王③
どうにも、穏やかな生活が送れるようになるのは、まだまだ先の話らしい。
ウルカグアリの巫女ノエルが見つかって、少しは組織の仕事も楽になったと思ったのだが、先日の王位継承の件で再び慌ただしくなったようだ。もともとアブソリュートは王家と親しかったらしいし、その関係を今後も継続させていくためには誰が王であるか、ということも重要なのだろう。
俺は、誰が王ならいいとか、そういうことは分からない。今回は、本来次期王になるであろうと噂されていた王子ではなく、別の王子が指名されたとかで話が複雑になっているらしいが、そこまで問題になることなのだろうか。
ただ、今回の件を受けてなのかどうかは分からないが、デモリス隊長から直々に戦闘部隊全員に向けて気を引き締めるようにとの指示があった。ルーテルとあとで話したら、救護部隊の方でも同じような話があったらしい。この様子だと、おそらく全部の隊でそうなのだろう。何だか、不穏な気配がした。
講義が終わって廊下を歩くも、すれ違う隊員たちが話しているのは王位継承の件ばかり。なぜ、このような決定に至ったのか、様々な憶測が飛び交っていた。
しかし、そんな重い空気が漂う本部の中、鼻歌まじりに視界を横切る者があった。
「どこ行くんだ?」
「ちょっと仕事にね」
隊員ではない彼の姿は、ここではよく目立つ。思わず呼び止めれば、画家のアルテストはにっこり笑ってそう答えた。彼の腕には、画材道具が抱えられている。
「しばらく依頼を溜めていたから、そろそろ消化しないとと思ってね」
インダストリア邸での事件以来、彼は組織で保護されていた。その間、外で仕事をする時は護衛をつけなくてはならず、回数も限られていた。暇を持て余している時は、本部内でモデルを捜しては描いてを繰り返していたようなので、そこそこ充実していたようではあるのだが。
しかし、彼は世界的な画家である。魂を目視できるという彼特有の能力も相まって、依頼がなくて困るという事態に陥ることはまずないらしい。
「君もよかったら来るかい?君強いし、護衛も兼ねて」
「あー、俺は……試験も近いし、勉強しないと」
試験が近いのは本当だが、アンヴェールのことが頭を過り、その誘いは断った。隊員ならまだしも、一般市民にあいつは抑えられない。
「そうか、君も忙しいんだね。試験の方は大丈夫そうかい?」
「まぁ、普通だ。いつもは分からないところをエイドに聞いたりしてたんだけど、今回はそうもいかないからな」
「ああ、君のお兄さんだっけ」
エイドの名前を出すと、アルテストは思い出したように言った。前に俺の絵を描いてもらった時にエイドのことを話しはしたが、兄という言葉は一度も使っていないはずなのだが。
「だから、そういうんじゃないんだって。ただ、俺が世話になってる家の息子ってだけだ」
そう言ってやれば、意味ありげにアルテストは笑って返した。
「そうだったね、失礼。それで、どうして今回はそうもいかないんだい?喧嘩でもした?」
「そうじゃなくて、任務でしばらく帰ってこないんだ」
「おや、そうだったのか。それじゃあ、今回は尚更勉強を頑張らないといけないわけだね」
納得したのか、アルテストは激励の言葉をかけたあと、他の隊員たちを数名連れて、仕事へ向かって行った。場所はアイテール国内なので、それほど遠くはないらしい。
その姿を見送っていると、背後から情けない声が聞こえてくる。
「ファス~、勉強教えて……」
そう半泣きで縋ってきたのはロジャードだった。教えるも何も、こいつの方が俺よりも1年先輩のはずなのだが。
「俺はお前と1年違うんだぞ。聞いて意味あるのか?」
「去年の講義受け直してるやつもあるからさ、今一緒に受けてるやつだけでいいから教えてよ~。今年も駄目だとほんとにヤバいんだって、お願いします……」
「まったく……」
どうしようか頭を悩ませていると、聞き慣れた少女の声が耳に届く。
「ファス、ちょっと教えてもらいたいところが……って、あれ?」
ルーテルは俺に泣きつくロジャードを見て、首を傾げる。ロジャードはというと、ルーテルの姿を確認すると、泣いていたのを誤魔化すように、表情を一変させた。
「あっ、ルーテルちゃんも勉強?俺もやろうと思ってて、ファスに教えてもらえないか頼んでたんだ。えっと……ルーテルちゃんも俺と同じ講義受けてるのあったよね?教えてもらえないかな?」
「私で教えられる範囲であれば」
「やった、ありがとう~!!」
ルーテルは、まず断ったりしないだろう。案の定、了承を得たロジャードは両腕を挙げて喜んでいる。
そして、ちらちらと、お前はどうなの?と言わんばかりの視線を向けてくる。ああ、もう、分かったよ。
「分かったよ……ほら、図書室でやるぞ。早く行かないと席がなくなる」
図書館の方に歩き始めた俺を追って、ロジャードとルーテルがついてくる。いつもは、俺とルーテル、そして途中から混ざってくる他の何名かを相手にエイドが教えてくれていた。よくもまぁ、嫌な顔ひとつしないで教えてくれていたものだ。
そんなことを考えながら、試験に備えて勉強する隊員たちで混みあう図書館へと向かった。




