教官レオン①
リリリリリ!
めったに鳴らない電話が、珍しく仕事をしている。今はもっと新しい型の電話があるらしいが、古いタイプの黒い置き電話を今でも使っている。ほとんど電話などこない地域だし、それでまったく問題はない。
その電話が鳴るとは何事だ。そう思いながら、気だるげに椅子から立ち上がり、人間の青年は受話器を握った。
「はい、もしもし。詐欺ならお断りですよっと……なんだ、あんたか。何の用だ?」
電話の主は知り合いだったが、それでも珍しい人物からだった。ここ数年、音沙汰なかったというのに。そもそも、ここの番号を知っているひとが限られている。それは、あまりかつての知り合いと話したくなかったからでもあった。
この電話も、大した用でないならば切ろうと思ったが、電話越しに聞こえる声に元気がないことを察知した青年は、少しばかり話に付き合ってやろうと思いとどまる。
「俺も出た方がいいのか?……んだよ、報告だけですってか。いや、別に怒ってるわけじゃねぇし、戦力外だってことは分かってるよ。だから、組織を抜けたんだからな。にしても、だったら何で俺に連絡なんか……あぁ?どういう状況だよ、そりゃ」
面倒くさそうに話を聞いていた青年は、数分後にはアブソリュートの制服をクローゼットから引っ張り出していた。
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ロジャードの見舞いも兼ねて、俺は救護室を尋ねていた。ひとりにしているとまた出歩くかもしれないからと、メディアスからは見張りを頼まれている。
「デゼルは、結局まだ捕まってないんだね。あのとき、消滅しちゃった……なんてことは?」
「もしそうなら、お前も今ここにはいないだろうな」
「そ、そっか……じゃあ、逃げたのかな」
ゼロが言うには、あの後、デゼルの姿は見ていないのだという。ロジャードを早く治療しなければならなかったことと、俺がまた暴走するかもしれないという状況で、そちらに気がいっていなかったからかもしれないが、傷ついたロジャードと気絶した俺を途中で合流した他の隊員に預けてから確認しに戻ったときには、跡形もなかったそうだ。
「それにしても、ファスの中にもうひとりいるって聞いたときには驚いたよ」
俺は、ロジャードにアンヴェールのことを話した。信じてもらえるかは分からなかったが、彼に隠すのはやめようと思ったのだ。最初は驚いていたが、結果的に信じてくれた。
「どうにも、あいつとは合わなくてな」
「合う合わない関係なく、離れられないから難しいところもあるよね。喧嘩したらどうなるの?」
「喧嘩か……常に喧嘩してるみたいな状態だしな。どっちが表に出るかっていう」
「へぇ、じゃあ今も?」
「そうだな。気を抜けば出てくる」
「それ、抑えとくのってどうやってるの?」
「昔は、自分で抑えられなくて、しょっちゅうあいつと入れ替わってたな。でも、それじゃあ生活していくのに不便だからって、訓練したんだ。恐くて荒い教官がいて、その人に鍛えられたよ」
そんな話をしていると、背後から突然肩に腕がかけられる。もちろんロジャードではない。
「よお、馬鹿餓鬼」
そんな聞き慣れた、しかし久しく聞いていなかった声の主を見て、俺は目を丸くした。
「へっ?な、えっ!?何でここに?辞めたって聞いてたし、どこに行ったかも教えてもらえなかったのに……」
「久しぶりに会った教官に対して挨拶もなしか」
それは、俺を鍛えてくれた恐くて荒い教官、その人だった。今から10年前、俺が5歳でエイドの家に引き取られた時から、10歳くらいまで俺の訓練を担当してくれていた。最初に出会ったとき、教官は15歳。今の俺と同じ歳の少年だった。その時から、子ども相手でも容赦はなかったが。
厳しかったが、当時の俺の訓練を引き受けてくれる人が見つかっただけで奇跡だった。しかも、入隊したてだったであろう少年が、よく面倒を見てくれる気になったものだ。出会って1年経った頃には、すでに戦闘訓練が開始されていた。相手はもちろん教官だったが、やっぱり容赦はなかった。唯一の救いは、魔法は絶対に使わないでいてくれたことだろうか。聞けば、本人の入隊試験の時には魔法を一切使わずに首位に躍り出たのだという。そんな人が魔法を使ってきたら再起不能になる未来しか見えない。
しかし、教官は俺が10歳になった時、姿を消してしまった。組織も辞め、俺には何も告げず、突然に。どうしていなくなったのか、どこに行ったのか……聞いてはみたものの、誰も教えてはくれなかった。それから5年が経って、教官の代わりにエイドが訓練をしてくれるようになって、そのことは記憶の隅に押しやられていたのだが。
久々に組織の黒い制服に身を包む教官を見た。記憶に残る教官の姿は、今より黒髪は短く、体格も昔からがっしりしていたわけではないが、もう少し肉付きがよかったように思う。少し、いや随分痩せただろうか。それは、自分が大きくなったからそう感じるだけなのかもしれないが。とはいえ、身長はまだ教官の方が高い。
しかし、その見る者を従わせる目力は健在で、慌てて挨拶をし直す。
「っと……お久しぶりです、レオン教官」
「電話で呼び出されて来てみれば、すっかり礼儀忘れやがって」
あなたの方こそ態度は相変わらずだ、と思ったがその言葉は飲み込む。代わりに別の言葉を発した。
「呼び出されたって、誰に──」
「私よ」
救護室の入口から現れたのはソワンだった。教官を呼び出したのはソワンなのか。しかし、今になってどうして。前に教官の居場所を聞いても教えてくれなかったのに。
「レオン、急に呼び出してごめんなさい」
「おー、そうだな。俺はすっかり引退した気でいたし。この馬鹿餓鬼の顔も、もう二度と見る気はなかったんだからな」
「俺に何も言わずに消えたのは、どうしてなんですか?」
教官に聞いてみるも、素っ気なくあしらわれる。
「何でいちいちお前に俺の動向を報告しないといけないんだ?どうしようと、俺の勝手だろうが」
「でも!」
「うるせーっての。用が済んだら、さっさと帰るぞ、俺は」
「……用って何なんですか?」
いくら聞いても答えてくれそうにない様子に、別の質問を投げかけた。だが、それに返ってきた答えは思わぬものだった。
「お前の再教育だ、めんどくせぇ」
「はぁ!?」
思わず頓狂な声が出る。今更そんな、どうして。
しかし、理由を聞いてみれば納得せざるを得なかった。
「理由がどうとかは関係ねぇ。大事な時に力をコントロールできないんじゃ、使い物にならない。俺が教えたことは忘れちまったか?」
ソワンが教官を呼んだのは、今回の騒ぎのせいだろう。それならば、俺に反抗できる理由はないのだった。
「……よろしくお願いします、教官」
「ったく、手間取らせやがって」
面倒くさそうに教官は頭をかく。これからまた、容赦のない訓練が始まるのだろうか。死なないように頑張ろう。
「それにしても、よくここにいるって分かりましたね」
「あ?いや、別にお前に会うために来たんじゃねーよ。他に用があったんだが、今は留守みたいだし、出直すわ。久々だと、部屋の位置とか忘れちまってるな。案内頼むぜ、ソワンさん」
「ここ数年で、部屋の配置も多少変わっているし、仕方ないわ。行きたい場所があれば、案内は任せて頂戴」
俺の質問はさらりと流され、教官とソワンは救護室から出て行った。留守、と言っていたところをみると、誰か救護部隊のひとに会いに来たのだろうか。まぁ、久々に戻ってきたんだ、挨拶をしてまわっているのだろう。
俺は、これから忙しくなるであろう日々を思った。




