ウルカグアリの巫女①
ウルカグアリの巫女が見つかった。
そのニュースはすぐに世界中に知れ渡ることとなる。アブソリュート本部でも、その話でもちきりだった。組織の方でも、詳細は把握しきれていない。ただひとつ確かなのは、彼女を見つけたのはテミスの法管理局であったということだ。
どこにいたのかと思えば、彼女はアイテール国内にいた。しかも、本部からさほど離れていない廃村の寂れた廃屋の中に倒れていたのだ。人々はそのニュースに安堵すると共に、アブソリュートの仕事の雑さを噂した。しかし、アブソリュートでもその場所は捜索済みのはずだった。捜索が終わってから犯人、おそらくデゼルとその仲間が運んだのなら可能かもしれないが、その間ノエルはどこにいたのか。
国内での捜索も手を抜いていたわけではない。国内外へ移動しようにも、国境の警備は厳重になり、検問も設置されていた。公共機関での移動にも身分の確認が求められる。
アブソリュートの信頼が薄れる中、テミスへの評価は高まっていった。
アブソリュート本部の最高司令官室では、最高司令官ネオとテミスの法管理局の局長アンヘルがこの一件について話し合っていた。連日、詳しい話を聞き出そうと雑誌やテレビの記者たちがアブソリュート、そして法管理局へと押しかけている。その対応に追われる中、今だけはネオとアンヘルの間には落ち着いた時間が流れていた。
お互いに疲れた顔をしながら、それでも平常を取り繕う。
「ノエルさんの状態は?」
ネオはアンヘルに、テミスで預かられている巫女の様子を尋ねる。アンヘルの、いつもはよく手入れされた長い白髪からは艶が失われていた。疲労を完全に隠すことはできないが、いつもの調子をなるべく崩さないよう問いに答える。
「怪我もしていませんし、体調に問題はありません。ただ、事件のショックからか記憶が混乱しているようです。ここ数ヶ月どうしていたのかと聞いても、思い出せないと」
「記憶喪失ですか」
「いえ、ウルカグアリの親族などといった身近な者のことは覚えているようです。ただ、ここ数ヶ月の記憶が曖昧で、事情を詳しく聞くには時間がかかるかと。彼女の状態を考えると、家族の元へ帰した方が良いと思うのですがいかがでしょうか?」
「親族の記憶があるのなら彼女もその方が安心できるでしょう。記憶を思い出すにしても良い環境かもしれません。そして、家族もそれを望んでいる。異論はありません。ただ、組織の方から警備する者を派遣しましょう」
「それなのですが、先ほども申し上げた通り彼女の記憶は不安定です。アブソリュートの隊員の方にも彼女と会っていただいたことはありましたが、その時の反応は覚えていらっしゃるでしょう?」
「ええ……そうですね」
テミスでノエルが保護されているという話を聞いた組織は、すぐ現場へ急いだ。しかし、記憶が混乱している状態の彼女は、ひどく組織の隊員たちを恐れた。記憶のことを知らなかったとはいえ、いきなり押しかけたのは軽率な判断であった。
「彼女の記憶が完全に戻るまで、比較的彼女も心を許してくれている管理局の者を護衛につけようと思うのです。私直属の部下ですので、アブソリュートの方々に遅れは取らないかと」
「本来なら我々がすべき仕事ではありますが、彼女の意志を無視することはできません。どうするかは、彼女に決めてもらいましょう」
結果として、ノエルの護衛はテミスの法管理局が行うことになった。
そのことを各隊の隊長に伝える。反応は様々だった。戦闘部隊隊長のデモリスは反対こそしないものの、やれるのなら組織がすべきだったと言った。運搬部隊隊長のリードも似たような反応だったが、彼は今からでも組織も加わるべきだと説得している。彼らは若いが、よく頭の回る隊員だ。アブソリュートとテミス、世間の反応。そうしたものを含めて、彼らはそう言ったのだろう。
対して、2人と親友である諜報部隊隊長のテンダーはノエルの無事をまず喜び、その後で妥当な判断だと言った。ノエルをこれ以上怖がらせることは、双方にとって良くない。むしろ自分の首を絞めかねないと彼は答えた。いつもは奔放に振る舞うテンダーだが、組織の情報を牛耳っているのは彼だ。彼の行動にはいつも困らされているが、信頼はおける隊員だとネオは思っている。彼の同意には心強いものがあった。
そして、救護部隊隊長であり、ネオの先輩にあたるリカヴィルは決定を素直に受け入れた。長くネオのことを見てきたからこそ、彼の決定には何か理由があるだろうことを理解し、信頼を寄せている。何かあった時には全面的にサポートすると言った以外は、特に反論もしなかった。
作戦部隊隊長のソワンには、説明後も最高司令官室に残ってもらい、共に今後の方針を考える。ノエルは見つかった。しかし、犯人は未だ捕まらず。先日、ファスたちがタルタロスの森で出会ったシランスとルインディアという2人組も気になる。ひとつ解決しても、仕事がなくなるわけではなかった。
「近々、世界が大きく動く気がしてならない。ウルカグアリの巫女が見つかった。喜ぶべきことのはずなのに、素直に喜べないんだ」
「司令官……」
今まで彼が、これほど難しい顔をしたことがあっただろうかとソワンは思う。
「全属性使いとは何だと思う?」
突然そう問われ、ソワンは何だろうと思いながらも考える。
「深く考えたことはありませんでした。私の息子もそうですが、全属性使いだからといって、私たちと大きく変わるものではありませんから。ただ、すべての属性の力を扱えるということもあるので、まったく力の差がないとは思っていませんが」
答えてから、ソワンは首を傾げる。
「なぜ、それを私に聞くんです。全属性使いなら、あなた自身の方がよく分かっていらっしゃるはずでは?」
ネオ自身、全属性使いであった。わざわざ全属性使いではないソワンにそれを聞かずとも、自分が一番よく分かっているはずである。
「自分だけの考えに頼るのはよくないからな」
ネオはそう言ってゆっくり瞬きし、一呼吸の後に言葉を続ける。
「全属性使いであろうとなかろうと、大きく変わるものではない。私も、君と同じ考えだ。ただ、全属性使いのすべてがそう考えているわけではない。これはラウディ=ハーンから聞きかじった話だが、かつて全属性使いは神の子とされていたそうだ」
「神の子……」
「詳しくはラウディに聞くといいが、元々、コアという存在は創世の神が持っていたものらしい。神話の世界でこの世の創造神とされているのは?」
「エターノヴァ、でしょうか?」
それは、この世界の名前にもなっている。誰もが幼い頃に聞かされる話だ。ネオもその答えに頷く。
「そうだ。創世の女神とされるエターノヴァは6つのコアを持っていたらしい。それを受け継ぐ全属性使いこそ、神の子……いや、神そのものだと言う者たちもいるそうだ」
「神話を現実として捉えていると?」
「それが、まったく非現実だと考えることはできないようでね。文献もいくつか残っているらしい。ラウディが完全に否定しなかったのも気になるし、私もこの話は事実かもしれないと少し思っているよ」
歴史と言えばラウディと言われるほど、彼はそちらの分野に長けている。全属性使いが狙われる事件について意見を求めていたところ、この話が出たのだった。
話の流れから、ソワンはネオが一連の事件の背景に捉えているものを察した。
「全属性使いばかり目をつけられていることと関係があると?」
今回発見されたウルカグアリの巫女ノエル、世界的な画家のアルテスト、アブソリュートのメディアスとフォグリア。大きく話にはなっていないが、世界各地で全属性使いが行方不明になった事件が何件かあるらしい。
「これだけ続くとなると、無視もできないだろう。私なりに考えてみただけさ、導き出せる可能性を」
彼がこう言ったのは気まぐれではなく、エイドやラウディといった諜報部隊員たちが集めてきた情報と照らし合わせ、少なからず可能性があるからだった。
「私たちは、自分が思っているよりも大きなものと戦っているのかもしれないな」
ネオは立ち上がり、窓の外に目をやる。いつもと変わらない、様々な種族が住まうアイテール王国。自分の妻や子が生活する土地。大切な者たちが生きる世界。
しかし、そのいつもと変わらないことは少しずつ歪んでいく。日常の中に歪みを感じながら、ネオは世界の行く末を案じていた。




