第十四話
神棚を訪れて、悟史はそこにおやきをお供えした。今更持ってきても遅いかもしれないけど、中身はご要望通りしょっぱいので凛ちゃんの好きなトマト入りにしといたからなんて言って苦笑する。
「ごめんね。そしてありがとう、色々。凛ちゃんのしてくれたこと考えたら、俺、なんてお礼を言えばいいんだか。なんて詫びればいいんだか。本当感謝しても感謝しきれなくて。だからこそ今は、君にどうしようもないくらい悪いことしたって思ってる。だから・・・。」
俯く悟史の前に凛が姿を現わして、別にお礼もお詫びもいらないと彼の言葉を遮る。
「わたしが願いを叶える代わりに悟史に求めたものを、悟史はちゃんとやってくれた。わたしも皆に嫌がらせして鬱憤晴らしたし、これ以上の何かはいらない。おやきは有難くもらっとくけど、これ以上は感謝も謝罪もされても迷惑。」
続けてそう言いながら早速お供えされたおやきを口にする凛を見て、悟史はそうは言われてもねと呟いた。
「凛ちゃん、俺が本当は何をお願いしたのか言わないでいてくれたでしょ。それに、じーちゃんの事も黙っててくれた。あの時、悠太はまだ小さかったし、何か見聞きしてたとしても覚えてないと思う。でも、俺は知ってるから。じーちゃんが哲の母さんに何したか、俺は知ってるから。だから。哲の中でじーちゃんを良い人のままでいさせてくれて、本当にありがとう。哲はじーちゃんが好きだったから。大好きだったじーちゃんが自分の母さんを追い詰めて自殺に追い込んだ張本人だったなんてあいつに知って欲しくない。だから凛ちゃんがあの頃の話を始めた時怖くなって。でも、あの事を黙ってくれてホッとして。それで、俺は・・・。」
「義男も悪気はなかった。ただ、気づくのが遅かっただけ。厳格な義男は表向き娘を赦すことができなかった。だから娘から連絡がきた時、最初からちゃんと話を聞くことができなかった。ついまだ赦していないと態度に出してしまい、助けを求める言葉を取り付く島もなく拒絶してしまった。それが娘と和解する最初で最後のチャンスだったと気付けずに。後から考えれば、自分の性格を良く理解してるはずの娘が、勘当されているのに自分を頼ってきた事の意味が重々に理解できたのに。でも、それに気づくのが遅すぎて、気が付いた時にはもう取り返しのつかない事になってしまっていた。本当は娘を大切に想っていたのに。いつも身を案じ、娘の今を心配していたのに。親兄弟に頼らず本当に一人で子供を産み育てていた娘を、いつかは赦そうと思っていたのに。素直になれなかった。結果、娘を追い詰めて殺してしまった。孫も死なせるところだった。だから義男は苦しんだ。凄く、凄く、苦しんでた。悟史の思う通り、義男の哲への優しさは贖罪だったのかもしれない。でも、ちゃんとそこには愛があった。ただの罪悪感で、ただ自分の罪の意識を薄れさせるためだけに、哲を引き取り面倒をみていたわけじゃない。ちゃんと義男は哲を大切に想っていた。悟史が義男の何を見たか知らない。悟史が義男の何を聞いたか知らない。でも、悟史がそれに心を苦しめる必要はない。義男は哲が知っている通りの人間で、そこに嘘や偽りはないから。むしろ、憐れみや罪悪感で縛られてるのは悟史の方でしょ。義男を悪者にして、哲を絶対的な被害者であり弱者として過保護にして。それは正義感が強いとも言える。情が深いとも言える。でも、悟史のそれって、哲を弱いものと決めつけて見下してるのと一緒。哲はそこまで弱くない。哲を弱くさせてたのは、哲を向き合う事から退け、立ち直るための一歩を踏み出させてあげなかった悟史の傲慢さだよ。だからわたしは、貴方の押し付けがましい優しさはいらない。わたしへの罪悪感や憐れみで、わたしに何かしてやろうなんて思わないで。迷惑。悠太の無神経さも嫌だけど、貴方のそれも本当に嫌。これ以上は本当に謝罪もお礼も何もいらない。わたしに深く関わってこないで。」
そう凛に拒絶され冷たい視線を向けられて、悟史は一瞬言葉を詰まらせた。でも、意を決して凛を睨み返す。
「自分から俺たちに関わっておいて?今もこうしてわざわざ姿を現わして俺と話してるのに?凛ちゃんのやってる事はめちゃくちゃだ。だから俺には、凛ちゃんの本音がそこにあるとは思えない。本当は何か俺たちにできる事があるんじゃないの?何かしてほしい事があるんじゃないの?じーちゃんにはそれを漏らしたんじゃないの?だから、じーちゃんは哲にあんな遺言を残したんだろ。」
そう言って、自分の言葉に視線を逸らす凛を見て、悟史は更に言葉を重ねた。
「俺たちに出て行ってほしい、このままそっとしておいてほしいっていうのは、全くの嘘じゃないのかもしれない。でも、それは表向きの願望だよね。本当はもっと別の願い事を君が持ってるって俺は確信してる。君に感謝してるのも、申し訳ないと思ってるのも本当だし。だからこそ、君を助けてあげたいって思ってるのも本音だ。それを傲慢で押し付けがましいと言われても、俺はこのまま君の表向きの願い事を叶えていなくなるなんてしたくない。そんな事できない。だから、本音を言いたくないなら言わなくていい。でも、俺が君の苦しみを取り除いてあげたいって本気で思っているのだけは解って。その為なら何でもする。君を傷つけて怒らせても、それで自分がどうなっても。その覚悟はできてる。だから、まだ俺はここに居続けるから。」
そう悟史に告げられて、凛は俯いてグッと拳を握った。
「そんな覚悟いらない。そんな覚悟しなくていい。そんなんだから。そんなことするから・・・。」
そうぶつぶつ言って、凛は思い悩むように視線を泳がせると、何かを決意したように悟史を見上げた。
「貴方はわたしの平穏を脅かす。だから嫌い。大嫌い。でも、とまってくれないから。居なくなってくれないから。だから、要望通りわたしの願い事を叶えるチャンスをあげる。まずはわたしの出す課題をクリアして。そうしたら、わたしの願い事を教えてあげる。ただし、わたしの願い事をきいたら、貴方達にわたしの頼みを断ることはできない。わたしの願い事を聞き入れない、ないしは叶えられなかったら、それは即ち死を意味する。その覚悟があるのなら挑戦すればいい。」
そんな凛の言葉を聞いて、悟史は達?と怪訝そうに眉根を寄せた。
「挑戦するのは三人で。貴方一人には任せない。貴方一人にはやらせない。それが嫌なら、さっさと荷物を纏めて三人揃って出て行って。」
それを聞いて押し黙る悟史から視線を逸らし、凛はそっと自分の首に手を当て目を伏せた。
「わたしには、どうしても自分でできないことがある。自分一人ではできない事がある。誰かの力を借りなくては、わたしはたった一人、大切な人の幸せを祈る事もできない。本当は自分でやらなくてはいけないと分かっている。自分一人でやらなくては、手を貸してくれた誰かを危険にさらすから。でも、一人じゃ無理だった。わたしにはできなかった。ずっと。今もずっと。本当にわたしは幸せなの。それが大切な人を不幸にしていると分かっていても、わたしは今が幸せなの。この幸せを、わたしは失いたくない。」
そう苦しそうに語って、凛は泣きそうな顔で悟史を見上げた。
「わたしの願いを叶えるということは、わたしの幸せを奪う事だと覚えておいて。わたしの願いのその先に、貴方が思うような幸福感をわたしは得ることはない。でも、叶えてくれるなら、わたしは深く感謝する。ずっとわたしにできなかったことを代わりにしてくれた事に、凄く、凄く感謝する。だから、危険を背負わせる代わりに、願いを叶えてくれた暁には、わたしが皆の願い事を叶えてあげる。なんでも一つ。どんな事でも一つだけ。一人一回、絶対に叶えてあげる。他の二人を説得するのに、これを餌にすればいい。」
そう告げて凛は悟史に課題を伝えた。
「死にたくなかったら、死なせたくなかったら、今からわたしの言うことをちゃんと聞いて。一つ、わたしの身体をこれ以上集めないこと。一つ、言い伝えられているわたしの昔噺の真実を見つけて、わたしの願いが何か言い当てること。一つ、ある人が描いたわたしの姿絵を手に入れること。これは、貴方達が無事にわたしの願い事を叶えるために必要なこと。二人を巻き込めないと思うなら、途中でも無理だと思ったら、遠慮なく逃げればいい。わたしは願いを叶えてほしいなんて思ってない。余計なことをしないでいてくれれば、わたしはまだ、これからもまだ、幸せなままでいられるから。だから一番は何も挑戦せず、三人でここから立ち去ってくれるのがいい。それを理解した上で、それでも我を通して理不尽にわたしを助けたいなどと思うのか。そのワガママに大切な弟達を巻き込むのか。よく考えて答えを出して。貴方が選んだ選択にわたしは何も言わないから。」
そう言うと凛はその姿を消した。凛の姿が消えたその場所を見つめ、悟史は彼女から言われたことを頭の中で反芻し黙り込んでいた。