教官レオン⑤
知っていることを何とか聞き出せないかと、顔を背けた教官の正面に移動する。しかし、そこで俺は異変に気がついた。
教官の顔は、真っ青になっていた。呼吸も荒い。額には汗が浮かんでいた。
「なっ、どうしたんだ!?」
「敬語はどうした……馬鹿餓鬼」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
こんな時までそんなことを言っている教官に、思わず声を荒げる。皆が異変を感じていた通り、やはりどこか具合が悪かったのだろうか。そうしている間にも顔色はどんどん悪くなっていく。
「……救護室だ。リカヴィルさんなら、事情を知ってる」
絞り出すようにそう言うと、教官の意識はぷつりと途切れる。倒れないように慌てて支え、言われた通り、救護室まで教官を背負って走った。
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「まったく、無茶しちゃだめだよ。運ばれてきた時は、本当に驚いたんだからね」
救護室に教官を担ぎ込むと、教官の言っていた通り何か事情を知っていたのか、救護部隊隊長のリカヴィルはてきぱき処置をしてくれた。今ではだいぶ落ち着き、ベッドで半身を起こしながら教官は頭を下げる。「最後の砦」での対応を見ているから、てっきりそうした礼儀は忘れてしまったのかと思っていたが、今は昔の教官に戻ったようだった。その表情は、どこか諦めきったようにも見える。
「すみません、世話になります」
「しばらくは、大人しくしてるんだよ」
そう釘をさし、リカヴィルは用事があるからと救護室を出ていった。
残された俺は、教官のベッドの傍に置いてある椅子に腰かけ、問いただすことにする。今回ばかりは、何でもないと言い逃れしても、きちんと聞き出さなければならないと思った。
「本当に、どうしたんですか?」
「こんなに起きてたの久しぶりなんだ、仕方ないだろ」
「え?」
「限界なんだよ、体力が」
むすっ、としながらも、観念したように教官は話し出す。どうして倒れたのか、そして、どうして黙って組織から姿を消したのかを。
「だいぶ前から……産まれた時から、ガタはきてたんだ。ひとより速く、俺の寿命は減っていく。そういう体なんだ。まぁ、そんなに先は長くないだろうさ」
あまりにもあっさり、教官はそんなことを言った。あまりにもあっさり過ぎるものだから、俺がその言葉の意味を理解するのには少し時間がかかった。
「……え?」
「今の説明じゃ理解できなかったか?本当に馬鹿だな」
「え、いや、あの……教官、そんなこと一度も……それに、そんな素振りも……」
「言ってねーよ、一部のひとにしか。あの頃は、まだやれてたんだ。魔法さえ使わなけりゃ、普通に生活できた」
「それは、アムールと同じってことですか?」
エイドの父アムールは、生まれつきコアエネルギーの量が少ない。それ故に、無理をすれば体調を崩して寝込むこともしばしばあった。しかし、教官は首を横に振る。
「アムールさんのは、生まれつきコアエネルギーの量が少ないってだけだ。俺の場合は、日に日にひとより速く魂が減っていく。なくなったコアエネルギーを回復する術は、今のところない」
「そんな……」
「なんだよ、お前は俺がいない方がいいんじゃねぇの?」
俺の方を見て、にやりと笑った教官だったが、俺は笑う気にはなれなかった。
5年間一緒にいて、それでも教官がそんなことになっていたとは気がつかなかった。当時は俺もまだ幼くて、教官も隠すのが上手かったということもあるだろうが、何か異変に気づくことはできなかったものだろうか。早くに気がついていれば、無理をさせることもなかったはずだ。あの頃の俺は、今よりかなり荒れていた。それに正面から向き合ってくれたのは教官だ。命がけで俺たちの相手をしてくれていたことは分かっている。今、こうして事情を知ってから改めて考えてみれば、本当に命がけだったのだろう。
教官がいたから、今の俺がある。そう言っても過言ではないくらい世話になった人だ。
「滅茶苦茶な人だと思ったことは多々ありますけど、いなくなった方がいいなんて考えたことはありませんよ」
「……そうかよ」
少し目を見開いた後、調子狂うなと呟いて、教官は窓の外に視線を移す。今日は久しぶりに雪も降っておらず、太陽が顔を出していた。温かい日の光が差し込む中、教官は昔を思い出すように話し出す。
「お前の訓練してる時に、魔法は一切使ってなかったろ?あれは、使わなかったんじゃない。使えなかったんだ。お前の事情は聞いてたし、容赦する必要なかったわけだからな。魔法が使えたら俺が使わないわけないだろ?」
確かにそうかもしれない。魔法を使わなくてもあれだけ強かったのだ。もし、そこに魔法も加えられたら今頃俺は生きていたか微妙なところかもしれない。
「そのお陰で俺は死なずに済んだのか……複雑だ」
「くく……命拾いしたな。まぁ、魔法が使えれば有利に戦闘は進められるんだろうけど、それがなくたって方法はあるもんだ。強さの在り方はそれぞれ違うんだよ」
でも、と教官は続ける。
「二十歳になった頃から、急に衰えが激しくなった。それで、とてもじゃないが訓練にはついていけなくなったんだ。それで、組織を辞めて実家に戻った。何も言わなかったのは、騒がしいのが嫌だったからだな、単純に」
「俺の前から消えたのも、それが理由ですか?」
「そうだな。これ以上は無理だと思ったからやめたんだ。本当は、少し厳しくしてやればお前の方から逃げ出すかと思って軽い気持ちで受けたんだけど、思いのほかしぶとかったからやめるタイミングが伸び伸びになってたんだよなぁ」
「それであんな滅茶苦茶な訓練してたんですか?」
「まぁ、結果的についてこられたんだから、そんなに滅茶苦茶でもなかったんだろ」
「えー……」
「まぁ、最初はな。後半は、少し違う理由だ」
少しだけ、教官の声が優しくなったような気がした。
「自暴自棄になってた時期もあった。戦闘部隊に入ったのも、いつ死んだっていいと思ってたからだしな。でも、まぁ、お前らを見てたら、少し考えが変わったんだよ。お前らが必死になって生きようとしてるのを見てたらな」
俺たちが、必死になって生きようとしている?
考えた事もなかった。俺はあいつを抑えるのに必死で、あいつは俺を飲み込もうと必死で……ああ、そうか。俺たちは、確かに必死になって生きようとしていたのだ。俺はあいつに消されないように、あいつは俺に消されないように。
俺は、自分のことはどうなってもいいと思っていたが、違った。俺も、生きようとしていたんだな。そう思うと、少し未来が開けたような気がした。
「俺には、もうそんなに先はない。でも、生きたいって思ってるやつを生かすために、もう少し頑張ってみようかと思ったんだよなぁ。我ながら馬鹿馬鹿しい。お前、なかなか力のコントロールができなかったから、覚えさせるのはあれくらい力技使わないと無理だったと思うぞ?」
「……否定はしませんが」
「だろー?」
俺は正しかっただろとでも言いたげな、良い笑顔だ。それが正しかったかはともかくとして、こういう嫌味なところがあるのが、教官である。こんなやり取りをしていられるのなら、まだ大丈夫だろう。大丈夫だと思いたい。
「あ、思い出した。お前の兄貴のこと、俺あんまり好きじゃなかったんだわ」
急に何を思ったのか、教官はそう言った。
「……エイドのことですか?好きじゃないって、なんで?」
「あいつからは、生きたいって意志が感じられなかったからな。なんか、ムカついた。今度あいつに会ったら、お前が俺の代わりに一発殴っとけよ」
「なんで俺が。やるなら自分でやって下さいよ」
「俺がいるうちに戻ってきたらな」
教官は、そう言って俺に挑発的な視線を向けた。少しその意味を考えてから、そうか、と思い至る。
「戻ってきますよ、絶対。連れ戻します、俺が」
「そうかよ。じゃあ、期待しないで待ってるか」
そう答えれば、教官は満足げに笑うのだった。
「さて、と。少し休んだら回復した。再開するぞ」
「でも、安静にしてないと……」
「俺の時間は限られてるんだ。無駄にしたくない」
こういう事情があることは分かったのだから、無理をして俺につき合うことはないのに。それでも、教官は仕事を投げ出す気はないようだった。
教官は、昔はいつ死んでもいいと思っていたらしいが、今は違う。1日1日を生きることに対して、きちんと向き合っている。本当に強い人だと思った。
そのあと救護室を抜け出して訓練を再開しようとした教官と俺は、リカヴィル隊長が監視として置いていったメディアスに見つかり、みっちり説教を受けることになった。




