海岸警備③
日が沈む。
そろそろ午後のバイトの時間も終了だった。いくら季節は夏といえど、夜の風は少し冷たい。
海の家の主人からも引き揚げていいとの許しが出たので、ぽつりぽつりとアルバイト参加者たちは帰っていく。俺たちも帰ろうかとルーテルに話していたところで、エイドが合流した。
「さ、真っ暗になる前に帰ろうか。そういえば、さっきデモリス隊長が来てたよ」
「隊長が?」
いつも多忙な彼がこんなところに顔を出すとは珍しい。
「ああ、お前がどうしてるか気にしてた。今度話してみたいってさ」
「えぇ、本当か?」
まさか、戦闘部隊隊長である彼に気にかけてもらえるとは思わなかった。よく考えれば、俺の体質のせいなのだろうが。しかし、組織でも最強クラスだと謳われる彼には、俺も尊敬のような感情を抱いている。理由はどうあれ、もし彼と話せるのであれば、それは嬉しいことだ。
「良かったね、ファス。デモリス隊長と話してみたいって、この前言ってたもんね」
ルーテルがそう相槌を打つ。そういえば、そんなことを話していたっけか。
「ま、まぁな。デモリス隊長と比べたら失礼だけど、経歴的には近いものがあるから、気にはなってたんだ」
「俺も詳しくは知らないけど、デモリス隊長も15歳から戦闘任務に参加してたみたいだからね。お前なら色々聞かせてもらえるかもしれないな」
エイドの言う通り、デモリス隊長も俺と同じく15歳から戦闘任務に参加している身だ。俺の場合は入隊前からある程度の訓練を受けていたが、彼もそうだったのだろうか。
考えれば考えるほど、デモリス隊長が当時どうしていたのか、どのようにして最強の男と言われるまでになったのか気になってくる。忙しいだろうから、いつになるかは分からない。それでも、デモリス隊長と話すことができる日が楽しみだった。
海岸からは、ほとんどの参加者たちが姿を消していた。
さて、俺たちも帰ろうかと歩き出す。しかし、背後から聞こえた音に足を止めなくてはならなかった。ばしゃん、と水の音がする。まだ海で誰か遊んでいたのだろうか。
だが、振り返った俺たちの目に留まったのは、巨大な白い物体だった。ぐにゅぐにゅ、ぶよぶよと柔らかそうな何かは、ゆっくりと海面を浮遊しながらこちらへと近づいてくる。
そして、海岸まである程度近づくと、巨大な物体が何であるのか露わになった。生き物だ。こいつは生きている。
「あいつは、巨大水母クヴァレ!?」
それを見たエイドが驚きの声をあげる。
「知ってるのか?」
「ああ。危険生物に属する種でありながら、世界共通言語を理解する特殊ケースの個体だよ。前に見たことあるから、間違いないと思う。ただ、性格は凶暴で組織が檻に閉じ込めていたはずなんだけど……」
困惑した顔で、エイドは巨大水母クヴァレを凝視している。
世界共通言語は、俺たちが使っている言葉のことだ。まだ種族間の交流がなかった時代には、エルフ語やドワーフ語など、各種族ごとの言葉があった。現在、種族関係なしに使用されている世界共通言語は、エルフ語と人間語が基になっていると言われている。
白い身体に、大きな青くて丸いものが2つ。どうやら目であると分かったのは、俺たちの方にそれが向けられたからだった。
そして、ぶにゅぶにゅした身体の一部が開いたかと思うと、俺たちが理解できる言葉を発する。
「あらま!それは隊員証ざますね。私を窮屈な檻に閉じ込めた組織の輩がこんなところに。これは復讐しなくては気が済まないざます」
「喋った!?」
「言っただろ?クヴァレは言葉を解する巨大水母なんだ」
目を丸くする俺に、エイドは言う。しかし、分かっていても驚くべきことなのは変わらない。危険生物が話すなんて、聞いたことがなかった。そもそも、言葉が通じず危険性の高い種が危険生物として認識されているのだ。そのルールに当てはめるとするならば、危険生物であるはずの種であっても、このクヴァレは当てはまらない。
しかし、閉じ込められていたならば、どうやって脱出したというのだろう。長らく、と言っていたことから自力で簡単には脱出できない状況だったことが伺える。ならば、誰かが意図的に逃がしたのだろうか。
驚きで声を失っていると、クヴァレの青い目がルーテルに焦点を合わせる。
「ほほほ、可愛い隊員さんだこと!でも、私を長らく檻に閉じ込めた、憎くてたまらない組織の娘ざますからねぇ」
クヴァレの青い瞳が赤や黄に怪しく点滅する。言葉から察するに、組織に閉じ込められていたことに対して怒っているようだ。これはその表れだろうか。
にゅっ、と海面下に隠れていた白い触手のようなものが伸び、ルーテルの左足に絡みつく。
「きゃあっ!!」
その触手は、そのまま海へとルーテルを引きずり込んだ。
「ルーテル!?」
腕を伸ばすも、それはルーテルには届かなかった。
クヴァレは、ルーテルを海に引きずり込むと自分も水面下へと姿を消す。
このままではまずい。ただでさえ、ルーテルは泳ぐことができないというのに。それに、戦う術を持たない彼女があの触手から逃れることができるとも思えない。
とにかく急がなければ。手遅れになる前に。
後ろからエイドが制止する声が聞こえたような気もしたが、気づけば俺は海に飛び込んでいた。




