第十五話
自室にしている祖父が書斎にしていたであろう部屋で机に向かいながら少しうたた寝をしてしまい、哲は人の気配を感じて目を覚ました。
気配を追って視線を向けると、鍵のかかった棚の前に佇む凛の姿を見つけ、哲はまたお前かと呟いた。
「なんか用か?」
その棚の中身にとは言わずに、声を掛ける。
「別に。なんでもない。」
あからさまに何かあるのにそれを言わずに無表情のままそう答える凛を見て、哲は心の中で溜息をついた。
「俺に用がないなら姿消しとけよ。そうすりゃ入ってこられても分からないのに。こうしょっちゅうこられると落ち着かないんだけど。」
「これはわたしのせいじゃない。姿を見せるつもりじゃなくても、人に見えてしまう時もある。故意に、わたしの姿を人に目撃させたい人もいるから。貴方に見えてしまうのはそれのせい。」
「故意にお前の姿を目撃させたい奴?」
「わたしとは別の神様。わたしが人の世に留まり続けることを快く思ってない。わたしみたいな存在は、本人に悪意や害意がなかったとしても人の世に禍をもたらすから。わたしみたいな神は人の世には関わらず、神の世に引きこもってるべきだって、昔言われた。でも、今の状態ではわたしは神の世にいけない。このままでいくわけにはいかない。もしそんなことすれば大変な事が起こるから。あの神様もそれを絶対に許してくれない。だから、わたしはここに封じられている。いつか神の世に入れるようになるまで、わたしが禍を振りまかないように。」
「それがなんで故意にお前の姿を目撃させたいことにつながるんだよ。」
「わたしを追い詰めるため。わたしを急かしてる。いい加減にしろって。わたしが一人で決断できないのを分かってるから、人に関わらせて、人を巻き込んで、わたしが逃げられないようにしてる。あることをわたしが成すことから。」
そう言って自分の首の締められた後にそっと手を添える凛を見て、哲は、彼女の願い事はその手の跡の主に関係あるんだろうなと思った。
相変わらず凛が首に手を添える時、そこに締められた跡が見えるのは自分だけの様だった。悟史も悠太も見えていない。見えていれば、二人とももっと騒ぐはずだ。悟史ならあえてそのことに触れないようにするかもしれないが、でも、それならその気遣いがどこかに出るはずで、そんなものは感じられないし。悠太は絶対黙っていられない。自分だけに見えるのは、彼女と自分に重なるところがあるからだろうか。それが、じーちゃんが俺にこいつの願い事を叶えてあげてほしいと頼んだ理由なのだろうか。そんな事を考えて、哲はどうでもいいと思った。彼女が話したくないなら、触れて欲しくないなら、わざわざ暴く必要なんてない。そういうお節介は、お節介が好きな奴がすれば良い。うちにはそういうのが好きなウザイのが二人もいるんだから、俺までそうなる必要はない。こいつの願い事を叶えてやりたいと言う二人に協力はするけど、積極的になにかなんてする必要はない。そう考えて哲は、凛から視線を机に戻し、うたた寝の前にしていたことの続きを始めた。
悟史達が集めてきた情報を纏めて整理する。それが最近の哲の日課だった。相変わらず哲は人から話しを聞き出すのは苦手だった。人と関わることへの恐怖心が少し薄れたからと言って、苦手な事が急に大丈夫になったりはしない。まして口下手が直るわけじゃない。だからそういうのは、人当たりが良い悟史や人懐っこい悠太に任せておけばいいと思っていた。そもそも、凛の願い事を叶えたいというのもあいつらの望みなんだから、自分が苦手な事を無理してまで何かしてやる必要なんでない。そう思うから哲は、家に籠ってレポートを纏める作業に専念していた。
昔噺の中では、凛の手によって村の人間は全滅しているのに、何故その惨劇以前の彼女の事が分かるのか。それを考えるとこの話し事態が空想の産物であるという可能性もあった。でも、本人が存在している以上空想ではない。そして、その真実を見つけ出せと言うのだから、語り継がれているコレが丸々の真実でもないと思う。まぁ、昔噺なんて元々そんなものだが。空想の産物であるという仮定を除けば、この昔噺が実際にあった事を基に作られている事になる。なら何故、凛が村を呪うに至ったか迄を村の外の人間が知る事ができたのか。それは凛の父親が、惨劇が起こるだいぶ前に凛と母親を捨て村から出ていて助かっていた事や、拝み屋を生業としていた凛の客が村の外に多くいたことによるためだった。それほどにまで、凛は村の外にまで名の知れた、この近辺では知らぬものが居ないほどの拝み屋だった。だから、語り継がれている凛の全てが噂話の延長線上のもので、真否の怪しいものなのかもしれない。父親も、自分が捨てた妻と娘が悲惨な最期を迎えてそれを語るのに、全て本当の事だけを語る訳がない。だから、信用できそうな情報は、行方不明から帰ってきて不気味な言動をするようになった凛が村の中で弾き者にされていたということ。母がそのことを逆に利用して凛に拝み屋をさせていた事。拝み屋としての凛の評判は上々だった事。凛には恋人がいた事。そして村の全滅、くらいな気がする。そこに凛が語っていた話しを重ねる。多分、凛も全部が全部本当のことは言っていない。でもきっと丸々嘘も吐いてない。だからきっと、本当に凛と恋人の心中騒ぎがあったんだと思う。座敷牢に幽閉され、拝み屋をさせられていた凛を恋人が連れ出して、二人で逃げて、逃げ切れないと思って心中しようとして、うまくいかなかった。でも、本当に上手くいかなかったのか?死んでもなおくっきりと残っている凛の首の締められた跡を考えると、哲には心中の際に凛が生き残ったようには思えなかった。恋人に首を締められて、凛はその時息を引き取ったんじゃないのか?でも、すぐ後を追うはずだった恋人はその時死ななかった。そこまで自分達を追い詰めた村の人間達を憎んで、恨んで、復讐してから後を追った。呪いや祟りで村が全滅したと考えるより、よっぽどその方がしっくりくる気がする。じーちゃんがたててたという流行病の説よりよっぽど、こっちの方がしっくりくる気がする。そんな風に考えて、でもそれじゃ、凛が何を願ってるのか全然わからないなと思った。ここに答えがあるはずなのに、全然答えがわからない。そう思って、じーちゃんはそれを見つけてたのかななんて考えて、哲は開けられない棚に視線を向け、すぐそこに自分の作業を覗き込んでいた凛の顔があって心臓が止まるかと思った。
「まだいたのかよ。」
そう呟いて、改めて凛に向き直る。
「何でもないって言っときながら、やっぱ用があるのか?」
「別に。ちょっと、進行状況が知りたくて覗いてただけ。」
「進めさせる気があるなら、そこの棚あけさせろよ。そん中にじーちゃんの資料が入ってるんだろ?」
「それは嫌。まだこの中は見せたくない。わたしの口からも、今まで教えた事以上のことはまだ何も語りたくない。」
そう返されて、まだってことはそのうち見せる気も語る気もあるってことかと哲は思った。
「最近、神棚には連日悟史や悠太が来るから落ち着かない。でも、作業に集中してる哲の邪魔はしに来ないから、ここが一番静かに過ごせる。それに哲はわたしに何も願わないし、何も望まないから。哲の傍が一番居心地がいい。だから少し、匿って。二人がわたしのことを想って動いてくれているのはわかる。でも、急かされているようで、気持ちが追いつかない。感情が荒ぶればまた、悠太にしてしまったように、意図せず暴力をふるってしまうかもしれない。そうならないように。哲がわたしから二人を守って。代わりに哲のリハビリに協力してあげるから。こんな幼い姿のわたしじゃ、リハビリになるかわからないけど。無防備になった自分の傍に人がいること。人に傍に寄り添われること。それに慣れる練習くらいにはきっとなるでしょ?」
そう言って、机の横にちょこんと座る凛を見て、哲は好きにしろと言った。
「もし、どうしても辛くて耐えられなくなったら。その時は何か起こす前に言えよ。あいつらがお前に殺される前に、適当な理由つけてあいつらの事連れて帰るから。」
そんなことを言って、それを聞いた凛が小さく笑うのを見て、哲は不思議な感じがした。悠太の言う通り、凛は自分と似ている気がする。でも、全然違う。姿形は子供だけれど、中身は自分よりずっと大人で、きっと沢山の何かを抱えていて、苦しんでもいて。でも、そんな状況でも人に親切にできる。相手の想いを汲み取って、我慢している、色々。そう思うとなんだか凛の事がいじらしく思えて、哲は彼女の頭を撫でてやりたくなった。でも、何を考えてるんだ俺はなんて考えて、何もせず、机に向かって考察の続きを始めた。