第18話
次で第1章は終わるかも知れません。
最初に見えたのは闇の中だった。
途方も無い闇の中。
叫び声を上げても返事がない。
「私は……」
「気がついたかグラシ?」
だが、顔を上げるとそこにはルシアがいた。
途方も無い記憶だ。
グラシとルシアの最後の記憶。
2人で殺し合った時の記憶だった。
「そうか……止めてくれたのか」
「すまない。お前を助けれなくて」
グラシの身体は、腕や足が関節から切断され、地面に夥しい量の血潮が出ていた。それに、額には剣の傷跡があり、目を切られたのか視界が見え難いのはその所為だろう。
ルシアはそんなグラシを見下ろしながら、悔やむような表情で剣を握りしめていた。自分が、先ほど半分だけ魔獣化してしまった記憶が、少しだけ頭の中に残っている。
それが、己を縛るように苦しめた。
仲間のルシアを裏切り、戦友と称したルシアに手を掛けられる。これ程の、罪が他にあるのだろうか。グラシはそう考えた。
「ルシア……私を救ってくれてありがとう。叫んでも……嘆いても……届かなかった。でも、ルシアは私を助けれくれた」
グラシは目が負傷しているのにも関わらず、涙を頬に流して腕を空に掲げる。空など視界に写っている訳もないが、正確に綺麗な夜空に向かって切れた腕を差し伸べていた。
そして、残りの力を振り絞り、グラシはルシアの気配を察知して、そちらを向く。
「ルシア……頼みがある」
「なんだ?」
ルシアはグラシの側に寄り耳を傾ける。
「アリナを守ってくれ……不甲斐ない私では、もう守れないだろう。だから、アリナが楽しく笑えるように助けてやってくれ」
笑みを浮かべて、グラシは囁いた。
それを聞いたルシアは、グラシの胸の上に手を置き、真剣な眼差しで誓いを立てる。
「あぁ……必ず守ってやる」
「……ありがとう、ルシア」
グラシはそう言い終わると、咳き込み、口から大量の血反吐を吐き捨てる。
グラシの体力は既に限界を迎えていた。
命が尽きるのも時間の問題だろう。
「ルシア……」
死に絶える体で、グラシは言葉を紡ぐ。
「なんだ……グラシ?」
「私はお前に会えてよかった。お前が、私の戦友で…………本当に良かった」
グラシはそう言うと静かに目を閉じる。
再び、暗闇がグラシを包み込む。
ルシアはそんなグラシを静かに見守った。
命が絶えるその時まで……それが、戦友でもあるルシアの勤めなのだ。
「お前に会えてよかったよ……親友」
グラシは頬を微かに上げて笑みを浮かべる。
そして、ゆっくりと息を止めて行った。
「俺もだよ……親友」
それを聞いた時……グラシの意識は途切れた。余りにも簡単に、糸を切るかのように意識が途切れて、暗闇の中に吸い込まれた。
***
それは懐かしい光景だ。
暗闇の中に差した一筋の光。
目を奪われそうになる程に美しい。
「私は……そうか……また」
「貴方が……グラシなの?」
目を見開くと、グラシの前に立っていたのは、ルシアより若く、ルシアより弱々しい雰囲気を出す、金髪の少女だった。
だが、見覚えのある少女でもあった。
「……ルナ・ペンドラゴンか」
「うん……そう言う貴方はグラシ・ブレットだよね。ルシアから聞いていたわ」
倒れているグラシの側にルナは腰を下ろす。
既にグラシの身体は、精霊宿しで魔獣化した影響か、身体の至る所から血が垂れている。
この状態では先ず助からないだろう。
その事をグラシ自身も理解している。
都合よく生き返るなど思っていなかった。
「それより……俺の精霊宿しはどう解いた? あの魔法は古代魔法だ。そう簡単には解けないはずだが?」
「これを使ったの……」
グラシの問いに、ルナは聖剣を見せて答える。それを見たグラシは、ルナの意図を理解したのか、笑顔でため息を吐いていた。
「聖剣か……なるほどな。それなら、俺の精霊宿しを解く事も可能だろうな」
グラシは褒めるようにルナに語る。
「でも……貴方はもう」
精霊宿しを解いたが、今の暮らしの様子を見てルナは言い難くそうに言葉を濁して、目を背けようとした。だが、ルナが目を背けるよりも早く、グラシが言葉を囁いた。
「……分かっている。まぁ、精霊宿しなんて物騒なモノを受けて、それを解除した瞬間に、デメリットもないなどあり得ない」
悲しい眼差しをグラシは空に向けていた。
「ルナ……ルシアはどこにいる?」
先程から辺りを見渡していたグラシが、不思議そうな表情でルナの方を見つめた。
ルナはその言葉を聞いて、
「ルシアは……貴方の攻撃を受けたの」
弱々しい声でグラシに話す。
それを聞いたグラシは、驚いた様子を見せた後、何かを理解したのか納得した様子だ。
「そうか……消失の記憶を受けたのか」
「ねぇ……ルシアの記憶は戻るの?」
今まで気になっていた疑問が言葉に出る。
確かに、グラシは精霊宿しから解放されたが、未だにルシアは目を覚まさない。記憶の消失は永続的に発動する剣技だ。幾ら、グラシを殺しても、精霊宿しを解いても、ルシアの記憶が戻るという確証などはなかった。
「私の聖剣の力で……」
頭の中に一つの案が思い浮かんだ。
しかし、グラシは鋭い声で叫ぶ。
「それはやめろ」
「なんでっ! 他にルシアが助かるのっ!? このままルシアが目覚めなかったら……」
ルナは必死にグラシに訴えかける。
感情をグラシに打つけても何も解決しない事ぐらいルナ自身にも分かっている。だが、それ以前に、ルシアを目覚めさせる方法が見つからず、不安の感情が爆発していたのだ。
ルナの瞳から涙が溢れ出る。
あの時、自分が攻撃を避ける事が出来たら、ルシアは今頃、笑顔で笑ったかも知れない。
しかし、ルシアは目を閉じたまま動かない。
それが、ルナを1番に苦しめた。
大切だと分かったから余計に苦しんだ。
「ルシアは無事だ。私が保証する」
「何を根拠にっ!」
ルナはグラシの言葉に無責任な気持ちを抱き、徐に感情を爆発させて叫びを上げる。
「私はルシアと親友だった」
「……えっ?」
「それにルシアの事はよく知っている」
それは、ルナよりグラシの方がルシアの事を知っているようにも聞こえた。だが、ルナがルシアの知っている事は、殆どがマーリンから聞かされたものだった。
幼い頃にルシアの弟子だったルナだが、その時の記憶は曖昧で、覚えている事は少ない。
ルナはグラシに嫉妬のようなものを覚えた。
「あと少しすれば目を開けるだろう」
確証もないが、グラシの言葉は真っ直ぐ、嘘をついているようには見えない。寧ろ、それが事実の事だと思える程に真っ直ぐだった。
ルナは爆発した感情を抑えた。
グラシの言っている事は本当の事だろう。
そう理解したからだ。
ルナには知らないことをグラシ知っている。それは偶然でもない。必然な事なのだ。
「それより……アリナは元気か?」
優しい笑顔でルナに語るグラシ。
ルナは気を取り直して返事を返す。
「うん……元気だよ」
「そうか! 元気か……」
グラシはパッと明るい笑顔を見せる。
それを見て、ルナは感じた。
この人はアリナの事が本当に大事なんだと。
……本当に優しい人なのだと。
「でも……」
ルナは伝えないと行けなかった。
ルシアの代わりにアリナの事を全部。
だが、アリナが抱いている気持ちの事をグラシ伝えようとした時、グラシは全てを理解していたかのようなものを表情に出していた。
「あぁ……分かっているよ、ルナ。アリナはルシアに惚れたが、突き放されたんだろ?」
ルナは返事を返す事が出来なかった。
それは、余りにもグラシが物事を理解していたからだ。まるで見守っていたかのように。
「エリナも大きくなってるよ……」
「そうか! エリナもかっ!」
苦笑いを浮かべつつルナは答える。
だが、グラシは何やら先程とは違う形相で、ルナの方を見つめて問いただす。
「まさかと思うが……エリナもルシアを?」
「……うん」
ルナは渋々、返事を返した。
「くそっ! よくも私の可愛い娘を……目が覚めたらルシアを殴ろう……そうしよう!」
グラシは寝ているルシアに向かって、鋭い殺気を放ちながら睨みつけていた。そんなグラシを見て、ルナは再度、苦笑を浮かべる。
和やかな空気は暫く続いた。
気がつくと日は落ち、夜空が顔を出している。無数の星が3人を見下ろしていた。
その光景をグラシは覚えている。
何度も忘れない。
ルシアに助けられたあの日。
ルシアを罪人にしてしまった日。
だが、あの時からグラシは光に包まれていた。闇の中で叫ぶ事しか出来なかったグラシを、今回はルシアとルナが救ってくれた。
もう……叫ぶ必要はない。
もう……獣の必要はない。
グラシがそう考えていると、ふと目を閉じているルシアから呻き声が聞こえた。その直後、ルシアから大量の魔力が溢れ出した。
「何が起きたのっ!?」
「……ルシアが目覚めるだけだよ」
驚くルナを宥めるようにグラシは囁いた。
すると、ルシアが頭を抑えながら、目を何度も瞬きして立ち上がった。周りを見渡して、疑問気に首を傾げをていた。
「ここは?」
「ーールシアっ!」
徐に立ち上がったルシアに、ルナは直ぐに駆け寄り、ルシアを力強く抱きしめる。
「おい……ルナ」
「ルシア……ルシアっ!」
ルナはルシアを抱きしめたまま、頬から大量の涙を流す。安堵したのか、急激に涙がこぼれたのだろう。そんなルナをルシアは抱きしめ、頭を優しく撫でる。
暖かい温もりがルシア達を包んだ。
「いい相手を見つけたな……ルシア」
「あぁ……って、グラシっ!?」
ルナと抱きしめ合っていると、倒れたままグラシがニヤニヤと笑みを浮かべて囁いた。
そのグラシの姿を見てルシアは驚きを隠せなかった。ルナの事だから、精霊宿しを解除した事は分かる。だが、何故グラシが生きているのか分からなかったのだ。
「な、何でお前がいるっ!?」
「ん……なんか生きててな」
グラシは倒れたまま笑顔で語る。
久しぶりの親友と話せて嬉しいのだろう。
「それより大丈夫なのか?」
「いや、もう無理だろう」
グラシは悲し気にそう言った。
ルシアもグラシの身体を見て、察したのか少し悲しい感情を瞳に宿した。
だが、それは仕方がない事だ。
グラシは一度、ルシアに殺されている。
少しの間でも生を取り戻した。それは、生物の根本から離れている。死を迎える事は、自然の摂理だと言えるだろう。
「それより、ルシア」
「なんだ? 嫌味でも言うのか?」
ルシアは鋭い目でグラシを睨む。
しかしグラシは首を振った後、
「……違う。精霊宿しについてだ」
その言葉を聞いた瞬間に、ルシアは真剣な眼差しでグラシの方を見つめた。
「ルシア、私は騎士王に会った。その時に、彼は精霊宿しについて話してきた」
「ユグドに会ったのか……」
「お父さんに……」
聞いていたルナも暗い表情を浮かべた。
誰もがグラシの言葉に耳を傾ける。
ユグドを止めるためには、グラシが知っている情報は余りにも価値が高い。その事実を知る事で、何が起きようとも構わなかった。
例え……自分が死ぬ事になっても、ユグドを止める手が得られるのであれば。
「騎士王は、その時に……精霊宿しは古代に伝わる森人の魔法だと言っていた」
「エルフに伝わる古代魔法か……」
古代魔法と言うのは、その原理や方法が解明されていない古代に作られた魔法の事。それを何故、ユグドが知っているかは分からない。だが、古代魔法となると、その規模は常識から離れているほどに強大なのだ。
「あと……騎士王はお前を気に入っていた。最高の作品だと奇声を上げていたよ」
「……人を作品扱いか」
ルシアは殺気立った声で囁いた。
それは悪魔にも似ているように感じた。
未だにルナは、グラシの言っていたことが信じられない。自分の父親が、ルシアを……騎士を作品扱いするなど思っていなかった。
「お父さん……」
「ルナ……」
手が恐怖で震え出す。
だが、隣にいたルシアは、ルナの様子を真っ先に気づき、優しく手を握りしめる。
1番辛いのはルシアの筈だ。
そうルナは考えていたが、ルシアは笑顔でルナに微笑みかける。それが、余りにも嬉しくて、余りにも残酷だった。
「ルシア……私はそろそろ行くよ」
「……そうか」
ルシアは似つかない笑顔で微笑んだ。
「ふっ……お前の笑顔を初めて見た」
「皮肉はいいだろ。それより、アリナとエリナの事だが……」
ルシアは申し訳なさそうに呟く。
それを聞いたグラシは、
「あの2人なら、もう大丈夫だろう。お前と出会って、絶望の内から出れたのだから」
感謝するようにルシアに伝えた。
ルシアの手が震え出す。
グラシの笑顔が心に響く。
親友の……戦友の最後は、何度も見てもルシアには耐え難いものだった。
「それと……ルシア」
「……なんだ?」
グラシはゆっくりと笑顔を見せる。
そして、ルシアの剣を指差して囁いた。
「その剣で俺を殺してくれ。あの日の夜、俺の死体が残っていたから、騎士王に利用された。これ以上、誰も傷つけたくはない」
グラシは涙を流して頼みをこう。
ルシアにもう一度、手を汚させる。
自分自身でも嫌な事だ。
信頼する友に殺させるなど……
だが、ルシアに殺して欲しかった。
ルシアに闇を晴らしてもらいたかった。
「分かった……」
ルシアはそう呟くと、鞘から剣を引き抜く。
グラシの感情を悟ったのかも知れない。
疑問に思う事なく剣をグラシに向ける。
「剣技ーー深淵の灯火」
ルシアの剣に青い炎が纏う。
その炎は流星のように美しかった。
深淵の灯火を発動したルシアの剣が、ゆっくりとグラシの胸に近づいた。
「ルシア……アリナにコレを……」
グラシは残る気力で、ルシアに一枚の紙切れを渡す。それは、死ぬ直前に書き記した1枚の手紙だった。綺麗な執筆で書かれている。
ルシアに手紙を手渡すと、グラシは思い残すことはないように瞳を閉じる。
「ルシア……騎士王を止めてくれ」
「分かってるよ」
ルシアはそう言葉を返すと剣を突き刺した。
グラシの身体から血潮が吹き出す。
しかし、次の瞬間に血は消え去った。
「深淵の灯火よ燃え尽きろっ!」
瞬く間にグラシの身体を炎が覆う。
肉を炎が焦がして行く。
その炎の中でグラシはゆっくりと呟いた。
「ありがとう……親友」
グラシを覆っていた炎は消え、グラシの灰が風に乗って飛んで行く。それは、夜空に煌めく星のように、白く光を放っていた。
読んで下さり、ありがとうございます!
第2章は新キャラが登場します!