タルタロスの森 中層⑤
「あたしは、この森で産まれた。でも、もうここに居場所はない」
辛そうに答えるフォグリアに、それ以上聞くことは躊躇われた。
「私は迎えにきたのだ。同じ苦しみを味わった者として」
眼前の黒いドレスの少女は、そんな彼女に右手を伸ばす。
「そなたは、その声を受け入れてもらえず、あの檻の中におったそうではないか。解放されてからも、皆から非難された。そうであろう?」
同意を求めるように問うが、フォグリアは黙ったまま少女の顔を見ていた。答えが返らないことに少し不満そうな顔をしながらも、少女は続ける。
「受け入れられぬのなら、破壊してしまえばいい。そうするために、力というものは存在するのだ。強大な力は、誰にでも与えられるものではない。まして私たちは全属性使い。神に選ばれた特別な存在なのだ。下等な者たちに臆する必要はない」
少女はマレディクスに冷ややかな視線を送った。それとは対照的に、フォグリアには親しみを込めた声色で話す。
「そなたも、私と同じ。案ずるな、それで正しいのだ」
さあ、と笑顔で右手を差し出す少女。
しかし、フォグリアは緩く首を横に振った。
「……がう」
「なんだ?」
フォグリアの小さな呟きに、少女は首を傾げる。そんな少女に対して、フォグリアは少女の言葉を静かに否定した。
「違うよ。あたしは、何かを破壊したくてこの力を持ってるんじゃない」
それを聞いた少女の表情は一転する。明らかに機嫌を損ねていた。それでもフォグリアは続ける。
「あたしは、この力を自分の意志で使える。だから、破壊するためには使わない」
「力は使ってこそだろう?使ってこそ、価値があるのだろう?破壊するために与えられた力を、なぜ使わない?」
少女はひどく不思議そうな顔で、信じられないものを見るような目をしていた。
「あたしだって、身を守る時には仕方なく使うことはあるよ。でも、破壊したいわけじゃない。そうするだけの力はあっても、使わない。それもひとつの選択だよ」
一貫してフォグリアは冷静だった。これまで見てきた彼女はどちらかというと騒がしい方であったが、こうも落ち着いた話し方ができるのだなと新たな面を知る。
「君は破壊するために特別な力を与えられたって言ってるけど、破壊するのって別に特別な力がなくても簡単にできるんだよ。生み出すことの方がずっと難しい、そしてそれを守ることの方が難しい。簡単に壊していいものなんてない。消えちゃうのは本当に一瞬なんだ。いくら後悔しても、戻ってこないんだから」
「そなたの父親を奪ったのが、そやつの兄であってもか?」
俺には分からない話だった。フォグリアも、少女も、大男も、そしてマレディクスも分かっているようだったが、俺は知らない話だ。ただ、今は黙って彼女がどうするか見守ることにした。彼女の瞳には、確かな意志があった。
「誰であっても、生命の価値は揺るがないよ」
そして、フォグリアはそう言い切った。それを聞いた少女はゆっくり後退し、分からん、分からんと呟いている。
そうしているうちに、マレディクスは立ち上がりフォグリアに歩み寄る。
「フォグリア、今まですまなかった!!」
そして、突然頭を下げたのだった。フォグリアは、困惑した表情でそちらを見る。
「なんで……なんで君が謝るのさ?」
「それをずっと言いたかったんだ。でも、いざお前に会うとなかなか言い出せなくて……」
「どうしてさ……君はあたしを恨んでるんじゃないの?」
「え?いや、お前こそ俺を憎んでるんじゃ……」
え、と驚いたように顔を見合わせる2人。どうにも話が噛み合っていない。
「君が謝ることないよ。あたしこそ、ごめんね」
「いや、お前が謝ることはないだろう?」
しばらくの沈黙のあと、フォグリアが口を開く。
「……何か、あたしたち勘違いしてた?」
「そうかもしれない」
困惑気味に、2人は頷き合っていた。
一方、少女は気に入らない顔で隣に従う男に尋ねる。
「分からん……シランス、どうしてあやつは力を使わん?そやつを消せば、すべて終わるではないか」
気に入らないものは壊す。彼女の振る舞いや言動は見た目よりも子供じみていた。
「お前はどう思う、ルインディア」
「ふん、そなたはいつも答えを教えてはくれないのだな」
ルインディアと呼ばれた少女は、不満そうに鼻を鳴らす。
「所詮はあやつも弱者であったということだろう」
その答えに、シランスと呼ばれた男はじっと少女の顔を見た。
「何か文句でもあるのか?答えを教えなかったそなたが悪いのだぞ」
「いや、文句はない」
シランスは首を横に振る。少女は不機嫌そうな顔こそしたものの、それ以上突っかかりはしなかった。
その代わり、少女の下した結論は俺たちに牙をむく。
「シランス、私はそやつらが気に食わん。壊してしまおうと思うが、そなたは見ておけ。私ひとりで十分だ」
強気な姿勢で少女が前に出る。
やはり、マレディクスを狙った攻撃は少女のものだったのだろうか。あの威力から察するに、なかなかの魔力の持ち主だ。
ざわ、と頭の片隅で何かが囁く。
「君さ、戦闘部隊3人を相手にするって意味分かってる?」
フォグリアはそう言って自分の得物をいつでも使えるように構える。マレディクスも腰の剣に手をかけた。シランスは少女に言われた通り、邪魔はせずに後ろで様子を見ている。
「3人?いや、1人で十分だよ」
そして、僕は少女の前に出た。
「僕からすれば、君は力があるうちに入らないと思うけどね」
様子が変わったことに、フォグリアは気がついたようだ。さすが勘が鋭い。彼女に関しては僕も警戒している。いつかきちんと手合せをしてみたいとも思う。まぁ、僕が勝つけど。
しかし、この目の前にいる少女は口ほど強くはないと思う。魔力に関してはその辺にいるやつらと比べたら相当高そうではあるが、その魔力に絶対の自信を持ち過ぎだ。
「ふん、いい加減なことを言いおって。闇の力において、私に敵う者などそうはおらん」
「闇の力か、そりゃあいい。僕も闇の力を使うんだ。そこまで言うなら試してみようか。僕とお前、どっちが上なのかを」
全属性使いであることは、先ほど少女が口にしていた。だが、全属性使いにも得手不得手はある。少女の得意分野が闇であったことは幸か不幸か。
その絶対の自信が砕けた時、少女はどんな顔をするだろう。自然と口角が上がった。
「ルインディア、止めておけ」
先ほどまで黙って見守っていたシランスが、突然間に割って入る。良いところなんだから邪魔をしないで欲しい。でも、彼は前回僕と顔を合わせている。気がついたか。逃げられる前に僕の攻撃が命中していたはずだが、もう治っているようだ。丈夫なやつ。
「何を恐れておる。私が負けるはずなかろう」
そう来ると思ったよ。
シランスはなおも止めようとしたが、少女は聞く耳を持たず、僕の申し出を受けた。
「面白い。そなたの身に、しかと私の力を刻み付けよ!!」
少女が巨大な黒い弾を両手で形成する。なかなかのものだ。でも、やっぱり僕を脅かすほどのものではない。
少女の攻撃が放たれる。随分と楽しそうに笑うじゃないか。滑稽だな。
「なっ、何!?」
僕は、右手一本でそれを受け止めた。そして、その魔力を吸収する。やはり、大きな魔力だ。僕と比べれば格段に劣るが。
攻撃が通用しなかったことに、少女は口を開けたまま固まっている。折角、魔力をチャージさせてもらったことだし、そのお礼をしようか。
「この程度で大きな態度とられちゃ面白くないなぁ」
お返しに、少女と同じ魔法、しかし少女の倍ほどの大きさの闇の魔弾を形成した。固まったままの少女は動けない。その程度か、思ってたより面白くない。もう少し頑張ってくれればいいのにさ。
僕の魔法が完成する直前、少女を庇うようにシランスが前に出た。
「交換条件だ。このまま見逃してくれるのなら、捕らえた隊員たちの居場所を教える。ただし、追撃してくるのなら、そいつらの命はない」
放心状態の少女は何も言わない。
「勝手にすれば?僕には関係ないし」
他の隊員がどうなろうと僕が知ったことではない。
でも、それを聞いた俺は黙っていなかった。
本当に、毎回毎回いいところで出てくるやつだ。
「うるさいって……おとなしく、して……なよ」
すうっと、瞳に黒が戻る。
「お前こそ大人しくしてろ」
「大丈夫、弟君?」
「……何とか」
何かあったら対処できるようにと、フォグリアは警戒してくれていたらしい。事情を知らないマレディクスは目を丸くしている。何はともあれ、被害が出る前に戻って来れてよかった。
「約束だ。教えてくれるんだよな?」
ころころ変わる俺の様子に、シランスは難しい顔をしていた。
しかし、気を取り直すと約束通り他の隊員たちの居場所を教える。
「捕らえた隊員たちは、外層にいる。魔法で土壁を作って植物を生やし、その中に隠していた。今、魔法を解いた。詳しい場所は、こいつに案内させよう」
そう言うと、男の背後から1匹の大型蜂の危険生物が姿を現した。攻撃態勢に入っている時の赤い目はしていない。その危険生物は男の言葉に従うように俺たちの前でホバリングしている。
「お前たちがこの森を出るまでは、危険性物たちを大人しくさせておく。そいつもお前たちを襲わない。だから、無駄な殺生はしないでくれ」
男に従う危険生物に驚きを隠せなかった。しかし、今は隊員たちを助けるのが先決だ。襲ってこないというのなら、男の言う通りにしてもいいだろう。俺たちは頷いた。
「ならいい。早く帰るんだ」
そう言い残すと、シランスは少女を抱え、暗い森の中に姿を消した。
「あいつ、よく分からないな。敵……なんだよな?」
前回もそうだったが、あのシランスという男からは戦う気が感じられなかった。彼らの目的が何であるのか、ますます分からない。
男が去ったあとも、蜂型危険生物は俺たちを約束通りさらわれた隊員たちの元まで案内してくれた。皆倒れていたが、眠っているだけのようだ。マレディクスによれば、一緒に来ていた隊員たちは全員いるらしい。仕事を終えると、危険生物はどこかへ飛び去って行った。
隊員たちの状態を確認していると、マレディクスがあっ、と声をあげる。そちらに顔を向ければ、木の根元に初めて見る6色の花が咲いていた。赤・青・黄・緑・白そして黒。こんな花があるんだな。
それを見つめながら、マレディクスは目を細めた。
「奇跡の花か……まさに、その名の通りの花だな。お前にぴったりだ、フォグリア」
「どういうこと?」
フォグリアも、その花を見るため近くに行く。俺は何となく行かない方が良い気がして、空気になることに徹した。ただ、話には耳を傾けておく。気にはなる。
「お前も全属性使いだろ?それに、この花は見れること自体が奇跡。もし見ることができれば、そいつには幸福が訪れるらしい。……なんか、勘違いしてたみたいだけど、俺はお前のこと嫌ってるわけじゃないから。辛い顔してほしいわけじゃないんだよ、フォグリア」
マレディクスは、そこで一度言葉を切ってフォグリアをまっすぐに見る。
「幸せになってくれ」
はっ、とフォグリアが息を呑む。
そして、少し泣きそうな顔をしながら、しかし嬉しそうに笑った。
「その花の言い伝えが本当なら、君も幸せにならなきゃ駄目だよ。はは、なんかもっと早く話してれば良かったね」
「まったく、その通りだな」
それからしばらく、心の底から笑うふたりの声が響いていた。
そして、何か事情はあるんだろうが状況がよく分からない俺は、非常にその場に居づらかった。




