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座敷童(ざしきわらし)

作者: 早田結

 我が家には座敷童がよく現れた。


 自分の部屋で宿題をやっているときなど、ふと振り返ると、いつの間にか、子供のような者が座っている。

 ふつうの子供ではない。裸で、頭はジャガイモのようにハゲて、小さな落ちくぼんだ目をしている。体が幼児なみに小さいので子供と思うが、お世辞にも可愛い子供ではない。

 子供はいつも、不思議そうな顔をして私の方を見ている。

 最初のうち、私は、てっきり幽霊だと思って居た。けれど、幽霊のわりには怖くない。なんとも言えず、親しみを感じる。

 座敷童は、しじゅう現れるわけではなく、年に数回程度だったと思う。

 まるきり現れない年もあった。我が家の座敷童は、気分屋だった。

 私は、座敷童のことを、家族には言わなかった。母と姉は怖がりで、幽霊だの妖怪だのの話しを嫌がるし、父は、生真面目で無口で、我が家では、私も姉も父に気安く話しかけられなかった。

 それに、家族を心配させたくなかった。話せば、母たちは、きっと心配するような気がしたのだ。


 私が中学生になってからも、座敷童はときおり現れた。

 不思議なことに、私の成長とともに、座敷童も大きくなっていった。

 私は、この頃になると、「こいつは、座敷童ではないかもしれない」と疑い始めていた。

 座敷童が成長するなんて、聞いたこともない。

 ではなにか? 妖怪か、幽霊か? 幽霊も成長はしないだろう。では、妖怪か。

 しかし、妖怪でもないような気がする。私は、この得体の知れないものに、不思議と「親しみ」を感じる。

 しかも、その「親しみ」は、不吉で不気味な親しみだった。

 そんな妖怪など居るだろうか。


 高校に入学したころから、私は、体調を悪くし、しじゅう、吐き気や頭痛を起こすようになった。

 最初のうちは、だれにも言わず、我慢していたのだが、無理をして体育の授業を受けたあと、とうとう倒れてしまった。

 そのときのことは、よく覚えていない。あとから聞いた話しによると、体がうまく動かず、もがいている私を見て、先生は、あせって救急車を呼んだらしい。


 それから、私の闘病生活が始まった。

 私にしてみれば、せっかく猛勉強して高校に入れたとたん、こんなことになってしまい、悔しさと治療の辛さに、精神の方が参っていった。

 そんなときに限って、あいつが現れる。

 座敷童を、頻繁に見るようになった。

 座敷童は、以前よりも大人になっていた。不愉快なくらいに、ふてぶてしい顔をしている。前は少しは可愛げがあると思ったこともあったが、相変わらずジャガイモのようなハゲ頭に、落ちくぼんだ目をしていて、そういうご面相の生き物が成長すると、よけいに妖怪めいて見えた。

 そのくせ、やはりなぜか、「親しみ」を感じる。

 その「親しみ」が、奇妙に鬱陶しい。

 家の部屋には座敷童が出てくるので、むしろ病室の方が安らいで休めた。


 私の闘病生活も半年が過ぎたころ、私は、放射線治療のあと、入院していた。

 経過が良いのか悪いのか、私は、はっきり聞かせてもらえなかった。おそらく、私の心理的な負担を考えて、報せないようにしていたのだろう。

 私は、もはや、経過を聞く気力を失っていた。心が萎えてしまい、生き続けたいのか否かも判らなくなっていた。

 家族や、見舞いの友人たちの前では元気なふりをしたが、本当を言うと、私は、芯から弱っていた。

 そんなおりに、父が、珍しく会社を早引けして見舞いに来てくれた。

 私にとって、父は、遠い石垣のようなひとだった。がっしりとした、圧倒的な存在感がありながら、近しい感じがしないのだ。

 それでも、こんな昼日中の時間に、父がわざわざ来てくれたことは嬉しかった。

 父は、いつもと同じ、生真面目な顔で、私のベッドの傍らに腰掛け、

「どうだ? 嘉彦」と言った。

 私は「悪くないです」と応えた。しっかりと答えた積もりだったが、その声は、自分でも吃驚するほど、かすれて弱々しかった。

 父は、私の声を聞いたとたん、まるで傷ましいものでも見るような目になった。実際、父にとって、やせ細った息子の姿は傷ましかったのだろう。

 父は、「つかぬ事を聞くが」と、相変わらず生真面目に前置きしたのち、

「嘉彦、おまえは、なにか、変なものを見たことはないか?」と言う。

「変なものって、なんですか?」

「なにか・・子供のような、ジャガイモのようなものだ」と、父は、その奇妙な問いを、あくまで生真面目に言うのだ。

 無口な父は、もしかしたら、説明がひどく下手な人なのかもしれない。

 けれど、私は、父が言いたいことがよく判った。

「あります」と私は答えた。

 父は、再び、傷ましそうな顔をすると、

「それは、部屋のどこに居た?」

 予め用意していたらしい、ノートと鉛筆を鞄から取り出して、私に寄こした。

 私は、無言でノートと鉛筆を受け取ると、部屋の見取り図と、「あれ」が、いつも座っていた場所を書き記した。

 父は、「判った」と私からノートを受け取り、「頑張れよ」と私の肩をぽんと叩いて病室を出て行った。


 私が退院したのは、それから一週間ほど後のことだった。

 自宅に帰って驚いたのは、私の部屋の、ちょうど、「あれ」がいつも居た辺りに、御札が置かれていたことだ。御札の文字は達筆過ぎて読めない。ずいぶん侘びしげで古風な御札だった。


 母曰く。

「お父さんが置いたのよ。

 特別な御札らしいわ。ずいぶん遠くまで頂きに行ってたもの。

 でも、そんな特別な御札を、神棚に置かないで畳に置くなんて、かえって縁起が悪いから辞めてくれって言ったんだけど、お父さん、ぜんぜん聞いてくれないのよ。嘉彦が、すっかり良くなるまで、置いておくんだって。

 まじないだからって」

 御札には何と書いてあるのか尋ねたところ、「元に戻るよう諭す」意味があるらしい。


 父のまじないが効いたのか、治療が効いたのか。私の病は、それから徐々に治癒に向かい、やがて病巣は消滅していった。


 無口な父は、何事も、あまり説明をしてくれない。

 ただ私が聞けたのは、

「お父さんのときはな、祖父ちゃんがやってくれたんだ。父は、早くに死んでたからな」と言う父の思い出話だけだ。

 そういえば、祖母ちゃんが話してたっけ。父は少年のころ、肉腫が出来て、危なかったときがあったと。それから、父の父、つまり私の祖父は、癌で早くに亡くなっていたことも。


 ジャガイモ頭の子供は、あれから二度と見ない。もう、出てこない・・気がする。あくまで、そういう予感がするだけだが。


 私は、今では、あれを座敷童とは呼んでいない。

 あれは、座敷童などではない。なぜなら、座敷童は、ひとが病んで不幸なときに、憎々しい顔で出て来たりは、しないだろうから。

 それから、「あれ」に、なぜか、奇妙な親しみを感じたわけも、判ったような気がするのだ。

 私は、心の中で「あれ」を思い出すとき、こう呼んでいる――私の「癌細胞の化身」、と。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。座敷童(?)の描写が良かった。 実際にありそうです。
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