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八戸  作者: 笹山 直
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 翌日私は人に会う予定があった。高校のころの同級生である。彼女も最後に会ったのは3,4年前で、懐かしい顔を見られるのを私はひそかに楽しみにしていた。

 だが私はその日、寝坊した。家を出る時間を過ぎてから起きたのである。私の家はひどく交通の不便なところにあるので、バスを一本逃すと最低でも二時間は遅れる。私はメッセンジャーで彼女に詫びたあとに、ゆっくりと朝食をとった。

 以前から私は、親しい人に対する態度が軽薄になりがちである。基本的に時間には気をつけているし、付き合い方についても考えているのだが、ある程度親しい人に対しては時間にはルーズになるし、相槌も適当になりがちだし、親交の度合いに比例して淡白になるのである。こうして寝坊をするのも、本当は珍しいことだ。寝坊をしても許しを乞える親しい知人はあまりいないからだ。

 その日も霧雨が降っていた。藍色のリネンのシャツを羽織って出たがそれでも寒い。バス停は数年前とは少しだけ場所が変わっていて、近くの大学により近い位置になっている。バスに乗ればその大学生らしいのが乗っていた。みな一様に頭を丸めているので野球部らしく見える。私は身長が小さいほうで、彼らのほうが私よりも大人に見える。筋張った四肢と見開かれた瞳が生命力をこれでもかと主張している。私も少し前よりは活発になったほうだが、体が追いついていない。おかげで体調を崩したのだ。

 バスを乗り継いで、本八戸駅近くの商店街へ出た。私は高校生になるまであまり街中に出なかったので、書店や映画館、楽器店くらいしか場所を知らなかった。高校生のころに一時期バンドを組んでいたことがあったが、私が知っているだけでも二つのスタジオがあったのは意外なほどであった。だが、最近になってチェーンや個人経営のカフェだったり、洒落た雑貨を置くような店が増えているようである。


 私が友人と落ち合う予定でいたのは三日町というところであった。本八戸駅周辺にはこのほかにも六日町や八日町、十三日町など日付がそのまま地名になっているところが多い。

 街の歴史となると少し遡る。南北朝時代の一三三三年、南朝方の北畠顕家が陸奥国司として陸奥の国に下向したとき、当時甲斐国波木井の地頭だった南部師行もこれに従って国代となった。翌年南部師行は青森県東部の糠部郡に城を構え、これを根城ねじょうと名づけた。根城は今でもその辺りの地名として残っている。それから数年後、師行は北畠顕家とともに足利尊氏討伐に遠征するが、北朝方との戦いで両人とも戦死する。師行の跡は弟の政長が継いだ。政長は幕府から降伏勧告を受け続けてもこれに従わず、南朝への忠誠を守ったという。だが、次第に南朝は劣勢になり、南部氏の勢力も衰退していく。

 一三九三年、南部氏八代目の南部政光は本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興をはかる。政光の系統は根城南部氏(あるいは八戸南部氏)と呼ばれる。一方で北朝を支持していた三戸南部氏の系統が次第に力を増していくこととなり、安土桃山時代の一五九〇年、ついに三戸南部氏は宗家として、根城南部氏を取り込む。それ以降もしばらくは根城南部氏の本拠は根城であったが、江戸時代に入ると宗家の南部利直は盛岡城を築き、八戸を盛岡藩領に帰属させた。根城南部氏二十二代直秀は、南部利直により岩手の遠野城に移封、根城は廃城となった。それまで根城の城下町として栄えていた商店や町家は現在の三日町などのあたりに移転となり、引き続き商人の町として栄えたということである。地名は市が開かれた日にちに由来しているとされている。

 まるで知識をひけらかすようにして述べてはいるが、調べ調べのことである。私の頭では理解に齟齬があるかもしれないが、概ねそういう由来の土地なのだということが分かっていただければ私としては十分である。およそ四百年近くにわたって商いの地として成り立ってきたのであるから、案外これからも派手ではない割りに息の長い町かもしれない。


 私は三日町でバスを降りると、少し前に開店した真新しいチェーンの喫茶店に入った。私は長い時間腰を落ち着けたいとき、チェーンの喫茶店を選ぶ。個人経営の店にはほんの少し立ち寄る程度の時間しかいない。

 喫煙室で煙草を吸っていると、スマートフォンが鳴った。喫煙室を出て少しばかり辺りを見回したが、同級生らしい姿は見当たらない。また少しして着信があったのでメッセンジャーを見れば、もう喫茶店にいるらしい。私は再び店内を見回して、ようやくそれらしいのを見つけた。

 見違える、というのを本当に実感したのは初めてではないだろうか。彼女は数年前よりもずっと大人らしく女らしく、綺麗になっていた。などと言うと少し下品だろうか。だがさすがに数年来の付き合いなので私は彼女のことを友人以外の関係とは思っていない。冷めた態度のように思われるかもしれないが、それは逆である。私は持論として、恋人には一日でなれても友人になるには数年かかると思っている。そして私が誰かと友人になるまで付き合う人は数えるほどしかいない。それだけ大事だと思っているのである。

 彼女と話したことについてはその多くを割愛せざるを得ない。プライバシーというやつだ。だがひとつだけ、私の印象に強く残った言葉があった。いわく、「この町はコミュニティが狭い」。私は例によって軽く相槌を打つばかりだったが、内心では感嘆符をつけてまでこの言葉に賛同した。コミュニティが狭い!

 この田舎は人は少ないが、噂やよその家の事情は広がりやすい。こと男女の関係となるとなおさらで、知り合いや親たちが他人の噂をしているのを見るたびに、私は居心地の悪さや恥ずかしさを感じずにいられなかった。まるで程度が低いと思っていた。人の失敗や失態をあげつらったり、恋愛事情を隙見しようとはなんと暇なことだろう。一時期私も多感な時期には、知人たちの恋愛に首を突っ込んだりしたものだったが、そのつまらなさにすぐに辟易した。誰が誰と交際しているだとか、誰が誰に振られただとか、いったいそれの何が面白いというのだろう。たとえそれが自分にとって面白くても、それを人に話したところでその会話は充実するだろうか? その関係が深まるだろうか? そんなことに時間を費やすならば、もっと直接的に自分と相手との関係を深めるほうがずっと効率的だ。有意義だ。私はいつからともなく、自分から他人の噂や人間関係を持ち出すことはしなくなった。私が顔を覆いたくなるほど、噂話を恥ずかしがるのは、それがあまりに子供じみているからであった。

 八ヶ月ほど前、私は八戸を含む地域に展開している地方新聞に小説を載せてもらった。親が知る程度だろうと思っていたら、その日のうちに知人や昔の担任教諭などから連絡が届き、嬉しさや照れよりも恐ろしさを感じた。知れば伝えずにはおかないのかと薄気味悪かった。今回の帰省の際には、親の知人(私は名前を聞いたことすらない知人だ)が私の小説を褒めていたと親が伝えてくれたが、まったくありがたくない。私の小説がほんの社交辞令に使われたように思えて、いやな気持ちすらした。もはや我が拙作は親戚中に周知していたのであるが、これは後述することにしよう。

 今思うのは、私の名が新聞に載ったのが、とうに八戸を離れたあとで良かったというそればかりである。もともと私が八戸を出たのには、この窮屈なコミュニティを抜け出したいという思いも多分に影響していたように思う。

 いささか貶めるような言い方になってしまったが、これはあくまで私の主観的な考えであって、いいとか悪いとかと決められるようなものではない。コミュニティとは元来、共通の目的を持った共同体、のような意味であって、町のコミュニティといえば単純に「生活する」という目的を持った共同体である。人口密度が低く、物理的に人間間の距離が離れている田舎では、噂や話で繋ぐ共通意識も必要である。それが悪いほうに傾けば私のように不快を感じる者が離れていくが、良いほうに傾けば物々交換だとかいろいろな伝手として生活に直接的な利益をも生む。あくまで良い悪いではなくて好き嫌いや地縁の必要性などの問題であることは今一度認識してもらいたい。

 二時間ほどして、私は彼女と別れた。

「次は」

「数年後?」

 彼女と知り合ったのも、元は地縁なのだから、やはりこの町が嫌いとは私には言えない。


 喫茶店を出てから、私は商店街を少し歩いた。大体覚えているのは高校生のころ以降のことだ。

 一番近い思い出は成人式で帰ってきた数年前のことだ。成人式の前の日には、高校の同級生たちとの同窓会があって、寒い昼の街道を歩いた。実のところ、そのときの私の目的は同窓会ではなかった。以前の恋人と待ち合わせをしていたのである。恥ずかしながらよりを戻そうという気持ちもあったが、それは叶わなかった。もはや何を話したのかも覚えてはいない。苦い別れ方をしてから同窓会に向かって、それなりに楽しんだ。翌日の成人式には出なかった。会場前までは行ったのだが、成人式で会う人はいなかった。成人式は出身の中学校単位で集まる形式であったが、前述したように私の出身の中学校はとても小さく、同級生もひどく少ない。みな地元を離れていて、帰ってきている旨の連絡もない。私は幼馴染に連絡を取ったが、彼はその日が成人式であることも知らなかったらしい。幸い八戸には帰っているらしいので、呼びつけて、用もなく商店街を歩いた。小さなプレハブ小屋みたいなラーメン屋で昼を食べた。私は二日酔いに苦しんでいたが、その店の醤油ラーメンは旨かった。スープまでほとんど飲んだあと、店主のおばちゃんに「バイトしないかい」と聞かれたが、幼馴染と一緒に苦笑しながら断った。帰り道、あの店は客に聞くほど働き手に困っているのかと私は店の行く先を案じずにはいられなかった。


 あれから数年、私は、あの成人式であったほとんどの人の今いる場所を知らない。以前の恋人がどこにいるのかも、同窓生たちが何の仕事をしているのかも、幼馴染の現在の境遇も、ほとんどを私は知らず、知ろうとしてこなかった。あのラーメン屋が今もあるのかだけでも確認しようかと思ったが、その場所も覚えてはいなかった。

 この町で得た関係は次々と途絶えていく。望んだ絶縁以外にも多くの関係が消えていった。今残った関係だけは、もう少し守っていきたいと思った。

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