第三話
「何作ってるの?」
そう聞かれて、悟史は調理をしながら、何も考えずに今日の晩御飯の内容を答えた。
「今日は、きんぴらゴボウに大徳寺和え、あと卵焼き。味噌汁の具は何にするかな。肉がないって怒られそうだから、治部煮でも付けとくか?どっちにしろと、年寄りくさいって言われそうだけど。」
「鶏なら、治部煮じゃなくてツクネがいい。ゴボウが入ったやつ。」
「挽肉になってない鶏をツクネにしろって?仕方がないな。手間だけどやってやるか。じゃあ、きんぴらやめて、ゴボウツクネの照り焼きにして、余った人参は明日でいいか。」
「わたしも食べていい?」
「そりゃ、お前のリクエストだし。そこにお前の分の皿も出しとけよ。」
そう言って、悟史はハタと、俺誰と喋ってるんだと思った。カタンと音がして、そちらに目をやると、自分が出していない四枚目の皿が置かれている。
皿を出した人物の姿は見えない。そもそもこの家には男三人しかいないのに、さっき会話していたのはあからさまに女の子の声だった。そう認識して悟史はサッと血の気が引いた。
昼間の悠太をバカにできない。俺も見ちゃった。いや、見てないけど。普通に会話して、普通に・・・。そんな事を考えて悟史は、約束しちゃったのに声の主の分を用意しないで祟られても困るしなんて考えて、出された四枚目の皿にもきっちり一人前のお菜を用意した。
お盆に一人分のお菜とご飯と味噌汁を乗せ、これどうすればいいんだと首をかしげる。とりあえず、神棚にでもお供えしておくか。そう考えて、悟史はお盆を持って神棚に向かった。
お盆を神棚の前に置き、手を合わせる。目を瞑って、どうか哲を守ってやって下さいと、手の掛かる従兄弟のこれからを考えて願った。離れたら自分はもう何もしてやれないから。そう思って、悟史は遣る瀬無い気持ちになった。側にいたって何もしてやれなかったかと思う。一人にさせたら、哲はすぐ死んでしまいそうで怖い。自殺はしないにしても、死にそうになったらそれを受け入れて、抵抗せずに逝ってしまいそうで怖い。そんな事を考えて、悟史は自分の額の傷跡をなぞった。
哲は生に執着がなさすぎる。悟史がそれを実感したのは、まだ三人とも幼かったある夏の日だった。まだあの頃は悠太は哲の事が嫌いで。しょっちゅう哲に喧嘩をふっかけては、哲に相手にされなくて苛々を募らせていた。だから悠太は、悟史に怒られるとわかっていても、その苛々を哲にぶつけ、相手にされなければされないほど、余計に腹を立てて哲を虐め続けていた。
家族でキャンプに行った日、悠太は嫌がらせのために、入ってはいけないと言われていた森に哲を強引に連れて行った。哲を途中で置いて帰って迷子にさせて怖がらせてやるつもりだったらしいが、考えなしに森に入った悠太も結局一緒に迷子になって。二人が森に入って行くのを見て追いかけきていた悟史が追いついて、悟史の誘導でキャンプ場へ戻る事になった。帰る道のりで悟史に沢山怒られて、悠太は不機嫌だった。全部こいつのせいだと苛ついて、哲を突き飛ばして、突き飛ばされた哲は足を取られ斜面を転がって川に落ちそうになった。さすがの悠太もそれには焦って、哲を引き上げるために手を伸ばして、でも、バランスを崩して落っこちて、結局二人とも川に落ちてしまった。川の流れは案外早く、あっという間に二人は流されてしまった。
悟史は必死で二人を追いかけてた。途中で引っかかっていた二人を見つけて、半分岸に上がっていた悠太に手を貸して引き上げて、次は哲と手を伸ばして。必死にしがみついてきた悠太と対照的に、ろくに手を握り返してすら来ない哲が印象的だった。意識がないわけでもないに、朦朧としていたわけでもないのに、生きようという意思が感じられない虚ろな目が怖かった。それでも必死に哲を引き上げようとして、引き上げられなくて。気を取り直した悠太も一緒になって哲を引っ張って。なのに哲は、もういいよと、完全に力を抜いて、掴んでいた手を離しやがった。それを見た瞬間、悟史はカッと頭に血が上って、馬鹿力が出て哲を引き上げられて。でも、思いがけず出た力にバランスを崩して、哲と引き換えに悟史が川に落ちた。流されて、途中で頭を何かにぶつけて。悟史が意識を取り戻したのは病院だった。
悠太には泣きつかれ。哲には、俺なんか引き上げようとしなけりゃ良かったのにと、本気でそう思っているような声で顔色一つ変えずに言われた。それ以来、悟史は哲が怖くなった。目を離せばすぐ死んでしまいそうで、怖くて、怖くて仕方がなくなった。大人になった今もそれは変わらない。だから、哲が家を出た後もしょっちゅう様子を見に行って世話を焼いてきた。離れなくても、ずっと気にかけて手をかけ続けてやることなんてできないのは解ってる。でも、哲がちゃんと生きていけることを願わずにはいられなかった。自分がいなくなっても、ちゃんと生きていけるようになって欲しい。だから悟史は神棚に、どうか哲を助けてやって下さいと願った。
哲がどうしてそうなったか、心当たりがないわけではなかったから。でも、自分じゃどうしてやる事もできないとわかっていたから。だから悟史は、ここに残していく従兄弟のことを神様に頼むしかなかった。自分と話していたアレが神様だったとしたら、お願いを聞いて食事を用意したから、代わりに自分の願いも叶えてくれないかな、なんて考えて。