追加任務②
パーティー会場から少し離れた、月明かりが窓から差し込むインダストリア邸の一角に、ひとりの少女の姿があった。パーティーの賑やかな声は届かず、ひっそりと静寂に包まれる空間には少女と非常によく似た、しかし少女よりも少し幼い顔立ちの肖像画が飾られている。
その肖像画をじっと見つめていた少女だったが、ふいに背後からかけられた声に驚いて振り返った。
「フェリス嬢、こんなところで何をなさっているのですか?」
「アルテスト様!あなたこそ、どうしてこの場所に?」
「あなたの絵は、まだ描いたことがなかったと思いましてね。今日は、ぜひ私の絵のモデルになっていただけないかお聞きしたかったもので。パーティー会場に姿が見えないようでしたので探していました」
目を丸くしたフェリスの傍に、アルテストが歩み寄る。
「まぁ、そうでしたか。アルテスト様に描いていただけるというのは光栄なお話しですわ。アルテスト様は、私の『コア』をお描きになるおつもりですか?」
「ええ、そのつもりです」
フェリスの問いに、アルテストは頷いた。彼は風景画や肖像画も描く。しかし、最も得意とするのは『コア』を抽象的にキャンバスに描き出すことだ。コアが視覚的にはっきり見える能力というのも珍しく、世界中探してもコアを描くのは彼くらいだろうと言われている。その珍しさから、ぜひ自分も描いてほしいという依頼が後を絶たないらしい。
しかし、彼は依頼を必ず引き受けるわけではない。これは描きたくないと思えば、それが誰であっても断るのが彼のやり方だ。特にコアを描く時の基準は厳しいようで、依頼されて描くことはほとんどない。その多数が頼まれたものではなく、自ら頼みに行ったものだ。今回のフェリスのように。
「あなたのコアはとても美しい。ぜひ、それをモデルにさせていただけないかと」
フェリスはそれを聞くと、安心したように微笑んだ。
「それなら良かった。『肖像画』という形なら、お断りしようと思っていましたの」
「ほう、何か理由が?」
首を傾げたアルテストに、フェリスは逆に聞き返す。
「今の父、グロウリー=インダストリアが私の本当の父親でないのはご存知ですか?」
「ええ、存じていますよ」
それは、このパーティーに招待されている客のほとんどが知っている事実だった。
「これは、亡き父が私の顔を描いてくれたものです。でも、父亡きあと、借金があったためにこの絵も手放さなくてはなりませんでした。それからしばらくして、母が再婚しました。それが、今の父親なのですが、その絵のことを私が話したら買い戻してくれて」
フェリスは肖像画に視線を戻す。それに倣ってアルテストもその絵を見た。
「今の父は、亡くなった父のことを忘れる必要はない、と私に言ってくれました。亡くなった父の存在がなければ『フェリス』という娘は生まれなかった。私は彼に感謝する、フェリスに出会わせてくれたことを。フェリスが生きている限り、君の中で彼は生き続ける。だから、忘れられないのは当然なんだと」
そう話すフェリスの表情は穏やかだった。アルテストはその横顔を見ながら、じっとその声に耳を傾けている。
「私は、亡くなった父も、今の父も愛しています。この絵は、そんな大好きなふたりの父親の想いがこもった、私の宝物なんです」
そこまで言って、フェリスはアルテストに向き直った。黙って話を聞いていたアルテストだったが、話が終わるとふっと表情を崩す。
「ふふ、確かに『肖像画』は無理ですね。この絵以上に素晴らしいあなたの肖像画は、この先も描ける者はいないでしょう」
彼女が、肖像画なら断ると言ったのは、この絵を凌ぐほどの名画はもう生まれないと確信していたからだった。理由を彼女の口から聞かされたアルテストも、これ以上のものは描けないと納得した。彼女がもう少し幼い頃に、亡くなった父親が描いたと思われる肖像画。金色の額縁の中で微笑む少女の姿からは、いかに彼女のことを愛していたかが伝わってくる。時を経ても、それは色あせることなく。
肖像画は駄目でも、他なら構わないようなことを言っていたフェリスに、アルテストはもう一度確認する。
「私が描くのはコアですが、それはよろしいですか?」
「ええ、それなら喜んで」
日程は双方の予定が合う時にということですぐには決められなかったが、近いうちに、と約束を交わした。
その後、パーティーの最中であったことを思い出し、主催者の娘がずっと席を外しているわけにもいかないだろうとフェリスは来た道を戻る。アルテストも彼女につき添ってその場を後にした。
「そういえば、フェリス嬢。パーティーの参加者の中に随分と面白い方見つけましたよ」
その途中、アルテストが思い出したように口を開く。
「あら、そうなんですか?」
フェリスは首を傾げる。
「ええ、とても興味深い方です」
「ふふ、嬉しそうですね」
「生きている間に会えたことが奇跡だろうというくらい、稀有な魂をお持ちの方だ。少なからず気持ちは高揚していますよ」
「まぁ、そんなに。なんという方なんですか?」
そこまで言うとは、一体どんな方なのだろうとフェリスも興味を持った。
「ファナさんという、黒髪のお嬢さんです。ご存知ですか?」
一応は主催者の娘として、招待客たちの名前はひと通り頭に入れてある。フェリスは少し考え込んだ。
「ファナさん……あぁ、なるほど。私もあの方は逸材だと思っております!」
ファナという名の参加者はいなかったはずだと思ったフェリスだったが、ファスの存在を思い出して納得する。そして、若干方向性の異なる解釈ではあるが、しばらくアルテストとの会話に華を咲かせたのであった。




