第二十一話
凛に指示された場所に向かって山道を進み、哲は息が切れていた。家を出た時は先頭を歩いていたのに、今はすっかり二人に遅れをとっている自分が情けなく思う。自分を気遣ってペースを落とし振り向く二人が、声を出すなと言われているから何も言わないだけで、普段ならこんな自分を見て思っ切り茶化してくるのが目に見えて。これだから引きこもりもやしはだとか、哲の方が家で待ってた方が良かったんじゃないのとか言ってくる声まで聞こえてくるようで、哲は理不尽に苛ついた。
分かってる。二人が自分から姿絵を取り上げて先に行かない理由は。時間が許す限り、俺にこれをやり遂げさせようとしてくれてる。これは、じーちゃんから俺が頼まれた事だから。あいつの願い事を叶えてやってほしいって、俺がじーちゃんから頼まれたんだから。だから、二人は俺に最後までやらせてくれようとしてる。それに、この結末を三人でちゃんと見届けたいと思ってるから。でも、もしもの時はちゃんと取り上げて走ってくれるつもりでいるのも分かる。そのための二人。俺が潰れて、もう片方も何かでダメになっても、もう一人走れる奴がいる。それは心強くて、安心感がある事だった。悠太一人ならアホな事しそうだし、悟史だけでも少し心許ない。でも、二人が付いていてくれる、それだけで大丈夫な気がした。だけどこれは、これだけは、絶対に最後まで俺がやり切るんだ。そんなよく分からない思いが胸の内から湧き出てきて、絶対に二人には頼らないと、任せたりなんかしないと意地になって、哲は歯を食いしばって歩みを進めた。
そうやって、歩いて、歩いて、そして、漸く凛の恋人が眠るその場所に辿り着いた時には、だいぶ日が傾き、もう夕暮れ時というような時間になっていた。日が暮れる前に早く終わらせないと。そう思って、墓というにもお粗末な、ただ大きな石が立ててあるだけのその場所に凛の姿絵を開いてそっと置き、哲は少し離れた。
その場を赤く染める西日とはまた違う光が姿絵から放たれて、一瞬眩しくて目を瞑る。そして再び目を開けた時、そこは春の陽射しのような柔らかく暖かい光に包まれていた。そしてその真ん中に、白無垢姿の凛の姿があった。姿絵に描かれていたものとは違う、花嫁衣装を纏いそれに合わせた化粧を施した凛の姿に、哲は息を呑んだ。その凛に覆いかぶさるように纏わりつく黒い塊が、しゅるしゅると糸がほどけいくように姿を変え、袴姿の男へと変化する。
『凛。これでようやく一緒になれるな。待たせて悪かった。迎えにいくと言ったのに、随分と長い時を待たせて悪かった。でもこれからは、もうずっと一緒だ。』
そう言って、男が愛おしそうに凛を抱く。男の腕に抱かれて、その胸に身体を預ける凛の幸せそうな顔を見て、哲は胸が締め付けられた。これがあいつが望んでいた姿。本当はあいつ自身がこうありたいと望んでいた姿。心底幸せそうな偽物の凛を見て、哲は本物の彼女の事を思わずにはいられなかった。本物の彼女が今どんな気持ちでいるか考えると苦しくて、知らずに哲の目から涙が溢れた。
優しい光が二人を包み込み、それは眩しい輝きとなって天に昇っていった。それを眺め、全部終わったんだと哲の胸の中に虚しさが生まれる。ちゃんとあの男は成仏できたのに。これで良かったはずなのに。人の願い事を叶えてこんなにも気持ちが満たされる事がないなんて。ちっとも良かったなんて思えないなんて。お前と一緒に旅立ててめちゃくちゃ幸せそうだったぞって報告してやれば、あいつは少しは報われるのかな。でも、俺にはそんな事できない。できるわけがない。だってそれは、もうこの世にお前の求める男はいないって、どんなに願ってももう二度と会えなくなったって、そうあいつにわざわざ突き付けるって事だろ。そんな事・・・。そう思うとどうしようもなくなって、涙が止まらなくなって、そんな泣き続ける哲を悟史がそっと抱き寄せて頭を優しく撫でた。
「頑張ったな。頑張ったから。帰ろう。帰って、今日はもうゆっくり休もうか。凛ちゃんに言われた通りさ。」
そう言われて、手を引かれるように哲は二人に連れられて山を下った。
家に着き、俺が凛ちゃんに報告してくると悠太が神棚の方へ向かう。とりあえずお前は横になってろと悟史が哲を部屋へ促す。でも、ふと視界に凛の姿を捉えた気がして、その姿が山の方へ向かっていった気がして、哲はハッとして悟史を振り切るとその姿を追って山に入って行った。
フラフラだったはずなのに、何処からか力が湧いて走る。走って、走って、哲は男の墓のある場所まで戻ってきていた。膝に手をついて喘ぐ。苦しい、目が回る。でも、なんとか息を整えて顔を上げ、そこに佇む凛の姿を見つけて、哲は、やっぱここに来てたのかと思った。寂しげに墓石を撫でる姿に胸が締め付けられる。今思えば、凛が朝まで絶対に家から出るなと言ったのが、この場所に近づくなと言ったのが、一人この場所で感傷に浸りたかったからだと分かる。でも、墓石に縋り付いて堪えるように嗚咽する凛が、淳太、淳太とずっと名前を口にしなかった恋人の名を呼びながら涙しているのを見て、哲は思わずその背中を抱きしめていた。
「嘘ついて一人でこんなとこで泣いてんじゃねーよ。バカ。」
そう口に出して、そうか、俺はこいつを一人にしたくなかったんだと、一人悲しみに暮れさせたくなかったんだと、哲は自分の気持ちに気がついた。それを自覚すると、他にも色々な思いが溢れ出してきて、哲はより強く凛を抱きしめた。
「離して。わたしに気安く触らないで。」
そう凛に暴れられて突き飛ばされて。尻餅をついた哲は呆然と、自分を見下ろし睨みつけてくる彼女を見上げていた。
「来ないでって言ったのに。家から出ないでって言ったのに。なんで来たの。なんで一人にさせてくれないの。わたしは。わたしは・・・。」
そう怒りの感情を露わにして、凛の顔が悲しみに歪む。彼女の目から溢れ出した涙がとめどなく彼女の頬を流れ落ち。それでも涙を見せまいとするように、それを抑え込もうとするように凛が眉間に皺を寄せ、歯をくいしばる。それでも結局、凛は溢れ出してくる感情を止める事が出来なくて、その場に膝をつき、天を仰いで叫ぶように大声で泣いた。そのあまりにも悲痛な叫びに、痛々しい姿に、哲はもう何もする事が出来なかった。ただただ彼女が泣き続けるのをその場で呆然と眺めていた。




