アイテール城にて④
ゼロとラウディがそれぞれ帰路につくころ、グランソール家の一室では長い白髪を後ろで緩く結わえた少女が、落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返していた。
兄と同じく黄金色の瞳が特徴的な、妹のレイリ=グランソール。今日のレイリは、茶色を基調とした、落ち着いた色合いのドレスに身を包んでいる。貿易商を営む母が持って帰ってきた、他国の珍しいデザインの服だった。
他国の珍しいものをよく持って帰ってくる母だが、服に関してはどうにも普段着るには派手なものが多かった。母自身はスーツをきっちりと着こんでいたり、私用でもドレスはまず着ない。しかし、レイリやゼロに買ってくるものは外に着ていくのが躊躇われるものばかりだ。
母曰く、似合うかららしいが、それとこれとは話が違う。いくら似合うとしても、それを私服にはできない。リーンには夢見がちなところがあり、こういうおとぎ話にでてくるお姫様か何かが着ている服や、悪者から助けてくれる王子様のような存在に憧れている。実のところ、ネオに一目ぼれしたのも、仕事中船が襲われていたところを偶然通りかかったネオに助けられたからだった。服に関しては、あくまでも自分が着るのではなく、誰かが着ているのを見て満足しているようだが。
レイリとしても、母がくれたものは嬉しい。しかし、年頃の少女としては周りの目が気になることもある。兄に相談しても、ゼロはまったく気にしない性分なので、相談しても無駄なのだった。仕方なく、母がいない時はメイドたちに頼んで買ってきてもらった服を着るようにしている。
しかし、世界中を旅して回る母の仕事には憧れを抱いていたりする。ひとりで外出するのは危険だからと止められているため、自由に外出はできない。だが、いつか自分も世界を見てみたいと、アイテール王国の外の世界を旅することを夢見ていた。
いつもなら、ため息をつきながら時間を潰しているところだが、今日は特別だった。
母が持って帰ってきたものの中でも、なるべく派手ではない服を選んではいるが、いつもは着ないドレスに身を包んでいる。それというのも、今日は兄が帰ってくる日。そして、彼が来るかもしれない日だった。少しは着飾って迎えたいという少女の想いである。
そわそわと、ひとり自室で兄の帰りを待っていると、玄関の方からメイドたちの声が聞こえてくる。どうやら兄が帰ってきたようだと察したレイリは、勢いよく部屋を飛び出して1階へと駆け下りた。
降りてみれば、ゼロがメイドや執事たちの出迎えを受けているところだった。メイドたちの中には、密かにゼロを慕っている者たちもいるという。心なしか、いつもより表情が明るいメイドもいる。
「お兄様、お帰りなさいませ!!」
もちろん、嬉しいのはレイリも同じだ。勢いよくゼロに飛びつく。
ぼふっ、と兄の胸に飛び込んだレイリの頭を、ゼロは優しく撫でた。
「ただいま、レイリ。そんなに走ると危ないぞ」
聞き慣れた穏やかな声に、兄が帰ってきた実感がわく。父親のネオは忙しくてほとんど家にいないため、この前会ったのはいつだろうかとしばらく考えなくてはならないほどだ。今は忙しくてネオと同様なかなか帰って来れないゼロだが、幼い頃はゼロが父親代わりのような存在だった。成長してからは、ますますネオの若い頃にそっくりで、母リーンもどこかネオと被らせている部分がある。
顔をあげると、ゼロが着ている服が目につく。この白い礼服もリーンが与えたものだが、仕事中だけ着るものだろうと思っていた。まさか、このまま帰ってくるとは、とレイリは苦笑する。兄は仕事以外に鈍感だとよく言われるが、レイリもその通りだと思った。
挨拶を済ませてから、レイリは首を傾げる。きょろきょろと辺りを見回してみるものの、その姿は見えなかった。前に長めの任務に行った帰りには一緒に帰ってきたのにと思い、レイリは尋ねる。
「あの、ラウディ様は?」
「ラウディなら帰還したぞ」
それを聞いたレイリは、周りのメイドたちがびくっとするほど大声を出した。
「ええっ!?そんな……久しぶりにお会いできると思って楽しみにしておりましたのに」
「まぁ、そう言うな。急がなくとも、しばらくは本部にいるだろう。会おうと思えば会えるさ」
ゼロが困ったようにそう言うが、久々に会えるかもと思っていたレイリにはショックが大きかったらしく、黙ったまま納得できない顔をしている。
見かねたメイドたちも、大丈夫ですよお嬢様、すぐに会えますよと慰めてくれる。そこでようやく大きなため息をひとつつくと、無理に笑顔を作って兄に頼む。
「そう、ですわね。また時間がある時にでも連れて来てくださいませ」
「ああ、分かった」
顔には出さないものの、長期任務明けで兄は疲れているだろう。早く休ませるべきだと思い、この場で駄々をこねるのはやめた。
引き下がったレイリを見て、ゼロは帰還したらラウディに頼んでみようと思案する。どうにも、ゼロは妹に対して甘いところがあった。いつも寂しい思いをさせてしまっている分、なるべく妹の願いは叶えてやりたい。そんな兄妹の願いにより、彼の次なる休日の予定が決まってしまったのは、また後日の話だ。
1階の奥にある広々とした部屋には、真ん中に大きなテーブルが1卓、それを挟むようにゆったりと大人2、3名が座れるソファが置いてある。家族が集まった時によく使われる部屋だが、なかなか全員揃うことはないので、客を招いた時や、レイリがメイドたちとささやかなお茶会を開く時などに使われている。
今日は、久しぶりに帰ってきたゼロと、レイリ、メイドや執事たちも含めて、パーティーが開催された。パーティーといっても、他に客を呼んでいるわけではない。あくまでも、身内だけで行う小さなパーティーだ。帰ってくる兄を喜ばせようと、密かにレイリとメイドたちが準備していたのだった。
本当は父と母もいれば良かったのだが、どちらも仕事が忙しくてこの場には居合わせることができなかった。それでも、久しぶりに顔を合わせた兄と食事をしながらの話はとても弾んだ。城の中になど、普通は入れるものではない。そんな未知の世界の話はとても興味深かった。
アルベール様は、次期国王に相応しい聡明な方であったということ。ディン様に剣や魔法の稽古をつけることになったが、これからがとても楽しみな方であること。そして、マリアム様は噂通り魔法に関して優れていたことなど。本人は無意識かもしれないが、会話の中に多く出てきたマリアムの名に、おや、とレイリは思った。
「マリアム様は、とてもお綺麗な方だと聞いております。お兄様から見ていかがでしたか?」
「ああ、そうだな。お綺麗な方だと思う」
「それだけですか?」
「それだけ、というと?」
「他に何かマリアム様に対して思うことはないのですか?」
レイリの問いに考え込むゼロを、不安げに見つめているメイドもいた。ゼロに好意を持っているメイドにとっては気が気でないだろう。
さて、どう答えるだろうかとレイリは紅茶をひと口含んで返答を待つ。しばらくして、考えをまとめたゼロは真面目な顔で口を開いた。
「ふむ……そうだな、また会いたいとは思う。今回の任務では、アルベール様やディン様と比べると、あまり話せなかった方だからな」
それは、好意を持っていると考えて良いのか。ただ単に、仕事熱心なだけなのか。妹のレイリであっても、その真意を読み取ることは難しかった。
この話はいったん終わりにしようと、レイリは話題を変える。
「そういえば、お母様からお兄様にプレゼントを預かっておりました」
今日この場にいられないならせめても、とリーンはゼロにプレゼントを残していた。レイリにもそれはあったのだが、例のごとく派手な衣装であったため、そっとクローゼットの中にしまってある。
白い包みを受け取り、それを開けていく兄を見ながら、レイリは中身を予想する。そして、それは的中した。
「それは……新しい制服、でしょうか?」
包みの中には、ゼロが着ている目立たない黒い制服──帰宅して、白の礼服から着替えた──とは対照的に、目がチカチカするような真っ赤な制服が入っていた。
季節は夏だが、身体の保護をしなくてはいけないと日頃から任務中は半袖を着用しないゼロに配慮してか、この服も長袖の上着だった。袖口は折り返され、黒の裏地が覗いている。前を留める金のボタンには、美しい抽象的な模様が刻まれていた。
これは、いつだったか絵本で見たことがあるような服だとレイリは思った。おとぎの国の王子様が着ていたものだっただろうか。
ここアイテール王国にも王子様はいるが、王子でもない一般市民が着るには派手過ぎだった。顔立ちの整ったゼロが着ればそれなりに形になるだろうが、普段着るには辛いものがある。
しかし、もらった本人は嫌そうな素振りを少しも見せなかった。
「そのようだな。しかし、まだ今の制服は着れるのだが」
そんなことを思っていると、包みの中にまだ何か入っていることに気がつく。それを取り出してみたところ、小さなカードだということが分かった。
「母上からか。……なるほど、耐久性や通気性に優れた素材でできているのだな。確かに、今着ているものより良い。母上には後日礼を言わねばならないな」
それは、母が記したこの服の詳細だった。それを見て納得した顔のゼロに、兄のことだから絶対躊躇せずに着るのだろうなと思いながら、レイリは真っ赤な制服を片手にカードを読むゼロを眺めていた。