fool kiss
幼い頃から、カサブタを剥がすのが好きだった。町では有名なおてんば少女だった私は、いつもどこかに絆創膏を貼られていたし、治りそうになる度にカサブタを剥がすものだから、大学生になった今でも体に古傷が残ってしまっている。特におでこの傷がひどい!いつも前髪をセットして隠すの大変なんだから…。でも、一番大きな古傷はあの夏に出来た傷に違いない。
高校三年の夏、生まれて初めて恋をした。
告白してオッケーを貰えた時は一晩信じられなかったし、お母さんも信じてくれなかった。でもそれから動物園や映画も行ったし、キスもしちゃった。楽しかったなあ、あの夏は。大学生になってからの夏休みは凄く長くてびっくりしたけど、それ以上に長く濃く感じた。
「りっちゃんは、魚、好き?」
「好き!昔はよくおじいちゃんと釣りに行ったなあ…。特にマグロが好きだね。」
「昔マグロ釣ってたの!?…じゃなくて、水族館に一緒に行ってみたくて。」
「あっ、ごめん。水族館か!いいね、行きたい。」
「じゃあ冬に行こうよ。東京に、オススメのとこがあるんだ。」
私は本当に楽しみだったし、毎日幸せだった。ただ、一つだけ親に隠し事をしてたの。
付き合っていた人、みっちゃんは女の子なの。
驚いた?
女の子と女の子が付き合うのって変だよね。一般的に、生物学的に考えても変だと思う。だけど、この関係を世の中に認めて欲しいとか思ってたわけじゃないの。ただ、放っておいて欲しかった。そういう関係もあるんだって、思っていて欲しかったの。お母さんには。
「りつ子、あなた女の子と付き合ってるって本当…?」
「……お母さん、わたし…。」
「別れなさい。」
「違うの、本当に好きで付き合っているの。お願い。」
「ダメ。あなた何を考えてるの?受験勉強も疎かにして、こんな時間まで遊んで帰ってきて、しかも相手は女の子って…。」
「…ごめんなさい。」
「すぐに別れなさい。」
「お母さん!」
「泣いたってダメ。相手にはお母さんから電話しますから。」
「やめて!お母さん、許してください。」
「誰のお金で遊んでるの!誰のお金で塾に通っているの!」
私は何も言い返せなかった。悔しいけど、お母さんの信用を失うのが何よりも苦しかったから。
しかし、私たちの関係は続いていた。なぜなら、みっちゃんが精神病になってしまったから。私が別れを切り出そうとすると、死ぬと言い始めたのもこの頃からだった。受験とお母さんとみっちゃんとの板ばさみで、毎日胃が痛んだ。でもやっぱりみっちゃんをこのまま見放すことだけは出来なかった。
そんなある日、医療事務をしているお母さんのつてでカウンセラーの晴之さんと出会った。
「りつ子ちゃん、君は共依存かもしれない。」
「…共依存?」
「つまり、りつ子ちゃんとみつるさんの間には境界線がなくなってしまっているんだ。お互いがお互いのことをいなくてはダメな存在だと思っていて、離れられなくなっている。りつ子ちゃん、君はみつるさんのことが本当に好きなのかい?」
頭を殴られたような感じだった。私は本当に彼女のことが好きなのか?いつから好きになったんだっけ?最後にキスをしたのはいつだっけ…?
「君は君だよ。みつるさんの世界の君は、断片でしかないんだ。それはりつ子ちゃんから見ても同じ。君は1人でも生きていけるんだ。」
「私たち別れよう」
「りつ子…何言ってるの…?またお母さんに何か言われたの…?大丈夫だよ、あたしが守ってあげるんだから。二人で頑張っていこうって決めたよね?」
「ごめんね、みっちゃん。私、依存してたの。」
「そんなことない!私たち毎日楽しかったじゃん!愛し合っていたでしょ?」
「私ね、東京の大学に行きたいの。それに1人で色んなことを経験したい。もちろんみっちゃんのことは好きだったけど、今は分からなくなっちゃった。ごめんね、私は別れたいの。」
「りっちゃん…あたしは…。」
「それじゃあ、バイバイ。」
家に帰るまでずっと、歩きながら泣いた。でも、悲しいだけじゃなくて、スッキリしたような自分がいて、無性に虚しくなった。
それから合格点ギリギリのところで第1志望の大学に入学して、こうしてひとり暮らしをしてるってわけ。でもね、みっちゃんには感謝してるんだ。私のことをあんなに愛してくれた人とはもう出会えないなーって思ってたから。まあ、今は彼氏も出来たんだけどね。その彼氏なんだけどさー…
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「言ってやったの。おちんちんだけじゃなくて器まで小さいやつだなって」
「映画館デートの後に?最高じゃん。」
「だって、きのこの山よりたけのこの里の方が断然美味しいじゃない?」
「つまらないことでそんな怒らない方がいいよ。それに、好きなんでしょ?彼のこと。」
「まあねえ…。って、恥ずかしいこと聞かないでよ。」
「いいじゃん。元カノのよしみでさ。」
「あー、ずるい。」
そう、元カノ。あたし、みつるとりつ子は高校時代に付き合っていた。けど、三年の夏、りっちゃんは突然別れを切り出した。
「私は別れたいの。」
りっちゃんは昨日までと全然違う顔をしていた。まるで別人みたいで、あたし達の関係はもう既に終わっていた。共依存、その自覚はあった。実際、気づいたあたしの方が先に精神科に通っていたし、このままの関係に終止符を打たなければならないことも分かっていた。分かってはいたが、別れられなかった。愛していたから。
あの夏、あたし達の間には確かに血が流れていた。暖かくて、なくては死んでしまう、そう思っていた。しかし、途切れてしまった。途切れて傷口になり、未だに傷んでいる。この古傷を治せないままあたしは生きていくんだろうか。いや、あたしはやっぱり…
「みつる、聞いてる?」
「あぁ、ごめん、彼と仲直りついでに水族館行ったんだっけ?」
「そうそう、それでこれ貰ったの!」
「サメのキーホルダー?」
「当たり!よく分かったね。特注品で型から作ったらしいんだけど、サメのつもりで作ったらこんな形になったんだって。サメって言うよりイルカみたいじゃない?」
「確かに。でも彼氏さん優しいんだね。安心したよ。」
「あ、もうこんな時間か。ほとんど昔話で終わっちゃった。」
「ううん、楽しかったよ。子供できたらまたあたしを呼んでね。」
「もー!気が早いよ。」
と言いつつ、笑うりつ子。でもね、りっちゃん、あなたと彼氏の間には子供が出来ません。なぜでしょう?
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大学に入るのは意外と簡単だった。元から粘り強い性分だったためか、一度勉強を始めたらぐんぐんと成績が伸びた。周りからは、彼女と別れたことで気合が入ったんだと揶揄された。違う。そんな甘いエピソードじゃない。
入学から一年後、休学し海外へ飛んだ。長期滞在の末、新しい自分を手に入れた。ただし、心以外だ。
「すみません、ノートを写させて貰えませんか?僕、去年休学してたものですから…。」
「いいですよ。私、字は汚いですけどそれでも良ければ…。」
「ありがとうございます。お礼にこれ、どうぞ。」
「えっ!?マグロのお寿司!?」
「の食品サンプルです。この間旅行先でお土産に買ったんですが、友達が出来たら渡そうと思って…。」
こうしてりつ子と付き合い始めてから1年がたち、楽しく暮らしている。りつ子はひとり暮らしだから、たまに泊まったりもする。周りの人は、仲がいいねと言ってくれる。りつ子のお母さんからも娘をよろしくお願いしますと言われてしまった。
これからも、二人で楽しく暮らしていくんだ。りつ子と、あたしで。
コミックマーケット94(2018.8.10)に発行した「FOOLKISS」の原文です。
一応、メリーバッドエンドのつもりで書いたのですがどう思うかは読まれた方の想像におまかせします。
それでは、また。