水音
いくら深く潜っても少女の息は切れない。ヒトのように呼吸困難に陥り、死神が魂を刈り取りに来ることもない。空を飛ぶがごとく水を滑り、泳ぐ先で魚は傅く。少女は海の女王なのだ。決してヒトにはなりえない。
「あーら、ジョウオウサマ。暗い顔をしてどうなさったのでして? まさか…また、ヒトになりたいだなんて世迷言をおっしゃったりしませんわよねぇ」
考え事をしていると、下半身から幾重にも吸盤の付いた足をゆらめかせている魔物に話しかけられた。美しいのは私よ、とでも言わんばかりに髪へ宝石を縫い付け高く結い上げていた。
「私が何をしていようと、貴女には関係がないお話です」
悪意のこもったその声に、少女は氷のような声で応じた。その態度に、まぁ!? と女は目を吊り上げる。
「いいわねぇ、ジョウオウサマになってちやほやされて。それなのに、貴女はまだヒトなんていう低俗なものにあこがれているの?」
そっけない態度に、女はどんどんと嫌味を言う。それに辟易した少女はヒレを一振りし、その場から逃げ出す。
「貴女が女王になればよかったじゃない」
差し上げますよ、この地位なんて。と少女は去り際に吐き捨てる。後ろでは騒ぎ立てる女の声が水波となって伝わってくる。その不快な騒がしさに少女は顔をしかめた。
「ヒトに近い外見と頭脳で賢いからって女王に選ばれるのなんて、誰が望んだっていうのよ」
どうせ、腰から下は魚と変わらないのだ。ヒトになんかなれやしない。それなのに、なぜヒトに対するあこがれを助長させるのか。
「できるのなら、私だってヒトになりたいわ」
女王である少女の叫びを、悲嘆を聞きとめるものは誰もいなかった。
水音だけが支配する空間で、少女は一人目を閉じた。
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