第十二話
朝になり、哲はハッとして飛び起きた。いつの間にか眠っていた。いつの間にか朝になっていた。早く二人を逃がさないとと焦る気持ちに急かされてすぐさまキッチンに向かう。しかし、不機嫌な顔で朝食の準備をする悟史を目の前にすると、哲は気持ちとは裏腹にいつも通り忌々し気に、何呑気に朝飯なんか作ってんだよと悪態を吐いていた。
「朝はちゃんと食わないとだろ。」
いつもなら笑いながら軽く返してくるそんな言葉が今日は酷くぶっきらぼうで剣があるのは、自分にまだ腹を立てているからだと分かる。ここにいると危険だ。その意識は同じなのに。そんな場所にいさせたくない。その気持ちも同じなのに。それが分かってて、自分が二人と共にここを離れるのを拒んだから。そうは分かっていても、哲は素直になることができなかった。
「おはよう。」
場にそぐわない悠太の明るい声が響いて、キッチンにいた二人が酷く苛ついた様子で声の主を振り返る。
「えっと・・・。二人ともどうかした?」
険悪な二人の威圧感に押されて悠太が引きつった声を出す。
「どうかした?じゃない。危機感がなさすぎなんだよお前は。悟史と一緒にさっさとここから離れろ。」
「お前は軽率なんだから、またなんかやらかす前に先に帰ってろ。俺はこいつなんとかして連れて帰るから。」
それぞれにそんなことを言って、哲と悟史が睨み合う。
「とりあえずさ、朝飯にしない?俺、腹減ったんだけど。兄ちゃん、今日の朝飯何?」
その場の空気に耐えきれなくて、その空気を変えたくてそう言ったのに、さっきの調子に更に輪をかけて、能天気すぎるだのなんだのと二人に責め立てられて、悠太はカチンときた。
「そう言うけどさ。二人の方がピリピリし過ぎじゃない?確かに俺、凛ちゃんに一回殺されちゃったみたいだけどさ。でも、凛ちゃんは理不尽に暴力振るうような子じゃないよ。なのに、二人して凛ちゃんのこと一方的に悪者扱いして。この家の中で言い争い続けてさ。二人が言ってること、凛ちゃんに丸聞こえだからね。二人が凛ちゃんの悪口言い合って、それが原因でいがみ合ってるの、凛ちゃんに丸分かりだから。それ、酷くない?めちゃくちゃ酷くない?二人は凛ちゃんに酷いことしてる自覚ないわけ?凛ちゃんは人間じゃないから、怖い存在だから、だからって凛ちゃんになにしたって良いと思ってんの?俺はそんなことばっかしてる二人が信じられないよ。特に哲はさ。分かるでしょ。そうゆうのの辛さ。分かるはずだよね?俺は、メチャクチャ後悔してるよ。ガキの頃、哲に自分がしたこと。どうやったらお前に償えるのかさ、どうしたら自分のしたことチャラにできるのかなんて考えまくって、それで。俺は今でも辛いんだ。お前に自分がしたこと考えると辛くて辛くて仕方がないよ。どうしたらお前がまともに笑えるようになるかとかさ、まともに人と関われるようになるかなんてことばっか考えて、俺なりに色々。空回ってばっかだったかもしれないけど。それでも俺は。俺は俺なりにお前のために必死だったんだよ。だからな。お前が。お前がさ。昔の俺みたいなこと人にしてんじゃねーよ。兄ちゃんも兄ちゃんだよ。ガキの頃、俺の事散々叱りつけてただろ。なのに、凛ちゃんが怖くなったからって、急に手のひら返して凛ちゃんに酷いこと言ってんじゃねーよ。凛ちゃんはな。今でも兄ちゃんの願い事叶えてくれようとしてんだぞ。兄ちゃん、おやき作ってあげなかったし、丸聞こえの悪口言いまくってんのにさ。凛ちゃんはまだ、それでも兄ちゃんの願い事叶えてくれようとしてんだぞ。そんな凛ちゃんが、悪い子なわけないだろ。凛ちゃんが悪い子だったなら、とっくに二人ともあの世行きになってるからな。いい加減にしろ!」
そう反撃されて悟史は言葉につまり、哲は激高して悠太の胸ぐらを掴んだ。
「ふざけるな。あいつがいい奴なわけないだろ。あいつと何があったか知らないけど、簡単に信じ込んで味方になってんじゃねーよ。あいつはな、悪霊なんだよ。沢山の人を祟り殺したとんでもない奴なんだよ。今は封じられてて少しはマシになってるのかもしれないけど、それでも気を許していい相手じゃないんだよ。お前はそんなんだから付け込まれんだよ。あいつはな、お前を道連れにしようとしてんだぞ。もういない恋人の代わりにして、お前のことあの世に連れてこうとしてんだぞ。」
そんな哲の言葉を聞いて、悟史がそれ本当か?と顔色を変える。そして今すぐ逃げろと自分に迫る二人を悠太は睨みつけた。
「凛ちゃんがそれで気がすむなら、俺は凛ちゃんとあの世でもどこでも行ってやるよ。俺が言ったんだ、凛ちゃんに。なんでもするから、俺たちが凛ちゃんにしちゃったこと許して欲しいって。凛ちゃんが望むならこの命くれてやるし、俺に何したっていいって、俺が凛ちゃんに言ったんだよ。だから凛ちゃんが俺についてきて欲しいって言うなら、俺は凛ちゃんと共に逝く。これは俺の意思だから。別に凛ちゃんに強要された訳でも、無理に連れていかれる訳でもないから。俺がヤダって言えばきっと、凛ちゃんは俺を連れていかない。でも、俺は俺の意思で凛ちゃんと一緒に逝く。だから、俺が死んでも凛ちゃんのせいにするな。これ以上、凛ちゃんのこと傷つけるな。」
そう言う悠太の手は震えていて、本当は死ぬのが怖いと、死ぬのは嫌だと思っているのは丸分かりだった。でも、自分を睨む目の中にそれが本気で曲げるつもりがないという強い意志を感じて、哲は苦しくなって、思わずふざけるなと叫んでいた。
「そこに意地張る意味がわかんねーよ。もう死んでる奴に変な情けかけてんじゃねー。帰れ。本当にお前は今すぐ帰れ。そんなことで命を捨てようとするとかマジでバカだろ。死んだ人間なんか気にかけてないで、自分の事考えろ。この、バカ。」
「うるさい。俺が自分で決めたことにうだうだ口出して来てんじゃねーよ。もう死んでようがなんだろうが、凛ちゃんは確かにここにいんだろうが。生きてんのと変わらない質感でさ。ちゃんと感情もあって、色々普通に・・・。死んでるからって蔑ろにしていい訳がないだろ。生きてないからって傷つけていい訳ないだろ。お前こそ凛ちゃんに謝れ、バカ。俺は何もないのに無償で、同情だけで自分の命くれてやるほどお人好しじゃねーよ。俺がそうしたいからそうするって言ってんだろうが。哲に凛ちゃんの何がわかんだよ。凛ちゃんのことなにも知ろうとしてないくせに。凛ちゃんを悪者にしてんじゃねー。」
「お前こそ、あいつの何がわかるって言うんだよ。」
「わかるよ。俺は。ずっと哲のこと見て来たんだから。わかりにくくたってわかるよ。凛ちゃんは、ただ辛いんだよ。凄く苦しくて、辛くて、でも人に触れて欲しくないんだよ、そこに。だから、近付かれると拒絶して。俺を一回殺したのだって、本当は殺そうとした訳じゃない。嫌だって気持ちが、辛いって気持ちが抑えきれなくて、爆発して。それが結果的にそうなっちゃっただけなんだ。だからそれにも苦しんで。凛ちゃんは本当は優しい子なんだ。近付かれるのが怖いから、自分を悪く見せてるだけなんだ。俺は、凛ちゃんが傷つくってわかってて凛ちゃんを傷つけることをした。凛ちゃんを脅すようなことした。凛ちゃんがそれを受け入れてくれるって信じてたから。酷いことしてるって自覚して、俺は凛ちゃんに酷いことしたんだ。だから、それ相応の事を返してあげないと、あまりにも、あまりにも酷いだろ。それにさ、哲はいつまでたっても俺のこと許してくれないじゃん。受け入れてくれないじゃん。でも、凛ちゃんは。俺に贖罪させてくれるって。俺のこと受け入れてくれるって。凛ちゃんがそれで楽になれるなら、俺の命なんて安いもんだろ。俺だってそれで楽になれる。だから、俺の好きにさせろよ。いい加減、お前の顔色いちいち気にして一喜一憂するのもうんざりなんだよ。報われない努力続けんのにもうんざりなんだよ。いつまでたっても昔のこと引きずったまま変わろうともしない奴に付き合って、ずっと罪悪感抱いて生きてかなきゃいけないとか、本当うんざりなんだよ。だから、もう逃げたっていいだろ。凛ちゃんはわかってるよ。俺が凛ちゃんをお前の代わりにしようとしてるって。でも、それでも凛ちゃんは俺を許して、俺の贖罪を受け入れようとしてくれてるんだ。誰かの代わりなんてお互い様。それを分かった上でお互い自分を納得させて楽になろうとしてんの。それを、お前が邪魔すんな。お前に邪魔する権利なんかないからな。だから、黙ってろ。これ以上何も言うなよ、うざいから。」
そう悠太に拒絶され哲は頭の中が真っ白になった。胸ぐらを掴んでいた手を払われて、それは力なく落ちる。
「悠太。話しが終わったならいこう。朝ご飯なんて、もうどうでもいいでしょ?」
いつの間にか姿を現していた凛がそう言って悠太の手を引いた。
「そうだね。」
そう返す悠太の声が酷く現実感のないものに聞こえ、凛と連れ立つ悠太の姿が酷く遠くに感じて、哲はただ呆然と大切な家族が自分の手の届かないところに連れていかれそうになっている光景を眺めていた。いくな。いかないでくれ。胸が軋んで苦しくて、どうしようもない焦燥に感情が支配されるのに、哲は何も言葉を発する事が出来なかった。
「待ってくれ。」
悟史の声が二人を制止する。
「俺が君にした事、謝るよ。」
「謝ってくれなくてもいい。」
振り返った凛にそう言われ、悟史は彼女に柔和に笑いかけた。
「うん。今更謝ったところで許してもらえるとは思ってないよ。俺も自分のしたことに言い訳はしない。けど、今は、悠太に言われて目が覚めたっていうか。君に悪いことしたと思ってるって伝えたくて。」
そう言うと悟史は凛に近づいて腰を落とし、彼女に視線の高さをあわせると、悠太の手を握っていた彼女の手を取って握った。
「ごめんね。君の気持ち全然考えてなくて。俺の願い叶えてくれるって言ったのに、それに対する対価を作業的にこなそうとして、君への感謝の気持ちが足りなかった。君のことを疑って、君を一人の人としてちゃんと扱ってあげなかった。」
そう言って悟史が凛を真っ直ぐ見つめる。
「連れていくなら俺にしなよ。悠太は考えなしで、いつもその場の勢いでやって後から後悔するタイプなんだ。今はカッコつけてるけど、後からうだうだ愚痴が煩くて、連れていったこと後悔すること間違いなしだよ。でも俺なら、君を後悔させたりしない。愚痴なんて言わないし、君に尽くして、ちゃん満足させてあげる。一緒に連れていったのが俺で良かったって、絶対に思わせてあげる。だから、俺にしときなよ。」
そう言う悟史の目を真っ直ぐ見据えて、凛が嘘つきと呟く。
「悟史はわたしのことなんてどうでもいいくせに。悠太を助けたいから、自分を連れてけって言ってるだけのくせに。」
「でも本気だよ。俺を選んでくれるなら、本当に絶対後悔させない。」
「悟史は、わたしを後悔させて悠太や哲に危害が及ばないようにしたいだけ。そのために、永遠にわたしのご機嫌取りをしようとしてる。わたしを侮って、わたしを騙せると思ってる。」
「それが事実だとしても、どうせ一緒にいけない誰かの代替品なら、俺の心なんていらないだろ?本心がどこにあったって俺は表にそれを出さない。なら、君を哲の代わりにして自分が楽になりたいだけの悠太とそうかわらないだろ。かわらないなら、俺の方がマシだ。君にとっては俺を選んだ方がずっと良いはずだ。悠太は女の子の扱い下手だしな。」
そう言って笑う悟史に悠太がダメと叫ぶ。
「兄ちゃんはダメだよ。形ばっかで心がない奴なんか選んじゃダメだから。俺はちゃんと凛ちゃんのことも考えてる。兄ちゃんより、俺の方が絶対良いから。だから俺といこう。俺にして。」
そうやって、どちらが凛といくかで揉める二人に、凛がどちらでも良いよと呟く。
「理由はどうあれ、二人とも本当はわたしといきたくないのに、覚悟を決めて一緒に来てくれるって言ってるんだから。二人とも、わたしのせいにしないって、自分の選択に責任を持つつもりで言ってくれてるの分かるから。だから、どっちが一緒に来てくれても、わたしはその気持ちで満足できる。ここで手を離さないでいてくれるなら、本当に一緒に来てくれるなら、わたしはどっちと一緒でもいい。だから、哲が決めなよ。二人に言い争わせてもらちがあかないから。どっちを手放すのかあなたが決めて、あなたが手放す方をわたしに頂戴。二人共いらないならそれでもいいけど。あなたがどちらかを選ぶなら、あなたが選んだ方は連れていかないであげる。」
そう感情の読み取れない声で凛に告げられて、哲は彼女に視線を向けた。俺が選べばどちらかは助かる。俺が選んだ方は確実に助かる。でも、選ばなかった方は。悟史か悠太か、二人を天秤にかけて、俺が・・・。
「ふざけるな。哲は関係ないだろ。」
「哲に選ばせるなんてそれは酷いよ。哲は関係ないじゃん。」
二人の抗議する声を凛は聞き流し、微動だにせず哲に視線を向けていた。お前が選べ。視線がそう言っている。お前が原因で怒らせた、わたしの怒りを鎮めるためにどちらかをわたしの贄にしろ。そう言われている気がして、哲は目の前が真っ暗になった。