ウルカグアリの巫女②
「そういえばっ、聞きましたか?ウルカグアリのノエルさんが、見つかった、そうですよっ!」
中庭で訓練用の剣を振りながら、アイテール王国第二王子ディンは練習相手の青年に尋ねる。
「ええ、聞いてますよ。無事で本当に良かった」
練習相手――ゼロの代わりにと、そのお相手に選ばれたのはエイドだった。ゼロの友人で、剣の訓練も受けており、かつ面倒見がよく王子に怪我をさせない程度につき合える者。ディンから誰かいないかと直々にお願いされた時、満場一致でエイドが指名されたのだった。
エイドに1本とられた後、休憩しながら話を続ける。
「犯人は捕まったんですか?」
「いえ、それはまだだそうです」
「そうですか……早く見つかるといいのですが」
「俺も以前、犯人と思われる人物と接触したことはあるのですが、取り逃がしてしまって。面目ないことです」
以前、アクスラピア――メディアスの故郷で対峙したデゼルのことを思い出し、エイドは眉を下げる。
「エイドさんは悪くありませんよ。アブソリュートの皆さんの仕事は本当に凄いと思います。僕にはとても真似できません」
「ありがとうございます、ディン様は優しいですね。なんだか、こうしてると昔の弟を思い出しますよ」
懐かしそうに目を細めるエイドに、ディンは首を傾げる。弟がいるという話は初めて聞いた。
「弟さんがいるんですか?」
「はい、ディン様より2つほど年下ですね。血の繋がりはありませんが、大事な弟です」
「へぇ、弟さんは今どうしてるんですか?」
「弟も、今年から組織に入ったんです」
「エイドさんと同じ隊ですか?」
「いえ、弟は戦闘部隊に」
そう答えるエイドの表情が少し曇る。
「そうなんですか。エイドさんは弟さんとも手合わせしてきたんですか?」
「そうですね」
「エイドさんを相手にしてきたのなら、弟さんも強いんでしょうね」
「今じゃ、もうあいつの方が強いかもしれませんね。ただ、俺としてはあいつを危険なことに巻き込みたくはないんです」
ディンにも兄姉がいる。母親は違うが、どちらも大切な家族だ。兄のアルベールは近いうちに国を背負って立つことになる。それが決して楽なことではないと、ディンも分かっていた。兄姉を想う気持ちはよく理解できる。
「最近は、この国でも物騒な事件が続いていますから、組織の方も大変ですよね。僕はまだ王族として未熟者です。でも、いつかこの国をもっと安全で、皆が安心して暮らせる場所にしたいと思うんです」
「お優しいディン様らしい考えですね。俺もそれを望みますよ」
和やかに会話していた2人だったが、急にエイドがはっとしたように辺りを見回す。どうしたのかとディンも同じように見てみたが、特に気になるものはなかった。
「今、何か声が聞こえませんでしたか?」
エイドの問いかけに、ディンは首を傾げる。
「声?僕たち以外の、ですか?僕には何も聞こえませんでしたけど……」
「気のせい、か?」
他に誰もいない、ディンも声など聞いていないと言う。空耳だったのだろうかとそれ以上深くは考えず、エイドはディンと手合せを再開する。
そんな2人を城内の窓から眺める視線があったことには気づかずに。
****
インダストリア邸での一件があった後、アブソリュートの本部に身を置いている画家のアルテストは、画家としての活動にも制限がかけられていた。彼に依頼をしていた客もいたが、その客たちの元へ描きに行くことが自由にはできなくなっている。行くとしても護衛をつけてだが、頻繁にそれをするのは難しかった。
だが、それでも彼が悲観することはない。むしろこれを機にと、普段はなかなか入ることのできない組織の内部を物珍しそうに見て回ってスケッチしたり、隊員たちにモデルを依頼している姿をよく見かけるようになった。
そんな日がしばらく続いた後、ウルカグアリのノエルが見つかったことでそちらの捜索をしていた隊員たちの手も空き、組織にも少し余裕ができた。それもあってか、俺に任務が振られることはここ最近ぱったりとない。講義はあるものの、任務がないという点では俺にも久しぶりにまとまった休暇ができたのだった。
それを見計らってかどうかは分からないが、アルテストが俺のコアの絵を描かせてくれと頼んできた。そういえば、そんな約束をしたんだっけか。
「絵のモデルになってくれるという話、こうして実現できてとても嬉しいよ」
特に断る理由もなかったので、俺はアルテストが本部にいる間使用することになっていた寮の一室で、彼とキャンバス越しに向かい合うように座っていた。
俺の部屋とさほど変わらない作りだが、そこはすでに彼のアトリエと化していた。部屋中に、組織に来てからの短い期間で描き上げたと思われる絵が並んでいる。時折それに目をやりながら、腕は確かなのだと実感した。
「コアの絵はないのか?」
今、俺が描いてもらっているのはコアの絵だ。彼が最も得意とするのはその分野だったはずだが、部屋をひと通り見てもコアを描いたと思われる作品はひとつもなかった。
「ああ、ここに来てからは今日まで描いてこなかったからね」
「隊員たちには結構声かけてたような気がしたんだけどな」
「あれは肖像画の依頼だよ。今まであまり描いてこなかったんだけど、少しそちらにも手を出してみようかと思ってね。コアの絵を描かなかったのは、やっぱり君ほど面白いコアを持っているひとにはまだ会ってないからかな」
「ふーん……面白いって、どう面白いんだかな」
ちょうどその時、描き終わったから見てごらんと手招きされる。言われた通りアルテストの方に回れば、キャンバスに描かれた黒い輪があった。よく見れば、その輪の真ん中には白い絵の具が塗られている。彼の使う絵の具には、自分のコアの力を練り込んであるのだと聞いた。確かに、黒い絵の具からは闇、白い絵の具からは光の力を感じる。
その絵を見た俺がまず思い浮かべたのは、白い絵の具の部分は俺、黒い絵の具の部分はアンヴェールを表しているのだろうということだった。
「君の魂は、白と黒。見事に綺麗に分かれているね。普通は混ざっている部分があったり複雑なんだけど」
「俺は単純にできてるってことか?」
そう問えば、アルテストは苦笑する。
「捉え方は人それぞれだけど、君の場合は単純というより純粋かな。混ざり気のない、とても美しい白と黒だ。ただ、面白いのはそこだけじゃなくてね」
そう言って、アルテストは黒い輪をなぞるように空中に指で円を描く。
「よく見てごらん。混ざってはいないけど、白い丸を黒い輪が取り巻いているだろう?まるで、守るみたいに」
守る、その言葉に俺は首を傾げた。
「守る?その解釈は違うだろ。抑えつけてる、の間違いじゃないか?」
「さっきも言っただろう?捉え方は人それぞれだ。ただ、私にはそういう攻撃的なものには見えないけどね」
この黒は、おそらくアンヴェールだ。
アンヴェールのことをこいつは知らない。だから、そういうことが言えるんだろう。あいつに会えば絶対そんなことは言えなくなる。でも、どうしてだろう。腕のいい画家だからなのか、確かにこの絵から嫌なものは感じなかった。
誰にでも不快にさせない絵を描くやつなのかもしれないし、やっぱりアンヴェールに守るなんて言葉はしっくりこない。でも、アルテストの解釈を理解できたわけではないが、この絵を見て悪い気はしなかった。
それにしても、俺のコアはこういう風に見えているのだろうか。コアを目視できる彼の力は珍しいものだ。他に聞いたこともない。
その力は生まれつきなのだと、前にロジャードが言っていた。
「その力、生まれつきなんだって?」
「コアが目視できるってことかい?そうだね、物心ついたときにはもう見えていたかな」
少し考えてから、アルテストは答える。
「でも、最初はこの力が嫌で嫌で仕方がなかった」
答えてから、アルテストはそう付け加えた。どういうことだろうか、今はその力で仕事をしているというのに。
「どうして?」
「コアは生きるエネルギー、魂そのものだ。だから、死の近い生命も分かってしまう。見えるコアの力が弱まっているからね」
率直に問えば、そう答えが返ってくる。そこまで分かってしまうのか。珍しい力だなとは思っていたが、そこまでは考えてもみなかった。
「魔法とも違うから、見たくなくても自然に見えてしまうし。昔は本当に嫌だった」
「今は、嫌じゃないのか?」
「今でも怖いと思うことはある。でも、この力があるからこそ、できることがあるんじゃないかと思ったんだ。そして私は画家になって、一生を残す仕事を選んだんだよ」
絵は、後世まで残る。特に、魂を見ることのできる彼は、モデルの生命を描くことができる。
「フェリス嬢のことは覚えているかい?」
「ああ」
フェリス=インダストリア。例の一件のあった屋敷の娘だ。もちろん覚えている。
「彼女にはふたり父親がいてね。ひとり目の父親は亡くなってしまったけれど、私が持ち出したあの絵――彼女のひとり目の父親が描いた絵には、確かに彼の魂が宿っている。あの絵と出会って、やはり私はこの仕事を続けたいと思ったよ」
肖像画をもっと練習しようなんて思ったのもそれに感化されたからだね、とアルテストは笑った。フェリスの生い立ちを詳しく知っているわけではないが、彼女にとってあの絵は大切なものだったのだろう。
自分の仕事に対する想いは分かった。しかし、インダストリア邸で燃え盛る炎の中に突っ込んでいった様子を思い出すと、複雑な気持ちになる。一歩間違えれば、こいつは今頃ここにはいない。
「でも、だからってお前が死んだら意味ないんだからな。残す残すって言っても、お前がいなくちゃ何も残らない」
「それは尤もだね。ありがとう、ファス君。君には本当に感謝しているんだよ」
インダストリア邸での出来事を指しているのだということは伝わったようだった。
「それにしても、私の力が生まれつきか、なんて聞いたのは君にも何かそういう力があるからなのかい?」
急にそう尋ねられた俺は、一瞬固まった。
「どうしてそう思う?」
「ひとは、自分に身に覚えのあることとか、聞いて欲しいことを逆に相手に聞いたりすることがあるからね。ただの深読みの場合もあるけど」
生まれつきかどうかは分からないが、アンヴェールのことを考えながら聞いたのは事実だ。そのあたりの読みの的確さは恐れ入る。
「それは……考えすぎだろ」
「そうかい、それは失礼」
含みのある言い方で、でもそれ以上聞いてはこなかった。
この力があるからできること。戦うことくらいしか思いつかない。アルテストも最初は自分の力が嫌だったと言ったが、見方を変えることでその力と向き合った。
でも俺は、あいつへの見方が変わるとは到底思えなかった。




