タルタロスの森 外層③
「やっぱり、この森変だなぁ」
昼食のサンドウィッチを頬張りながら、フォグリアが首を傾げる。自分の分は既に食べ終わっているのだが、先ほど近くにいた隊員から分けてもらっていた。あれを、分けてもらったと言っていいのかは別として。
「ねぇ、君もそう思わない?弟君」
そう思っていると、突然こちらに話が振られた。しかし、もぐもぐと、食べるのを止める様子はない。
「いや、俺に聞かれても……俺、ここに来るの初めてなんだぞ?」
「ふ~ん。あの危険生物博士から何か聞いてないの?」
危険生物博士、十中八九エイドのことだろう。
この森の話は、何度も聞かされた。危険生物の数が多く、さらに種類も多様なことから、嬉々として話していたことを思い出す。別に、それほど興味があったわけではないので受け流して聞いていたことがほとんどだが、あれだけ聞かされれば嫌でも少しは頭に残っている。
そして、その話の最後には必ず同じことを注意された。
「絶対、この森にひとりで入るなってさ。まぁ、これだけ迷いやすい森なら、そうだよな」
「他には?」
「えっと……俺が組織に入ってからかな……もし、この森に立ち入るような任務に当たったら、何があっても外層までにしとけって」
「どうしてかって、理由まで聞いた?」
「外層には最高でもCランクまでしか出ないからだってさ。ギリギリ対処できるレベルだろうって」
フォグリアはそれを聞くと、口の中の食べ物を飲み込む。
「じゃあ、変だって思わない?」
フォグリアの更なる問いかけに、首を傾げる。
「え?……そういえば、やけにCランクの危険生物が多いような気はするな」
ふと、ここまでの戦闘を思い返して俺は答えた。
エイドの影響で、俺も多少は危険生物を見分けることができる。間違っていないのならば、ここまで戦ってきたこの森の危険生物たちのほとんどがCランクだった。エイドの話では、最高でもCランクまでという話だったはずだ。つまり、外層の最高ランクと相当数遭遇していたことになる。
俺の回答に満足したのか、フォグリアはうんうんと頷いた。
「だよねぇ。Cランクが出ること自体は不思議でもないけど、それにしたって多すぎるよ」
「どうして、そんなことに……森の異変の原因を探るのが今回の任務だけど、一体何があったっていうんだ?」
「まぁ、考えたくもないけど……中層の危険生物が外層に侵入してると考えれば、割と納得できるかなぁ」
フォグリアの表情が少しだけ険しくなったように感じた。
中層に生息する危険生物たちは、外層と比べてランクが上がるらしい。確か、最高でBまでだっただろうか。今回の任務は戦闘になるかもしれないと言われているものではあったが、それでもメインは調査だし、外層以上に立ち入る予定はなかった。メンバーとしても調査重視のためか諜報部隊員が多い。あまり戦闘にもつれ込ませるのは得策ではないだろう。フォグリアの予想通り中層の危険生物が紛れ込んでいるのなら、Bランクが出てこないことを祈るしかない。
「中層の?そんなことあるのか?」
俺の問いかけに、フォグリアは首を横に振る。
「普通はないよ。外部から誰かが意図的に何かしない限りは」
「ということは、もしかして……」
「さぁ、どうだろうねぇ。それを確かめないと」
フォグリアは両手を空に向け、分からないというポーズをした。
俺たち以外にも、この森に誰かいるということだろうか。俺たち以外でこの森にいるとすればテミスの監視員だが、彼らがそんな真似をするとは思えない。しかし、俺たち組織員でも監視員でもないとすると、テミスの監視員たちの目を掻い潜って行動していることになる。余程、この森を熟知していなければ無理な芸当だ。
一体、誰がこんなことを。そう考え込んでいるうちに、いつの間にやら俺の昼食のサンドウィッチが1個なくなっていた。
休憩を終えた俺たちは、再びタルタロスの森の調査に戻る。フォグリアの言っていたことも気になるし、気は一層引き締めていかなければならない。
そう考えながら、しばらく森の奥へと進んで行った時だった。ふと、足元に違和感を覚える。
「地面が!」
叫ぶのと同時に、体が動いた。反射的に地面を蹴り、突然隆起する地面から離れる。隆起した地面は高々とそびえる巨大な岩壁になり、森を横一直線に分断していた。
「完全に分断されちゃったみたいだねぇ」
驚いて岩壁を見上げていた俺の横に、フォグリアが歩いてくる。
あたりを見回してみるも、こちら側には俺とフォグリア以外見当たらない。他の隊員たちは、この壁の向こう側にいるのだろう。眼前に高々とそびえる岩壁によって、俺たちは分断されてしまったようだ。
「どうするんだよ、これ」
「まぁ、あたしも一緒にいるんだし、迷子にはならないよ。遠回りにはなるけど、ちゃんと戻れるから安心しなって。あっち側はあっち側で何とかしてもらわないとねぇ。まぁ、あたしが戻るまではむやみに動き回ったりしないだろうから、岩壁の傍で待ってると思うけどさ」
いきなり、こんな事態に見舞われるとは思ってもいなかった。突然隆起した地面。不自然としか言いようがない。
しかし、今は早く岩壁の向こう側の隊員たちと合流しなくては。こちらにはフォグリアがいるため迷子になることはないだろうが、あちら側は身動きが取れない状況だろう。
試しに岩壁の向こう側に向かって話しかけてみたが、声が届いていないのか、返事は返ってこなかった。
「この壁壊して戻れれば早いんだけどなぁ」
「これ、結構頑丈そうだぞ」
試しに、俺とフォグリアで岩壁を破壊しようと蹴ってみたが、そう簡単に壊れてくれるような軟な作りにはなっていなかった。それどころか、少しも削れる様子がない。
「やっぱり、土の魔法で形成されてるねぇ」
巨大な岩壁に右手を当て、フォグリアが呟く。
「まぁ、自然になったとは思ってなかったけど……どの程度の魔法なんだ?」
さすがに、自然になったとは思っていない。やはり土魔法の類らしいが、土のコアを持ってない俺には、この魔法のレベルがさっぱり分からない。しかし、全属性使いのフォグリアなら、おそらく感知できるはずだ。
右手を岩壁に当てたまま、フォグリアはうーんと唸る。
「かなり高度なやつだねぇ。これだけの規模と強度の魔法を使えるやつなんて、そうそういるもんじゃないと思うよ」
「この魔法を使った奴は追跡できないのか?」
俺の問いかけに、フォグリアは右手を離して大きく息を吐いた。
「エイドがいればできたかもねぇ。あたしは、そういう器用なことできないし。君は?」
「俺も無理だ。それ以前に、土のコア持ちじゃないしな」
気にはなるが、まずは他のメンバーとの合流が先か。手がかりがない以上、どうしようもない。
遠回りして戻るか、それとも、この壁は魔法をぶち当てれば壊れるだろうかなどと考えていると、俺の脇腹をフォグリアがつついてきた。
「ねぇ、弟君」
「どうしたんだ?」
首を傾げる俺の耳元で、眉を寄せたフォグリアが囁く。
「あそこ、何かいるよねぇ?」
「どこに……あ!」
フォグリアの目線の先、少し離れた背の高い木の上から、何かがこちらを観察していた。あたりが薄暗いので詳しい姿は分からないが、大きな塊がわずかに動くのが目に入る。
そんな俺たちの視線に気がついたのか、その大きな身体は木々を伝って去っていってしまった。
「あり、気づかれちゃったか~。どうする、追っちゃう?」
その後ろ姿を見ながら、フォグリアはにやりと笑う。追う気は満々のようだ。
「ああ」
悩むこともなく、俺は即答した。あの動きは、危険生物のそれではない。おそらく、この岩壁を出現させた術者だろう。手がかりがないのなら仕方がないが、目の前に明らかに怪しいやつが現れたのなら話は別だ。
俺たちは逃げていく後ろ姿を見失わないように、全力で森を駆けた。




