アイテール城にて②
明日は交代でやってくる隊員たちへの対応で忙しくなるため、挨拶は前日である今日済ませておく予定となっていた。
あらかじめ指定されていた時間に、ゼロとラウディは王の間へと向かう。王の間の大きな白い扉の前に来て見れば、護衛の兵がふたり、扉を両脇から挟むように立っていた。半年ほど城で生活していたゼロたちとは顔見知りで、ふたりの姿を見ると軽く会釈し、片方の兵士が扉の方に向き直って数回扉をノックし、声を張り上げる。
「失礼いたします。ゼロ=グランソール、ラウディ=ハーンの2名が参りました」
「入ってくれ」
すると、中から若い男性の声で入室の許可が下りる。その声を聞いたゼロとラウディは、やはり王はこの場に姿を現すことができなかったのだということを悟った。
兵士が重い扉を開く。まず目に留まったのは、白い床に敷かれた長く赤い絨毯の先にある、金の装飾が施された白い玉座に座る20代ほどの男性の姿だった。白を基調とした王族の正装に身を包んだ彼こそが、先ほどの声の主、第1王子アルベールである。
白い髪の色や髪型はゼロとほとんど同じだが、瞳の色は宝石を思わせる美しい青。目つきや物腰は穏やかだが、その芯の強さは傍で長年見てきた者であれば誰でも知るところだった。
アルベールの父で現王のレクスは人間の父とエルフの母を持つハーフエルフ、亡き母は人間だという話で、検査の結果、アルベール自身は人間75パーセント、エルフ25パーセントほどその形質を受け継いでいるということが分かっている。人間の割合が高いため、人間と変わらない見た目だ。
視線をアルベールの右隣に移せば、長い白髪が腰まであり、アルベールと同じ青い瞳を持つ女性の姿が目に入る。第1王女マリアム、アルベールの妹だ。彼女は兄と比べてエルフの形質が強く現れており、耳が少し尖っているのが分かる。
マリアムはゼロの姿を見とめると、ふわりと微笑んだ。ラウディはその真意に気づいていたが、こうしたことに鈍いゼロは挨拶だとしか捉えてはいないようだった。
玉座までの道を両脇から挟むように、ずらりと臣下たちが並んでいる。その中を、別段臆することなく、ゼロとラウディは進んで行った。
アルベールの前まで歩み寄ると、ふたりはその前に片膝をついて頭を下げる。とはいえ、あくまでも儀礼的なもので、すぐに頭をあげるようにと告げられた。それと同時に、すぐさまラウディは頭をあげて立ち上がり、ゼロは少し遅れてからゆっくりと動き出す。
ふたりが顔をあげたことを確認してから、アルベールは顔を曇らせ、なぜここに国王であるはずのレクスがいないのかを話し出した。
「本当なら、ここに座っているのは父上であるべきだが、どうにも最近体調が優れないようでね。途中で体調が良くなればいらっしゃるかもしれないが、期待はしないでくれ」
「体調が優れないのは存じております。お気になさらないでください」
アイテール王国現国王レクスは、少し前から体調を崩して寝込んでいる。ゼロたちが城にやってくる前からその兆しはあったらしく、城勤めが始まる時に挨拶した際には相当弱っていた。帰還するまでの半年間でそれは悪化したらしく、今日は顔を見せに少し出歩くこともできなかったようである。
そんな父に代わり、アルベールが礼を述べる。
「ゼロ君、ラウディ君、短い間だったが楽しい時間をありがとう。父に代わって礼を言わせてもらうよ」
「こちらこそ有意義な時間でした」
アルベールの言葉に、ゼロはそう返す。別れの時とは言っても、「任務」であるという意識がある限り、ゼロはアブソリュートの作戦部隊員のひとりという顔を崩さない。「任務中」には、ほとんどの私情を捨て去る。まさに隊員の鏡だなと、長く傍で見てきたラウディは思う。
いつも通りの表情を崩さないゼロとは対照的に、マリアムは寂しげな顔でゼロを見つめていた。
「こうして話せるのもあとわずかなのですね……ゼロさん、次はいついらっしゃるのですか?」
「またこちらに配属されるかどうかは分かりません。仮に配属されるとしても、すぐにとはいかないと思います」
「そうですか……」
マリアムの問いかけに、ゼロは正直に答える。
ああ、彼女も面倒な男に惚れたものだな、とラウディは思った。多少なりとも彼女の好意に気づいていたのならば、もう少し気の利いた受け答えができたものだろう。ゼロという男は非常に真面目だが、こういうことには鈍感だ。
しょんぼりと俯き加減のマリアムは、その後はほぼ黙ったままアルベールとゼロのやりとりに耳を傾けていた。
そして、ラウディも受け答えのほとんどをゼロに任せ、自分は軽く相槌を打つ程度だった。そもそも、表立って動いていたゼロとは違って、ラウディの仕事はどちらかというと目立たないものが多い。それ故に、アルベールとの関わりが多かったゼロに話題が振られるのは当然のことだった。ぼんやりと話に耳を傾けながら、ラウディは機を伺う。これだけは伝えておかなければと思っていたことがあった。
ラウディはちらりと視線の向けられている方へ目をやる。
まわりの臣下たちの中には、正装をしていないラウディに冷たい視線を向ける者もいた。しかし、別に正装をしなければいけないと定められているわけではない。皆やっているから、という理由で合わせるような性質は生憎持ち合わせていなかった。
他人にどう見られようが気にはしないが、これを使わせてもらおうとラウディは口を開く。
「最後の挨拶ですけど、ゼロみたいに正装ではなくてすみません。でも、俺はこの服に慣れてるので」
その言葉で、勘の鋭いアルベールは臣下たちの様子に気がつく。アルベールは臣下たちにもきちんと聞こえるように、大きな声で言った。
「構わないよ、気にしたこともなかった。ゼロ君も楽な服装をしてくれて良かったんだけどね」
アルベールがそう言ったことで、冷たい視線を向けていた臣下は、ばつが悪そうに咳払いをする。
「こいつは、こういう場面では正装しているのが一番楽なんですよ。規則を破っているような行動をとる方が落ち着かないんです」
「王族には白を身につけることが暗黙で定められてはいるが、君たちは規則ではないはずだよ?」
「こいつはそういうやつです」
「私のことは、お気になさらないでください」
きっぱりと言い切るゼロに、アルベールは苦笑した。
さて、本題はここからだ。ラウディは、アルベールがしっかりと自分を見ていることを確認してから言葉を紡ぐ。
「それにしても、いつも白い服を着るなら注意が必要ですね。白は汚れやすい、そうですよね、アルベール様?真っ白な服を着るなら、気をつけて下さいね」
アルベールの目を見ながら、ラウディは強調した。そこから何かを感じ取ったアルベールは表情を硬くして頷く。
「……そうだね、気をつけよう」
その後は、何事もなかったかのように、ここ半年間の思い出話などに華を咲かせた。
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ゼロたちも退室し、自室へと戻る途中、アルベールはマリアムの左隣に立って歩きながら小声で耳打ちした。
「父上の件、ちゃんと調べる必要がありそうだ」
ラウディの言葉。あれは、危険が迫っていることへの忠告だろう。
「白」はアイテール王家の者を表し、「汚れ」とは何者かに害されることを指していると考えられた。はっきりと公に分かるようにしなかったのは、誰が聞いているか分からないためだろう。
アルベールに何かを訴えかけようとする瞳。勘の鋭いアルベールにはラウディの意図が伝わっていた。
マリアムはその言葉に小さく頷く。アルベールと同じく、彼女も勘は鋭い。城の異変には気がついていた。
王家の者を狙う何か。誰が敵なのか分からない状況で、迂闊に信じることができるものではない。もはや、頼ることができるのは妹だけかもしれないと、アルベールは思った。弟のディンは、こうした揉め事に対応できるだけの力を持ってはいないだろう。
難しい顔で考え込む兄を、マリアムは心配そうに見つめていたが、前方から近づく気配に視線を戻した。
それは、父であり現アイテール国王であるレクスが最も信頼をおく男、ディオスだった。黒い髪をきっちりと整え、白い正装に身を包んでいる。
20年ほど前に城へとやってきた青年が、今では王の最も近くで仕える臣下だ。幼い頃は、アルベール自身も世話をしてもらったものだった。40代半ばとなった今は、城の中でも従者たちに指示を出す立場にあった。
最近は、体調を崩しているレクスの身の回りの世話や、本来レクスがすべき仕事がアルベールに回ってきているため、彼の手が回らない仕事も手伝っている。
「挨拶はもう済んでしまいましたか?レクス様も顔を出したいとおっしゃってはいたのですが、やはり体調が優れないようで。欠席の旨をお伝えしようと思っていたところなのですが」
ディオスはアルベールに問う。それに対して、アルベールは軽く頷いた。
「こちらは大丈夫だ。無理をして体調が悪化しても困る。それで、いま父上は?」
「今は眠っておられます。しかし、途中何度も目を覚ましてお苦しそうではありますが……」
「そうか……引き続き父上のことを頼む」
「かしこまりました」
言われた通りに廊下を引き返すディオスの背を、アルベールは無言で見つめていた。




