第四十三話 邪精霊を浄化せよ
前回までのあらすじ
子供達を救出した杏利達は、騒動の元凶である召喚術師とゾニアに立ち向かう。激闘を制した杏利達であったが、邪精霊ウンディーネは復活してしまうのだった。
よくあるパターンだよね。
「ガァァァァァァァ!!!」
ウンディーネは牙を剥いて吼え、杏利とキリエに向けて強烈な水流を放った。
アクロディア。二人が幾度となく使ってきた、水属性の上級魔法。
「「スパレイズ!!」」
水属性には雷属性だ。二人は呼吸を合わせ、同時にスパレイズを唱える。
だが、水流は電撃を全く通さず、それどころか押し潰して、そのまま二人に殺到した。
「くっ!」
杏利は咄嗟にキリエに向かって飛び付き、彼女を小脇に抱えて逃げた。二人が今いた場所に、小さなクレーターが出来る。
「弱点属性を通さないなんて、とんでもない魔力ね……」
キリエは呟く。純水は電気を通さない、というわけではない。そんな科学の常識は、魔法には通じない。魔力で生み出された雷は、例え純水であっても貫通して相手を襲う。
それが通じなかった理由は、単純に出力の問題だ。相手の魔力を大きく上回る魔力を込めて放てば、弱点属性による攻撃も一方的に打ち消せる。
強敵との戦いで多少なりとも消耗しているとはいえ、杏利とキリエの魔力は決して少なくない。だが、その二人が同時に放った弱点属性の魔法を、容易く押し潰してしまったのだ。
これが、精霊の力である。精霊とは、自然環境の具現。水の精霊であるウンディーネと戦うという事は、そのまま巨大な激流を相手にするという意味に直結するのだ。
「これ、勝てるの?」
ウンディーネから感じられる圧倒的な力を前にして、キリエは率直な疑問を述べた。
「無理に倒す必要はないわ」
ウンディーネに対して恐怖を感じているキリエに、杏利はそう返した。
「えっ? それってどういう事?」
「ウンディーネを実際に見たおかげでわかった。こいつは元から邪精霊だったわけじゃなくて、何かが原因で邪気を浴びて邪精霊になったんだわ。だから、邪気を浄化する事が出来れば、元の精霊に戻せるはずよ」
元がどんな性格の持ち主だったかは知らないが、少なくとも今よりはマシなはずだ。邪気を祓い、元の精霊に戻す事が出来れば、戦いを避ける事が出来るかもしれない。
「確かにその通りだけど、でもどうやってその浄化をやるの?」
「あたしがやるわ。キリエはウンディーネの気を惹いて」
「……オッケー」
杏利に何か策があるらしい。キリエはウンディーネの陽動役をする事になった。
「ガァァァァァァァ!!!」
ウンディーネが再びアクロディアを唱える。
「スパルビ!!」
二人は左右に飛び退いてそれをかわし、キリエがスパルビを唱えて命中させる。
「ウウウ……」
ウンディーネにダメージはない。纏っている魔力が強い上に、魔法を上級から中級にグレードダウンしたからだ。スパレイズなら多少はダメージが入ったかもしれないが、キリエの役目は陽動である。少しでも長く陽動を行う為、魔法のランクを下げたのだ。本当は初級までランクを落としたかったが、ある程度威力がなければ陽動にならない。中級でもダメージは入っていないが、怒らせるには充分だ。初級では威力がなさすぎて、気にしてさえもらえなかっただろう。
「ガァッ!!」
キリエの読み通り、ウンディーネは意識を彼女に向けた。無数の水弾を生成し、雨のようにキリエへと放つ。
「スパルビ!!」
キリエはそれをかわし、かわし切れないものはスパルビで相殺する。水弾は一発一発が、アクアロンに匹敵する威力だ。しかし、邪悪というよりは怒りに任せて暴れ回っているようだった。
「マジックシール!!」
隙を見てキリエは、新たな魔法を唱える。すると、ウンディーネの身体を淡い灰色の光が包んだ。マジックシール。その名の通り、五分間魔法の使用を封じる魔法である。
(これで少しは……)
有利になる。そう思っていた時、また大量の水弾が出現し、キリエに襲い掛かった。
「うそっ!?」
慌てて避けるキリエ。
これは魔法で作った水弾ではなく、空気中から水分を取り出して作った水弾だ。マジックシールは魔法を封じるのみならず、魔力の行使すら封じる。だがウンディーネは魔法とは別に、水を操る権能を持っているのだ。ここまで来ると、もはや災害そのものだ。
ここで、杏利が動く。キリエがウンディーネの注意を、充分に惹き付けてくれたと判断した。
「シャイニー!!」
ウンディーネの背後に回り込み、片手から白く輝く光の玉を浴びせた。
杏利がロージット達から学んだのは、攻撃魔法だけではない。回復魔法も学んでいる。
『傷を癒すだけが回復魔法ではありません。他者からの干渉や、良くない環境のせいで狂わされた精神を元に戻すのも、回復魔法です』
ロージットの言葉が、杏利の脳裏に思い返される。
『使う上で大切なのは、相手を優しく包み込む慈愛の心。邪悪を排斥するのではなく、傷付いた相手の精神を、自分が癒してあげようという優しさなのです』
それがこの魔法、シャイニーだ。恐慌状態の心を癒したり、操られている相手を元に戻したり、精神を支配している邪悪を消し去ったりする、浄化の魔法である。元から邪悪な存在や、自分の意思で悪の道に踏み込んだ者には効かないが、ウンディーネはそうではない。
「オ……オ……」
光は優しくウンディーネを包み込み、邪悪な精神を浄化していく。
「……ガァァァァァァァ!!!」
だが、完全に浄化するには至らず、ウンディーネは自分の右腕を水の鞭に変えて振り回した。
「ちっ、一回じゃ駄目か。ロージットさんに習って以来、ずっと使ってなかったからなぁ……」
しかし、全く効いていないわけではない。青黒かった皮膚から、かなり黒い色が抜けている。表情も、先程より少し穏やかになった。
「お前の魔法は間違いなく効いておる!」
「ええ。もう一回!!」
浄化が成功するまで、何度でも繰り返す。だが、ウンディーネが暴れ回っているせいで近付けない。
「任せて!! ラチェイン!!」
ならば動きを止めるのみ。キリエはラチェインを唱えた。ウンディーネの動きが止まる。ウンディーネの魔力は強すぎる為、マジックシールを使わずに唱えていたら、止められずに弾かれていたところだ。
「今よ!!」
「シャイニー!!」
キリエに促され、再度シャイニーを唱える杏利。マジックシールの効果時間も、あとわずかだ。これで決められなければ、ラチェインを破られてしまう。
(お願い!! うまくいって!!)
今度こそ浄化が成功するよう祈る杏利。エニマもキリエも、事態を静観している。
「ウォォォォォォォォォォォ!!!」
ウンディーネの姿は光に包まれていき、やがて見えなくなった。
光が消えた時、そこにはウンディーネの姿があった。だが、皮膚の色は清水のように澄んだ青になり、牙は普通の歯に戻って、表情は優しい笑みを湛えている。浄化が成功したのだ。
ウンディーネの浄化が成功した事に安堵していると、ウンディーネは杏利の右頬に口付けした。エニマの柄にも、そしてキリエの右頬にも。ありがとうと言っているのだろうか。キスを終えると、ウンディーネはどこかに消えていった。
「水というものは、すぐ濁ったりするじゃろ? しかし元の状態に戻すのは簡単ではない。それと同じで、水を司る精霊であるウンディーネは、精神も力も汚染されやすいんじゃ」
エニマの見解では、ウンディーネは濁った水のある場所に長くいたか、とてつもなく邪悪な意思に触れたりして、邪精霊になったらしい。
「一つ思ったんだけど、精霊がいるなら神様もいるって事よね? 神様なら、一発でウンディーネを元に戻せたんじゃないの?」
「簡単じゃろうな」
「だったら何で……」
精霊が実在する時点で、神もまた実在するだろう事は、わかっていた。だからこそ杏利はわからなかったのだ。神の力は精霊を超えているはず。いくら浄化に時間が掛かるとはいえ、神ならウンディーネをすぐ元に戻せたはずだ。それなのに、なぜ封印して人々に祈りを捧げさせるなどという回りくどい真似をしたのか。
「反省を促す為じゃろう」
「反省?」
「精霊が邪精霊化するのは、大半が人間のせいじゃ。自然に生かされている。その事に対して感謝を忘れ、環境を汚染し、人心が悪意に支配された時、精霊はその影響を受けて邪精霊になる」
全ての行いは、巡り巡って自分に返ってくる。恐らくウンディーネを封印したクリアレスは、ウンディーネが邪精霊化した理由を知っていたのだろう。
ウンディーネがやった事は確かに罪だが、彼女を邪精霊にしてしまった人間にも非はある。だからウンディーネを封印し、人々に反省の祈りを捧げさせる事によって、両者に罪を償わせる選択を取ったのだ。自分達の行動を改めなければ、いずれまた同じ形で災厄が返ってくるぞと。
「……あのウンディーネ、これからどうするのかしら?」
「さぁな。ウンディーネは、水のある場所に住みつく。またどこか、自分に適した水場を見つけて住みつくじゃろう」
召喚術師のせいで泉が消えてしまったが、ウンディーネは別の住みかを探して住みつくという。今度は邪精霊にならない事を祈るばかりだ。
村に戻ると、既に子供達は無事にたどり着いていた。召喚術師と超魔を倒し、ウンディーネを浄化した事を伝えた杏利とキリエは、村人達からもてなしを受けた。
そして、翌日。
「お二人とも、本当にありがとうございました!!」
村長が、村人達を代表して礼を言う。
「ところで、お二人はこれからどちらに行かれるので?」
「船に乗って、ペイルハーツに。私の故郷なんです」
「なんと、ペイルハーツにですか……」
村長は顔を曇らせる。
「海は現在とても危険な状態にあると聞いています。今からでも、陸路を使う事は出来ませんか?」
海では制海権を得ようとイノーザが派遣した多数の造魔兵が、海軍と激闘を繰り広げているらしい。また海賊や、狂暴化したモンスターもたくさんいて、非常に危険な状態だそうだ。
「大丈夫です。私結構強いですし、それに……」
キリエは杏利の片腕に抱きついた。
「頼もしい用心棒もついていてくれますから」
「ったくあんたは……あたしはまぁ、造魔兵がいるなら見過ごせませんし、このまま行こうと思ってます」
「そうですか? そこまで言うなら止めませんが、お気を付けて。旅の無事を祈っております」
こうして二人は、村人達に見送られながら、村を旅立った。
(この世界の海って、どんな感じなのかしらね)
杏利は自分がこれから向かう先を想像して、心を躍らせていた。




