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ヒトになりたかった?  作者: 綴折紙
1/8

再決意の後の邪魔

 ざわざわ、がやがや。


 視界を埋め尽くす人々が、沢山の音を奏でている。


 この部屋は決して狭い訳ではないが、それでもこのような多人数で喧騒を作り出されては、気が滅入るというもの。耳を劈く奇声などはないが──偶に数人の幼い子供が発してはいるが──じわじわと身体に染み入るような五月蝿さが基本なので、質は悪いと言えよう。


 鬱陶しい騒音を遠ざけようと、耳にしっかりと手を当てているものの、あまり効果が見込めていない。⋯⋯手を上げ続けるのにもいい加減疲れてきていたので、抵抗はやめることにした。


 耳栓代わりの手を下げたことで一層騒がしくなった周囲に、辟易とした眼差しを向ける。それから気を紛らわす為、隣で何故か鼻歌を奏でている女性に話しかけることにした。


「ねえ、母さん。まわり、うるさいと思わないの?」


「うん、思うよ。アレンもそう思う? それなら、母さんとお揃いだね。嬉しいね、アレン」


「⋯⋯そうだね」


 にっこりと微笑む彼女──母さんに、同意は得られたがやはりズレているな、と私は溜息を混ぜつつ返事を返した。母さんは私の返事で更に機嫌をよくしたのか、笑顔をより一層爽やかに際立たせ、こちらに向けている。

 微苦笑を浮かべながらその笑顔から顔を背けて、私は周りの人々を眺め始めた。


 誰も彼もが、無邪気に、少し興奮した顔を作っている。


 笑顔だったり、笑顔だったり、笑顔だったり。


 兎に角、皆が嬉しそうな顔をしてはしゃいでいるがために、余計五月蝿く感じるのだ。


 ああ、イライラする。


 左隣においたカバンを開き、中を弄る。目的とするは、イヤホンと音楽プレーヤー。

 何でもいいから音楽を大きな音で聞いていれば、多少の喧騒なら遮ることができるはず。


 最初からこうしていればよかった、と自分の頭の回転の鈍さに嫌悪しながら、雑に手を動かしていると、イヤホンのコードに触れた。

 取り出そうとして引っ張ると、何かに引っかかっているらしく、コードはピンと張ったまま動かなくなってしまった。


 そのせいで、私のイラつき具合は一気にピークまで近づくこととなった。


 怒りに任せ、有りっ丈の力を込めて思いっきりコードを引っ張る。数秒間の綱引きの後、呆気なく敗北したイヤホンはその姿を私の前に現した。

 私は敵に打ち勝ったという喜びから、満足気な笑みを浮かべた。しかし、すぐにその笑みを凍結させることになった。


 ──こういう時に限って、不幸というものは意地汚くこちらを見ているものだ。


 私が掴んでいたのは、イヤホンプラグに近い部分のコード。そして、埋もれていたのは主役である、「イヤホン」の部分だった。

 その部分は、今、私のすぐ目の前にある。──ただ、いつもの姿とは違って、導線が頭をのぞかせているが。


 そう。


 つまり、イヤホンは壊れてしまったのだ。それも、イラついていた私の軽はずみな行動によって。


 勝ったつもりで、実際は負けていた。⋯⋯完璧な敗北。


 目と鼻と口、デフォルメされた顔を接着した「イヤホン」が頭に浮かぶ。案の定というかなんと言うか、お亡くなりになられた彼は、ニヤニヤと小馬鹿にしたような笑いを此方に向けていた。


 イヤホン──いや、「イヤホンだったモノ」を中心に収めた視界が、黒で満たされ、真っ暗になる。しかしそれは一瞬のことでしかなく、すぐに元通り、「イヤホンだったモノ」を含めた鮮明な映像が脳に認識され始めた。


 ──ただ、伴って湧き上がった空虚感だけは、置き去りにしたままだったが。


 虚しさに包まれたまま、手で持っているモノから目を離し、辺りを呆然としながら見渡す。

 依然、誰も彼もが騒がしくはしゃぎまわっているのが目に入った。


 ──深い絶望が、私の心を支配していった。


 周りはこんなにも地獄であるにも関わらず、私の唯一の天国は桃源郷の如く二度と手に入らないものになってしまった。


 隣に座る、母さんに顔を向ける。

 私の視線を感じたらしく、母さんはこちらを向いた。そして、今にも泣き出しそうになっているのだろう私の顔を見て、一瞬だけ驚いた。

 しかし、私が握りしめる「イヤホンだったモノ」に視線を移し、理由を察したようで、小さく微笑んだ。


 そのまま、私の頭を優しく撫で始めた。


「大丈夫。あっちに着いたら、すぐに貰えるからね。心配しないで、ね?」


「⋯⋯ぃ──ううん、大丈夫。いらないよ」


「そう? じゃあ、欲しくなったら言ってね。貰ってきてあげるから」


「⋯⋯うん」



 ──今、すぐに欲しい。着いてからじゃあ遅いんだ。


 そんな、喉元まで出かかった言葉を強く押さえつけて、飲み下す。そのようなことは、口が裂けても言えない。


 どちらにせよ、現時点ではイヤホンを貰うということなど到底不可能なのだから。


 行き先であるあの島内でないと、そういった娯楽系統に関連するものは支給されない。

 それに、母さんに迷惑をかけない事が最優先事項だ。何かを、実際の必要以上に強請ることなど全くの論外。


 ──そうだ。長時間に渡って騒音に浸されていたせいで、少し気が緩んでしまっただけだ。いつものように、常に冷静になるよう自分に言い聞かせていれば──ほら、この程度の我慢など容易の二文字に尽きる。


 唯一の逃げ場であったイヤホンが消えた以上、更に気を引き締めなければならない。


 私は覚悟を決めて、目を閉じた。


 しばらく、そのままの状態で、私は体を抱えるように座っていた。


 まるで、深く祈りを捧げる、どこぞの宗教における敬虔な信徒のような面持ちを加えて。

 側から見れば、私の覚悟のほどがよく理解できるような姿態だっただろう。何人たりとも犯すことは許されぬ──そんな一種の神秘的光景が顕界されていたはずだ。


 と、そんな様子であった私の肩辺りに、なぜかいきなり、力が加えられた。──ただ、暴力的ではない。どこか、優しさを感じる力の加え方だった。

 そこまで強いものではなかったが、それでも突然のことであったので、反応はできなかった。

 体が横に倒れていく。伴って、その体と繋がっている私の頭は、床に向かって宙に弧を描き始めた。

 絨毯が敷かれているとはいえ、十分に床は硬質である。


 ──痛そうだなぁ。


 そんなことを取り留めもなく考えた瞬間、遂に私の体が完璧に倒れこんでしまった。


 そして、頭を強く打ち付けたことによって大いなる苦痛が脳内を駆け巡る──ことは、なかった。


 全く痛みを感じていない。その代わりに、後頭部から、柔らかい感触が伝わってきていた。


「やっぱり、さすがに疲れちゃったよね。ゆっくり休んでね、アレン」


 どうやら、私が眠ってしまったと勘違いした『母さん』が、膝枕をしてくれたらしかった。

 合点がいった後、すぐに罪悪感が湧き上がってきた。


 自分の方が疲れているはずなのに、と。


 そう思って、すぐに起きようとする。しかし、体を動かす気力はすぐに跡形もなく蒸発してしまった。それどころか、睡魔が頭の中に侵食しており、抑えきれないほどの眠気に満たされている。


 私も、思っていた以上に疲れていたようだ。


  そう認識した途端、強い睡眠欲が鎌首をもたげ、私の精神を蝕み始めた。


 このまま眠ってしまおうか──いや、駄目だ。母さんを余計に疲れさせてはいけない。


 そう思っているはずなのに、瞼は否応なしに私の熱を帯びた目を包み込む。眠りたいという欲は、もう既に体の深奥に定着してしまっているようであった。

 働かせなくてはならないはずの思考も、ままならなくなっている。


 ──ここは、母さんの好意に甘えることにしよう。


 動きの鈍くなった脳は、忌避すべきだった判断を安易に下してしまった。それに伴って、私の意識は、夢の世界に突き落とされ、微睡みの中で溶け出していく。


 睡魔に負けて意識を失う直前、辛うじて瞼を少しだけ、上げることに成功した。

 焦点が合わず、ぼやけた視界の中で、母の穏やかな微笑みを捉えて────



 そこで、私の意識は堕ちた。





◇◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇◆












 瞼を開く。

 暗い。

 それに、騒がしかった周囲は静寂なものへと変化している。

 上半身を起こすと、何かが体からずり落ちた。暗い中では完璧に目で捉えることはできない。手と、肌から伝わってくるのは、柔らかく、滑らかな毛と布の感触──毛布のようだ。

 おそらく、隣で寝息を立てている母がかけてくれたものだろう。

 母さんの穏やかなリズムの吐息を耳に入れつつ、私は溜息を吐き出した。

 ここまで暗くなるまでには──つまり夜になるまでには、かなりの時間が余っていたはず。ほぼ半日と言える程度には。

 それだけ寝ていたということはつまり、その分自分が疲れを背負っていたのだと、母にアピールしていたのと同義である。


 最悪だ。


 母さんには負担を掛けてはいけないと、そう誓ったのではなかったのか。

 安易にそれを破ってしまった自分を、深い深い嫌悪を込めて睨めつけてやりたい気分にかられる。非勤労な自身の頭を壁に打ちつけることを強く望みながら、しかしそれを実行に移すことなく、私は虚空を睨みつけていた。

 ああ、イラつく。

 また、イラつき具合が、面白くなるほどに発展していきそうだ。

 なんとか抑えようとするが、そうしようとすればするほど、自分自身への怒りは加速していく。

 これは一旦頭を冷やす必要がある、と考えたので、外に出ることに決めた。

 ぎっしりと、部屋いっぱいに敷き詰められたようにして、横になっている人達。よく目を凝らして、その中から床が見える部分を探す。

 出入り口に辿り着くまで、途中で行き詰ることのないルートがあることを確認し、立ち上がった。

 一つ一つ、人の体と体の間に足を入れ、目的地に向かっていく。

 気が立っているので、その動作は荒く、我ながら雑と言ってもいいものだったが、幸いにも誰かの体を踏むようなことなく出入り口に着くことができた。

 扉が設置されていない出入り口。そこから軽く頭を出すと、薄い緑色の光で廊下がぼんやりと満たされているのがわかる。出入り口にいる自分から見て、正面、右、左と廊下は三つの通路にわかれていた。

 目を細めて、正面に真っ直ぐと続いている薄暗い緑の通路を睨めつける。次に、左右の通路、それぞれに顔を向けた。人の気配はなさそうだ。そう結論付けてから、私はすぐに廊下の中へ飛び込み、目の前の通路を走り始めた。

 昼頃は吐き気を催す程度に騒々しい音で一杯だっただろうに、今はその影すらない。

 閑散とした、素晴らしい静寂に包まれた廊下へと昇華している。

 そう考えると、心の奥から凄まじい解放感が湧き上がってきた。つられたように、口角もつり上がっていく。もっと思い切り力を出して、ここを走り抜けたいという気持ちでいっぱいになっていく。

 しかし、それではまずい。音が出てしまう。

 抑えられるだけ気持ちを抑えつつ、それでも素早く、軽やかな足取りで駆けていく。

 それから数秒だけ進むと、突き当たりに階段を見つけることができた。目当ての場所はここの上にある。

 一瞬も迷うことなく、そのままの勢いで階段を駆け上っていった。

 一つ上の階、二つ目の階、三つ目、そしてそこから二分の一だけ上、踊り場まで突き進む。

 そこまで来ると、ようやく疲労が顔を出したようだった。私は壁にもたれかかると、疲れに導かれるまま、荒く息を吐き出していた。

 少しの間そうしてから、一瞬だけ息を止め、代わりに乾いた口と喉に唾を押し込み、歩き出した。

 階段の一段一段を、ゆっくりと足で踏みしめながら、上へのぼっていく。その先には、一つの扉が据え付けられていた。

 扉の目の前で一旦立ち止まった後、私は手を伸ばし、取手に触れた。そのまま、それを回してから、慎重に力を込め、押していった。

 ガチャリ、と音を立ててから、扉が開放されていく。同時に、わずかだが、特徴的な匂いがつんと鼻の奥に突き刺さってきた。

 扉を全て開け放ち、その中へ入った。中は、緑の光すらなく、真っ暗になっている。背後から漏れ出す緑の光が、少しばかり内部を照らしてくれているおかげで、比較的小さな部屋であることはわかった。

 扉が閉まる音を耳に入れつつ、手探りで壁を見つけ、それに触りながら右側へと移動していく。

 手が部屋の隅に突き当たったので、次の壁に移り、また進んで行く。

 三歩程歩くと、手触りに変化が訪れた。ザラザラとした壁の感触から、滑らかな触感へ。──もう一つ目の、扉だ。

 すぐに、最初に入ってきた扉と同じ要領で開けていく。徐々に、外側から入り込んできた光と共に、あの少し刺激的な匂いが、強さを増して部屋中に充満していった。

『あの場所』に行くことになるまで、嗅いだことは一度もなかった匂い。

 これからも、嗅ぐことは無い筈だった匂い。


 ──潮の、匂い。


 扉を開き終わった。

 そして、視界もまた、明るいものとなった。

 頭上に広がる真っ黒な空の中、ただ一つだけ輝いている、月の光の所為だった。

 ザザザ、ザザザと、少し離れた場所にある手すりを越えた所で、水面の波打つ音が聞こえてくる。

 一歩、足を踏み出す。

 つま先のすぐ近くにあった通路に、足を踏み入れる。波の音と混じりながら、私の足下でカタンと音がした。

 また一歩、もう片方の足を踏み出してから、手すりに触れた。

 背後でバタンと、大きな音が鳴った。私の手から離れて支えを無くした扉が、元の枠に収まった音だろう。

 視線を、水平線が存在するであろう、しかし今は暗闇だけの存在する場所に向ける。その上方では、月が水面に自身の姿を映しこんでいた。欠けたところのない、完璧な美しさを奏でる満月の、その映し身は、ゆらゆらと波に混じって揺れている。


 それを見た途端に、改めて私の心に不快な不安がじわじわと広がっていった。


 そうだ。


 もう、戻れないのだ。


 もう──『この船』に、乗ってしまっているのだから。


 周りは、只々、暗い暗い海に囲まれて。


 帰り道のない、単純な一方通行で出来た渡り道の中に放り込まれている。


 ──それを、もう一度、自覚させられた。


 目を閉じる。

 ふぅ、と少しだけ息を吐いた。


 ああ。


 弱いな。


 どうしようもなく、弱い。


 たった、これだけのことで──


 ──『逃げられない』ことを認識させられただけで、こんなにも──


 ──こんなにも、怖くなってしまうなんて。


 つい先程見ていた光景を思い出す。

 手すりを視界の端におさめた景色の中では、空をそのまま写したように真っ暗な海の表面で、映り込んだ満月が揺れていた。


 ──それはまるで、今の自分の心のよう。

 強固に作り上げていたはずの決意が、ゆらゆらと、形を崩され、綻んでいく。


 愚かで憎らしい自分の事を、大きな音で嘲笑してあげたい気分だった。


 瞼を開ける。

 相変わらず、遠くの方で、満月と、それによく似たものが浮いていた。


 数秒だけそれを見つめ、波の音がよく聞き取れる程度に落ち着きを取り戻したのを見計らってから、歩き始めた。


 カタン──ザザザ、カタン──ザザザ。


 少し狭い通路と、それを歩く子供の足とが鳴らす音が、波の音に溶けていく。

 歩きながら、私はやはり外に出てよかったと考えていた。

 落ち着けたというのもあるが、それ以上に、これから何をするのか──何をするしかないのかを、再認識できたから。

 もう、二度とぶれるようなことはあるまい。

 そうやって、自身の決意についてきちんと結論づけたと同時に、通路を抜けることができた。

 その先にあったのは、昼には人でいっぱいだったであろう、甲板。

 昼時も、一面海しか見えないだろうここからの景色。特にいいものがあるわけではないのに、何故集まるのか。

 理解はできなかったが、今はどうでもいいことだとすぐに頭の中からその思考を抹消して、船の先端近くにあたる奥の方へと移動した。

 視界の右方向では、月が輝いている。

 手すりに軽く触れ、そのままじっと動かずに、ただ、真っ暗な世界を見つめた。


 今だけは、何も考えずに。



 何も、考えずに──



 ──ザザザ、ザザ──────



「嬢ちゃん、こんな時間にこんなとこで何してんだ?」




 一瞬だけ、波の音が小さくなった時。

 私だけのものだった閑けさは、誰かの声によって呆気なくぶち壊されてしまったのだった。

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