ラウディ、親友の妹に振り回される③
最初は、仲間の妹という認識だけだった。
任務で一緒に配属されることの多かった同期のゼロとラウディは、友達と呼べる関係になっていた。まだ入隊してそれほど年も経っていない頃、任務の帰りにゼロの家を訪れたことがある。
裕福な家庭だと聞いてはいたが、想像に違わず立派な住まいだった。田舎から出てきたラウディは、故郷ではまず目にすることのない建物を珍しそうに眺めていた。
その時、ふと窓辺でため息をつく少女の姿を捉える。
「ゼロ、あそこにいるのは?」
「ああ、妹のレイリだ。私は少し家の者と話してくる。その間、よければ妹の話し相手になってやってくれないか?」
聞けば、身の危険を案じた両親に外出は制限されているのだという。簡単に遊びにも出かけられず、1日のほとんどを家の中で過ごす。何とも退屈そうな少女の顔を見たラウディは、ゼロの頼みを了承した。
「どうしたんだ、ため息なんかついて」
「えっと……あなたは?」
窓越しに尋ねれば、困惑した顔をする少女。兄と同じ色の瞳が、驚いたように見開かれる。
「俺はラウディ。ゼロの仕事仲間だ」
「お兄様の?」
「まぁな。それで、どうしたんだ?」
屋敷の壁に寄りかかり、ラウディは続ける。レイリは初対面の相手に戸惑いながらも、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あ、その……お兄様もそうですが、お母様もお父様も忙しい方なので、私はいつも留守番で……寂しいなって」
「メイドとかいるだろ、お前の家は」
「彼女たちは、あくまで私のことを雇い主の娘としか見てくれません。家族とは、やっぱり違うんです」
「友達は?」
「いることにはいますが、みなさん私に気を遣ってしまって……」
「まぁ、お嬢様だからな。どう接していいか迷うところもあるんだろ」
世界で名の知れた両親を持つ彼女は、やはり周りから一目置かれていた。本人が望んだことでなくとも、それはこれから先も続いていくだろうことだ。
「でも、あなたは普通に話しかけてくださいましたね」
少女は首を傾げる。
初対面の相手に、しかも仮にもお嬢様に対する態度としては砕けすぎていたかもしれない。しかしながら、そんなことをいちいち気にするのはどうにも性に合わなかった。
「俺は、お嬢様だからとかいう理由で対応を変えたりはしないからな。任務なら仕方がないが、任務でもないのにいちいち気を遣わなくちゃならないなんていうのは、俺の性分に合わない」
それを聞いた少女は、ぱあっと表情を綻ばせ窓から身を乗り出す。
「ええ、ええ!ぜひ、そうして下さいませ!」
危ないからとそれを慌てて押し戻し、ラウディはレイリに言う。
「お前も俺に対して敬語はいらないぞ」
自分がこれだけ砕けた口調で接しているからには、相手に敬語を強要する気はない。しかし、少女は困ったように小さく唸る。
「あ、でもこれは癖のようなものでして……私も、いちいち対応を変えてはいられませんので、よほど不快でなければ我慢して下さいませ」
よく頭の回る少女だと、ラウディは思った。ゼロといる時には、まず考えられない切り返しだ。少しばかり、この少女に興味が湧いた。
「お前がいいなら、それでいい」
そう言って、ラウディは1冊の本を手渡す。茶色の表紙の、数百ページはある厚めの小説だ。6人の勇者が手を取り合い、世界を魔王から救う物語。ありきたりな話ではあったが、どうにもこの本だけは借りるだけでは飽き足らず、購入に至ったものだった。どうしてそこまで執着したのかは当の本人もよく分かっていないが、何か引き付けられるものがあったのは確かだ。
「これは?」
「ここまでの電車の中で読んでた本だ。暇なら読んでみるか?」
「いいのですか?」
「1週間後、任務が終わったら取りに来る。その時に返してもらえればいい」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに少女はそれを受け取った。そして、思い出したように言葉を続ける。
「そういえば、まだ名乗っておりませんでした。私は、レイリ。レイリ=グランソールと申します」
レイリは、にこりと微笑んだ。
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「あれが、どうしてこうなったのか……」
会っていなかった間に起こった出来事を休むことなく話し続けるレイリに付き合いながら、少し前のことを思い出したラウディは呟く。まさか、あの出会いがこうなるとは思っていなかった。
「何かおっしゃいましたか?あら、結構話し込んでしまいましたわね」
昼過ぎにやってきたことを思えば、そこから2時間は優に過ぎていた。
「私ばかり話してしまいましたわね……ラウディ様は何かありませんか?」
そう話題を求められ、少し考える。思いついたのは城勤めをしている時にゼロから聞いた話だった。
「そういえばお前、母親の仕事を手伝いたいんだってな」
「お兄様から聞いたのですか?」
以前、レイリが組織への入隊を考えているという話を聞いたことがあった。それはゼロたちが阻止するだろうと思っていたが、方向性を変えていたことを知ったのはつい最近だ。妹のこととなると話がなかなか終わらないゼロが口を滑らせて知ったわけだが。
「想像に任せる。それで、どうなんだ?」
「ええ、その通りです」
レイリはそれを肯定する。
「それにしても、どうして貿易商なんて。言っちゃあれだが、働かなくてもお前は不自由しないと思うぞ?」
「それが嫌なんです。私も、誰かに頼るばかりではなく、自分の力で生きていきたい。それに、今まで家に閉じこもっていた分、外の世界を見てみたいのです」
「その反動ってやつか。まぁ、焦らず決めればいいさ」
彼女も、いつまでも子どもではない。ずっと守ってもらう生活を送る気はないのだろう。そう進むと決めたのなら、それでもいいのではないかとラウディは思った。ただ、そうするためにはまず家族を、特にリーンあたりを説得する必要があるだろう。きっと、そこが一番の難関だ。リーンも昔、仕事中に襲われたことがある。そのことが足を引っ張らなければいいがと、他人事ながら心配だった。
「ラウディ様は、どうして組織に入られたのですか?」
自分の将来の話をしていて、相手の職へ興味を持つのは自然な流れかもしれない。
久しぶりにそんなことを聞かれ、入隊するに至った経緯を思い出す。散々、組織の諜報部隊は危険だと言っておきながら、そこに自分がいることの矛盾を。
「俺には、知りたいことがある」
「知りたいこと?」
ラウディは目を閉じた。
幼いころから、同じ風景を見る。それは夢であったり、ふとした瞬間に脳裏に浮かぶものであったり様々だ。もちろん、ラウディはその風景の場所に実際に行ったことはないし、本当にある場所なのかも分からない。
だが、知っている。なぜか、その場所には見覚えがあった。
いくら図書館で本をあさっても、答えは見つからなかった。
そんな時、組織のことが頭を過った。アブソリュートには、世界各地から多くの文献が集まっている。重要な文献も、もちろん数多く含まれていた。しかし、そうした文献は諜報部隊など、情報を司る部門の上位にしか開示を許可されない。どれだけ時間をかけても読み切ることは難しいかもしれない量だが、その中になら子どもの時から疑問に思ってきた風景の答えがあるかもしれなかった。
そんなあるかも分からないもののためにこの道を選んだのかと言われればそこまでだが、その風景は今もまだ時折見る。そして、それは日を追うごとに、特に最近は鮮明になってきていると感じていた。
言葉を解する種族は、古くから知識欲を持って産まれてくる。知らないことを知りたい。見たこともない風景を知っている理由を知りたい。それが、彼が組織の諜報部隊に入った目的だった。
それだけの理由でと思われるかもしれない。だが、どうしても知らなければいけないような気がしてならなかった。何がどうしてそう思わせるのか、それは分からないのだが。
「この話は止めよう。レイリ、やるって言うなら、努力しろよ」
「は、はい」
訳ありげに話を切ったラウディに、レイリはそれ以上深く聞くのは止めた。
未だに理由の分からないまま見続ける風景に、ラウディは好奇心と、そして不安を覚えていた。




