第八話 森の中の村
前回までのあらすじ
杏利とエニマは、人間を殺し合わせて楽しんでいるゲス野郎をぶちのめし、旅を再開した。
「そ、そんな!!」
男は驚いた。
「トリアス様、なぜ私達の娘なのですか!?」
そのそばでは、妻と思われる女が男の腕にしがみつき、目の前のトリアスという女に訊いている。
「何を怯えている? 今まで散々やってきた事ではないか。今回はたまたま、そなたらの娘だったというだけの話だ。違うか? それとも、他人ならいいが自分の身内は嫌などと、勝手な事を言うつもりか?」
トリアスに睨み付けられ、二人は黙った。と、意を決したように女が言う。
「わかりました。では、あの子の代わりに私を生け贄にして下さい」
「シルム!?」
「他に方法はないわ。お願いします、トリアス様!」
シルムと呼ばれた女は男が止めるのも聞かず、トリアスに頼み込む。
「駄目だ。前にも言っただろう? 決められた者以外を生け贄に捧げればどうなるか」
「うっ……」
トリアスにあっさり拒否されてしまった。
「覚悟を決めよ。生き残りたければそうするしかない」
二人は今度こそ黙らされた。
「えーっと……」
杏利は地図を見ながら森の中を歩いていた。この地図も、出発前にアスベルから渡された物である。
「おかしいわね。もう少しで森を抜けられるはずなんだけど……」
「何じゃ迷ったのか?」
「だって道がないんだもん」
地図の通りなら、もうすぐ村に着くはずである。しかし、いくら歩いても村に続くはずの道は見つからず、仕方なく杏利は道なき道を歩いているのである。
「道ならあそこにあるぞ」
「えっ?」
不意にエニマが動き、ある方向を鞘に入った穂先で指し示した。
「あ、ホントだ」
よく見てみると、草が生い茂っているが、道らしきものがある。しかし、妙な話だ。かろうじて道だとわかるのだが、整理がされてない。まるで、長い間人間が通っていないかのようだ。
消えかけている道を見ていぶかしんでいる杏利を、木の上から見ている者がいる。そしてそれは、杏利が気付いていないと思って飛び掛かった。
しかしその直後、杏利は後ろを向いたまま石突を突き出し、それの腹を突いた。吹っ飛んで悶えるが、杏利は全く気にすることなく鞘を抜き、エニマを投げつける。エニマの穂先は寸分違わずそれの心臓を貫き、木に縫い付けた。数秒痙攣した後、それは息絶える。
杏利に襲い掛かり、そして仕留められたそれは、全身茶色で、長い手足を持ち、頭から角を生やした怪物だった。
「フォレストハンター。木の上を住みかにする、ゴブリンの亜種じゃ。よくやったな」
「殺気がだだ漏れだもの。他の人はどうか知らないけど、あたしには通じないわ」
刺さったまま説明するエニマを引き抜き、血を振り払ってから鞘に納める杏利。もしかすると、このモンスターに襲われるせいで、人が通らないのかもしれない。だが、今杏利が倒した。
「じゃ、行きましょ」
「うむ」
障害を排除した二人は、道を歩き始めた。
「……何ここ」
しばらく道を歩くと、杏利は村に着いた。その村を見た感想がこれである。
村は閑散としており、およそ活気と思えるものが全く見えない。道行く人々は暗い顔をしており、重い空気が漂っている。杏利はこういう、そこにいるだけで鬱病になりそうな雰囲気が大嫌いだった。
「何かあったようじゃな」
「お葬式でもやってるのかしら?」
杏利は少し村の中を探索してみたが、誰かが死んだようには見られなかった。しかし、確実に何かが起きている。
「旅のお方かな?」
村を調べていると、一人の老人が話し掛けてきた。
「そうですけど……」
「このエーシャの村には何もない。悪いことは言わんから、早く立ち去った方がええ」
「……何かあったんですか?」
「知ったところでどうにもならんよ。それでも知りたいなら教えてやるが」
「お願いします」
杏利が頼むと、老人は今この村で起こっている出来事を説明した。
エーシャの村に一年前、どこからともなく恐ろしい邪竜が現れた。人々を食らい、家屋を破壊し、暴虐の限りを尽くす邪竜に、村人達は総力を結集して立ち向かったが、全く太刀打ち出来なかったという。
村人達が死を覚悟した時、トリアスと名乗る大魔導師が現れ、邪竜を退散させた。ちなみに大魔導師というのは、魔法使いの上に存在する、より強力な魔法使いの事だ。修行を重ね、試練を乗り越えた者のみが、その称号を与えられる。
邪竜を退散させたトリアスは村人達にもてなされ、二日ほど村に滞在したのだが、ある事件が起きる。退散させた邪竜が、またやってきたのだ。
邪竜はこう言った。この村を潰してやるのは容易い事だが、大魔導師が相手ではこちらも大きな痛手を受ける。とはいえ、こちらも食わねば餓えるので、生け贄を出せ。さもなければ、今この場で村を潰すと。
「生け贄!?」
トリアスの力を以てしても、邪竜を倒しきる事は出来ない。仕方なく、トリアスと村人達は要求に応じ、以来この村では、邪竜が定期的に指名する人間を生け贄として差し出しているという。
杏利はどうして村人達が暗い顔をしているのかわかった。邪竜の脅威に怯え、いつ自分が生け贄にされるともわからない日々を送っていれば、当然こうなる。
「そしてまた生け贄が選ばれた。今夜邪竜に差し出されることになっている」
「そんなの駄目よ!!」
「わしらもずっとつらい思いをしている。だが、どうしようもないのだ」
「……トリアスってやつは? まだ村にいる?」
「トリアス様なら、村長の家に滞在しておられる。トリアス様がいなければ、邪竜はすぐに村を潰すからな」
「案内して。あたしが話を付ける!」
「なっ!?」
老人は驚いた。杏利はまだ、歳若い少女だ。そんな彼女が、大魔導師トリアスと話をしようとしている。
「しかし……」
「案内しなさい!!」
老人が悩んでいると、杏利は半ば脅すように老人に言った。
「……わかった」
杏利の気迫に負けた老人は、仕方なく杏利を村長宅に案内した。
村長の家はとても大きい。以前はそこまで大きくなかったのだが、トリアスが住み込むにあたって増築され、専用の部屋まで用意された。超VIP待遇である。
「トリアス様はいつも瞑想の間におられる。そこで、わしら村人の悩みを聞いておられるのだ。粗相のないようにな」
「ありがとう」
杏利は礼を言って老人と別れ、村長宅に乗り込んだ。
瞑想の間。トリアスが魔力を高める為に瞑想を行い、村人の相談を受け付ける場所。常にたくさんの村人がいるこの場所に、杏利ばずかずかと土足で入った。
「な、何だお前は!?」
驚く村人達を無視して、瞑想の間の一番奥、トリアスの前まで行く杏利。
「あんたがトリアスね?」
「……何者だ」
杏利が尋ねると、トリアスは迷惑そうな顔をした。まぁ、こんな事をされたら、誰でも迷惑に思うだろう。
「あたしは一之瀬杏利。この村でやってる馬鹿げた事をやめさせに来たわ」
「馬鹿げた事?」
「邪竜に生け贄を捧げてるんでしょ? あたしがその邪竜を倒すから、もう生け贄を出さなくていいわ。だから邪竜の居場所を教えなさい」
杏利の言葉に、周囲がざわめく。しかし、トリアスは取り乱す事なく、静かに言った。
「そうやって今まで邪竜を討伐しようとした冒険者は何人もいた。だが、誰一人として戻ってはこなかった」
それどころか、自分の元に無謀な挑戦者が現れる度、邪竜はこの村にやってきて暴れるのだ。もしまた挑戦者を送りつければ、今度こそ邪竜はこの村を滅ぼす。だからやめろと、トリアスは言った。
「お前はこの村を滅ぼすつもりか?」
「あたしは今までここにやってきた連中とは違う」
杏利は鞘を抜き、エニマを頭上に掲げた。
「ドナレス国に伝わる槍、エニマ・ガンゴニールよ。この槍の伝説は知ってる? あたしはエニマに選ばれてこの世界に召喚された勇者なの。そこいらの冒険者なんかとは一味も二味も違うわ」
杏利は己の名を見聞する意味も込めて、名乗りを上げる。
「エニマ・ガンゴニールだと!?」
「まさか、七百年前の勇者の再来!?」
「すごい! 彼女なら間違いなく、あの邪竜を倒してくれる!」
周囲がさらにざわめく。絶望しきっていた村人達の声に、希望の色が混ざり始めた。
だが、
「お引き取り願おう」
トリアスは杏利が勇者だとわかってなお、杏利に引き下がるよう言った。
「何でよ!?」
「そなたが勇者だという事はわかった。だが、伝説はどこまでいっても伝説だ。そなたが話通りの力を持っているという確証はない」
「あんた、いい加減にしなさいよ……!!」
トリアスは消極的に考えており、なぜか積極的に邪竜を倒そうとしない。目の前に邪竜を倒せる戦力がいるというのに、それでもだ。
「いい加減にするのはそなたの方だ」
「あんた……!!」
今にも食って掛かろうとする杏利、
その時、
「何事ですか?」
一人の老人が現れた。
「村長……」
トリアスが呟く。この老人は、エーシャの村の村長である。瞑想の間が騒がしいので、様子を見に来たのだ。
「このよそ者が、邪竜を倒しに行くと言って聞かないのです」
「なんと……」
トリアスの言葉で事情を知った村長は、杏利に言う。
「あなたの気持ちは嬉しい。しかし、邪竜はよそ者が自分に挑んできたり、指定した相手と違う人間を生け贄に出したりすると怒り狂う。我々はもう、あんな思いをしたくないのです。どうか、おわかりになって下さい……」
その目は、絶望に染まっていた。邪竜に何をされたのか、どれほど大暴れしたのかは、想像に難くない。
「……何でよ……何でそうやって、誰かの食い物になる事を受け入れられるのよ……」
だが、それでも杏利は、彼らの姿が許せなかった。杏利が心から嫌うのは、他者に舐められる事。利用され、食い物にされた挙げ句、無惨に捨てられる事だ。杏利は絶望した事がない。その溢れる才能によって、どんな状況も切り抜けられたから、絶望しなかった。
もし絶望するような状況に陥ったとしても、杏利は諦めないだろう。例え死ぬ事になったとしても、最後まで抗い抜いてから死ぬ。それほどまでに、舐められる、馬鹿にされるという事が嫌いだった。
「もういいわ。あんた達が動かないなら、あたしが自分で勝手にやる。はっきり言ってやるけどね、どのみちこのまま行ったら村は滅びるわよ。すぐに滅びるか、ゆっくり滅びるか、その違いでしかないんだから!」
何もしなければ、ゆっくりだが確実にこの村は食い尽くされる。それなら低い可能性に懸けてでも、皆が助かる道を選ぶ。邪竜がどこにいるかわからないが、誰も教えてくれない以上しらみ潰しに探して見つけ出す。杏利はそういう結論に至った。
「そうはいかん」
杏利が踵を返した瞬間、トリアスは杏利に片手を向けた。杏利の動きが止まる。身体が動かない。
「何、するのよ……!!」
キリエが使った拘束魔法、ラチェインだ。さらにトリアスは、杏利の首筋に手刀を当てて、杏利を気絶させる。
「連れていけ」
「し、しかし……」
トリアスの対応を見て、村長と村人達は躊躇う。
「この女の勝手な行動で村を危険に晒したいか?」
だが、トリアスの言葉を聞き、村人達は仕方なく、杏利を連れていった。
(杏利……すまん……)
エニマは沈黙している。本当なら杏利に手を貸したいが、今この場で騒ぎを起こせば、村人達は命懸けで杏利を止めようとするだろう。だから、暴れるわけにはいなかった。
(必ず助ける。今は機会を待つのじゃ)
杏利は強い。しかし、地図を持っていても迷う森の中を、しらみ潰しに歩き回るのは自殺行為だ。必ず、邪竜の居場所を見つけ出す機会は来る。今は、その時を待つしかなかった。
「やれやれ、一時はどうなる事かと思った」
「全くだな」
二人の男が村長宅から帰って、自宅への道を行く。
「どうかしたのか?」
と、一人の男が二人に話し掛けた。
「ギーグ……」
「あんたも大変だな。娘が生け贄に選ばれて」
「……ああ……それで、何かあったのか?」
「邪竜を倒したいってよそ者が来たんだよ。またこの前みたいな事があったら困るから、牢に入れたけどな」
男二人は、今しがた村長宅で起きた事を話した。
「……」
ギーグと呼ばれた男は、無言で牢がある方向を見た。