ラウディ、親友の妹に振り回される②
「お嬢様!レイリお嬢様!!」
「そっちは?」
「駄目です、いません!!」
天気の良い昼下がり、アイテール王国の城下町の一角にあるグランソール家の屋敷で、慌ただしく動くメイドや執事の姿があった。口々に、この屋敷に住む少女の名を叫んで敷地内を走り回っている。首都の中でも有数の豪邸であるグランソール家の敷地面積はそれなりに大きく、隅から隅まで調べるのは大変だ。
しかし、こうしてそんな状況になっているのは、少し目を離した隙にレイリがいなくなってしまったからだった。
実のところ、こうしたことは初めてではない。大抵、ひとりで屋敷から抜け出して城下町へと出かけてしまっているのだ。せめて一声かけてもらえればメイドたちも同行するのだが、会いたい人のところへ行くときに、どうしても他の人に邪魔をされたくないというのがレイリの心境だった。
しかし、彼女は母の影響もあって国内有数の富豪の娘である。さらに、世界組織アブソリュートの最高司令官である父の存在もあって、ただの少女というわけにはいかなかった。悪いことに利用しようとする輩がいないはずもない。
事実、危ない輩に声をかけられているところを急いで救出したというエピソードもあるため、楽観視はできないのだった。身内が組織に属していることもあって彼女も多少の護身術はたしなんでいるが、それでも戦闘能力に関しては一般市民であることに変わりはない。
彼女の身を案じて、ひとりでの外出は禁じられているが、規律に厳しいゼロと違ってレイリは時折それを無視する。メイドたちに迷惑をかけていることは承知の上でも、どうしても彼に会いたいと出ていってしまうのだ。
レイリの脱走が起こる度に彼女にはきつく言い聞かせ、注視してはいるものの、時間が経って注意が逸れてきた頃合いを狙ってまた同じことが起こる。今日もそれだった。
「はぁ、どうしましょう……おひとりで外出しないようにとあれほど注意しましたのに」
捜索を続けながらメイドがため息を零す。
「また、あの方に会いに行かれたのでしょうか?」
「そうでしょうね」
「お嬢様もお年頃ですし、気持ちも分からなくはないですが……」
「お嬢様は、いつ誘拐されてもおかしくはないお立場にあるのですよ。私たちはお嬢様をお守りせねばなりません。全力で探しますよ」
メイド長の言葉に頷くと、再びレイリ捜索が始まった。
人ひとりがようやく入れるかという地面に掘られた穴を進みながら、時折ちらりと後ろを振り返り、追っ手が来ていないか確認する。ようやく日の光が見えた。背後には誰もいないようだ。
「追っ手はいませんね……やりましたわ!」
穴から脱出し、穴の中を覗き込んで少女は歓喜の声を漏らした。しかし、外に出た先に誰もいないというわけではなかった。
「なーにが、やりましたわ、なんだ?」
穴を覗いていたレイリの背後から、呆れた顔でラウディが声をかける。
屋敷に行ってみれば肝心のレイリの姿はなく、代わりにメイドたちが困った顔でその行方を捜していた。以前、レイリと話す機会のあったラウディは、屋敷の庭にこっそり作った隠し通路があるのだということを彼女から聞いていた。どうやって作ったのか、勝手に作っても大丈夫なのか、色々と聞きたいことはあったが軽く聞き流していたことだ。
だが、もしかするとその経路を使って脱走したのではないかと思い当たったラウディは、屋敷の敷地から出て、屋敷裏の庭にある茂みの中から外へ繋がるという隠し通路の出口へ向かった。そして、案の定それは正解だったようだ。
ばっ、と勢いよく振り返ったレイリは声の主を見て顔を綻ばせた。
「ラウディ様、お久しぶりです!」
頬についた砂を手でこすり、少し恥ずかしそうに微笑むレイリを見てラウディは困ったように眉を下げる。これはまた自分が原因であることが確定しそうだった。レイリを探して駆け回るメイドたちのことを考えると、どうにも申し訳なくなってしまう。
「レイリ、あんまりメイドたちを困らせるなよ」
「でも……」
レイリは俯く。
「まったく、そんな顔するなって……ほら、戻るぞ。メイドたちが捜し回ってる」
「でも、屋敷に戻ったら……」
ちらちらと上目遣いで、何か言いたげにラウディの方を見る。そこから言いたいことを何となく察したラウディはひとつ大きなため息をついた。
「すぐには帰らないから大丈夫だ。元々、俺はお前に会いに来たんだぞ。だけど、行ってみたらお前はいないし」
なかなかうんと言わないレイリにそう言ってやれば、安心したようにころりと表情が一転する。
「そうだったのですね!分かりました、帰りましょう」
その後はすんなりと、むしろ足早に屋敷の正門へと向かうレイリの姿があった。
正門に着くと、彼女を捜し回っていたメイドたちがほっとしたような顔で彼女の周りに集まってくる。ラウディはレイリと共に事情を説明した。
もう勝手にいなくなってはいけませんよ、と口々にお叱りを受けながらも、レイリはどこか嬉しそうだった。
ひと通りそれも終わると、汚れてしまった服を着替えるからと、ぱたぱた走ってレイリが屋敷の中へ消えていく。迎えにいくから応接間で待っていてくれと言われ、彼女の姿が見えなくなったあと、ラウディは屋敷へと歩みを進めようとした。
しかし、いきなり背後からかけられた声に引き止められる。
「ラウディ様、ありがとうございました」
気づけばいつの間にか背後に立っていたのは、白髪の人間の老人だった。この屋敷の庭師をしている男だ。老人は礼を言うと、深々と頭を下げる。それを見ながら、ラウディは老人に尋ねた。
「庭師の……あんた、気づいてるんだろ、あの隠し通路」
隅から隅まできちんと手入れの行き届いた庭の一角に、人が通れるほどの穴が開いているにも関わらず知らないというのは考えにくい。
頭を上げると、庭師の老人は穏やかに微笑んだ。
「はは、お気づきでしたか。さすがは諜報部隊の方ですな」
「褒めていただけて光栄だな、大先輩」
「おやおや、そこまでご存じで」
それを聞いた庭師の老人は目を丸くする。ラウディは、彼がかつて組織の諜報部隊に所属していたことを知っていた。ラウディからすれば大先輩だ。
「いいのか、放っておいて」
「そもそも、あの通路を作るのを手伝ったのは私ですからな。こんな堅苦しい生活は、ゼロお坊ちゃまくらいしか耐えられるものではないでしょう」
「まぁ、それはそうかもしれないけどよ……」
ゼロの名前を出され、あいつは耐えるどうこうの話ではないだろうなとラウディは思う。
「外に出かける時には必ず私に一声かけるというルールは守って下さっていますよ。そして、レイリお嬢様が出かける時には、毎回こっそり後をつけさせていただいております。お嬢様には内緒ですよ、怒られますからね」
「前に危ないところを助けたっていうのは、あんたか」
「左様でございます」
庭師は頷いた。
その時も、ラウディに会うために屋敷を抜け出したのだのだった。間一髪のところで屋敷の者に助けられたと聞いていたが、そうした裏があったのか。
だが、元はといえば脱走を手助けしたのはこの男だ。危険だと分かっているのなら止めるべきではなかったのか。しかし、脱走しようと思い至った原因が少なからず自分にあることも分かっているため、この庭師を責める気にはなれなかった。
以前、ラウディが屋敷を訪れた時に、遠回しではあるがレイリとお付き合いすれば落ち着くのではないかという趣旨の話をメイドから言われたことがある。しかし、それはないとラウディは否定した。彼女はまだ若い。今まで近くに父や兄くらいしか男性がいなかっただけで、もっと大人になればいいやつが見つかるはずだ。彼女と付き合いたい男は山のようにいる。だから、安易に組織の、しかも諜報部隊の奴を選ぶべきではないと、そう答えたのだったか。
裏の仕事の多い諜報部隊は他の隊と比べて目立たないが、ある意味で戦闘部隊以上に危険な仕事を受け持っている。任務中に消された仲間が何名いたことか。
「諜報部隊は、確かに危険です」
心を見透かしたように、庭師は口を開く。ラウディは、はっとしたように老人の顔を見た。
「私も悩んだ時期はありました。しかし、私はまだ隊にいる頃に結婚し、今は孫もいます。妻とは何度も話し合いました。私と共に在ることで起こるあらゆる可能性を提示しました。それを承知の上で、彼女は私と結婚したのです」
自分より先を歩く男の過去に、ラウディは静かに耳を傾ける。
「安易に決定はできません。しかし、一度きちんとお嬢様とお話しした方がよろしいのではないかと思います。お嬢様は強い方でございます。どのような選択であれ、納得した結果であれば受け入れるでしょう。お嬢様のためにも、あなたのためにも、どうかお考えください」
庭師の老人が話し終わったところで、屋敷の中からレイリがラウディを呼ぶ声がした。
「……助言、感謝する」
軽く一礼し、ラウディは自分の名を呼ぶ少女の元へと向かう。そして、その背中をどこか懐かしそうに庭師は見つめていた。




