教官レオン②
必要な部屋の確認を済ませ、会えたひとたちには挨拶を済ませてから、ソワンとレオンは別れた。もう少し付き添うと言ってくれたソワンの申し出を断り、自分は久々に戻ってきた本部の中をうろつく。
ここを離れて5年。その間に新しい顔ぶれがそろったものだ。新しい時間が流れている中で、レオンはひとり取り残されたように感じていた。
特に目的もなく気が向くままに廊下を歩いていたレオンは、前方から見覚えのある少女が早歩きで向かってくるのに気がつく。
「あー、お前は確か……」
「お久しぶりです、レオンさん。ファスの幼馴染のルーテルです」
レオンが思い出すより早く、ルーテルは名乗った。彼女とは、ファス関連で面識があった。あの頃と変わらない笑顔を湛えている。しかし、記憶の中の少女よりも美しく成長したようだ。
「そうだったな。また一段と綺麗になったじゃないか」
「ふふ、褒めるのがお上手ですね」
昔から、ルーテルはモテていた。それは、傍から見ていても明らかだったが、彼女がいつも見ていたのはファスだけだった。ファスも彼女のことは好いているはずだが、彼女が自分に向ける好意に気がついていない。とんだ馬鹿だと、我が弟子ながら思うのだった。
「あの馬鹿餓鬼には、手ぇ焼くだろ」
「ファスのことですか?うーん、あんまり考えたことないかな、そういうことは」
「相変わらず、変わらねぇな」
まったく、あいつにはもったいないなとレオンは思う。
しばらく近況などを話していたが、ふと、急にルーテルが真面目な顔で質問を投げかける。
「そういえば、レオンさんに聞いてみたいことがあったんです」
「なんだ?」
「最近、よくアンヴェールが出てくるんです。レオンさんは、アンヴェールのこと、どう思いますか?」
教官になるにあたって、レオンもアンヴェールの存在を知らされていた。それどころか、そのアンヴェールと何度も対峙し、ファスの特訓に付き合ったのはレオンだ。誰よりも、彼のことは知っている。彼が、今のようにおとなしくなる前の彼を。出会った当初は、本当に命がけで向き合っていた。今となっては思い出話として話せるが。
「んー?あの馬鹿のことか。そうだな、あいつらは違いすぎる。人格だけで考えるには、収まりきらない程度にはな」
「そうですか……私も、ファスとアンヴェールは別々の存在だと思ってます。それは、他のひとから見てもそうなんですね」
「それで、何でそんなこと聞いたんだ?」
こちらからも問い返せば、ルーテルは少し考えた後、話し出した。
「私にとっては、ファスも、アンヴェールも大切なひとだから。でも、お互いがお互いを消そうとしてる。アンヴェールの方が、ファスよりも後に生まれたことになると思うんですが、消そうとするならどうして生み出したんだろうって。必要ないなら、最初から生み出したりしないんじゃないかって」
「つまり、アンヴェールはファスが望んで生み出したものだと?」
「どうだろう、私の想像でしかないから」
彼女は、本当に彼らのことが大切なのだろう。きっと、本人たち以上に考えている。彼女は、ファスたちの過去について深くは知らないだろう。それなのに、ここまで自力で導き出すとは。
硬い表情のままのルーテルに対し、レオンは呆れたように微笑んだ。
「まったく、お前にこんな心配かけるなんてほんと馬鹿だな、あいつらは」
そして、ルーテルの頭をわしわしと撫でる。
「お前が心配してやることはないさ。これは、あいつらの問題だ。あいつらが解決しないと、意味がない。考えるのは、お前じゃなくて、あいつらにやらせろ」
「解決するかな?」
「だぁから、お前が心配するなっての。お前は、ただ信じてやれ。それだけでいい」
そこでようやくルーテルは頷き、それを見届けたレオンはその場を後にした。
エントランスの辺りを歩いていると、先ほど部屋の方に行っても不在だった戦闘部隊の隊長デモリスと顔を合わせることができた。かつて自分が所属していた隊の先輩であり、隊長に挨拶をしないわけにはいかないと思って探していたので、後からまた部屋を訪ねる手間が省けた。
「デモリス隊長、お久しぶりです」
「レオン、戻ったのか」
任務から帰還したばかりであろうデモリスは、レオンの姿を見つけると足を止めた。
「ファスの先日の一件で呼ばれたことは聞いている。すまないな、私の監督不足だ」
「いーえ、隊長が忙しいのは知ってますし、あの馬鹿餓鬼の責任ですよ」
レオンがここを離れたのは、まだデモリスが隊長になって間もない頃だった。3歳しか歳の差はないはずなのだが、随分と大きく見えるのはその実力あってのことだろう。当時から戦闘部隊の中でも群を抜いていたデモリスのことを、レオンも尊敬していた。隊の中で、唯一尊敬できたひとかもしれない。
デモリスは、レオンのことをじっと眺めてから、眉をひそめた。
「大丈夫なのか?」
「あいつのことですか?」
「いや、お前のことだ」
「あー、まぁ、それなりには」
自分のことに話題を振られたレオンは、気まずそうに言葉を濁した。そこから大体の状況を察し、デモリスはため息をつく。
「お前は、本当に優秀な隊員だ。ひとの生き方に下手に口を出す気はないが、戻る気はないのか?」
「もう使い物にならないのに?」
そう自嘲気味に返したが、デモリスは首を横に振った。
「そんなことはない。現に、お前はまだ必要とされているだろう」
「まさか、あいつのせいで呼び出しを喰らうとは思ってませんでしたよ」
「呼び出したのはソワン隊長だったそうだな。彼女が無理強いするとは思えないのだが?」
「……まぁ、最終決定したのは俺ですけど」
「放って置けなかったんだろう?彼女も、エイドの一件があってから、間を空けずにファスのことがあった。その話を聞かされて、無視できるほどお前も冷たくはないだろうからな」
不機嫌そうな顔になったレオンを見て、デモリスは苦笑する。
「まぁ、そう怒るな。私も、ファスのことは放っておけないんだ。これからは、もっと注意して見ておこう」
「そうしてもらえると助かりますよ」
「それから、ファスのことを抜きにしても、だ。私は、お前が戻ってくるなら歓迎する。私が戦闘部隊の隊長であるうちは、いつでもな」
「お言葉だけで十分です。俺は、自分の選択を間違っていたとは思ってませんから」
「そうか、お前がいいならそれでいいんだ。しばらくは、まだこちらにいるんだろう?また時間がある時にでもこの5年間のことを聞かせてくれ」
隊長として、器も大きいひとだなとレオンは思った。また会う約束をし、レオンはデモリスと別れる。
これからどうしようかと考えていると、ある顔が頭をよぎった。
あまり親しい者を作らなかったレオンだが、唯一友達とも言えるような同期の隊員がいた。もし他の支部に行っていればここにはもういないが、少し気になったレオンは、かつて彼が働いていた場所へと向かうことにした。
運搬部隊の使用している倉庫には、数年前にはなかった乗り物が増えていた。それを眺めながら倉庫の中を歩いていると、以前と変わらず、そこで熱心に仕事をしている彼に出会った。
「よう、ガレット。久しぶりだな」
そう声をかければ、首をこちらに向けた後、大きく目が見開かれる。そして、仕事の道具を手早く片付け、こちらへ向かってきた。
「レオンなのか?ああ、本当に久しぶりだな。まったく、俺にも何も言わないで出ていくから、どうしてるのか心配してたんだぞ?」
「悪かったって」
短く謝罪を済ませ、近況などを報告する。
レオンは、かなり痩せたことに対して体調を心配されたが、問題ないと軽く流した。
ガレットの方は、少し前までは南の方の支部にいたが、最近になって呼び戻されたとのこと。自分の後輩に優秀な操縦士がいて、彼が本部に帰還するのと同時に戻ったらしい。
「最近、不審な輩が増えているようだからな。その関係だろう。俺もその輩について、しつこく話を聞かれた」
「あぁ?なんでお前が」
「この印のせいだ」
ガレットは、自分の左頬を指差す。そこには、赤い切り傷のような模様が刻まれていた。
「これは、オーガ族の中でも南の方の種族、サウス・オーガ族特有の模様だ。これが、世界を騒がせている連中のひとりにもあったらしい。サウス・オーガの数はそれほど多くないからな。俺が何か知ってるんじゃないかと思ったんだろう」
「お前も大変だな。それで、何か知ってたのか?」
「これが役に立つかは分からないが、数年前にサウス・オーガの中であった揉め事の話をした」
「揉め事?」
ガレットはさらに詳細を続ける。
「とあるハーフのサウス・オーガの男が、人間の女と結婚した。それ自体は何ら珍しいことじゃない。ただ、生まれた子どもは破壊者と呼ばれていた」
「ふーん、破壊者ねぇ」
「生まれた子どもは全属性使い。その中でも、強い闇の力を持って生まれてきた。それだけならいい。だが、その子どもは、その力を破壊することにしか使わなかった。そのことで母親からも、サウス・オーガ族の間からも疎まれ、いつの間にかその子は姿を消していたそうだ。俺も、実家に戻ったときに聞いた話だが」
「力の使い方が分からない餓鬼か……どこぞのやつを思い出すな。ん?父親はどうした」
「その子が幼いときに別れているらしい。今はどうしているのか分からないそうだ」
「ふーん。名前は?」
「母親はアン、父親はラント、そして子ども……その娘の名前は──ルインディアだ」
その言い方に、レオンは首を傾げる。
「何か引っかかる言い方だな。その名前が不審な輩たちと関係あるのか?」
「ここまでは聞いていないのか。周知すべき情報だろうから伝えておくが、不審な輩のひとり、ルインディアという名の少女と対峙した少年がいる。お前もよく知っているはずだ」
「あの馬鹿餓鬼かよ」
今回も、不審な輩──たしか、デゼルとかいうやつと戦って問題を起こしたはずだが。どれだけ不審者と絡んでいるのだろうか。
「その少女と、サウス・オーガ族の血を引く少女が同一人物かは分からない。ただ、その少女に付き従っていたシランスという男に、サウス・オーガ族の印があったそうだ」
「なるほどな。そりゃあ、しつこくお前に聞いてくるわけだ」
自分が組織を離れている間に変わったのは、組織内部のことだけではなかったのか。一歩組織から出てしまえば誰も知らないような話を友から聞きながら、世界で起こる異変について、レオンは頭の中でひとつひとつ整理していった。
ただ、それが分かったところで、かつてのように戦闘部隊員として働けないことは、本人が一番よく理解していた。




