付きの戸棚を捉え、祖父のことを考えた。
じーちゃんはここで何を調べてたんだろう。調べたものの答えは見つかったのかな。見つかったなら、それはレポートに纏められてここに納まっているんだろうか。完成はしてなくても、途中まででも。そんな事を思って、祖父の研究内容に思いを馳せる。
晩年、祖父がフィールドワークの拠点として購入したこの家。家の奥にある、座敷牢跡に設置された神棚。この家に居座る自称神様という、首を絞めて殺されたと思われる少女の幽霊。神様の願い事を叶えてやって欲しいと言う祖父の遺言。それらの事柄が頭の中を駆け巡って、哲は、もしかしてじーちゃんは俺に、あいつを成仏させてやってくれって言いたかったのか、と考えた。じーちゃんの書いていた神様があいつなら、じーちゃんがあいつを神様と称したのには理由がある。その理由とはきっと座敷牢に設置された神棚で。あの神棚に祀られているのは確かにあいつ自身で間違いないってことなんだろう。なら、あいつが死後神に祭り上げられたのは、あいつの死になにか後ろ暗い事があって、死後のあいつに祟られるのを人々が恐れたからに違いない。それだけ生前のあいつは何か影響力を持っていた。そして座敷牢に幽閉されていて、牢の中で最後を迎えた。だからあそこに神棚がある。俺の考えが間違いでないのなら、きっとここにはそれに因んだ何か伝説や御伽噺の類いが残っているに違いない。それをじーちゃんが研究題材にして調べていたのなら、研究を進める中であいつに遭遇したじーちゃんが、不遇な死を遂げてこの世に未練を残し、幽霊になって今もここに残り続けているあいつを不憫に思ったとしてもおかしくない。じーちゃんは信心深い人だったから。
そう考えが至って、哲は戸棚に手を掛けた。その中に答えがあるような気がして。でも、鍵のかかった戸は、どんなに力を入れても開きはしなかった。いっそのこと壊してしまおうか。そんな事を考えると、まるでそれを阻止しようとでもするようにバチンと手に痛みが走って、哲は顔を顰めた。直感的にあいつに邪魔されたと思う。そして余程この中に見られたくないものが入っているのかと考えて、哲は自分の推測が間違っていないのだと自信を持った。きっとあいつは成仏なんてしたくないと思ってるに違いない。だから、自分の事を知られたくなくて邪魔をしてくる。でも、こうなったら何が何でもあいつの正体を突き止めて、あいつの未練が何か暴いて、絶対にあいつを成仏させてやる。あいつが成仏してしまえば、願いを叶えてもらうとかもらわないとか、あいつが良いものか悪いものかとか、そんな事はどうでも良くなるから。そんなもの意味がなくなるから。あいつがいなくなれば、悟史も諦めて帰るしかなくなるし、俺は気が楽になる。そう考えて、哲は祖父が辿ったであろう道を自分も辿って、真実を追究することを決意した。