瀬戸秀人と奇妙な駄菓子屋
まだ本編にすら出ていない外伝を大学時代から書いています!それがこの瀬戸秀人シリーズになってます!秀人はいつ本編に出るのか気にしながら見ていただいたりするときっと面白いかと思います!
僕のことを知っていようが知らなかろうが関係ないが、僕の名前は瀬戸秀人、身長一八六センチ、体重六八キロ、二十一歳の漫画家兼小説家だ。
住んでいる場所は職業柄、ファンに知れてしまうと面倒だから教えはしない。好きなものは正直な人間と甘すぎない食べ物、嫌いなものは僕が面倒だと思ってしまうような人間とこっぴどく苦い食べ物だ。
特技は勿論、絵を描くこととそれなりな文章を考えること。
そして、大事にしているものは僕自身が魔法のペンと名付けたペンで、描いた物を立体化させたり、そのペンに描かれた物を意のままに操ることが出来る。
さらに魔法のペンで触れたその物体を全く別の物に書き換えることも出来るという代物だ。
例えば、犬を空に描けばその絵は具現化して犬となり、その場に現れる。
藁半紙に犬を描いたなら、その藁半紙は犬として行動したり、僕が命令すれば人を襲うこともできると言ったものだ。
書き換えるというのは、既存の絵や書物、紙などに追加で字を書いたり、それを上書きすることもできる。
弱点を上げるとしたら生命を操ったり、生命その者の種を変更することは出来ないことだ。
だって君の隣に居る友人、他人関係なしに僕のペンで触れたとして、突然犬にでもなってみろ。
僕なら驚きと興奮でその体験を作品に活かすかもしれないけれど、普通の人ならトラウマになり、忘れらない体験になるかもしれないだろう。
◇◇◇
自分では思ったことはないのだが、僕は自己中心的で負けず嫌いなんだそう。僕自身は決してそう思うことはないのだが、周りの人間は僕のことをそう思っているらしい。
生きている時点で人間というものは面倒だというのに、人の事を面倒な人というなど何事だろう。
そんな事を考えながら僕は、家の近所にある喫茶店で明後日締め切りの週刊少年ジャンヌに連載している作品、サーフィスの原稿を担当編集者に渡そうと椅子に腰かけ、僕の持っている魔法のペンと安直に名付けたペンでコーヒーを頼んだ時のレシートで作ったレシート犬を可愛がりながら待っている。
僕が着席してからすでに五分が経過していた。
普通の人ならそこまで気にすることはない。と思うだろうが、僕は違う。僕は待つのも待たせるのも嫌いな性格だ。
いつもこうして担当の編集者をこの喫茶店に呼び出し、手渡しで漫画の原稿を渡す。いつものきまり、運動競技選手でいうルーティンってやつだ。
僕が週刊少年ジャンヌで連載を持ってはや三年、僕の漫画は雑誌の看板になり、先月発売した単行本も初週で五十万部売れたばっかりだ。読者も来週の雑誌を期待してくれているのにこの瀬戸秀人の編集である新入社員の鹿取君は今日も遅刻している。この前も僕を待たせるなとあれほど小一時間説教したばかりなのに、今週もすでに五分遅刻していた。
なんというずぶとい神経だろう。
「すいません! 遅れました!」
「おい。鹿取君、分かっているんだろうが僕はこの前、君に説教をしたよな? その内容を覚えているのか?」
「漫画家はデリケートな生き物だから指定した時間に遅れるのも早く来るのも許さないと仰っていました」
「君は今日、六分遅刻した。僕は六分あれば人の顔ぐらいなら描くことができる。そ僕の大事な六分を君は奪ったんだぞ?」
「それは分かってますけど」
鹿取君がうつむき加減に小さな声で僕の意見に文句があるような言いぐさをする。きっと反省しているのだが、流石に今のは堪えたのだろう。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。遅れるということはそれ相応の何かがあるはずだからね」
僕が彼に向かってそう促すと、彼は急いで鞄の中を弄って一枚の紙を出した。そこにはこの町の地図と鹿取君が目的地らしきものを赤いペンで塗りつぶしてある。
「そうですよ! 先生、とりあえずこのお菓子を食べてみてください!」
鹿取君が差し出してきたのは変なキャラクターが袋にプリントされたスティック状の駄菓子だった。
「なんだこれは、僕をおちょくってるんだったら本当に怒るぞ? それに駄菓子なんていつぶりだろう」
「それはコンビニによくあるヤミー棒と同じ商品なんですが、味が違うんですよ。普通のヤミー棒ならサラダ、カレー、コーンポタージュなどの種類があるんです。でもこのヤミー棒の味はどこのコンビニに行ってもないんですよ!」
「何を言ってるんだ。鹿取君、そんなポピュラーな駄菓子がその駄菓子屋だけで取り扱ってるなんてあるわけないだろう」
鹿取君は僕の呆れた顔を見て何を思ったのか、何やら悪いことでも企んでいるような含みのある笑みを浮かべながら、ヤミー棒のパッケージ下部を指さした。
その先を見てみると、このヤミー棒はどうやらとんこつラーメン味と記載されている。とんこつラーメンなら福岡にでも行けば食べられるだろうにと、僕は呆れ半分、興味半分でパッケージを勢いよく破った。
「なっ! なんだ! こっ、これはっ!」
勢いよく破ったとほぼ同時に、とんこつラーメン特融の強く、癖のある匂いが僕の鼻を突いた。
その匂いは僕の脳を直接刺激し、まるでラーメンの屋台に居るような錯覚を起こしてしまっている。
基本的にラーメンはお椀を手にして食べるものだ。ヤミー棒を握っている感覚はまだ残っているのにも関わらず、まるでお椀を持っている様な感覚にも襲われている。
吐きそうと言えばいいすぎだが、別々の感覚を同時に味わうことによる僕の頭は混乱状態に陥っている。
鹿取君はそんな僕を差し置いて、ヤミー棒にがっついている。彼は食べ物を食べるときにあまり綺麗な食べ方というか、品のある食べ方をしない。
丼ものならなんでも即座に口に運びかきこんでしまうぐらいに待ったが聞かないし、その辺の犬よりも食事中は僕の言う事に耳も貸さないだろう。
「鹿取君……どうして君は、このお菓子にそこまでがっつくことが出来るんだ」
「あ、先生はとんこつラーメンの幻覚が見えている感じですね」
「君には見えていないのか!?」
「いや、僕はもう慣れたので」
「なに……?」
鹿取君は僕が今、こうしてヤミー棒を食べられていない状況なのに彼は平静を保ちながら食べることが出来ている。
これほど人の感覚を狂わせるお菓子をあぁも簡単に食べられるのは彼ぐらいだと思う。他に有り得るとしたら、食べなれている人間か、彼と同じように日頃は無神経すぎる人間ぐらいだ。
「これ、望月君からもらったんですよ」
「望月君からだと!? なんでそれを最初に言わないんだ!」
「えっ、そんなに怒ることですか」
「怒ることだとも! そもそも君が望月君から貰い物をすることすら僕からしたら許せないことだと言うのに!」
望月君は、僕の数少ない友人の一人だ。
望月という苗字が僕の中ではそこそこ珍しいと思うのに、名前は鋳型の鋳に鶴で鋳鶴というなんとも不思議な名前をしている。
彼の友達とはあまり反りが合わないが、彼だけは芸術性から感性、食まで高い拘りを持っていて、話題に尽きないし、話していて不快にならない。
そんな彼はまだ高校二年生で、漫画家兼小説家の僕と同等、それ以上の拘りがあるのだから驚きだ。
人間としても大変目を見張るものがあり、威厳がありそうな名前にも関わらず、本人はまるで聖人と言わざるを得ない程に慈悲深さと優しさを兼ね備えている。
「あ、先生は望月君のこと好きですもんね」
「君が言うと、変な感じに聞こえるなぁ……。それに毎日の様にお弁当も作ってもらっているそうじゃないか」
「なんか、瀬戸先生の編集は大変だからと言ってくれて作ってくれるんですよ。ありがたいですよぉ~」
正直に言うと、嫉妬めいた感情が留まることを知らない。
何故かというと、まず望月君の家は十一人の大家族だ。彼と父親以外の家族皆女性で母と姉が七人、妹が二人で完全な女系家族である。
彼の姉妹や両親のことは知っているが、姉たちは皆、横暴で彼以外に家事をするなどもっての外、両親もほとんど家に居ることはなく、世界を回っているらしい。
そんな忙しい彼に弁当を作ってもらうなどとはこの編集、いい度胸どころか、厚かましいにも程がある。
「これと言ってコツもないんですけど、瀬戸先生はやっぱり感性が豊かだから影響されやすいと思うんですよね」
「よくわかってるじゃないか、と言いたいところだけど実際はこのヤミー棒を食べたくて仕方ない。でも今の僕にはヤミー棒としてではなく、一杯のとんこつラーメンとしてこのヤミー棒を見てしまっているんだ」
「言わんとしてることは分かります。でも強く自己暗示をかけるのが有効だと思いますよ。だってそれただのヤミー棒と変わらないんですから。自己暗示でなくても鼻をつまんでしまえばおそらく普通のヤミー棒に見えるんじゃないですか?」
鹿取君の助言に耳を貸すのは癪だが、僕は彼の言っていたことの一つでより簡単そうな自分の鼻を塞ぐ、という方法を試す。
右腕で自身の鼻を覆って、人差し指と中指だけで鼻の両穴を抑える。
するとどうだろう。先ほどまで僕を襲っていたとんこつラーメンの匂いが消えたとともに目の前のラーメンは消え、ようやく自分のヤミー棒をヤミー棒として認識することが可能になった。
「そこまでは鼻を塞いでていいんですけど、そこから先は鼻を抑えずに食べるんですよ。そうするとちゃんと幻覚を見ることなく、食せると僕は思いますよ」
「珍しく君に感心したよ。だが、こんな単純な解消法を発案することが出来ないだなんて、僕もまだまだみたいだ」
「疲れてたんですよきっと、でもこのヤミー棒を売っていた駄菓子屋ならそんな先生の疲労を解消してくれる様なものがありますよ」
そんな夢のような駄菓子があると思えないが、僕はとことん彼の話に耳を貸した。望月君がその駄菓子屋の駄菓子を欲しがっていたこと、そしてその次いででいいからと、鹿取君に言われたこと、僕は彼から地図らしきものを受け取ってその駄菓子屋に向かうことにした。
場所は僕の家の近所であり、望月君の家からも近い場所だ。
◇◇◇
「ここが、なんで今までこの場所を知らなかったんだろう」
源蔵駄菓子屋とさび付いた看板が、店の軒先に立て掛けられている。
木造建築で二階建て、薄汚れてはいるが、店の前と裏はよく掃除されていて、雑草なども綺麗に刈り取られていた。
店の入り口の外には、コンビニエンスストアなどでよく見かけるアイスクリームなどを入れておく冷凍庫が置かれている。現在も稼働中で店主はこちらから窺うことは出来ないが、稼働しているということは店主が近くにいるということだろう。
店の暖簾をくぐると所せましと駄菓子が置かれていて、鞄でもかけて歩こうものなら積まれている駄菓子を崩しかねないぐらいの通路の狭さである。
「本当だ……。ヤミー棒がある」
とんこつラーメン味だけではなく、醤油、味噌など別のラーメンの味、他にはビーフストロガノフやキャビアなど、目を疑うような味も確認できた。
見たこともない物を見るのは漫画家として大変貴重な経験である。写真ではなく、自分の目で見ること、人の感想から想像を膨らませるのではなく、実際にその場、その味を体験すること、それが漫画家や小説家には大切なことだと思う。
読者が求めているものは様々だが、生々しい表現には必ず目を奪われるはずだ。有り得ないことや本人が体験できないことなどを臨場感と自分の体験から感じたことを書く、そうすると読者は自身では体験、体感できないことでも想像で味わうことが出来る。
さっきのヤミー棒とんこつラーメン味は普通の人でも体験できるものだと思うから是非購入して試せるから今度の作品のあとがきにでもついでに載せておこう。
そんなことを考えながら店の奥にある襖を覗いてみる。
襖と襖の間にレジが設けられ、そこで会計をするのだろう。僕は店主が居ないことを確認して鹿取君が買ってきた物とは別の品物を物色してみる。
「味のなくならないガム、最高三万円まで当たるヨーグル3か」
鹿取君が居たら、目を輝かせながら懐かしい。とか、陽気な気分で鼻歌でも歌いながらこの場で物色するのだろうか、作品を会社に持っていく前に一緒に此処に来てもらうべきだったかと思いながら僕は信号機のように色分けされた三色のガムが目に入る。
「これなら僕にも分かるな」
「瀬戸秀人先生でも駄菓子をお食べになることがあるんですねぇ」
「貴方が店主か、おそらく名前は源蔵さんでいいだろう。その通り、僕の名前は瀬戸秀人、漫画家兼小説家をしている」
「漫画は読まないからよくわかないのですが、この前出版された。博識の狛犬、とても楽しませてもらいました」
「あれを買ってくれたのか、ありがとう。僕としても久々に筆が進みまくった作品で自信はあったんだ」
「狛犬が喋るのはなかなかの発想だと思いましたよ。喋る犬はテレビコマーシャルでも見るけれど、狛犬となれば話は別。狛犬の体が石という特性を活かしながらの窮地を乗り越えたり、謎を解決したり。すばらしいものでした」
「そこまでしっかり読んでもらっていると僕もうれしいです。老若男女すべての方に作品を読んでもらうのが僕にとって、最高の幸福なので」
「この年の少ない楽しみですからな」
「まぁ年老いるとできることも少なくなっていくし、何より足も遠くに運ばなくなっていく、でも貴方にはこの店がある」
「私の生きがいですよ。この店に子どもたちが毎日来てくれることが、私の明日への活力に繋がっているのです」
この源蔵という爺さん、自分の夢というか、自分の喜びを話すときの表情がとてもいい。失礼だがここまで満面の笑みを浮かべながら人と話す老人は初めて見た。
僕は老人というものに偏見を持ってしまっている。
友人の望月君にもそう指摘されてしまった。
理由は僕の名前を覚えてもらえないということもあるが、大前提に僕の小説や漫画は老人方に評価されにくい。
勿論、僕は老若男女問わず作品を好きになってもらいたいのだが、どうも僕の名前と顔が一致しないのか、この爺さんぐらいしか僕のことを知らないらしい。
まぁ、作品を読んでもらえる。という点では目標は達成されているのだが、それでも瀬戸先生や秀人先生と老人方にも呼ばれたいという思いがある。
そういう事もあり、僕は自然と老人方に冷たくしているのだろう。望月君は洞察力にも優れているため、人の弱みや悪いところにすぐ気づいてしまうから隠し事なんてできやしない。
だが、悪いところを指摘するだけでなく、その改善点も教えてくれる。それが彼の善良な所であり、この僕が信頼してしまうポイントの一つだ。
「ところで源蔵さん、僕はこのお店に駄菓子を買いに来たんだが、源蔵さんお薦めの駄菓子とかはないのかい?」
「買いにきたのかね? しかし、困った。この店の駄菓子は大人には販売していないんだ」
「おいおいおいおい。でも僕はこの店のお菓子を食べたぞ? それに僕の編集も美味しそうに食べていた」
「瀬戸先生、それは貰い物ではないかね?」
鹿取君は言っていた。
あのお菓子は望月君から貰った物だと、とても嬉しそうに語っていた。あの表情は悪くないものなのだが、僕に断りもなく望月君から貰い物をするなんてもっての外だ。
「確かに、貰い物だ」
「貰い物なら構わないんですよ。しかし、この店のお菓子を成人に食べさせるのは大変よろしくない。誰にもらったか、言ってみなさい」
ちょっと待て、もしかして僕は今、この爺さんに脅されているのか、それに望月君は善意で僕らに配ったのだから悪くない。
それにだ。それが悪行だと言うのなら望月君は絶対にそんなことはしないはず。もしやこの爺、間接的にではあるが望月君を馬鹿にしているのか?
先ほどの仏の様な笑顔から一変、今は凍り付いたように冷たい黒目で僕を見つめている。
「爺、お前、それは僕の大切な友人に対する侮辱か?」
「突然態度が変わるのですなぁ。怖い怖い」
「こっちの台詞だ。僕は自分のことを馬鹿にされたり、自分の作品を馬鹿にされることも快く思わない。だけどそれぐらいなら快く思わないだけで済む。しかし、名前は伏せるが僕の数少ない友達を悪く言うのは許せないな」
「私は大人というか、そもそも人間がそこまで好きではなくてね。君の小説は至極面白いとは思う。が、作者の本性を見てしまうと幻滅してしまう事とかもあるだろう? 今の私はその状態なのです。瀬戸秀人」
「それは僕も分かるさ。僕は漫画家兼小説家であるが、その前に一人の読者でもある。好きな漫画や小説もある。だが、僕は作者がイメージと違った程度では幻滅はしない。寧ろその作者も人間的な部分があると尊敬するぐらいだ」
「だけど、僕は作者側だから。とでも言うのですかね」
「よくわかってるじゃないか、でも源蔵さん。僕はあんたと争うためにここに来たんじゃあない。僕はちゃんとこの駄菓子を貴方から買いに来たんだ」
「その気持ちは本当らしいね。君の目を見ればわかる。嘘をつくのが嫌いな人間というか、正直すぎるというかねぇ」
源蔵さんは僕の目を見てから振り返り、レジの方向へ歩き出した。
僕は靴を脱いでレジの先にある大広間へ向かう。中心に冬場は炬燵としても機能しそうな机が配置されていて、机の隣には整頓された座布団の山、襖の隣には僕の背丈より少し低い程度の茶箪笥、駄菓子の名前が書かれた段ボール箱が少し散乱している程度の散らかり具合だ。
段ボールには商品らしき名前と、その商品を開発した会社の名前がおそらく源蔵さんの手書きで書かれていて少しだけ乱雑になっている。
机の上にはご丁寧にも僕と彼の分の湯飲みと急須、小さなかごに十本ほど棒状のお菓子がピラミッドのように積まれていた。
「どうぞ、座ってくだされ」
源蔵さんは机近くに積まれていた座布団から無作為に二枚取り出し、僕にそのうちの一枚を差し出す。
座布団に源蔵駄菓子屋のロゴマークがある。随分と細かい所まで気配って商品を作っているのだろう。
僕はもらった座布団を敷いて、その上に胡坐をかいて腰掛けた。
「それで、ここまで来て何をしようって言うんだ?」
「ただ、買わせるだけじゃあ面白くはありません。一つ、勝負をでもしてみないかい?」
源蔵さんが老体で勝負するには僕に分がありすぎる。と普通の人なら思うだろう。僕も一瞬そう思ったが、この爺さんがそんな勝ち目のない様な勝負をするとは思えない。
そこで僕は考える。老体でも若者に勝てるもの、知識、味比べ、賭け事、テーブルゲーム、向こうの提案なのだから、源蔵さん自身が今の僕相手でも勝てる事柄だろう。
「それで、何をするんだ? 気になってしょうがない」
「ゲーム、ゲームをしませんか?」
そう来たか、老体に負担が軽く、尚且つ戦いやすい上に用意しやすいものだ。そして僕にも分かりやすいものだろう。
ただ、ゲームと言っても一概に体を動かさないものとは考えずらい。もしかしたら僕の弱点を見込んで体を動かすものかもしれないだろう。
僕の弱点、自分では弱点だとは思っていないが望月君やその友人たち、僕個人が気に入らない人間も口をそろえて言う。
先生(瀬戸秀人)は運動音痴、だと。
なんて酷い言い様だろうか、五十メートル走は十二秒丁度、ハンドボール投げは十二メートル、シャトルランは十二往復、つくづく僕は十二という数字に縁があると思う程に、僕のスポーツテストとかいうくだらない人間の運動能力を数値化する面白みがない学校のイベントは反吐が出る程嫌いだ。
それがなんと人間でいう運動音痴に当てはまるらしい。全くもって心外極まりない。
「まぁ、ゲームと言っても当店の駄菓子を使ったゲームですから安心してくだされ。私もこの体ですから運動となれば厳しいのです」
「そうかそうか! 僕は別にそれでも構わなかったのだが、それなら仕方ない。貴方の体を優先しよう」
「それでは、このチョコバーを使ってゲームといきましょうか」
チョコバーと呼ばれるものは黒や茶、黄土色の袋に詰められているものだった。長さは僕の掌サイズ、子どもの手には少し余るぐらいの代物で、黒はビター、茶は平均的なチョコレート、そして黄土色はキャラメル味だろう。
そしてその袋に描かれている野球帽を被った少年がこちらを見て笑っているように見える。
「これは、メジャーバーという商品です。この商品にはくじが付いていて、野球のアウトカウントに繋がる三振、フライ、ゴロなどがハズレ、ヒット、ツーベース、スリーベース、ホームラン各種がこの商品の当たりとなっていて時折、野球で存在するエラーを模した物かは分からないですが、当たりはずれを確認するための場所が真っ白な時があります。それを引いた場合はもう一本貰えるという代物です」
「それの当たりの大きさで勝敗を決めるってことか、で賭けるものはなんだ? 源蔵さん、貴方は勿論この店の駄菓子だが、僕は何を賭ければいい?」
「そうですな。私の駄菓子が欲しいのなら、何かを賭けてもらいましょう。ただし、お金で買えない代物が私的には嬉しいですね」
「お金で買えないものだと? それは一体」
「例えばですね。瀬戸先生、貴方自身の記憶とかでどうですかな」
「僕の記憶だと? そんなものを手に入れて何になる」
「いえいえ、理由があって欲しいのではなく、貴方という人間に私は興味があるのです」
「記憶を賭けることもできるということはこの僕の腕も同時に欲しがるわけかな」
「えぇ、それは勿論。ですが、賭けるものは瀬戸先生次第ですな。腕でも記憶でもサインでもなんでも賭けてくだされ。私は負けませんので」
負けない? この爺さん、確かに今、負けないって言ったな。
僕も舐められたもんだ。漫画を描くために僕はゲームもすることがあるのに、テレビゲームだけでなく、テーブルゲームもそれなりに網羅はしている。
「だったら、貴方が負けたら僕に駄菓子を渡す、ということでいいよ。僕は貴方に勝つまでこの駄菓子屋から出ることはしない」
「ちなみにこのゲームで一番の当たりは、代打逆転サヨナラ満塁ホームランという代物になっていまして、ちなみに発売されて六十年の歴史を持つこのチョコバーでその当たりを出した人は一人もいないそうです」
「それをもし、僕がこの店で引いたら、どうする?」
「どうする? 本当にあるかもわからない都市伝説みたいな物です。その確率は万が一にもないかと」
「貴方がそう言ってくれたおかげで引けるかもしれないという欲が沸いてきたぞ。その当たりを引きたくもなってきた。僕は大切な友人に駄菓子をあげられる上に伝説になる可能性もあるってわけだ」
「引ければですがねぇ。それかそれを引くまでに瀬戸先生が空っぽにでもならなければいいのですがね」
「僕が空っぽか、それもそれで面白いじゃないか、まぁ僕が負けるつもりは一切ないがね」
源蔵さんは段ボールから無作為にメジャーバーを取り出し、机の上で平行になるように並べる。
並べられた味はビターのみで源蔵さんの好みかと考えてみたが、よくよく考えるとあまりお菓子と呼ばれるものを食べない僕に対して合わせてくれているのでは、と一瞬だが脳裏を過った。
勝負に関係のないことを考えるのは一旦止めよう。源蔵さんは僕の目の前取り敢えずと言った感じで無作為にバーを一本掴んでそれを開封する。
選ぶのは無作為だが、封を切るのは丁寧で当たりか外れか分かる場所は傷つけないように彼は封を切っているようだ。
「ここですな。バーコードの丁度下部にあります」
バーコードの下を見るとそこにはアウトという片仮名で書かれた文字が印字されている。
これが外れだろう。中々良い工夫だと僕は思った。なぜなら当たりを引けば何があるかは分からないが、おそらく景品やら何やら貰えて、加えてそれが名誉になる。一本三十円というお手頃な値段、これなら子どもも手を出しやすい。それに僕は野球という野蛮なスポーツ、というかスポーツ全般が嫌いなのだが、子どもたちだけでなく、大人も知っていて尚且つポピュラーな球技である野球をテーマにし、それをもとに袋にも箱にもプリントさている可愛い野球帽を被ったキャラクターが一層、この商品を買おうとする人間の購買意欲を増大させ、追い打ちの様にくじびきの要素を入れる。
これは本当に僕も好きになってしまえば嵌ってしまうかもしれない危ない代物だろう。
「段ボール一つで一カートン、カートンはチョコバーが合計五百本入りで、そこから更に五十本入りの小さな箱が十個あります、小さな箱に入っている五十本から一番小さい当たりのヒットが出る確率は約十分の一と言われています。ヒット一本につき、一本のチョコバーと交換できます。ツーベース、スリーベースは二本、三本と数に応じて増えていきます」
「そうか、じゃあ僕の勝ちみたいだな」
僕も無作為に一つ取って同時に封を切っていた。そこにはツーベースと記載されていて源蔵さんの説明によればこれで僕は二本分の当たりを得たことになる。
「流石ですなぁ。これは瀬戸先生の勝利、としておきましょう」
「ハンデ、と受け取ればいいのか?」
「そうかもしれませんなぁ」
この爺、やはりこの瀬戸秀人を下に見ていやがる。見せてやろうじゃないか自分で言うのもなんだが、一流の人間って奴は幸運値と言えば良いのだろうか、それも高いと思っている。
僕自身、漫画家としても小説家としても売れることが出来て尚且つ、大切な友人も出来た。それだけで僕の幸運値は高いと言う安直な言葉で表現できるものじゃなあない。
「僕は運というものが比較的良い人間だ。源蔵さん、悪いが貴方にはそれが分かっていない。運というものは人生や己の生き方にまで作用するものだ。比較的、幸運な人生を送っている僕に運で勝てるかな?」
「ゲームとは運だけで左右されるものではありません。物によりまずが、技量が左右することもありますからなぁ。まぁイカサマでもするのなら技量、というものが大切になってくるでしょう」
「僕は技量がないというか、賭け事そのものがそこまで好きじゃないから技を突き詰める必要はないから、運に頼るしかない」
「大丈夫ですよ。イカサマは私も好きではありませんからなぁ。自分の運というもので勝利をもぎ取った方がいい」
「僕もハンデをもらってしまったからには全力で叩き潰してやりたいという気持ちがはるかに勝っているから、僕も源蔵さんには運で勝たせてもらうとするよ」
そうして僕と源蔵さんの戦いは始まった。
ルールは至極単純、まず僕と源蔵さんが一本ずつ無作為にチョコバーの山から一本取り出し、中身の当たり外れで勝敗を決するというものだ。
現実の野球で言うアウトカウントを増やす、ゴロ、フライ、三振などはどれも一つの外れという扱いになり、引き直しとなる。
勝ちの基準は当たりの大きさとなり、どちらもヒット以上の当たりと呼ばれるものを引いた場合、当たりがより大きい方が勝利となる。
例えば、源蔵さんがヒットを引いたとしても僕がツーベース以上の当たりを引けば勝ちというものだ。
引き分けの場合は引き直し、引く順番は僕が先に当たりを引いてハンデ及び先に引く権利を得てしまったが、一度でも僕が源蔵さんに負けることがあれば僕が後に引く順番になるらしい。
ゲームを降りるタイミングは僕の自由で勝っても負けても降りるのは僕の自由らしい。
最も僕は完全に勝利する気しかないのだが。
「さぁ、始めましょう。瀬戸先生からどうぞ」
源蔵さんがディーラーの様にチョコバーの山を僕の前に差し出す。
どれを選ぼうか、右か左か、それとも真ん中か、はたまた腕を底まで突っ込んで散々かき回してから引いてやろうか、そんなことを考えながら僕は取り敢えず一番上に載っていたチョコバーを取って目の前に置いた。
「これだ。じゃあ最初は軽めに僕の財布に入っている一万円でもいいかな?」
「ほうほう。最初は軽くお金でいきましょう」
続いて源蔵さんが右側の山からチョコバーを取り出す、そして一斉に開封、僕は三振だった。
さっきのツーベースと言われるものを今、出したかったものだ。源蔵さんの結果を覗いて見る。
「スッ! スリーベースだと!?」
「スリーベースも出にくい部類でもありますけどね。ホームランに比べればまだまだですよ」
勝敗が決した瞬間、僕の財布から一万円がひとりでに飛び出し、源蔵さんの手元に移った。
「なっ! そういうことか」
「そういうことですな。賭けたものはこうして私の元に移ります。私に所有権が移り、私の所有物となるのです」
「そういうことか、僕が拒否しようと関係ないんだな」
「そうですね。次は私から引きましょう」
源蔵さんはまた右側の山からチョコバーを無作為に取り、自分の目の前に置いた。僕は先ほどと同様、真ん中のチョコバーを取って自分の前に置いて源蔵さんと目を合わせる。
「次は何を賭けますか?」
「次、次か、賭けるものが大きい方が、自分の不安と勝ちの喜びを増大させるからね。じゃあ家にあるものとかでもいいかい?」
「構いませんよ」
「じゃあ週刊少年ジャンヌに連載が決定した時にもらった壺でいいかな」
「一万円より価値のあるものでしたらこの店が判断しますぞ」
「店が判断する? どういうことだ?」
「賭け事が始まるとこの店は中に居る人を閉じ込めるんですよ。そして目の前に賭ける物を決めるとこの店が判断します」
「この店は生きているとでも……?」
源蔵さんは含みのある笑みを見せながらチョコバーを一つ持って僕の前に優しく置いた。
「そう言われればそうかもしれんなぁ。この店は貰った様な店ですから、私もすべてを知っている訳ではないのです」
「駄菓子は……、駄菓子はこの店の何処から出てる……!」
源蔵さんは笑い声を上げながら、僕の前に置いていたチョコバーの封を勢いよく切った。
くじの部分を見ると、ホームランと記載されている。
ホームランは何分の何の確率で出るんだ? 何箱に一本なんだ? 僕の脳裏に嫌な予想が過った。
もし、この駄菓子が、この店で作られたものだとしたら、店主の源蔵さんだけが分かるくじのサインがその駄菓子のパッケージにあるとしたら、僕は、勝てない。
「ホームランは、ワンカートンに二本ですよ。瀬戸先生」
「お前、まさか!」
「いえ、イカサマはしていません。パッケージに特殊な加工も施してはいない。悪魔で私の運、そう。私の力で当てているのです」
「壺の値段は……、聞いている限りには一千万だ。僕に期待して編集長が僕にプレゼントしてくれたものだ。偽物の確率は極めて零だ」
「もしも、偽物だった場合はそれ相応の罰ゲームが与えられる。偽物じゃあなければですがな」
偽物の確率は限りなく零だ。僕自身も編集長には信頼を置いているし、彼の手腕も僕が信用に値するもの、嘘はつかないはずだ。
「罰ゲームはないようで、ということは本物ですな」
緊張で上がってしまっていた肩から溜息とともに力も抜ける。
店自体に魔法がかかっているのだろうか、僕の魔法のペンは生物以外には作用するはずだ。
僕はペンを取り、店の机に細工でもしてやろうと先端を触れさせると、箪笥の上に載っているお菓子の瓶が僕の頭目掛けて飛んできた。
「うおっ!」
「お分かりいただけたかな? この店は生きているも同然、魔法で上書きされているので魔法による攻撃に反応するのです」
「そういうことか、差し詰めここは結界と呼ばれるもの」
「そうですな。ご名答」
褒められても嬉しくないと言いたかったが、源蔵さんの機嫌を損ねるのは非常に不味い。この家はもう魔法が機能して僕が家に対し何か危害を加えようものなら僕は倍返しではすまれない攻撃を浴びせられるだろう。
魔法のペンで触っただけで頭に向かって瓶を投げられるんだ。よっぽど神経質な家という事だ。
「早く封を切りましょう。話はそれからですぞ」
僕には分かる。今、手にしているこのチョコバーが何かしらの当たりを出したとしても源蔵さんに太刀打ちできるはずがないと、分かるというよりも分からされている。
僕の運というものは確かに自分の人生に作用しているはずだ。この源蔵さんにも負けないはず、しかし、此処では、この駄菓子屋という空間だけでは、僕の幸運は源蔵さんよりも劣っているというのか、それとも駄菓子屋が本当に彼を選んでいるのか、密かに僕の腕が震えている。
千万の壺など別に構わない。僕自身、一千万の壺を取られても僕はまだゲームを降りることも出来る。
けれど、この腕の震えは、恐怖というよりも僕の好奇心だ。
僕の好奇心がこうして人が貧乏ゆすりをしている時の様に震えている。
「どうかされましたかな?」
「僕の負けで構わない。この対決は、引かなくても分かる。どうせ負けている」
一応、源蔵さんが僕のチョコバーの中身を確認して僕に向かって見せる。内容はヒットだった。しかし、当たりにも関わらず、勝負としては負けだ。
だが、絶望はない。
今の僕は、寧ろ心躍っている。これまでに無いくらいに、創作意欲というものが沸いてくるとは思わなかった。
この駄菓子屋でまさかとは思うが、今の僕に作品に対するヒントをくれるとは思いもしないことだ。
相手の土俵で、尚且つ相手の運が良い。
故に、僕は負けている。
全国の読者に対してこの状況を絵や文章にして発信したい。この絶望感を、この僕の逆境に立っているからこその高揚を、今すぐに此処から出て伝えたい。
「僕は……、この瀬戸秀人は、金なんてちんけな物に興味はない。ましてやゲームを此処でやり続けられるほど暇じゃあない。でもお土産が欲しいんだ。いつも世話になっている人に恩返しがしたい。その人が買った物だからわざわざ此処でなくてもいいと思うだろう。でも同じ物か、そのお店で買った限定品が僕は欲しい」
「と、言うと?」
「次で最後にしよう。源蔵さん、自分の人生って奴も此処では賭けられるルールなのか? 賭けられるとしたら賭けようじゃないか、読者はスリルある戦いを求めるものだ。悪い条件じゃないだろう? 僕の人生な訳だし」
「こりゃたまげた。命を賭けると言った人は何人も見てきたが、貴方みたいな人は初めてだ」
「ここの正体は予め予想はしていたんだ。ここ最近、妙な噂も聞いて居たしね」
「妙な噂ですかな?」
「あぁ、この駄菓子屋に入った成人男性が何人も行方不明になっているらしい。それも皆、犯罪者だぞうだ」
「そうでしたか、はてさて何のことやら」
「白をきるつもりならかまわないさ。だが、元犯罪者がなんでこんなところで駄菓子屋など、営んでいるんだ?」
僕の言葉で源蔵さんの顔が強張る。そう気にするようなことじゃあない気もするが、彼の中には何かあるのだろう。
「まぁ、僕自身、友人へのお土産を買いに来ただけ、余計な詮索は野暮ってもんだろう? でも源蔵さん、源蔵三太さん、どうして、犯罪を犯した世紀のギャンブラーがこんなところに?」
源蔵三太、八十三歳、配偶者無し、子及び孫無し、趣味はやはりギャンブルだろう。そして駄菓子屋経営も入れておこう。
そして、この駄菓子屋から出られない事情でもあるのか、なぜ此処で駄菓子屋なぞ経営しているのか疑問は節々残るが、これで彼の冷静な思考を剥がすことには成功した。
「冷静さを保つ、それはギャンブラーにとっては大事なものだ。度胸の次に大事だと僕は思っているよ」
「それがなんだと言うのですかな?」
「特に何もないさ。意味もない。僕がこう言ってもレ冷静さを失わないのがギャンブラーだと僕は思っているがね」
源蔵さんに紙を持ってくるようにと頼むと、そこに僕はペンを走らせる。生物を具現化することは出来なくとも、僕本来の画力はこのペンで効力を発揮するので、普通のペンとして絵を描くことにした。
一人の老人を、僕はその紙に描いて源蔵さんに見せる。
「この老人を貴方はきっと知っているだろう」
源蔵さんの顔が再び豹変した。僕を睨み、大人しさなど皆無になり、その表情はまるで獲物を見つめる虎の様。
「次で、次で最後にしよう。瀬戸秀人」
「構わないさ。その前にお手洗いを利用させてもらってもいいだろうか?」
源蔵さんは無言で頷くと、お手洗いの場所を指で指し示すと座布団の上で正座をして沈黙した。
◇◇◇
便所の扉を開け、洋式トイレに腰掛けた所で僕は手記を取ることにした。
この手記を取るための手帳はいつも胸ポケットに入れていて、何時、何処で、何が起きても即座にメモ出来るようにするための物だ。
これにはいつも助けられていて、現場の緊迫した状況から景色や起こったことを手のひらサイズでもいいから此処に保管できる。
本当は毎日スケッチブックでも持っていたいが、そうはいかない。
ズボンの右ポケットにはスマートフォン、左ポケットにはロロ・シャロニといブランドの純白の長財布、これで大体のことは事足りる。
予想はしていたが、もちろんスマートフォンは圏外だ。写真を撮ろうとカメラを起動してみるが、画面が真っ暗になってしまって何も映らない。
やはり、外的要因だけでなく、この駄菓子屋でいう源蔵さん以外の人間は何かこの店に影響を及ぼすことは出来ないのだろう。
現代でもソーシャルネットワークサービスなどといったものでこの店の批評や、内容を誰でも気軽に呟いたり、写真を気軽に撮影してそれを載せられる時代だ。
それがこの駄菓子屋から見たら不利益なものなのだろう。
子ども以外に駄菓子をあまり売りたくないという源蔵さんの思いが見事に反映されているんだと僕は推理する。
僕とあの爺さん、少しだけ似ているものはあると僕は感じている。
強すぎる拘り、高すぎるプライド、そして対象に違いはあるものの人を喜ばせることや楽しませるのが大好きな人間だと思う。
だったら答えは一つだし、やるべきことは一つだと思っている。
かつて間違ったことばかりしていた僕を救ってくれた彼の様に僕が彼に成り代わりそれをするだけ、彼と知り合う前の僕は今の源蔵さんと似たような人間だったのだろう。
僕は魔法のペンを強く握り、ほんの数ページだけ、殴り書きでもいいからメモを取って便所の扉を力強く開いた。
力強く開いたはいいが、店を怒らせてしまったのか、どこからともなくトイレットペーパーが飛んできて僕の後頭部を殴打した。
◇◇◇
「源蔵さん、さっきの話だが」
「何だ……」
明らかに先ほどの源蔵さんと態度が豹変していた。
よほど僕の似顔絵を見て堪えたのだろう。開封済みのチョコバーの袋が皺だらけになってしまうほど、強く握りしめている。
「僕はこの勝負、降りることにするよ」
「何故だ!?」
「何故? 気が変わったからさ。僕はもう一千一万円無駄にしてるんだぜ? 流石に大切な友人に駄菓子をプレゼント仕返したいが、なんかもう失いすぎたから嫌になってなぁ」
「プライドが……、そうさせたというのか」
「違う。普通に辞めたくなっただけだ。だってたかだが駄菓子を買うだけで一千一万円だぞ? 馬鹿馬鹿しいとは思わないか?」
「何を今更、気でも狂ったのか……」
「気でも狂った? 何を言っているんだ。僕なんてとうに頭のネジなんて外れてるさ。たかが大事な友達のために一千一万円も無駄にしたんだぜ? 正気の沙汰とは思えないだろう?」
「その経験が、貴方の漫画や小説に影響されるのではないのか?」
「確かに、僕の作品は僕の体験や目の前で起きたことなどを題材とするってことを良く表すけれど、全部じゃない」
今、週刊少年ジャンヌで連載されているサーフィスは、普通の人には見えない超能力を見る事が出来る男子高校生、工藤夏希を主人公とした超能力バトル漫画だ。
その漫画の戦闘描写では僕の現実に体験したことは使われていないが、彼の日常生活、他の登場人物たちは、僕が実際にしたことや僕の周りにいる人間たちを素材に描かせてもらっているものだ。
だが、今さっき気付いてしまった。
この漫画、賭け事しないってね。
「だったら、今までは何だった言うのです」
「何だった? 僕の悪乗りとでも言っておこう。僕はどうも好奇心が旺盛すぎるらしい。少しだけ冷静にものを見るべきだったと反省している」
何だこいつは、という顔をしているのが僕にも分かる。
情緒不安定というか、頭がおかしいというか、さっきまであれだけ調子の良かった源蔵さんがずっとしかめっ面で僕の顔を睨んでいる。
だが、それでいいんだ。こうして彼を少しでも憤らせることによって集中力を削ぐ、まさかあの人の肖像画がここまで相手の精神を揺さぶれるとは思わなかった。これは後で取材するしかなくなるじゃないか!
「でも、源蔵さんは僕の右手や才能が欲しい。ってところかな」
源蔵さんはそこで沈黙する。
自分の考えていることを全て見抜かれるのはギャンブラーとしては最高の屈辱だったりするのだろう。
僕も自分の作品展開を人に先読みされてしまうのは非常に虫唾が走るというか、とても気持ちの良いものじゃない。
「そうだ。と言ったら?」
「僕は、それで? と言いますね」
「どうしても欲しいと言ったら?」
「絶対にやらない。と言います」
「何故、先ほどの絵の人物を知っているんだ?」
「答えられません。もし、ヒントを与えてしまったらそれが答えになる。分かりませんか? 僕はここまで揺さぶってでも貴方に勝ちたいということが」
「どうすればいい?」
「そうですね。源蔵さんがこの店を賭けるとでも言って僕と勝負してくれたら、何故知っているかも答えますし、僕自身の何かを差し上げますよ」
「何故だ? 君の欲しがっているのは駄菓子のはずだ。何故それが店になる」
僕は、座布団に胡坐をかいて源蔵さんと視線を合わせた。
「貴方に、子どもたちの笑顔を見る資格なんてないと思ったからさ。大人には駄菓子を売らずに子どもたちだけに売るって都合が良すぎないか? 子どもみたいな大人や大人みたいな子どもならどうなるんだ?」
「前者は完全に店が判断できる。そして後者もだ」
「それは、貴方がこの店に住み着いた時からあるものじゃないだろう? 貴方は歪んでしまったんだ。少し前の僕みたいにね」
「私が歪んでいる? 何の冗談……」
源蔵さんの挙動が少しずつ崩れ、維持させてきたであろう彼自身の姿勢でさえ崩れてきている。
完全に憤るまでもうすぐだ。
「歪んでいるさ。今、貴方が駄菓子を売っている子どもたちが大人になったらどうするんだ? その子たちにも売らなくなるのか? あんたの考える売りたくない対象になるのか?」
「私は、人間が嫌いだ。少なくとも大人は絶対に拒絶したほどな。子どもは素直で美しい生き物だ。そんな彼らが好きだから、私は彼らだけに対して駄菓子を売るのだ。決して間違ってはいない!」
「確かに、貴方の一貫とした意思は今日出会っただけでも分かる。僕のとても好きな部類だ。けれど、貴方は言った。作者の本性を見てしまうと幻滅してしまう事とかもある。と、今の僕はその状態だ。成人に売れとは言わないが、貴方の店買った駄菓子を大人になった途端、味わえなくなると考えると子どもたちが可哀想だろう?」
「誰しも……、大人になってしまうものなのだ」
「それが分かっているなら、どうして」
「私がギャンブラーだったこと知っているならわかるだろう。私は一流ギャンブラーだったが、君が描いた似顔絵の男のせいで私は人生を狂わされた。私はこのギャンブルで勝利した場合、相手の何か奪うという特殊な魔法を会得していた人間だ。私はその男に会うまで数多くの人間の何かを奪ってきた」
「金、夢、能力、臓器や体の部位、命や魂までも、知っているさ。僕も図書館でそれぐらいの本は読んだ。そして似顔絵の人のこともね」
「私はある日、大罪を犯しすぎたという事で国から派遣されたその男に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。戦いではなく、私の得意とするギャンブルで私は敗北したのだ。そして自分の能力で私は彼に人権を奪われてしまった」
人権を奪われるという言葉に一瞬だけ、僕の思考は止まってしまった。人権がないということは人間としての尊厳や最低限に受けられる保証でさえも受けられなくなるということだ。
人権を奪われる以上に酷なことが世の中にあるのだろうか、人権を奪われるぐらいなら、死んだほうがマシだと僕は思う。
「そういう時に、人という奴は寄って集って私というモノを虐げはじめた。大罪人としてかつて生まれた町で磔にされて、唾を吐き捨てられ、様々な物を投げつけられたよ。モノである私は生きていることすら愚かしかったということだ」
「でも貴方は生きている。今此処に」
「そう。私は生きている。奇しくも私の人権を奪った人間のお陰でな」
「人権を奪った彼は、貴方に新しい場所を与えた」
「そう。あの方は私の人権をもとに戻し、モノとして扱われていた時の私が少なからず助けられた存在への恩返しをしろと、ここに幽閉した」
「そういうことか、モノとして生きていた貴方を助けたのが」
「子どもたちだった。愚かしく、モノであった私を彼らは手を差し伸べたりしてくれたのだ。その子たちの親には殴られたり、蹴られたりしたがね。私の希望だった」
子どもたちからの声援というものは意外と力になるものだ。
漫画家になってから分かったことだが、子どもたちに僕の名前を覚えてもらう事は大変喜ばしい上に、何より元気をもらえるといったものだ。
中高生には苛立ちを覚えることはあるが、そんな彼らにもそういう時代があったと思うと心を落ち着けさせることもできる。
勿論、こうして漫画家兼小説家の僕にもそういう時代はあったわけだが。
「私の希望は、決して無くならない。潰えないものなんだ!」
「でもそんな事、そんな言い訳、どうでもいいんだ。僕は自分の欲望の為に駄菓子を貰いたいんだ」
「少しだけ、すっきりした。私の店にくるのはあの方が寄越した極悪人か、子どもだからな。極悪人に情は湧かない。子どもたちには少し、残酷すぎて難しい話だ。ここの店に来たからには笑顔で帰ってほしいんだ」
「僕は大罪人でもないわけだが、お菓子を貰うには貴方を賭け事で倒さないといけないもんな」
「イカサマで勝つことや手加減してわざと負けるようなことは私もしたくないのでね。貴方に情が湧いたとしても手加減は一切なしですよ。瀬戸先生」
「構わないさ。僕は自分自身となぜ知っているかの情報賭けると言ったのだから、二言はないよ。それに今なら、不思議と負ける気はしないんだ」
僕は源蔵さんが開始の合図をする前にチョコバーを取ってしまっていた。これしか無いと思ったわけじゃない。特に選んだわけでもなく、ただ目の前にあったチョコバーを取っただけ、真ん中にあった一番上の物だ。
「僕はまだ。子どもたちの笑顔を見続けたい人間だ。漫画家兼小説家として、こんな所で躓いてるわけにはいかないからな。それにこの大量に記してしまった手帳を無駄にするわけにいかない」
五十数ページあったメモ帳がすべて埋まってしまうほどに今日の出来事と起こったことを書記してしまった。
便所に入っていた数分間でこれだけ書ければいいところだろう。あとはこれを持ち帰り、作品に活かすだけだ。
「何故か、分かってしまった気がする。瀬戸先生、貴方の大切な友人の正体が、どんな人か教えてくださいますか?」
「構わないよ。名前は伏せるが、彼はとても優しい男子高校生だ。誰かのために何かを成し遂げたりするのが大好きな変わり者で得意なことは家事全般、ピアノを弾くこと、学業も申し分なし、彼の家族や友人には非常に問題はあるが、彼自身には問題はそこまでない。強いて言うなら異性としての好意を向けられると強張ってしまったりすることだね」
「私の店の常連にもそういう子がいましてね。とても優しくて、週に何日かこの店に来てくれるんですよ。そして私の駄菓子を友達に食べさせたりしてくれて、その友達をこの店に招いたりもしてくれる。私の幸せの一つだ」
「そうか、お互いに良い友人を手に入れたものだ」
「確かに、一つ問題があるとするなら」
源蔵さんの強張っていた顔は、いつの間にか満面の笑みに変化していた。
人は幸せな瞬間を人に話すとき、気付かずに笑顔になったりするのもだ。これがその現象だろう。
「彼があの方のお孫さんだということです」
◇◇◇
「え、そんな壮絶な勝負を!?」
鹿取君がわざとらしく、僕の話を聞いて今にもひっくりかえらんばかりに驚いている。下手なテレビ番組じゃないのだから勘弁してほしいものだ。
僕と鹿取君は今、町のフランス料理屋のセボンに訪れている。
フランス語で美味しいという意味らしいが、この店の店主ダニエル・キャバックさんは僕と同い年の二十一歳で祖国の彼女を連れ、数か月前にこの町で店を構えた料理人だ。
フランス本場の料理が手軽な値段で味わえるということでここは大変繁盛している。今日は、僕と鹿取君のために貸し切りにしてくれたそうだが、店の経営に難が生じないか心配だ。
「君のせいでえらい目にあったんだぞ」
「でもそのお陰で、この前の小説が書けたんじゃないですか」
鹿取君が鞄から茶封筒を取り出し、今回書いた小説の原稿を僕に見せた。タイトルは老人と駄菓子屋という安直かつ、タイトルでどんな物語が展開されるか分かりやすい子ども向けの小説である。
「僕でもこれは面白いと思いますし、分かりやすくていいと思います」
「そうか、君にも分かりやすい作品がかけて良かったよ」
「流石、瀬戸先生って所ですよね! 僕みたいな人間でも読める面白い小説が書けるなんてほんとに只ならぬ才能ですよ!」
「私も、読ませていただきました」
キッチンからダニエルが濡れた手をエプロンで拭きながら、僕と鹿取君の座っている机の椅子に腰かけた。
彼の手はいつも料理や洗い物をしているにも関わらず、とても綺麗で食器の手入れだけでなく、ちゃんと手のケアも怠っていないのだろう。
「随分、ダニエルさんも日本語がうまくなりましたねぇ」
「あのなぁ。鹿取君、ダニエルは努力家って奴なんだ。わずか数か月で日本語をここまで話せるなんて並大抵の人間に出来ることじゃない」
「望月さんのお陰です。私はフランス語と英語しか話せませんでしたが、ご友人を連れてきてくださって翻訳などを交えながら私に日本語を教えてくれました」
「望月君ってなんでもできますからねぇ。そういえばダニエルさんもそうですけど、瀬戸先生も望月君にこの前、助けられたんですよ」
鹿取君は僕が話したことを少しだけ盛るということをしていたが、あの後、僕は源蔵さんとの勝負に勝利したのだが、僕があまりにも遠慮なく商品を持って帰ろうとしたため、店の中に閉じ込められてしまった。
これには源蔵さんもお手上げといった様子で、店から僕を解放することが出来なくなってしまったらしい。
そこで何も事情を知らない望月君が現れて、いつも通り、駄菓子を物色した後、僕の手を引いて店から脱出させてくれたという訳だ。
何故か、店も望月君には頭が上がらないというか、まぁ源蔵さんの言うあの方のお陰もあって通れたのかもしれない。
「ほうほう。そんなことが……」
「んで、僕と先生は今、望月君のお弁当を毎日食べてるんですよね」
「毎日食べてるんですよね。じゃないぞ! 全く、望月君の善意に付け込んで、我儘言うんじゃあない。彼が毎朝何時に起きてるか知ってるか!? 四時だぞ! 彼は毎朝、まるでシンデレラの様に姉たちにこき使われていてさらに我儘な妹二人も居る。そんな彼の負担を増やすんじゃない!」
「とかなんとか言っちゃって、結局のところ先生も望月君のお弁当頂いちゃってるじゃないですか」
「それは言わないお約束だ」
鹿取君の言い方や誘導の仕方は苛立ちを覚えるものだが、僕も彼のお弁当を楽しみにしているのは確かだ。
今回は、僕の勝利に終わり、望月君に源蔵さんが教えてくれた新作の三食サイコロというものをプレゼント出来た。
三食に分けて食べる三色のキャラメルで作られた正六面体型のお菓子でサイコロとしても扱うことが出来る。
そうすると汚くなるため、絶対にしないが、三色は赤、青、黄となっており、赤が朝、青が夜、黄が昼に食べるといいうという代物だ。
お菓子にしては時間指定の様なものがある珍しい代物だったが、望月君は満面の笑みを僕に見せてくれた。
彼のああいう無邪気さもまた、いい所の一つであり、困った所に一つだ。彼の笑顔に何人の女性が勘違いを起こすのだろう。
望月君の話はそこまでにしておいて、今日はダニエルに料理について取材をするところだった。彼だけではなく、料理なら望月君にも取材しなくては、一流の料理人ではないが、彼は料理もできる。
そんな彼のお陰もあるが、僕はもう気兼ねなく、あの駄菓子屋で買い物ができるらしい。駄菓子屋の玄関先にある沢山のアイスが入ったガラスケースに僕のサイン色紙が立て掛けてある。
源蔵さんがどうしてもと頭を下げるもんだから僕がサインしてやったと言ったところだろう。
僕は成人でもあの駄菓子を買えるが、鹿取君はどうだろう。今度内緒にして連れて行ってやるとしよう。
彼の様にサイン色紙ではないが、僕の部屋にもあの日、最後に引いたチョコバーのホームランと印字されたパッケージは、今も僕が受賞した新人漫画家作品最優秀賞の楯と新人小説家作品最優秀賞の楯の間にある額縁に入れ、厳重に保管されている。
若干、現在のリメイク版を執筆する前に書いていた作品の為、リメイクとの相違がみられるかもしれません!申し訳ないです。