5
1
試験終了を告げるチャイム。
俺は鉛筆を机の上に転がし、突っ伏す。
四日間にも渡った中間テストがたった今、終了した。やりきった。まじでやりきった。
ヒロ先輩は居候させてもらう手前、俺の成績を必ず上げると宣言した。とはいえ、高校生活最初のテストだから、そこそこの順位でもいいんじゃないかと思ったんだけど、学年五〇位以内に絶対入れると宣言した。一年生の生徒数は三〇〇人と少し。五〇位以内ということは上位から約二割以内。
宣言するからには当然当事者の俺も勉強しなくてはいけないわけで、毎日二二時まで勉強机から離れさせてくれなかった。まあそのあいだ監視兼先生役で俺のとなりにずっといるヒロ先輩もすごいんだけど。そして俺の横で自分の教科書を開いているヒロ先輩の姿は試験勉強中一切確認できなかった。あの人、本当に勉強していないのだ。しかも学校から帰宅直後は夕食までパンデイロの特訓で、もちろんこっちも俺の指南役。
天は二物を与えずって、絶対にうそだよな。まあ今回のテストの結果はどうだったのかは知らないけど。
机に口づけをしていると、後ろの席のやつが俺の背中をつつく。ああ、答案用紙回収ね。俺は後ろから回ってきた裏返された答案用紙の束を自分の答案用紙の上に重ねて前にまわす。
起立、礼。
俺は体を勢いよく起こすと、あごを反らして両腕を上に伸ばす。
「なにプラトーンの名場面を再現してんの?」
大江がバッグ片手に近づいてくる。なんか暗い顔してるな。
「……自由だ」
俺はぼそっとつぶやく。
「ああ、なんかここ一週間くらいずっと疲れた顔してたね。徹夜でテスト勉強してた?」
沢村もバッグを抱えて近づいてくる。こちらはにこやかな顔をしている。
「いや、睡眠時間は十分くれたんだけど、夜の二二時まで勉強机から離れさせてくれなくて。脳みそが疲れた。慣れないことはするもんじゃないねえ」
睡眠不足は勉強と美容の敵ということで、ヒロ先輩は睡眠時間は十分確保してくれた。しかし、勉強のあとはなぜかヒロ先輩とサツキの二人は俺の部屋で女子トークをするのを日課にしており、眠くなると俺のベッドに潜り込んでくる。最初はなかなか寝つけなかったんだけど、四日目くらいからはあきらめの境地というか、慣れというか。熟睡できるもんだね。たまに朝目覚めると目の前にヒロ先輩の寝顔があって、それには毎回どきっとさせられるんだけど。
とはいえ、勉強も見てくれたし、まあその辺も含めて感謝しないと。おかげで今回のテストの結果はちょっと楽しみだ。
「勉強机から離れさせてくれなくて……? 家庭教師とか呼んでたの?」
しまった。沢村が不審そうな顔をしている。弁当の件といい、こいつけっこうするどいな。
「……姉ちゃん?」
俺から見れば年上だから、姉ちゃんで間違ってはいない。
「なぜに疑問形?」
大江も不思議そうな顔をする。
「あー、なんかお弁当作ってくれる姉ちゃんが、とか言ってたね」
沢村は納得したような顔をする。するどいような鈍感なような。
「ってことで、どうする? マックとか行ってそのあとカラオケとかでも行く?」
沢村の興味は、もうこのあとのことに移っている。とりあえずほっとした。
ヒロ先輩は今日はテスト終了後にいったん自分の家に帰ると朝に言っていたから、このあとはパンデイロ部としての活動もなし。〈いったん〉というのが気になるけど。というわけで、このあとは悪友たちと羽目を外しまくる予定だ。
2
「久しぶりのわが家だなあ……」
部室の扉を開けると、ヒロ先輩は懐かしそうに部室を見まわす。しかし、改めて見ても本当に部室を私物化しているよな。
「わが家じゃないですよ」
「似たようなもんだよ」
ヒロ先輩は中に入ると窓を一つ一つ全開に。吹き込む風がカーテンを大きくはためかせる。
テスト最終日の翌日。月曜日から四日間の日程で中間テストがあり、本日金曜日はテスト休みだ。木曜日のテスト終了後に悪友たちと遊んで帰宅すると、やはりといった感じで当然のようにヒロ先輩も家にいた。まあそれはいいんだけど。テスト休みの金曜日は朝から部室に行きたいということでこうしてやってきたところだ。テスト休みくらい、昼まで寝ていたかったんだけど。
「せっかくの休みくらい、家でゆっくりしてもよかったんじゃないですか?」
パンデイロはいつも家に持って帰っている。小さな楽器だし、音量さえ問題にならなければ、演奏する場所も選ばない。そして今日は休みとはいえ、学校に来る以上はいちいち制服に着替えないといけないし。
「久々に二人っきりで、しっかりと練習したいだろ?」
ヒロ先輩は最後の窓を開けながら、少しだけ振り返って意味深長な笑顔を見せる。自身の意見とも、俺の心を代弁してあげたんだよ? とも取れる微妙な言い方。まあ家での練習はサツキも参加していたから、どちらかというとサツキとの遊びの延長といった感じだったしな。ま、ヒロ先輩のせりふに他意はないだろう。
「そーいえば、テストはどうだったんですか? 家ではほとんど勉強していなかったようですけど」
俺はヒロ先輩の問いかけにはスルーして、別の問いかけで返す。
「ほとんどじゃないよ。まったくやっていない」
ヒロ先輩は窓から吹き込む風に髪をなびかせながら、まるで嫌味など感じさせずにさらっと言ってのける。
「まあ、最近は授業中も部活動のことで頭がいっぱいだったから多少成績は落ちているかもしれないけどね」
ヒロ先輩は窓際からこちらに向かって歩いてくる。俺のところに来るかと思いきや、俺をスルーして冷蔵庫へ。ああ、カルピスだな。
「まあ、それでも二〇位以内には入っているだろう」
予想どおりヒロ先輩は冷蔵庫を開けるとカルピスの瓶を取り出し、ニッと笑う。あなたは普段どれだけの好成績をおさめているんですか。
「二〇位以内は無理ですけど、俺も五〇位以内はねらえそうな気がします。勉強教えてくれてありがとうございます」
俺は改めてヒロ先輩に頭を下げる。
「五〇位以内に入ってもらわないと。ご両親に申し訳が立たないしね。ま、大丈夫だよ」
ヒロ先輩はでき上がったカルピスのグラスのひとつを長机に置き、手に持ったもうひとつのグラスを顔の前に掲げてから口につける。おつかれさん、ってとこだろうか。しかし、大丈夫って……俺を信頼してくれているのか、教えた自分の腕を信じているのか。まあ、俺を信頼していると勝手に解釈しよう。俺もグラスを手にすると軽く掲げてから一口。あ、久々に炭酸入りだ。例のペリエかな? 相変わらず俺には普通の炭酸との違いはわからないけど。
ヒロ先輩はパンデイロを取り出すと、例によってグラスの水滴を指につけてロールさせて遊んでいる。
「ところで、ヒロ先輩」
「うん?」
ヒロ先輩はパンデイロから顔を上げずに生返事。
「テスト期間も終わりましたけど、また来週から……ひょっとすると、もう今日からまた部室で寝泊まりするんですか?」
ロールの音がぱたっと止まる。
「そのつもりだよ。まあテストも終わったから放課後の見まわりもそれほど厳しくないだろうしね。いつまでも居候というわけにもいかないし」
ヒロ先輩は小刻みに小さな音でパンデイロをたたきだす。しかし、防犯上やっぱりここで寝泊まりだなんてよろしくないだろう。この部室はもともと教室。寝泊まりすることを考えて作られてはいないのでこっちも不安だ。
「自宅に帰りたくなるまで、まだうちにいてもいいんじゃないですか? 母もサツキも本心で迷惑はしていませんよ。むしろ喜んでます」
ヒロ先輩は俺の家で家事も手伝えばサツキの遊び相手にもなっているし、俺にパンデイロだけでなく勉強も教えている。一人家族が増えた程度だ。
「きみは? 迷惑じゃないのか?」
「迷惑と思ったら、そもそもこんな提案してませんよ」
俺は苦笑い。そんな気遣いができるなら、そもそも強引に俺をパンデイロ部に連れ込むなっての。しかし、ヒロ先輩はやはりどこかで遠慮しているのだろう。ヒロ先輩はパンデイロをたたくのをやめ、顔を上げてしばらく目を閉じる。
「そうだな。きみもわたしとベッドをともにできなくなるしな」
「誤解を生むような表現はやめてください! 俺はいつも先に一人でベッドに入っているのに、あとからサツキと一緒に勝手に入ってくるんでしょうが!」
「うん? それはわたしに先にベッドに入っていろ、という提案か?」
違う違う違う。本当にこの人はもう……。ヒロ先輩はにこやかにほほ笑むと、楽しそうにパンデイロをたたきだした。
3
翌週の月曜日。
衣替えの移行期間の初日から夏服で登校した。若干肌寒さも感じるけど、この時期は冬服だとちょっと暑いんだよね。
今日だけでテストの三分の一が返却され、そして午後には今回のテスト結果上位五〇名の名前が校内の掲示板に貼りだされた。
結果、二三位。
自分でも信じられなかった。うちの高校のレベルは低い方ではない。中学校の時の最高順位は一〇〇位くらいで、二桁の順位にすらなったこともなかったのに。よし、記念に写メ撮っておこう。ヒロ先輩にも報告しないとね。
「俺もおまえの姉ちゃんに勉強教えてもらおうかな」
今回圏外だった悪友の大江。ああ、テスト終了後、暗い顔していたもんな。
「もっといい先生がいるよ」
俺は写メを撮り終えると、もっと上位の順位を指さす。
一一位に、もう一人の悪友の沢村の名前。
「え? あいつも賢いの? ……ショックだわー、まじでショックだわー」
大江はその場に座り込む。しかし、今回いい順位を取ってしまったので、期末テストがプレッシャーだよな。
なんて思いながらも、やっぱり二三位という順位はうれしい。大江には悪いが、もうちょっと違う角度でも写メを撮っておこう。沢村の名前がいい感じに隠れるように……っと。
「そういえば、ヒロ先輩も二〇位以内は確実みたいなこと言ってたなあ……」
掲示板には、全学年の今回のテスト結果上位五〇名の名前が張り出されている。二年生の順位を五〇位から順番に見ていく。ない、ない……。
「あれ? これってヒロ先輩? ……ちくしょう、俺だけ圏外か……」
大江が指さす先を見る。俺は二三位で喜んでいる自分の器の小ささを実感した。
工藤尋子。ヒロ先輩の本名。
二位だった。
4
「なに暗い顔してアイス食ってるんですか?」
放課後。さっそく順位の報告とお礼を、とウキウキして部室に向かったんだけど、陽気に扉を開けると見るからにテンション低めのヒロ先輩。しかし、こんなに暗い顔をしているのは初めて見た。椅子に座り、ため息をつきながらカップアイスクリームを食べている。まさか、一位になれなくてしょげているとか?
「ああ。おつかれ。二三位おめでと。まずまずだね」
俺に気づいて振り向くけど、いかにも作り笑顔。あ、そうか。順位は校内の掲示板に貼りだされているからすでに確認済みか。
「ありがとうございます。ヒロ先輩のおかげです。先輩なんて二位じゃないですか。一位になれなくて不満なんですか?」
「ん? ああ、わたし二位だったんだ。すごいな」
またため息。自分の順位は確認していなかったのか……さすがにここまでテンションが低いとヒロ先輩のことが不安になる。いろいろと家庭の事情もありそうだし。俺は長机にバッグを置き、手近の椅子を引き寄せてヒロ先輩の正面に座る。
「……なにかあったんですか?」
俺は真顔でヒロ先輩に尋ねる。ヒロ先輩はちらっと俺の表情を見て、それから手にしていたカップアイスクリームを顔の位置へ掲げる。ヒロ先輩も今日から夏服ということもあり、左腕の無骨なデジタル時計とヒロ先輩の細い腕との対比が際立っている。
「紫芋アイス?」
「ぶどうアイスと間違えて買ってきてしまった」
ヒロ先輩は大きくため息。えーと、しょげているのはそれが原因ですか?
「……紫芋アイス嫌いですか? おいしいと思うんですけど」
「それはよかった」
ヒロ先輩は立ち上がると冷蔵庫の上の冷凍庫の扉を開けてカップアイスクリームを取り出す。
「きみの分もあるから、よかったら食べてくれ」
ヒロ先輩は金属製のスプーンを乗せたカップアイスクリームを俺の前に置く。いただきます。
「紫芋アイスは好きだ。大好きだ。ただ、買う時の気分はぶどうアイスだったんだよ。この気持がわかるか? 間違えてとなりのアイスを手にしてしまった。よく冷えている奥のほうから取り出そうとして……霜がついていたから……確認不足の自分を恥じる」
「はあ……」
これ、素で言ってるんだよな? ボケてるんじゃないよな? 俺、こんなボケ拾えない。俺は黙々とアイスクリームを食べよう。うん、うまいよ。
「こんな時は気分高揚の舞だな」
ヒロ先輩はスプーンをくわえたままパンデイロを手に取ると、三連符で器用にたたきだす。パンデイロで三連ってどうやってるんだ? 初めて会った時も入部の舞とか言ってたたいてたな。パンデイロ譲渡の舞ってのもあった。あとどれくらい種類があるんだろう? しかしこの人、やっぱりパンデイロはうまいな……見ていて〈すげー〉と思うよりも、楽しくなる。パンデイロだけでなく、こんなふうに楽器を演奏できるようになりたいもんだ、と本心からそう思う。
「あ……工藤さん。きみだったのか」
声に振り返ると部室の入り口に男子生徒。俺は顔を見て、心臓が止まった。
俺が中学生の時の吹奏楽部の部長でありドラマー。そして本番で俺のミスをカバーしてくれた恩人。
梶先輩だった。
5
「やあ、タカシ。このあいだはすっぽかして悪かったね。ちょっと作戦変更したんで」
ヒロ先輩はパンデイロをたたく手を止めると、梶先輩に向き直る。知り合い?
「すっぽかすもなにも、呼んでもいなんだから来なくてほっとしたよ。新学期の最初の数日は入部希望の見学者も多いんだから。っていうか下の名前で呼び捨てで呼ぶなよ」
最後のせりふは若干小声になる。
「わたしの名前も名字で呼ばないでくれ。名字で呼ばれるのは嫌いだ、と何度も言ってるはずだけど」
「人前で下の名前で呼べないでしょ」
梶先輩はさらに小声になる。なんだろ、この痴話げんかのような展開は。しかし、梶先輩もこの高校だったんだ。そうだよな、吹奏楽の名門校だもんな……。
「で、何か用? 長くなるようならカルピスでもお出しするよ」
「あ、どうも」
もらうんかい。梶先輩は部室に入ってくると手近な椅子を引いて腰掛ける。
「この、パンデイロで顔を隠している彼は?」
梶先輩は、部室の壁際で小さくなっている俺を指さす。ばれたか。ばれるよな、そりゃ。
「ああ。副部長の三上くんだ」
ヒロ先輩はカルピスを作りながら俺を紹介する。ああ、俺って副部長なんだ。俺はそっとパンデイロから顔を半分ほど出して会釈する。
「……おー! 三上! 久しぶり。この高校だったんだ。まだパーカス続けてたんだね」
梶先輩はパンデイロをどけて俺の肩を強くたたく。ああ、覚えてくれていたんだ……って忘れるわけないか。大失敗の原因を作ったやつの顔なんて。俺は作り笑顔を浮かべるのが精いっぱいだ。
「どうぞ」
ヒロ先輩はグラスに注がれたカルピスを梶先輩の前にぶっきらぼうに置く。梶先輩は〈どうも〉と言いながら一気に半分ほど飲む。
「アイス溶けるよ」
ぼーっとしていた俺を見て、ヒロ先輩は長机の上のカップアイスクリームを指さす。ああ、そうだ。アイスクリーム食べかけだったんだ。
「で、何?」
ヒロ先輩も長机を挟んで梶先輩の正面に座ると、残っているアイスクリームをスプーンですくってゆっくりと口に運ぶ。
「最近、太鼓の音が放課後に聞こえるから何だろと思ってね……ここは部室? なんかだれかの部屋に遊びに来ているような」
梶先輩はゆっくりと部室を見まわす。ですよねえ、やっぱりそう思いますよね。
「部室。パンデイロ部の部室だ」
ヒロ先輩は不満そうな顔をする。お、こんな表情は初めて見た。
「今日は気分が悪いんだ。手短にね」
紫芋アイスクリームのせいか? そのわりにはカルピスまで出してるんだよな。
「吹奏楽部には戻る気は?」
「ないね」
ヒロ先輩即答……え? ヒロ先輩ってこの高校の吹奏楽部だったんだ……。
「せっかくあのアレンジでやることになったのにさ。決まった途端にやめるだなんてずるくない?」
「だからパンデイロでやりたいと最初から主張したじゃん。そもそも、部活の掛け持ちって認められているんだっけ?」
「マリンバたたいてくれると助かるんだよ。こんな部員数が少なくて、活動内容のよくわからないパンデイロ部はやめて、吹奏楽に専念しろよ」
……活動内容のよくわからないパンデイロ部だって、はっはっは……ってさすがにその言い方には俺もムッとするな。
「けんか売ったね?」
俺はささやかに反論しようと口を開きかけた時、先にヒロ先輩は身を乗り出してスプーンを梶先輩の鼻先に突きつける。
「いや、そうじゃなくて……」
梶先輩は困った顔をして頭をかく。
「悪かったね。出直すよ」
梶先輩はあきらめたようで、グラスに残っていたカルピスを一気に飲み干すと〈ごちそうさま〉とつぶやいて立ち上がる。
「三上もパーカスやる気があるなら、こんなところじゃなくて吹奏に来いよ。待ってるよ。んじゃ」
こんなところ、って。反論する間もなく梶先輩は部室を出ていった。ヒロ先輩は、廊下に響く足音が聞こえなくなるまで、スプーンを鼻先に突きつけたポーズで固まっていた。
「気に入らないな……」
ヒロ先輩は独り言のようにつぶやくと椅子に座り直し、スプーンを動かしてアイスクリームを食べ始める。俺も無言でスプーンを動かす。もうアイスクリーム食べ終えちゃったんだけど。さて、どうしようか。
スプーンがカップアイスクリームの底に当たる音の二重奏。もうちょっとしたらさり気なくパンデイロでもたたこうかな。
「この部活動を悪く言うのは百歩譲って認めよう」
ヒロ先輩は空になったアイスクリームのカップを勢いよく長机にたたきつけるように置く。ってか、認めてしまうんだ。そしてヒロ先輩は俺に体を向けると、右手をピストルの形にして俺の鼻先に。
「きみに対して〈まだパーカス続けてたんだね〉の言い草が気に入らない」
ええ?
「〈ああ、きみはいまだにパーカスやってるんだ〉的なニュアンスの〈まだパーカス続けてたんだね〉。あれはなんなんだ」
そこに対して怒ってたのか。
「そうですか? 俺はその言葉からは〈まだパーカスやってたんだ! よかったー!〉的なニュアンスに感じましたが……いいふうにとらえすぎですかね」
「表面的には気を遣っているように聞こえて、ね。ひょっとすると本人も気づいていなんだろう。ただ、目には出ていたよ」
まあ、俺自身はそう言われてもしかたないんだけどね。結局、俺は中学校時代に本番で演奏を失敗し、逃げちゃったわけだし。
俺はさっきも梶先輩の目を見て話せなかったしな。俺のほうが失礼だよな。
「お言葉はうれしいんですけど、梶先輩はそんな悪い人じゃないですよ」
「わかってるよ」
ヒロ先輩はふてくされたような顔をして立ち上がり、空になった自分のアイスクリームのカップにスプーン、先程まで梶先輩が使っていたグラスを回収すると、俺の手元からもカップとスプーンをひったくる。そして部室を出て行こうとする。恐らく、廊下の隅の手洗い場で洗ってくるんだろう。
「あれ?」
ヒロ先輩は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「そーいえば、なんできみはタカシの名字知ってるんだ? 今日自己紹介したっけ? いや、っていうかなんでタカシはきみのこと知ってる言い方したんだ? 〈まだパーカス続けてたんだね〉って。知り合い?」
え? 知らない?
「ほら。ヒロ先輩が前に言ってた、例の俺の中学校時代の吹奏のオータムコンサートの時、ドラムたたいてたのが梶先輩なんですよ」
「え? そうなんだ。同じ中学出身……あのステージにタカシもいたんだ……へえ……」
それは意外、というような表情をしてヒロ先輩は部室を出ていく。どうも本当に知らなかったようだ。
6
自宅での夕食後はテレビを見たりしてヒロ先輩を含めてのだんらん。今までなら夕食後は風呂に入ったり、インターネットをしたりとだらだらして二三時から二四時には就寝する毎日だった。中間テスト期間中はヒロ先輩が来たこともあって一日のスケジュールがだいぶ変わった。ただしそれはテスト期間中だけのつもりだった。しかし、ヒロ先輩に勉強を見てもらったこともあり中間テストは予想以上の結果をおさめてしまった。一度いい成績を取ってしまうと今度は成績が下るのが怖くなってしまった。
ということで、最近は就寝前に一時間ほど教科書を開くようになった。そのあいだ、ヒロ先輩は気を遣ってくれて一階の居間でサツキの遊び相手になってくれている。まさかこの俺に勉強の習慣がつくとはねえ。自分自身が一番驚いている。
扉の向こう、テンポ186の軽快なテンポで階段を上る足音が聞こえる。壁の時計を見ると二三時を二分ほど過ぎている。サツキが上がってきたのだろう。俺は教科書を閉じ、両腕を上げて伸びをする。またこれから二人の女子トークの時間が始まる。
「お兄ちゃん!」
勢いよく扉が開くと、満面の笑みで両腕を広げたパジャマ姿のヒロ先輩が部屋に飛び込んできた。
「……あれ?」
「あれ、じゃないですよ。なにサツキの階段を上るテンポをまねてるんですか」
「きみには妹属性があると聞いたのでがんばってまねてみたのだが。サツキちゃんと間違えてハグをしてくれると思ったんだけど……似ていると思ったんだがなあ」
ヒロ先輩は残念そうに軽く天を仰ぐと、そのままベッドに腰を下ろす。
「それはだれ情報ですか。あと別に妹にハグはしてません」
それに妹属性なんてものは実際に妹がいる人にとっては理解できないんだけど、と抗議しようとすると、ふたたび階段からテンポ190で階段を上る軽快な足音。今度こそサツキだろう。
「ヒロちゃーん!」
こちらもパジャマ姿で勢いよく部屋に飛び込んでくるとそのままヒロ先輩に飛びつき、ストンと横に座る。
「先にベッドに入っていろ、という提案をわたしはお兄ちゃんから受けたので、今日はベッドの中で女子トークとしよう」
サツキはきゃーっとヒロ先輩に抱きつくと、二人はそのままベッドに倒れこむ。
「いやいや、待て待て」
ほんとこの人は小学生相手に何言ってるんだよ……また今日も俺のベッドを二人に占領されるわけだな。もう慣れたけど。
「まだ時期的には少し早いけど、今日はこわーい怪談でもしようか」
「えー、怖いのやだー」
「それは大雨の降る日の夜。だれもいない高校のグラウンドに白い影、そして音楽室から聞こえるマリンバの音……」
ヒロ先輩はサツキの言葉を無視して語りだす……ってそれこのあいだのあんたのことじゃん。
「いやーっ!」
サツキは両耳を手のひらでふさぎ、本気で怖がっている。オチを知っている俺は苦笑いしかできない。
7
結局、怪談のはずが気がつけば笑い話にすり替わっていて、さっきまでサツキはきゃあきゃあと笑っていた。いつの間にか笑い声は消え、サツキの寝息が静かに聞こえる。壁の時計は零時過ぎ。本日は二時間近く勉強してしまった。もう寝るか。
俺は教科書を閉じて学校のバックに放り込むとあくびをひとつ。壁際のベッドには、奥にヒロ先輩が背中を見せて寝ている。そのとなりにはサツキ。俺は一番手前に寝ることになる。だから、たまに寝相の悪いサツキに床へ蹴り落とされたりする。まあいつもの川の字フォーメーション。並び順はたまに変わるけど。
とはいえ、いつもは俺が寝ているところに二人が入ってくるんだけど、今日は俺があとからベッドに入るんだよな……ちょうど俺が横になるスペースがあるので、サツキが寝返りを打たないうちに部屋の電気を消し、心の中で〈失礼します〉とつぶやきながらそっとベッドへ。いや、俺のベッドなんだから堂々と入ればいいのか。夜這いってこんな感じなのかな……って何考えてるんだ俺。
薄手の掛け布団をかぶり、ベッドに横になる……とはいえ、これ三人で使うにはやっぱり小さいよなあ。目覚まし時計を確認し、目を閉じる。
……が、なかなか寝つけない。かれこれ一時間くらいは寝よう寝ようと努力をしているけど。俺は大きくため息。まあ、今日の部室のことがいろいろと気になっているんだろうな。羊でも数えるか。
「……起きてる?」
遠慮ぎみの小さな声でヒロ先輩がつぶやく。俺はヒロ先輩に目を向ける。相変わらず壁に顔を向けてこちらには背中を見せている。サツキの規則正しい寝息は聞こえていたけど、ヒロ先輩のいつもの自然な寝息は俺がベッドに入る時から聞こえていなかった。
「起きてるというか眠れないというか」
ヒロ先輩は布団から左腕を出し、腕時計の時間を確認。バックライトの薄い青色の光が壁に反射する。
「デジタル時計、ずっと腕にはめてますね。寝る時も外さないんですか?」
カシオの無骨な黒いベルトのデジタル時計。恐らくそんなに高くないタイプのやつ。実はこそっとネットで金額を調べてみたけど、定価でも三○○○円程度。ヒロ先輩は日中はもちろん、パンデイロをたたく時や家にいる時、そして寝る時もつけたままにしている。
「寝る時、ブラは外してるけどね」
訊いてない。どきどきするからやめて。なんとなくは気づいていたけど。
「父親の形見なんだ」
……しまった。
何げない会話を選んだつもりだったんだけど、こんなに重い空気になるとは……。そうか、母子家庭って言ってたもんな。やばい、ちょっと胃が痛い。
「あ、父親は生きてるんで」
……うーん、どう反応すればいいんだろう?
「ああ、ごめん。父親にはたまに会うから。あまり深刻に受け取らないでくれ。演奏中につけているのは、なんとなく手首が固定されるような感じがしてパンデイロがたたきやすいんだよ」
そんな理由もあったんだ。俺は楽器を演奏する時、腕時計は必ず外している。重さがすごく気になるからだ。演奏に集中できるよう、集中力を阻害するものは徹底的に排除したいタイプなんだよな。
うーん、もうこんな空気なら、いっそのこと訊いてしまうかな。今ならなんでも訊ける気がする。多分、今を逃したらずっと訊けないだろうし。
「梶先輩って……その……ヒロ先輩の彼氏なんですか?」
俺とヒロ先輩とのあいだで、サツキが規則正しく寝息を立てているのを再度確認しながら。
今日の部室での二人のやりとりを見ていて感じたこと。
「バッテンマスクはまだ使えたかな……?」
「いえ、寝ます。すみません。おやすみなさい」
ああ、触れないほうがよかったか。もう寝よう。
「うそうそ。冗談だ。別に隠してるつもりはないから」
背中しか見えてないけど、絶対に楽しんでるなこの人。にやにやした顔が目に浮かぶ。
「……昔つきあってた。去年の春くらいから……入学してすぐかな。で、今年の三月に別れた」
三月って……まだ別れたばかりじゃん。そうか、だからなんとなく部室での会話が親しげに感じたんだろうな。痴話げんかっぽかったし。さっきは不用意にプライベートなネタに触れてしまってちょっと胃が痛かったけど、なんか今は胸まで痛くなってきた。
「先輩……ヒロ先輩も、吹奏楽部だったんですよね?」
「中学から吹奏やってたからね。この高校でも今年の三月までは部員だったよ」
「なんでやめちゃったんですか? 吹奏」
少しだけ間が空く。ああ、訊かないほうがよかったかな。梶先輩との色恋ざたかもしれないし。
ヒロ先輩は姿勢を変えて上を向き、上のベッドの床板の裏側を見つめる。そして一瞬だけ俺の表情を確認。笑ったような気がした。
「きみの演奏を見たからだよ」
8
「あの、失敗した時の……?」
俺が中学校の時に所属していた吹奏楽部の定期演奏会オータムコンサート。今でも思い出すと心臓の鼓動が激しくなり、ただ無性に叫びたくなる。もちろん、今もだ。
「そう」
ヒロ先輩は目を閉じて話を進める。
「あのパーカスのバトルはおもしろかった……太鼓系で音階なんてないに等しいのにあんなにスリリングで楽しいだなんて。あれを見てしまったのが、わたしがマリンバを止めた理由でもあるからね。以前のわたしは、たたけば鳴るだけの機能しかない音階のない楽器を見下していたね」
ヒロ先輩はあの演奏会を思い出しているのか、にこやかな顔をしている。ヒロ先輩、誤解してるな……。
「先輩」
ヒロ先輩は目を開けると、〈なに?〉と言いたげに少しだけ視線をこちらに向ける。
「誤解してます。俺のこと買いかぶりすぎです。あれ、最初から予定していたパーカスのバトルじゃないんですよ」
「ほお?」
「……予定していたのは、パーカスのバトルのあとにやった太鼓系のユニゾンだけだったんですよ」
思い出したくもないし、本当はあまり話したくない。
「……ユニゾン直前に俺のティンバレス……四小節のソロ。そのあと一小節の空白、そしてユニゾンになだれ込む予定だったんです」
だけど、これだけははっきりさせておこう。
「それを、俺はソロの最中にカウントが取れなくなって……四小節で止められなかったんです……」
俺はヒロ先輩が思ってるほど大したやつじゃないんです。
「……ぐだぐだになりかけてどうしようもなくなった時、梶先輩がドラムソロを始めて……その場で太鼓部隊にソロまわしを指示してやらせたんですよ」
ヒロ先輩は黙って聴いている。
「ソロまわしのタイミングを間違えたなんてかわいいもんじゃないんですよ。せっかく梶先輩がアレンジしてきた曲の構成自体をぼろぼろにしちゃったし、結局梶先輩に助けてもらったし……」
ヒロ先輩はあのパーカッションのバトルにやたらと関心していた。あれを見て、俺をパンデイロ部に強引に入部させたのかもしれない。だけど、実際は俺は足を引っ張っていただけなんだよ……俺は何もしていないから、俺の演奏をほめるのは筋違いだ。
ああ、本当のこと知ったら、ヒロ先輩もあきれるだろうな……せっかくまた楽器を演奏できる場ができたけど、またなくなっちゃうかな。俺は大きくため息をつく。
「ってことは、いきなり本番当日にあれだけのソロをきみはたたいたってこと?」
「あれだけ……まあただがむしゃらにたたいていただけですけど」
「演奏を投げ出そうとは思わなかったんだろ? あきらめなかったんだろ? あきらめなかったからこそ、あの展開になったんじゃない? そして、そんなエマージェンシーモードの時に、あれだけわたしをわくわくさせたソロをたたけたってことだろ? それはきみの実力だよ」
「いや、だからがむしゃらにたたいていただけで……」
「だって、タカシのドラムソロのフレーズなんて印象に残ってないよ。他のメンバーだって、せっかくのソロまわしなのに二回とも似たようなフレーズだったし」
ええっ、そんな……まあ今日まであの時に梶先輩も同じステージ上にいたことを知らなかったくらいだけど……そんなに印象に残らなかった?
「俺だって、パンデイロの練習の時はいつも同じフレーズたたいてますが」
「そりゃそうだ。手にしたばかりの楽器をすぐにたたきこなせて、ソロまわしで毎回違うフレーズがたたけるほどパンデイロは……音楽は簡単じゃないよ。簡単にたたかれたら、わたしの立場もない」
いいのかな……なんかまだ俺を過大評価しているみたいなんだけど。
「で、その後わたしは太鼓系のパーカスに惚れてしまってね」
「……あれ? そういえば〈幼い少女はテリー・ボジオというドラマーにあこがれて両親にドラムセットをねだった〉って以前言ってませんでしたっけ?」
「……うん? ああ、そんな設定だったな。それは創作だ。照れ隠しだ。きみに会ってまだ数日の時に〈きみの演奏を見てパンデイロを始めたんだよ、てへぺろ〉なんて言えるかい」
てへぺろ、だなんてヒロ先輩のキャラじゃないですよ。
「マリンバほどではないといっても、太鼓系の楽器はやっぱり高いんだよね。しかし安物は買いたくない。そこで楽器屋へ行って、一番高いタンバリンを買うことにしたんだ。そこで間違えて手にしたのが……パンデイロだった」
偶然だったんかい。確かにタンバリンとパンデイロは遠目に見れば見た目は一緒だ。
「最初は嘆いたね。なんだよパンデイロって。全然ジングルも鳴らないし、って。しかし調べてみるとこれひとつでドラム並の演奏も可能だと知り……偶然の出会いに感謝した。そこからわたしの心はマリンバからパンデイロに移ったね。もちろんマリンバは否定はしない。あれはすばらしい楽器だよ。ただ、わたしとの相性はパーカスの中でも太鼓系……パンデイロのほうがドンピシャだっただけさ」
意外だった。まさかきっかけがドジっ娘だったとは。
「で、この高校に入っても吹奏楽部に入部した。パンデイロで参加したかったのだが、うちの吹奏ではパンデイロを使ったことはなかったし、まあ喜ぶべきことなんだろうけど中学校時代のわたしのマリンバの腕前を認めてくれて、マリンバの担当になった」
吹奏楽部では自分の好きなパートができないことも多いしな。ましてや、マリンバが得意でうまいのにパンデイロがやりたいってのは難しいだろうなあ。
「で、一年生の時はマリンバを担当した。じゃあ二年生は好きにやらせろ、となったわけだ。しかしやらせてくれなくてね。みんなに説得されたよ。タカシにも〈パンデイロなんかよりマリンバのほうが〉なんて言われてね。キレた。それが吹奏を止めた理由でもあり、タカシと別れた理由でもある」
そうだったのか。でも、マリンバとしての実力があるなら、やっぱりまわりは説得するよなあ。
「で、始業式から二日後の放課後、一年間自宅で練習したパンデイロの成果を道場破りという形で見せつけようと吹奏楽部の部室に意気揚々と向かったところ、きみと出会ったわけだ」
道場破り……まさかそんなことを考えていたとは。ある意味、止めることができてよかったのだろうか?
「驚いたね。まさかここできみと巡り会えるとは。運命を感じたよ。で、一人で道場破りもいいけど、心強いパートナーがいるならさらに完膚なきまでたたきのめすことができる。そこできみの同意のもとパンデイロ部を創部したわけだ」
「あの熱弁中のところ申し訳ないんですが、〈同意のもと〉という部分には若干の語弊が……」
しかし、まだ道場破りをするつもりでいるんだろうか? 怖くて訊けないなー。俺も片棒を担がされるのだろうか? よし、話題チェンジ。
「最初はマリンバから始めたんですよね? きっかけは何だったんですか?」
「マリンバのきっかけ、か……」
暗がりの中、遠い目をしている。いかん、また触れてはいけない話題だったらどうしよう……?
「昔、マサシ・サダというシンガーソングライターがいた」
いや、今もいますけど、まっさん。っていうか、さだまさし! この人はみのもんたも〈モンタ・ミノ〉とか言っちゃうタイプなんだろうか? 〈ケン・マツダイラ〉なんて前に言っていたし。そういえば深夜のテレビ番組〈今夜も生でさだまさし〉をサツキときゃっきゃ言いながら楽しそうに見ていたしなあ。
「いつだったか……小学校のころかな? テレビで彼のライブを見てね。バックでマリンバを演奏するミュージシャンがいて……そのマリンバに惚れた」
さだまさしのバックバンドだなんて、プロ中のプロだもんな……とはいえ、小学生の時にそこに目と耳がいくことがすごい。
「それがきっかけで中学校に上がると吹奏楽部に入り、最終的にはスネアのロール対決で勝利し、マリンバの座を勝ち取った」
ヒロ先輩は遠い目をしたまま目を細める。
「いやいや。マリンバの座を争っているのに、なぜスネアのロールで対決するんですか?」
「わたしが最初に吹奏でやらされたのはスネアだからね……マリンバはたたいたことなかったもん。だけどどうしてもマリンバがやりたくてね……スネアで勝負するしかないじゃないか?」
そうなのか? まあヒロ先輩のことだから、うまいこと丸め込んだような気もするけど。スネアか……しかも勝負に勝ったんだ。この人、やっぱり音楽のセンスがあるんだろうな。
「そういえば、俺も吹奏をやり始めたのはマリンバがきっかけなんですよ」
そう、小学校六年生の時に見た、中学生の少女のマリンバの演奏。
「たまたま見た吹奏のイベントだったんですけど、俺が小六の時だったからその子は中一かな? すごくマリンバがうまい子がいたんですよ。多分ヒロ先輩と同い年で……あ。アソウヒロコって下の名前が先輩と同じ子なんですけど」
ヒロ先輩の規則正しい寝息。寝落ちか。
枕元の目覚まし時計を見ると二時。ま、寝るか。その辺の話はまたできるだろう、きっと。当時、同じマリンバをやっている他校の生徒と交流があったかもしれないし。
俺は薄手の掛け布団をヒロ先輩、サツキの肩までかぶるように引っ張りあげると、俺もゆっくりとまぶたを閉じた。