竜人の姫君④
その後、組織の方に対応を任せ、夜遅くには集落へと戻ることができた。
疲れていたが、サナキはどうにもすぐに眠りにつくことができなかった。組織から帰って来てからというもの、サナキの頭からはリードの言葉が離れない。
努力次第では、自分も空を飛ぶことができるかもしれない。ずっと夢を見続けていたことが、現実になるかもしれないのだ。
しかも、アブソリュートに入隊すれば、自分には絶対無理だろうと思っていた「仲間を守る」ということが、可能になるかもしれない。気持ちだけでなく、きちんと訓練を積めば、本当にできるかもしれない。
しかし、その決断をすれば、ここから出なくてはならなくなる。どんな時も支えてくれた仲間たちと離れなくてはならないのだ。
数日悩んだ末、サナキは結論を出した。
両親にその決意を告げれば、複雑な表情で考え込んでいたが、しばらくして、本当にそれでいいのかと尋ねられた。両親に相談するまで、だいぶ悩んだ。しかし、もうサナキは固く決めていた。
サナキの返答から強い意志を感じ取った両親は、心配そうな顔をしながらも、竜王様にもお伝えするようにと背中を押した。それに勇気をもらい、サナキは竜王の元へと歩みを進める。
だが、いくら決心したとはいえ、辛いことに変わりはなかった。それでも、今の自分にできる精一杯のことを、と選んだこの道が間違っているとは思わない。たとえ竜王に反対されても、何とかして説得する自信はあった。
しかし、すんなりと納得してくれないだろうと思うひとたちの顔も頭の片隅にあった。
森の奥深くに住む竜王の元へ向かうと、この間の密猟者の騒ぎのせいか、いつもより警護の数が多かった。その中にはオボロの両親、そして、納得してくれないだろうと思われるひとり、竜王の孫娘アリアリスの姿もあった。
サナキの姿を見ると、アリアリスは飛びついた。我ながらよく懐かれているなと思いながら、複雑な気持ちでアリアリスの頭を撫でる。
腰のあたりに抱きついたまま顔をあげたアリアリスは、サナキの顔を見て首を傾げた。
「サナ、どうしたの?どこか痛いの?」
「そんなことないですよ、いつもと同じでしょう?」
「ううん、いつもと違うよ?」
幼いながらも、この姫君には鋭いところがある。思ったままを率直に尋ねてきたのだろうが、サナキは言葉に詰まってしまった。
それを見ていた竜王が、アリアリスに言った。
「アリアリスや、少し遊んでおいで」
「サナも?」
にこっと笑って、少女がサナキの手を取る。
「オレは……」
「サナキは、わしと大事な話をしなくてはならないのじゃ。今日は別の者と遊んでおいで」
何と答えたものかと悩んでいると、竜王が助け舟を出してくれる。話があるとは、まだ言っていないのに、竜王はすべてを見抜いているかのようだった。
しかし、アリアリスはそれでも駄々をこねる。
「えー、サナと一緒がいい!!」
「アリアリス」
言い聞かせるように、強い口調で竜王は孫の名を呼ぶ。そこで、ようやくアリアリスは静かになった。
祖母を本気で怒らせてはいけないと分かっているアリアリスは、不服そうに頬を膨らませると、ぷいっとそっぽを向いた。
「いいもん、アリアひとりで遊ぶ。あとから来ても混ぜてあげないもん!!」
そして、誰かが言葉を挟む間もなく飛んでいってしまう。
「誰かついていっておくれ」
それを見た竜王はため息をつく。そして、慌てたようにひとりの竜人の女性が名乗り出た。
「では、私が」
そう言って、オボロの母親が慌てて後を追う。ふたりの姿が見えなくなってから、竜王はサナキに視線を向けた。
「アリアリスは、感受性のとても豊かな子じゃ。そなたの心の痛みも、あの子には分かってしまったのじゃろう」
そして、サナキに向けられた瞳がすっと細められる。
「それで、わしに話があって来たのじゃろう」
おそらく、だいたいの察しはついているのだろう。孫が孫なら、祖母も祖母で洞察力は並外れていた。
一度、大きく深呼吸してから、サナキははっきりと告げた。
「はい。オレは、ここを出ます」
それを聞いた周りの大人たちがざわつく。
「サナキ、お前は自分が皆と違うと気にしているようだが、お前は間違いなく私たちの仲間だ。考え直す気はないのか?」
そう問うたのは、オボロの父親だ。昔からオボロの家族とは仲が良かった。自分のことを、本当に心配してくれているのだということもよく分かっている。
彼だけでなく、サナキにとって、ここにいるひとたちは皆、大切だった。だからこそ、この決断を止めるわけにはいかなかった。
「竜の血を引く者は、仲間を何よりも重んずる。オレも、一応は竜の血を引いてます。これは、オレがみんなの仲間だと思っているからこそ決めたことなんだ」
タイミングとしても、あの先日の一件が関係しているのだと想像することは容易かった。仲間を危険に晒したくないからこそ、ここを出ると言っているのだと。
「竜族の誇りを持ってこその決断か、サナキ=ヴェイキュール」
それまで黙って話を聞いていた竜王が口を開いた。そこで、しん、と静寂が漂う。
「父と母には伝えたのか?」
「はい」
「……ならば、わしは止めまい。それがそなたの決めた道であるのなら、行けるところまで行ってみるのじゃ。しかし、ここを出たとしても、そなたはわしらの仲間。辛くなったら、いつでも戻って来るがよい」
竜王の言葉に、サナキは一礼する。まわりの大人たちも複雑な表情こそしていたが、サナキの意志を尊重することにしたのか、異を唱える者はいなかった。
竜王との話が終わったあと、さほど時間も空けずにオボロがサナキの元へやってきた。その表情は、怒っているのか、焦っているのか、悲しいのか、その全部が入り混じったようなものだった。
「サナキ、父さんから話は聞いた。本当に行くのか?」
オボロの父親があそこにいた時点で、こうなることは分かっていた。そして、彼女に納得してもらうことが一番困難であろうことも。
「ああ、オレは行くぜ」
それでも、サナキも自分の意志を曲げる気はなかった。オボロは、サナキに問いかける。
「姫様は……姫様はどうするつもりなんだ。一緒に守ると約束しただろう?」
「その約束は、ちゃんと守る。ただ、ここじゃない、別の場所からな」
「何で……」
「ここにいても、オレは姫様を守れない。むしろ、足手まといになる」
「そんなことはない!姫様も、お前と共に居たいと願っている」
声を荒げたオボロとは対照的に、サナキは冷静だった。
「だからって、何か危険が迫るたびにオレはお前に助けてもらうのか?やめようぜ、そういうの」
「私は構わない」
「オレが気にするんだ。もう、そういうのは止めたい。オレも、オレの力で生きていけるだけの力が欲しいんだ」
それを聞いたオボロは、ひどく悲しそうな顔でサナキを見る。
「そんな顔するなよ。二度と会えなくなるわけじゃないだろ?」
日が暮れ、オボロの両親が来るまで、彼女はサナキのことを説得し続けた。そして、サナキがここを出るその日まで、オボロが納得することはなかった。
サナキが竜の集落を出る日は、竜王と話してから1週間後の夜中となった。自分の父親に運んでもらうことになったサナキは、父が竜族であることがばれないように、姿を隠せる夜を選んだ。竜族は夜目が効くので問題はなかった。
アブソリュート本部に行った時、リードからこの集落の近くに支部があることを教えてもらっていた。何かあればそこを頼るようにとも言われている。今回、サナキが目指すのはそこだ。到着したら、まずは事情を話し、本部にいるリードに連絡を取るつもりである。
サナキの見送りには、多くの仲間たちが駆け付けた。
仲間たちは惜しみながらも、父親に運ばれながらアブソリュート支部を目指すサナキを見送っていた。その中にいたオボロは、去って行く幼馴染から目を離さずに呟く。
「なぜ、お前が行かなくてはならない、サナキ……」
その幼馴染の呟きを、サナキが拾うことはできなかった。




