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例外  作者: 誇高悠登
一章
16/18

15話

 識たちの前に現れたのは眼鏡をかけた青年だった。

 見るからに不健康な出で立ちで「きひひひ」と、虫の羽が擦れるように笑う男。


「ひひひ。意外に役に立ったな、こいつも……。敵を、三人まとめて潰せるチャンスを作ってくれるなんて、ひひひひ、礼を言うよ」


 ――ありがとう!

 その言葉と共に頭を失った首の断面をひたすら蹴り続ける。

 ありがとう。ありがとう。

 狂気に満ちた姿は、人の形をしていようとも、今、蹴られている巨漢の男よりも不気味だった。

 水分を含んだ肉が音を一定の間隔で聞こえていた。


「ひひひ、ははぁ」


 蹴ることに満足したのか、血にまみれた白い顔を拭うことなく、三人へと近づいてくる。


「お前は?」


 双と陽菜よりも男に近い位置にいた識は行く手を阻むように立つ。

 左手で右腰を押さえている。

 上手くバランスが取れないのか、識の頭は不規則に揺れる。あのプレートは常人にはない力を与えてくれる代わりに、使用者に強いダメージを与えていた。

 だからこそ――奥の手だったわけか。

 これを使ったら手が打てなくなると。

 双は、弱弱しい識の背中を見つめていた。


「分かりやすく言うと――ひひ、『例外人』かな?」


「ま、だろうな……」


「君たちを始末するようにさ、ひひひひ。そ、そいつと命令受けてたんだけど……」


 そいつと言って指差すのは自分が散々痛めつけた死体。

 この男は仲間の死を何とも思っていない。

 いや、唯一ある感情としたら感謝だけか……。悲しみや怒りなど滲みもない。


「ほら、同族も何人かやられてるし、ひひひ、俺そいつみたいに、化け物じみた力持ってないからさ……、ひひひ」


 識は男の声に眉を顰める。


「おしゃべりするのはいいんだけど、その気持ち悪い笑い方やめてくんない、イラつくんだわ」


「ひっひひひ」


 だが、識の注意とは逆に男の笑い声は大きくなる。シーシーと口から息を漏らして笑っていた。


「なんだよ? マジ、キモイぜ?」


「つ、強がるなよ……。分かってるんだからさ……君はもう戦えない。ひひ、この状況じゃ、俺でもやれる」


「…………」


 識の体が傷付いているのを見抜いていた。

 観察していた。

 さっきまでの戦いをだ。そして勝てると思ったからこそ、堂々と姿を見せたのだ。


「……お前なぁ!」


 識は腰を押さえたまま、右の拳を振るうのだが、自分で作った遠心力に負けて、無様にも倒れてしまった。

 拳を満足にも振れないほど識はダメージを受けていた。


「ひひひ、ほーら、ほら」


 倒れた識の顔面を踏みつける。


「こうやって、君は、ひひひ、殺したんだ。どうだ、酷いと思うでしょ? なあ、なあ!」


 識を踏む足の力が強くなる。

 コンクリと頭がぶつかって、鈍い音が響いた。

 顔の左側から血が流れだす。


「ひひひひ」


 流れていく血を満足そうに舌を舐めて唇を潤わせる男。

 その姿は虫と言うよりも爬虫類だ。


「――全然、思わねぇよ」


 識はクルリと首を傾けて男と視線を合わしていった。

 「へっ」と、笑って余裕を見せる双に、


「そうか、そうなんだ」


 更に強く踏みつける。


「君、痛みに強そうだから――ひひ、いい事思いついた」


 足元に転がる識を見下ろして、男は歪に笑う。


「動けなそうなあんたは後にして――そこのあんたらを先に殺そうかなぁ」


 指差したのは双と陽菜。


「君は、あの二人を守ってたんだもんなぁ」


 守っていた対象を殺して識も殺す。そうすることで、識の余裕とプライドを粉々にしようという案だった。

 何も守れず、無意味に死んでく姿に、ぞくぞくと身を震わせる男。


「お前ら、逃げろ! 恐らくこいつは『進行度2』。なら、なんとか――逃げ切れるかもしれない」


「余計なことは、い、言わなくていい」


「……がっ」


 識の警告に対して男は不機嫌になり、ひたすら識の体を顔を痛めつけていく。右の手を踏みつけた際に、識の右指は何本か折れていた。

 苦痛に奥歯に力を込めて声を殺した。識のその表情を見て落ち着いたのか、


「に、逃げても無駄……? その顔覚えたからな、ひひひ」


 ギョロリ。

 見開いた眼が二人を捉える。


「……」


「僕達『例外人』の特性は……、ひひひ、分かってるよね」


「それは――」


 人に許され特別扱いされることだ。

 つまり――周囲の人間を味方につけることが出来る。


「僕達は、日中だろうと人を殺しても、ひひ、罪にならないし、最大の障害である敵は、ひひ、今、殺せるんだしね」


「俺以外にも、お前らを殺す人間は山のようにいるぜ? 今のうちに降参した方が俺はいいとおもうけどなー」


 識の軽口は無視された。

 下らない嘘に付き合う必要はない――今日、『例外人』は勝利を掴むのだから。


「しかも、その制服……。ひひ、すぐ身元は分かりますよ?」

(どうすればいい?)

 双は考える。

 今、この状態でどうすれば助かるのか。


「な、なんで殺し合わなければいけないんだ? 別に、互いに仲良くできるだろ? 普通の人として……」


 双は二人を説得しようとする。

 争わないように……。

 だが、当然、帰ってくる答えは決まっていた。


「君は、ひひ、馬鹿だ」


「馬鹿だなーお前」


 この時ばかりは、敵同士の意見が一致する。


「こ、こいつらがいるせいで、僕たちは人間を越えたのに、その力を使えないんだ? 殺されると怯えなきゃいけないんだ?」


「こいつらが人間を越えたとかで、人間を殺してんだから、俺たちが殺してやってるんだろ?」


「でも……」


 なにも殺し合わなくてもいい――双は二人を説得しようとするが、続ける言葉が出てこない。

 何も言わない双を見て、男は気味悪く笑って提案してきた。 


「こ、こういうのはどうだろう? じ、自分の意思で一人残れば、ひひひひ、もう一人は見逃してあげる」


「え……?」


「い、いい案でしょ? ひひひ」


「いい案も何も、生贄を出せって事だろ!」


「わ、私も嫌です」


 陽菜も反対だと震える声で告げるが、逆に男を興奮させるようだ。

 恍惚の表情で男は言う。


「二人で、に、逃げたら確実に、ぼ、僕が二人とも殺すけど、一人残れば、ひひひ、一人は助けてあげるよ」


「騙されるな、お前ら、こいつらは人間じゃねぇ」


 識は顔に乗せられた足を払いのけようとするが――ペチペチと左手で力なく足を叩く。

 それだけの行為でも識は苦しそうだ。

 元々、あのプレートを使ったダメージと、男から受けた傷が識を支配する。


「ひ、人聞きの悪い。僕だって一応は手柄を立てないと……。それなのに、ひひ、一人は見逃すとって言ってるんだから、十分、ひっひひ、甘いよね」


「てめぇ……」


「さぁ、どっちが、ひひ、残る?」


 足を掴む識を払い、ガンガンと踏みつける動作を再開させた。早く答えないと止めないと言わんばかりだ。

 識の命を使ったカウントダウンに双と陽菜は焦る。

 二人は話し合うこともせず、


「……僕が!」


「私、残ります」


 答えを出した。

 双は一歩前に出て。

 陽菜は力のこもらない脚で立ち上がる。


「陽菜さん?」


 驚いた双は振り返った。

 立ち上がった陽菜の目は強い光が込められていた。


「元を辿れば、双さんは兄に巻き込まれたようなものです」


 兄のことをしらべようとしなければ双さんは関わらなかった。

 だから、私が兄に代わって償いますと、陽菜は言った。


「そんなことないよ……僕はただ、自分で勝手に動いてただけ……」


 現に提案した張本人である夕日は巻き込まれていない。

 好奇心で――身を滅ぼそうとしてるのだ。

 分かってた。

 だから、これは自業自得でしかない。


「それに――識さんにスカウトされてたのも私です」


 自分の方が関係は強いとアピールする。陽菜の中で覚悟は決まってるようだった。女性の方が腹をくくるのは早いとどこかで聞いたことがあるが、本当かも知れない。

 双は胡散臭いと思っていた情報も案外外れてはいないのだなと、場違いにも思った。


「ひひ、女の子を傷つけるのは趣味じゃないんだよな――大好きだけどさぁ」


 頬を赤らめ間隔を短く浅い呼吸を繰り返す。

 男は興奮していた。

 女子高生を傷つけることに。


「駄目だよ、僕が犠牲になる」


「いえ、私です」


 譲らない二人。

 男の興奮した姿を見ても引かない陽菜の覚悟は本物だった。そんなやり取りを繰り返していると識を踏み続けていた足が止まった。


「が、がぁ……」


 識の顔は真っ赤に染まりどんな顔をしているのかが分からない。


「め、面倒だ。ひひ……二人とも殺そう」


 そう言った男は識から離れて嬲るようにゆっくりと歩く。恐怖に引き攣る表情を楽しんでいるのだ。


「せめて、陽菜さんだけは……」


 双は歩いてくる男に言うが、「時間切れだ」と、足を止めてはくれなかった。


「……」


 もう終わりか。

 自分みたいな人間は人生何も起こらず平凡に寿命で死ぬと思ってたけど、案外刺激的に殺されるんだな。

 それもそれで悪くない。

 双が自らの命を諦めた時――、


「くそっ、陽菜!」


 男の後ろで識が叫んだ。

 血まみれでも、手足の骨が折れていようとも、動く部位で立ち上がる。

 識はまだ諦めていない。


「あんた戦う意思が出来たかよ!」


 陽菜に問いかける。


「お前も、まだ、諦めたくないだろ! だから答えろ!」


 識は吠える。


「無駄な足掻きは、や、止めて欲しいな」


 お前は最後に殺すんだから黙っていてよね。

 一瞬だけ、識を見たが、その状態じゃ脅威にもならない。男はため息とともに足を動かした。

 急な質問に陽菜は戸惑う。


「え……」


「できたか聞いてるんだ。明日じゃなくて今、答えろ!」


「その……」


「早く!」


 識は叫ぶ。

 陽菜の決断を待ち望んで――。

 陽菜は一瞬だけ目を閉じて――答えた。


「この場を……、今をみんなで生き残れるなら、あります!」


 私戦います!

 自分の意思を告げた――戦う意思を。


「よく言った」


 識は自分のポケットから、銀色のプレートを取り出し、回転を付けて陽菜へと投げた。


「念のために、早めに貰ってきてよかったつーの」


 投げた勢いで力尽きたのか、識は倒れながら言った。


「これは……?」


 陽菜の前に転がるプレート。


「『例外』を相手するために俺らが必死になって作り上げたもんだ……」


「か、勝手なことするな! それを捨てろ!」


 さっきの戦いを観察していたのならば、そのプレートがどんな効力を発揮するか、知ってしまっているからこそ、男は焦るのだった。


「それを付けることで――疑似的に『進行度3』と同等の力を手に出来る」


「……」


 ゴロリと身体を回して天を見つめる。

 闇夜でも分かる曇り空。

 まるでそれは――陽菜を闇に誘おうとしているようだった。


「お前に本当に戦う覚悟があるなら――それを使え!」


「おい、やめろ。つ、使わなかったらお前は、助けてやる、ひひ、どうだ?」


 そうすればお互いに危険な目に合わなくて済むぞと男は交渉を求める。

 だが、陽菜の決意は固い。


「私は皆を守りたいです。だから私は――戦います!」


 胸にプレートを掲げて、素肌につけようとする。たったそれだけのことで、人を越えた力を手に出来る――。


「駄目だ――それは僕が使う」


 その腕を双が止めた。


「戦うのは僕みたいな――諦めた人間でいい。陽菜さんは最後まで自分の意思を捨てなかった。だから――、だからここは僕に使わせてくれ」


 一度は命を諦めた双。

 戦う意思を見せた陽菜には――その意志を持って普通に生きて欲しいかった。


「陽菜さんは戦わないで……そこで見ててくれ」


「双さん……」


 陽菜の手からプレートを取って、双は自分の腰に取り付けようとした。


「おい……、やめろ、やめろぉ!」


 男は急いで走り出すが、速度はお世辞にも早いとは言えない。『進行度2』ではそれが限界だった。


「くっ……。お、おお……」


 双の体に強烈な痛みが走る――体の中を一本の鎖が引きずり回っているようだった。

骨をきしませ、肉を潰し、血液に混じって暴れている。


「ちっ……。その力を使うにはいくつか条件があるんだよ」


 一つ。例外人の特性が効かないこと。

 二つ。強い心を持つこと。

 識は言う。


「お前は、一つ目はクリアしてるが――二つ目はどうだ? 陽菜ちゃんなら兄を知っているからこそクリアできる。だから、スカウトしたんだ」


 これだけで命を諦めるような双に、『例外人』を憎まずに死を嘆いた双に――扱えるとは識は思えないでいた。


「下手すりゃ死ぬぞ」


「……知るかよ」


 ご愁傷さまだと笑う識に向かって、苦しみながらも双は答える。


「い、いまのうちに、ひひ、殺す!」


 双の元へと走り込んだ男は、巨漢が投げた時に折れた木の枝を拾い上げて――双へと殴り掛かる。 

 枝が折れるほどの衝撃が頭を揺らす。


「やった……、ひひ」


 確かな感触が手に残っていた。

 だが――。


「……があっ!」


 双は苦しみから解放されたかのように雄たけびを上げた。

 首を鳴らして男を見据える。


「そ、そんな……」


 苦しみを乗り切った双は、『進行度3』を倒した識と同等の強さ――一瞬でそう判断した男は逃げだす。識の強さを見たのであれば、逃げる事すら無理だと気付くはずなのだが。

 恐怖に支配された男は不格好に躓きながら駆けていく。

 双はその姿を黙って見つめる。


「おい……あいつ、逃げるぞ! 早く追えよ、もう動けんだろうが!」


「……でも、捕まえたらまた、識が殺すんでしょ?」


 ポツリとつぶやく双。

 男は追わないと識に見せつけるように付けたばかりのプレートを外す。


「だから、追わない」


「逃がしたら、今度はお前らを殺しに来るぞ?」


「……それでも僕は――殺したくない」


「ふざけるな!」


 識はもう、起き上がる力もないのか、体を引きずって双へと詰め寄る。


「お前……分かってんのか? お前は力を手にしたかも知れないが――陽菜ちゃんは違う。自分が人を気付けたくないのは勝手だが――お前がやったのは人の選択を奪うことだ」


 偽善にもほどがある。

 識が吐き捨てる。


「くそっ」


 識がようやく双との距離を半分に縮めた所で――、


「識殿」


「倉さん……」


「随分と酷くやられましたな……。らしくない。まさか、ご友人の前で格好つけようとしたのではないのですか?」


「友人じゃねえよ」

 

 徳倉の肩を借りて立ち上がった識は、


「陽菜ちゃん」


 と改めて陽菜を呼んだ。


「やっぱ、約束通り――明日会おう。今度は変な奴に取られないようにね」


「……はい」


「それからお前の処遇も決めてやる。それまでに覚悟しておけ」


「……」


「では、行きますよ」


 どうやら、今日に限って言うのであれば――戦いは終わったようだ。双は安心感からかプレートのダメージからか意識が薄れていくのを感じた。


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