破壊と炎①
「メディアス君、ちょっといいかな?」
書類の整理をしていたところに声をかけられ、メディアスは振り返った。
「どうしたんですか、ヒーリス隊長」
育ての親でもある救護部隊隊長、リカヴィル=ヒーリスのことを、組織内にいる時は傍に誰かいてもいなくても、メディアスはヒーリス隊長と呼ぶ。
組織内では、リカヴィルがメディアスの育ての親という事が公になっていないからという理由があるにしても、プライベートであっても、『ヒーリスさん』と呼ぶことがほとんどだ。他人行儀な気もするが、幼なじみであるエイドに対しても同じような呼び方をしているため、決して親しくないからそうしているわけではないことが分かる。呼び方は、もう癖のようなもので、そうしないと落ち着かないらしい。
リカヴィル自身もそれは理解しているため、突っ込むことはない。近くまで歩いて来たメディアスに用件を告げる。
「実は、僕の従兄弟とね、昨日から連絡がとれなくなっててね。さっきもう一度試してみたんだけど、やっぱり繋がらないんだ」
「従兄弟というと、アクスラピアの教授のことですか?」
アクスラピアでは、メディアスも協力して医療に関する研究が行われている。そして、一度は壊滅的な被害を受けた、アイテール国にあるメディアスの生まれ故郷でもあった。
そこの責任者をしているのが、リカヴィルの従兄弟であるキュアリスなのである。リカヴィル同様ユニコーンのハーフの男性で、今は教え子たちを連れてアクスラピアに研究の拠点を移しているはずだった。
リカヴィルはメディアスの問いに頷く。
「そうそう。それでね、ちょっと様子を見てこようと思うんだ。だからね、しばらくここのことは君に任せても大丈夫かな?」
「ヒーリス隊長が行くんですか?」
リカヴィルの手元にある荷物を見て、メディアスは眉間にしわを寄せる。
「うん。依頼の申請してる時間が惜しいから、無理言って休暇を取ってきたよ。なんだか、嫌な予感がするんだよね……」
そう言って、顔を曇らせる。いつもニコニコしている彼のそんな表情に、メディアスも不安に駆られた。何事もなければそれでいい。しかし、もしこの予感が当たってしまったら。そう考えれば、リカヴィルの行動も妥当といえた。
だが、メディアスには彼を行かせることに対して、いくつも心配な点があった。
正式に受理された任務ではなく、彼の単独行動となれば、護衛はまずいないだろう。そもそも、現状からして自由の利く隊員は数が限られている。老いたリカヴィルの身体のことを考えても、あまり危険なことには近づかないで欲しいというのがメディアスの本音であった。
少し思案したメディアスが、再び口を開く。
「ヒーリス隊長、その休暇は家で身体を休めてください」
「メディアス君?」
「自分の仕事は終わっていますし、ちょうど今日の午後から休暇を取っているので問題ありません。引き継ぎも済んでいるので、すぐに行けます」
白衣を畳んで支度を始めたメディアスを、リカヴィルの手が制する。
「なら、君こそ家に帰ってゆっくり休みなさい。最近、働き詰めだから心配してたんだよ」
「俺は計画的に休みは貰っています。休んでいないのは隊長の方ですよ」
「でもね……」
「それに……今回の休暇で、帰ろうと思っていたんですよ、アクスラピアに。そこで何かあったかもしれないと聞いて、黙っていられるわけがない」
過去には色々とあった場所だが、彼にとってそこは今でも大切な故郷だった。それは、リカヴィルもよく分かっている。幼いころから彼を見てきたリカヴィルには、その言葉の奥に大きな不安が隠されていることを感じ取っていた。
「メディアス君……」
言いかけた言葉は、突然駆け込んで来た隊員の声で遮られる。
「ヒーリス隊長!休暇を取ってらしたのは分かっているのですが、急いで見てもらいたい怪我人が!!」
「ここはお願いします、ヒーリス隊長」
まだ何か言いたげなリカヴィルだったが、彼を追うわけにはいかなかった。さすがに、怪我人を放っておくことはできない。
去り際、メディアスは背後から「無理はしちゃ駄目だよ」という声を聞いた気がした。
救護室を出て、とりあえず外を目指す。
しかし、出て来てしまったはいいが、メディアスはメディアスで大丈夫とは言い難い状況だった。元々、メディアスは後方支援向きであり、メインで戦闘には参加しない。今回の音信不通が何を指すのか。場合によっては戦闘も覚悟しなければならないだろう。
果たして独りで行ってよいものか。かといって、他の隊員たちは皆忙しそうだ。確信もないことで組織を動かすわけにはいかない。今から暇な隊員を探している時間もない。いざとなったら緊急連絡だけでも入れられるように準備しておけば大丈夫だろうか……。
外へ向かいながらそう考えていると、ふと視界に見慣れた姿が入り込む。廊下をうろうろと行ったり来たり。何をしているのか、さっぱり分からない動きをしているその少年にメディアスは声をかけた。
「ウィズ、こんなところで何をしているんだ?」
急に声をかけられたことに驚き、ファスは目を丸くする。しかし、それがメディアスであると確認すると、緊張を解いた。
「メディアスか……いや、何か休みをもらった」
「休み?」
「本当はまだ、こんなに任務に参加していい時期じゃないのに無理させてるからだってさ。別に、大丈夫なんだけどな」
けろり、とそう言うファスに、タフな奴だとメディアスは心の中で苦笑する。
しかし、別に休みをもらわなくてもいいというファスの言葉は、体力的な問題だけからくるのではなかった。
「休暇なんてもらっても、俺だけじゃここから出るの許可されてないからな……今日は訓練も休みだし、本当は買い出しもしたかったけど……」
何をすればいいのか分からなかった、とそれがうろついていた理由だった。
「買い出しの用があったのか?」
「え?……まぁ、救急用具とか。組織内の売店で買うよりも安い店を、この前エイドに教えてもらったんだ。でも、さっきも言ったけど、俺だけじゃ組織外での行動が制限されててさ。……制限がなければ、散歩もしたかったな」
後半の方は聞こえるか聞こえないかくらいの小声だった。
ファスの行動が、アンヴェールの影響で制限されていることはメディアスも知っている。組織の外にいる間は、基本的に誰かが監視している状態でなければならない。
「次、あいつが出てきそうになったら、何が何でも気力で抑えてやる……いつまでもいい気にさせておくわけにはいかないからな」
前回の任務のことを思い出し、ファスは顔を曇らせる。
前回の任務の時はフォグリアが一緒だったこともあり、あいつが出てきても何とかなるだろうと、どこか安心していた。気を緩め過ぎていたことが原因だろう。
そんなファスの様子を見ながら、メディアスは思案する。そして、決心したように再び口を開いた。
「俺について来る気があるのなら、必要な救急用具は俺が提供する。個人的な依頼を頼みたい」
後でエイドに何か言われることは承知で、彼はファスに事情を話した。
聞き終わると、ファスは素直に頷いて承諾の意を示す。念のため、本当に疲れてはいないのか確認したが、大丈夫だと言う。仕事柄、体調不良にはすぐに気がつくメディアスの目から見ても、問題はなさそうだった。
「……事情は分かった。俺もちょうど外に出たかったし、助かる。でも、もしあいつが出てきそうになったら早めに知らせるから、避難してくれ。そうならないように努力はするけど」
「ああ、分かった。頼んだのは俺の方なのに、すまないな」
それから、ファスが外出する旨を受付で勤務中だったアムールに伝えに行った。最初は穏やかにそうかい、と頷いていたアムールだったが、律儀にもメディアスが事情を説明したところ、急に表情が険しくなる。
「君たちだけで行くつもりなのかい?少し待っててもらえれば、任務の申請するのに……」
「申し訳ありません、時間がないもので。心配なら、ウィズはやはり置いていきます」
「おい!」
ファスが何を言っているんだと止めたが、メディアスとしても無理に連れていく気はない。元々は独りで行こうと思っていたのだ。ファスにとっては父親と変わりないアムールが反対するのなら、止めておくのがいいという考えに至ったのだった。
ファスとメディアスの顔を交互に見ながら、やれやれとアムールは肩を落とす。
「……どうしてもメディアス君は行く気なんだね。ファス、君もちゃんと考えて引き受けたんだね?」
ファスは無言で頷いた。それが本気であることを確認したアムールは、仕方なく承諾する。
「分かったよ、気をつけて行ってきなさい。ただし、無理は禁物だからね。メディアス君、音信不通ってことは、回線が何らかの影響で使えなくなってるってことだろう?通信機を持っていっても意味がない可能性がある。その辺は大丈夫かい?」
「それなんですが、組織の持っている裏回線と俺の通信機を繋いでもらえませんか?」
基本的に任務で通信機が必要になるときは、その都度、その土地で連絡が取れる回線に繋がれたものが支給されるようになっている。通常使用する時には問題ないが、誰かに聞かれては困る内容を連絡するための――主に諜報部隊が使用している裏回線が世界各地に存在していると、ファスはエイドから以前聞いたことがあった。さすがに、どうやってその回線と繋ぐのかまでは分からなかったが。
その回線を経由する場合は厳重な管理下に置かれているため、そう簡単に回線が切れることはないのだという。
しかし、それは先に述べた通り、かなり厳重な管理下に置かれている。話を聞いていたアムールは大きくため息をついた。
「時々、凄いこと言い出すよね、君。正式な任務でもないのに、僕に頼まれてもそれは難しいよ」
それ以前に、任務でもないのにどこからその通信機持ってきたの、と言いかけたアムールだったが、周りに迷惑をかけない程度に彼が驚きの行動をしていたりするのは今に始まったことではないため、その言葉は飲み込んだ。あくまでも、迷惑をかける気はないのだ。今回も、無理だと言えば残念そうにしながらも、身を引いた。
「やはりそうですか……いざとなれば、何かしら救援信号を出します。アクスラピアの方面に気を配っておいてもらえますか?」
「それは構わないけれど……僕の方でも、できる範囲で『救援』できないか動いてみるから。でも、あまり期待はしないでね」
「気持ちだけでもありがたいです」
メディアスは一礼すると、受付を離れた。その後ろをファスが追う。
その後ろ姿を見送ってから時計を確認したアムールは、昼休みが後10分ほどで終わろうとしていることに気がついた。早く今の件を上に伝えておかなくては。確かな情報もなしに今の組織が動けるとは思えないが、知っている者は多いに越したことはないだろう。
急いで上に報告を入れたアムールは、続けてとある場所に連絡を入れる。連絡先の相手は驚きながらも、アムールの申し出を快く引き受けてくれた。メディアスには悪いことをしたかもしれないが、いずれ分かることだ。頼れるところも限られていたし、これで許してほしい。
ちょうど会話を終えたところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。




