魔王になった姫と、英雄になった騎士の噺。
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陽の光が降って注ぐテラスに立っている小さな背中が、とても遠いものに感じた。
太陽ではなく、月の光の中でこそ輝きを増す白金の髪、水のように隙間から入り込んできて全てを見透かして来るような、透明感のある水色の瞳。
その色はいつもと同じ、ルークとよく似た色のままなのに、強張った表情と真っ直ぐ眼下の民に向けられた目が何処か違うと思った。
民の、そんな彼女を見る目は様々だ。
忌々しげに、ともすれば憎むように見上げる人もいれば、興味が無いというように視線すら向けない者も居る。中には彼女を王と認め、言葉を待つものも居るが、数を比べてみれば極少数派であることだろう。
何とも言い難い、心地良いとは決して言えないその前に立つ彼女は、それでも仄かな笑みを絶やすこと無く面々を眺めて、口を開く。
ゾワリ、と背筋へとふいに走った悪寒にルークは嫌な予感がした。
何故だろうか。彼女がどうも普通の様子ではなく、覚悟を決めたような、そんな表情をしていたからだろうか。
彼女は王の責務を果たすために、言葉を発す。
どうしてか、それを止めなければいけないような気がした。
……いや、しかし此処で止めてしまえば王であり主である彼女に恥をかかすことになる。
けれど駄目だ。言わせたらいけない。
相反する勘と理性が、思考を埋める。そうしている内に彼は彼女の行動を止める機を逃した。
すぅっ、と息を吸った彼女の小さな口は、高い地の声を押し殺して威圧の篭った低い声を吐き出す。
「このアスプロ王国の民よ、我が収集の声によく集ってくれた。感謝する。
今回、こうして収集をかけたのは他でもない。――――――どうやら、君達の中には私を亡き者にし、新しい王を立てようとする反逆者が居るらしい。…………残念なことだ」
………彼女は、何が言いたいのだろう。
彼女の意図がわからず、ルークは黙したまま彼女を見た。斜め後ろから見える彼女の顔は皮肉げに笑っていて、内心考えていることを窺い見ることが出来ない。
彼女は続ける。
「だから私は今、此処で問おう。
…………私は、王には足りぬ器か?
私では務まらぬか。私が王では不満か。それとも唯、そなた等は私を受け入れることが出来ないのか」
応えない声と、答えない声。
それら全てを、ざわめく民の声を沈黙して聞き受けて、彼女は哂う。
「ふん。そうか、やはりお前達は私を――――この忌姫を王と認めるのが相当嫌らしい」
だったら話は簡単だ。と、時折王としての尊大な口調を崩しながら彼女は告げる。
何てことを言うのだと、聞いているルークの方が心配を怒りに転化させる程の言葉を彼女は発した。
「ならば、私を殺してみろ!!」
叫ぶように、威圧するように、圧倒するように、彼女は言った。
肝が潰れるような発現にルークは血の気が引くような感覚がして、止めなければと、一歩足を踏み出した。
「――陛下、」
絞りだすように声をかけるが、聞こえなかったのか、それとも敢えて無視したのか、彼女は何の反応も返さずに、彼女の発言に戸惑いざわめく群衆を見下ろす。
「…………どうした?」
反応を楽しんでいるかのように、彼女は言った。
「殺さないのか、私はお前達が厭う忌児だぞ?
殺したいのだろう? 殺せばいいじゃないか。
それとも、何だ。私を殺せない理由でもあるのか?」
“恐い”と、初めて彼女の民は、彼女のことをそう思った。
弱くて、大人しくて、反論も抵抗もしない少女。
王国の汚点のような存在でありながら王家に産まれ、現在は長の立場に居るだけのお飾りな国王。
…………無意識に、彼女を見下していた民は、ようやくこの目の前に立っている少女が、仮にも王であることを思い出し、恐怖した。
「…臆病者共が」
だからこそ、吐き捨てるようにそう言った彼女の言葉に、嫌悪の感情を持つ余裕のある者はいなかった。
それは驚きと心配がない混ぜになって息を詰めてしまっているルークも同じで、思い出したように呼吸を取り戻した時には、彼女の言葉が続けられていた。
「――――この国は腐っている。
白亜の美しき王国、だなんて過去の話。街並みがいくら綺麗であろうと、臭いものに蓋をして目を逸らしただけの今の状態を美しいだなんて私は言えない。
…………貴族は義務を放棄して民から搾取し贅を凝らし、苦しむ者に差し出される手など存在しない。
捨てられた子どもは盗みを働かねば生きていけず、医者は病人さえ食い物にする!」
感情的になってしまった彼女はゆっくりと息を吸って落ち着かせ、彼女の言葉に黙し様子を伺うように彼女を見上げる彼等に、慈悲深い微笑みを向ける。
「……そなた達はどう思う? この国の現状を。
私は、残念だ。…………私達が生きてきたこの国がこうなってしまったことが、とても悲しい」
だからこそ。と、彼女は言った。
ルークは今度こそ話を止めようと手を伸ばしたが、それに気づいた彼女が彼を見て子どものような悪戯っぽい笑顔を向けたことで気が削がれ、動きを止めてしまう。
彼女の口は、止まらない。
「――――この国の王になってしまったからには、私はその責任をとろう」
ざあっ、と風が圧迫するように吹き曝し、彼女の髪を浚う。
微かに身体をふるえさせる、血の気が無い頬の上をひとしずくの涙が伝った。
「……私は、
………っ、…………………わたしはっ!」
堪えようとしたらしい涙は止まらず、後から後から溢れて落ちる。余りにも久しぶりに見た彼女の弱さに、ルークは何も出来なかった。
……それは、どれだけ苦しかっただろう。
痛かったであろう。
どんな思いで、どれだけの覚悟で、それを決断したのか。
――――後に、彼はそう考える。
もしこの時彼女を止められていたらどうなっていたのだろうと、どうしようもない事を何度も思ってしまう。
彼女は言った。
説得力が皆無な程ぽろぽろと涙をこぼしながら、言い放った。
「っ――――この国を、壊そうと思う!!」
――――――齢十三にして王位を継がざるを得なかった王は、十五の歳、自らの民を敵に回した。
魔力を持って産まれてしまったが故に、忌姫と呼ばれ蔑まれた娘は唯一の理解者さえ置いて、孤立のまま王国に牙を剥く。
全ては国を守るために。
全ては民を救うために。
全ては、王国の膿を誘い出すために。
役目を終え、全てを失った王は、残してきた全てを託した従者に、最後の命令を決行させる。
…………彼は、ルークは感情を押し殺して、それに従った。
「っ陛下! 国王陛下…」
微かに息をするだけになった彼女の身体を抱きしめて、ルークはひたすら声をかける。
返事がある筈がないことはわかっていた。けれどこうして声を掛け続けていないと、今にも彼女が死んでしまいそうで恐いのである。
…………いや、彼女は死ぬのだ。それが彼女の望みであって、彼はそれに従ったのだから。
ぎゅっと、抱きしめる力を強くする。
「へ、いか……」
反応さえ返って来ない。
殺していた感情が爆発しそうになって、涙で視界がぐらりと歪んだ。
「……っひーさま!」
叫ぶように、呼ぶ。
幼い頃の、昔の呼び方に戻っていることにも気づかないで呼べば、ほんのうっすらと、抱きしめていた彼女の口元が開いた。
「――――るぅ、…く」
虫の息というのは、このような様子をいうのだろう。
掠れた声で彼を呼ぶと、彼女は不安を隠すことなく問いかける。
「……わたし、みんっな、を……すくえた、かな。――――おぅさま、なれて、た………かなぁ?」
『ルーク、私は王様になりたいの。正直まだよく解からないんだけど、
…………父様のように形だけのものではなく、本当の王に』
か細い声に、幼い頃聞いた彼女の声が重なって聞こえたような、気がした。
苦しそうに息をする彼女の姿に昔の面影を見つけて、彼の流した雫が、彼女の頬を濡らした。
「はい、」
唇が震えるのを無理やり動かして、彼は答える。
悲しみや後悔、彼女を殺すことになった原因へ抱く憎しみを全て堪えて、何でもないように、不器用に彼は微笑んだ。
「……貴女は、立派な王であらせられました…」
これ以上何か話せば気づかれてしまうと悟って、ルークはそう言ったきり唇を歯噛みして俯く。
開ききらない彼女の瞼は重そうに持ち上げられて、ぼんやりと焦点の合わない視線が彼に向けられる。彼女は弱々しく口元を綻ばせて、小さく囁くように、残りの体力を振り絞った。
「…………へたくそ」
顔を上げた彼と目が合ったのがわかったのか、満足気に息を吐いて瞼を伏せた彼女は、それきり、再び息をすることも、目を開くこともなく事切れた。
呆然と、それを信じることが出来ないルークは、まだ柔らかい彼女の顔に手で触れる。
温もりが、徐々にではあるが確かに失われていくのを感じ取って、胸に昏い穴が空いていくような感覚を味わった。
……彼女に触れた手を眺め、強く拳を握る。
全身が、どうしようもなく震えてきて、胸を掻き毟りたくなる衝動を抑えこんだ。
一度でもこの我慢が開放されてしまえば、未だ動くこの心臓を自分の中から抉り取ってしまおうとすることが自分でも解っているからこそ、潰れてしまいそうなほどに抑えこむ。
ルークは、彼女を抱きしめていた両手で、誰にも見られないように顔を覆う。
――――――声は、あげなかった。
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後の世に、彼等のことは伝えられたという。
“魔王”となった姫王と、“英雄”となった新王。
後になってから真実に気づいた民は、犠牲となった二人の王を祀って記念日を作った。
【魔王になった姫と、英雄になった騎士】
脚色を施して美談にされた絵本が、子どもの読み物や伝説として伝えられる。
国を建て直した後、彼女を追うように亡くなった彼のことさえ、美飾して語られる程だ。
「二人は来世で幸せになりました」なんて真実さえ解らない締め文句。
――――けれど、これだけはそのまま伝え続けられることになる。
死ぬ前に、彼が残した言葉。
彼女の唯一の理解者であり、騎士であり、従者である彼が告げた言葉。
『魔王、または忌姫と喚ばれた彼女。
イリアス・エンフォニア・アズライトは、真の王であった』
と。
自分の主人を殺すことになった原因、つまり民を憎み、恨みながらも、主人のために国の建て直しまで尽力したルーク君。
…………君、報われないなぁ。
とか、書き終わった後思いました。