第四話
食卓に当たり前のように着いている七、八歳くらいの女の子を見て、三人は固まった。
「えっと、近所の子?」
「近所ってどこだよ。この辺、ここ以外に家なかっただろ。」
「なんていうか。お人形さんみたいに可愛いね。着物着て、おかっぱ頭で、本当、座敷さんみたい。顔が整ってる分マジ怖いんだけど。ねぇ、君。本当に座敷童子じゃないよね?ちゃんと生きてるよね?どこの子?名前は?」
半分引きつってそうまくしたてる悠太の言葉に、女の子が口を開いた。
「わたしの名前は凛。わたしは座敷童子ではなく、神様だ。だから、人の理にわたしを当てはめることなどできないし、生きているかときかれたら、生きてないと言うしかないと思う。人間としてのわたしは、だいぶ昔に死んでるから。わたしも食べていいって言うから食べにきたのに、わたしのご飯がない。楽しみにしてたのに・・・。」
そう気落ちした様子で話す凛の言葉を聞いて、悟史がサッと青ざめた。
「ごめん。君の分、神棚に持ってっちゃった。まさかこんな風に一緒に食べるつもりとか思ってなくて。神棚に供えたの冷えちゃっただろうし、俺の分食べる?俺があっち食べるから。」
「ならいい。そっち食べるから。明日はこっちに用意して。みんなと一緒。じゃなきゃヤダ。そうしてくれないと、あなたのお願い叶えてあげない。」
そう言うと、スッと凛の姿が消える。それを見て、悠太がギャーっと悲鳴をあげた。
「見た?今の見た?目の前で消えた。消えたんだけど。女の子いたよね?俺の見間違いじゃないよね。」
「煩い。騒がなくても解ってる。ってか、悟史。何変なのと親睦深めてるんだよ。お前、何願ったんだ?」
「えっと、無病息災とか、家内安全、家内円満とかそういうこと、かな。」
「え?つまり、兄ちゃんの願い叶えてくれないって、俺たち事故や病気しまくるってこと?で、喧嘩しまくり家族バラバラ。マジ、ヤベー。兄ちゃん、絶対明日はこっちに食事用意しないとまずいよ。本当。」
「あ、うん。解ってる。」
そんなやりとりをして、三人は何か重い空気の中で夕食を摂った。
「にしても、本当に神様っているんだな。」
「あれが本当に神様かどうかは怪しいけどな。」
「でも、人間じゃないのは間違いないよね。消えたし。」
「でも、自称でも神様で、ここにいるってことは。じーちゃんの遺言ってさ。あの子の願い事を叶えてやってくれって事じゃないのか?」
「ってことは、兄ちゃんがちゃんとあの子の分の食事をここに用意して、みんなで食べればミッション完了?」
「そんなわけないだろ。そんな簡単なことなら、じーちゃんができなかった訳がない。」
「あ、そうか。」
「とりあえず、明日聞いてみればいいんじゃないかな。ご飯、食べに来るみたいだし。」
そんなやりとりをして、また沈黙が続く。
三人とも今目の前で起きた非現実な現実に頭が追いついていなかった。これは夢なのかとそれぞれが思う。幽霊にしては余りにもハッキリとした存在感があった凛の姿と、目の前で消えた現実。超常現象とはもう少し曖昧模糊としていて、勘違いや思い込みと言われればそうかもしれないと思ってしまう程度のものだと思っていた三人にとって、凛の存在はあまりにも明確に認識できるものすぎて。だから存在を否定できなくて。でも受け入れることも出来なくて。実は近所に家があって、凛はそこの子で、消えたのは手品で自分達を驚かせようとイタズラを仕掛けられたに違いない、なんて思い込みたくなって。三人はそれぞれ考えるのをやめた。
翌日の朝、宣言通り食卓に現れた凛を見て、彼女が普通に食事を摂る姿を見て、なんか本当にただ近所の子が遊びに来ているだけな感覚になって、三人は気が抜けた。
「ねぇ。凛ちゃんって本当に神様なの?」
悠太が臆面なくそう聞く。
「うん。わたしは神様だよ。以前は人の願いを叶える神様だった。かつてこの地でそうやって生きてきた。そして、この地に最大の厄災をもたらして封印された。だから今は存在に特別な意味がない、ただの神様。」
そう淡々と凛が語った中に物騒な言葉を聞き取って、悠太は少し顔が引きつった。
「嘘じゃない。わたしはひたすら人の願いを叶え続け、最後はこの地の全ての者の命を奪った。神とは禍福をもたらす存在。安易に福だけを得ようとすれば、思いもよらない禍をもたらしてくる。人間が気安く触れるようなものじゃない。わたしを侮れば、その報いを受ける事になる。人にとって自分に都合の悪いものは全て悪。だからわたしは人にとって悪い存在になった。わたしがどれだけ人の願いを叶えたか、そんな事は関係ない。わたしがどれだけ人に禍をもたらしたか、人にとってそれが重要で、それが全て。わたしは人にとって禍をもたらすものなんだ。今もまだ。」
そう凛に冷たい視線を向けられて、悠太はゾッとした。でも、おっかなびっくり、ただの脅しじゃなくて?と聞いてみて、脅しだと思うならそう思ってればと返されて言葉を失った。
「朝ご飯美味しかった。昨日の晩ご飯も。だから、貴方のお願いきいてあげる。」
そう言って凛が悟史に視線を向ける。
「でも、条件がある。これから毎日、最低一日一食わたしに食事を用意して。貴方の願いが叶うまでずっと。叶ったのを貴方がちゃんと確認できるまで、貴方もずっとここにいて。」
「もし、守らなかったら?」
「もちろん叶えてあげない。でも、貴方には関係ないでしょ。気にしなくていい。誰がどこでどうなったって貴方のせいじゃない。」
それを聞いて悟史の顔が青ざめる。
「悟史。本気にするな。お前が本当は何を願ったか知らないが、こいつの言う通り、誰がどうなったってお前のせいじゃない。絶対に、お前のせいな訳がない。」
悟史の顔色の変化を見てすぐ哲が言った言葉に、凛が笑った。それを見て、哲が多分に怒りを滲ませた目で凛を睨む。
「貴方だって、その人がどうなったって別にどうでもいいくせに。その人の願いが叶わなくて、誰がどうなったってどうだっていいくせに。そんなに怒るなんて変なの。」
そう言って可笑しそうに笑う凛を見て、哲がお前な、と掴みかかろうとして、ちょっと待ったと悠太が間に入った。
「いやいや、ね。落ち着こう。そもそもさ。兄ちゃんの願いが叶わなくてもプラマイゼロな訳だし。ね。何も問題なくない?そんな深刻になるようなことじゃないって。」
「悠太。本気で言ってるのか?このお人好しが願う事なんて、どうせ、どっかの誰かを助けてくれとかそんなんに決まってるだろ。自称だろうが、人の目の前で姿を消えてみせる神様とかいう奴に、言う事きけば願いを叶えてやるなんて言われて、言う事きかなくて願いが叶わなかったら、悟史がどんな思いすると思ってんだよ。自分のせいだって思うに決まってんだろ。自分が言うこときかなかったからこうなったんだって。そんなもの、お前は自分の兄貴に背負わせたいのか⁉︎」
そんな哲の勢いに、悠太は一瞬言葉を失った。
「でも、だからって、凛ちゃんに掴みかかってどうにかなることじゃないじゃん。それにさ、凛ちゃんが本当に願いを叶えられるかどうかもわかんないんだし。言うこときいたって叶わない可能性もあるわけじゃん。なら、叶ったらラッキーぐらいに思ってさ。凛ちゃんもそんなムチャなこと言ってる訳じゃないんだし、やるだけやってみて。叶いそうもなかったら途中でやめてもいいんじゃないの?最初から言うこときかないで叶わなくても、兄ちゃんも最初からそういうものだったって思っとけばいいって。ね。そこまで深刻になることじゃないよ。哲も、兄ちゃんも、真に受けすぎだって。」
そう一生懸命哲を宥めようとする悠太に水を差すように、凛が叶えられるよと言った。
「叶えようと思えば何だって、わたしは叶えてあげられる。それが人の理に反することだって、わたしは何でも叶えられる。でも、神様は気まぐれなんだ。こうやって人前に姿を現わすのだって、戯れるのだって、願いを叶えるのも全部気まぐれ。今回も義男の孫がやってきたから、ちょっと気が向いて出てきただけ。別にわたしはあの中にいて苦痛を感じたことはなかったけど、義男はわたしを憐れんで、牢の格子を外してくれた。だから少しくらい、義男の孫の願いを叶えてあげてもいいかなと思ったんだ。叶えたくなければ別にいい。ただ、この機を逃せば次はない。でも、信じられないのも無理はないと思うから。だから特別に、今ここで一つだけ願いを叶えてあげる。その人がわたしに願ったこと以外。何だって一つ叶えてあげる。だから、何でも言ってみればいい。」
「え?じゃあ、俺が今やってるソシャゲの十連ガチャ、全部俺の持ってないレアリティの一番高いやつにして。もちろん、今の限定カード含むで。」
そんな悠太の願いを聞いて、凛がわかったと答える。
「お前、何即答でアホなこと頼んでんだよ。このバカ。」
「いやー、わかりやすいかなと思って。」
「絶対、ただのお前の願望だろ。」
兄弟でそんなやりとりをして、でももうお願いしちゃったし、なんて悪びれた様子なく笑いながら、悠太がスマホのアプリを起動させてガチャを回す。そうすると、見事に全部キラキラ光る高いレアリティを示すエフェクトが出てきて、そして、中身が開くと本当に全部最高ランクの希少なカードばかりが手に入って、悠太は、うっしとガッツポーズを決めた。
「凛ちゃんマジすげー。こんなこと本当にできるんだ。」
そうテンション高く喜んで、悠太はハッとして、恐る恐る凛に、これだけの幸運貰ったせいでこれからなんかあるとかないよね?とたずねた。
「さぁ?それの歪みがどう出るかなんて、わたしの知ったことじゃない。ただ、それは確率の問題だ。わたしは確率を傾けただけで大したことはしていない。だからその分誰かが引きが悪くなるだけでしょ。それは一人が纏めて引き受ける事になるかもしれないし、沢山の人が少しずつ引き受けるのかもしれないし、貴方に返ってきてこの先しばらく貴方の引きが酷い事になるだけかもしれないし。大した事にはならないんじゃない。まぁ、でも。貴方が受けた恩恵の尻拭いを他の誰かにさせるのも悪いし、全部貴方に返ってくるようにしておこうかな。」
そんな凛の言葉を聞いて、悠太がそんなと嘆く横で、悟史がそれでお願いしますと言ってから悠太を叱った。それを見て凛が笑う。
「わたしの力はわかったでしょ?どうするのかは貴方が決めればいい。わたしの気分が良いうちは、どちらを選んでも悪いようにはしないであげる。気が変わったら、どうなるか保証はしないけど。」
そんなことを言って、凛が消える気配を察して、悠太がちょっと待ってと叫んだ。
「凛ちゃん。凛ちゃんの願い事って何?じーちゃんが、凛ちゃんの願い事を叶えてあげて欲しいって。遺言なんだ。じーちゃんの最期の頼みを俺たち叶えたいんだ。」
そう言われて、凛は目を伏せそっと自分の首に手を置いた。
「わたしは義男に何か願ったことなんてない。わたしは、貴方達に叶えて欲しい願いなんて何もないよ。」
そう言って、凛はその姿を消した。
「凛ちゃん、願い事ないって。」
「いや、あの様子。絶対嘘だろ。なんかあるだろ。」
そう言い合う兄弟の横で、哲は青ざめた顔をしていた。そして吐き気をもよおして、洗面所に駆け込んだ。
胃の中のものを全部吐き出して、哲はゼイゼイ荒い息を吐いた。なんだアレは。あいつはいったいなんなんだ。そんな思いが頭の中をグルグルする。他の二人は気が付いてない様子だったが、哲は見てしまった。凛が手を置いたその下に、くっきりと人の手形が浮かんでいたのを。あれは首を絞められた跡だ。強い力で、誰かに手で首を絞められた跡だ。あんなものがあるなんて、あいつが良い存在な訳がない。神として祀られていたとしても、その祀られるに至った経緯は絶対にろくなものじゃない。あいつは首を絞められ殺された。まともな死に方をしてない人間だ。そんな奴がまともな訳がない。あんなやつをまともに信用したら、絶対悪いことが起こる。そんな事を考えて、哲は自分の首に手を置いて、痛みを我慢するようにぎゅっとその目を閉じた。