タルタロスの森 外層①
自宅療養すること数日、すっかり体調の改善した俺は組織に再び戻った。エイドも戻ると言ったが、まだ万全の体調ではないからと俺とアムールが全力で阻止した。こんな時でもないと、あいつが休みを取るはずないからだ。
それに、帰宅中の例の一件もあって、しばらく距離を置いておきたかったという理由もある。
組織に戻って早々、俺はまた任務に出ることになった。しかし、今回は戦闘任務ではなく、最近様子かおかしくなった森の調査。ただし、場合によっては戦闘になる可能性もあると伝えられている。
どうにも、危険生物の動きが不穏であるらしい。穏便に解決する問題ならそれに越したことはないが、戦闘にもつれ込むことも覚悟しておいた方がいいだろう。
「任務中は、あたしから離れないようにねぇ~。迷ったら二度と帰れないと思った方がいいよん」
そういうわけで今現在、俺は言葉とは裏腹に呑気に見えるフォグリアと、他何十名かの隊員たちと一緒にフェニックスに乗り、アイテールと隣国のテミスとの国境を跨ぐように位置するタルタロスの森の調査へと出向いていた。
あの時、フォグリアもルーテルのクッキーを渡されていたはずだが、それを食べる前に救護室にやってきたメディアスに没収されたそうだ。メディアスは、回復しかかっていた隊員たちの急変の原因がそれであることに気がついたらしい。
俺が自宅療養している間もいくつか任務をこなしていたフォグリアだったが、今回はこの森の調査にはガイドが必要だからということで抜擢されている。加えて、俺の監視役も彼女だ。
今回はテミスの国境を越える可能性があるため、任務に出る前にその許可を取る必要があった。特に、この国は法に厳しいことで有名なので、万が一にも申請忘れなどあってはならない。
テミス国は『裁きの地』とも呼ばれ、世界最大の牢獄を有している。この国には罪を犯した者が世界中から集められ、相応の裁きが下されていると聞く。アブソリュートもかなり大きな力を持っているが、テミスの裁きを無視することはできない。その場を見たことはないが、定期的にテミスの上層部と、最高司令官のネオは話し合いの場を設けているらしい。そうでもしなければ、アブソリュートの任務の中には、法に触れてしまうものがあるからだ。潜入任務だって、結局は不法侵入というやつだろうし。
そういう時に隊員たちが裁きを受けてしまわないようにと、アブソリュートの隊員に対する基準は、普通とは違う。その基準を常に吟味するための話し合いだ。加えて、罪を犯した者をアブソリュートが捕まえ、受け渡すということも多いため、アブソリュートとテミスの繋がりは強い。
だからといって、アブソリュートの隊員でもその基準を犯せば容赦はない。今回、国境を越える許可を申請したことで、テミスの監視員が国境付近の警戒を強くしているとか。そこを彷徨くのだから、相当注意を払わなければならない。
タルタロスの森の前で下ろされ、一度俺たちは整列する。
上着を腰に巻いて、黒いタンクトップ姿という初対面の時と変わらぬラフな服装をしながら、フォグリアが俺たちの前に立った。
「この森は迷ったら最後、普通なら二度と帰れなくなるからねぇ。嫌なら、あたしを見失わないよーに」
フォグリアは数少ない、この森をよく知る貴重な存在らしい。どうして詳しいのかまでは知らないが、今回の任務でガイドができるのは彼女だけだ。
「まぁ、内層まで行っちゃうとあたしでも怪しいけど、今日調べるのは外層だけだし心配いらないよ」
ガイドがいなければ帰還は困難、立ち入る者を喰らうと言われるタルタロスの森は3つの層に分かれている。
円を描くように木々の生い茂るこの森は外層、中層、内層に区分けされ、内側に行くにつれより脱出は困難になる。層によって生息している危険生物も異なり、エイド談によれば現在確認されているのは外層と中層に生息している種類のみ。外層の最高ランクはC、中層はBまでなのだという。
最も危険な内層については、立ち入って帰ってきた者がいないため定かではないが、AやSランクの生息が予測されているそうだ。
「じゃ、行くよ~」
いざ森の前に立ってみて怖くなったのか、躊躇するような素振りを見せる隊員もいる中、フォグリアはいつもと変わらぬ調子で先陣を切って、暗い森へと入っていった。
確かに恐ろしげな雰囲気の森ではあるが、フォグリアを見失っては任務にならない。急いで、俺たちもその背を追った。
森の中に立ち入ってみると、意外なことにフォグリアは待っていてくれた。そして、全員居ることをちゃんと確認してから先に進む。
一見、自由奔放でマイペースそうだが、それだけではないのかもしれない。
しばらくフォグリアの後を追って森の中を進んで行くと、光がだんだんと遮断され暗くなってゆく。すでに、俺は出口がどっちであるのか分からなくなってきたが、フォグリアは何のためらいもなく歩みを進めていく。
しかし、突然そんな彼女が足を止めた。
「――来た」
独り言のように呟くと、いきなりフォグリアが魔法で植物の蔓のようなものを出現させ、それを近くの木に絡ませて宙に跳び上がった。
ぽかんと口を開けたまま、皆が彼女を見上げていると、ガサリと少し前方から何かの気配がした。それが何であるのか俺たちがちゃんと認識する前に、何やら今度は銀色の蔓のようなものが何本もそれに降り注いだ。
かろうじて、それが蔓というかリボンのような形状の刃であることを目の端に捉える。
俺がちゃんと目の前で起こった出来事を認識した時には、大きな蜂型の危険生物らしき生き物が、何匹も地面に横たわっていた。黄と赤の縞模様が毒々しい。
「まだ生きてるよ。でも、目が赤い……これは攻撃態勢に入ってる証拠。あたしたちが通るには危険だから、少し眠っててもらうよ」
フォグリアは、銀色の蔓のような刃――どうやら、フォグリアの所持する武器――を、腰から太腿あたりにかけて装着された器具に、メジャーのごとく巻き取って収納しながら着地した。
あまりの早業に、誰も声が出ない。これが、戦闘部隊トップレベルの実力なのか。
「ほら、ぼーっとしてないでさっさと行くよ~。こいつらが起きたら大変だからさぁ。それに、まだ仲間もいるだろうし、戦える準備はしといた方がいいねぇ」
開いた口が塞がらない俺たちをよそに、何事もなかったかのようにフォグリアはまた歩き出したのだった。
フォグリアの忠告通り、それなりの頻度で危険生物に遭遇し、戦うことになった。調査という名目の戦闘任務と化した現状に、戦闘部隊員以外はひいひい言いながら応戦していた。
この森では、これが普通なのか。それとも、様子がおかしいというのはこれのことなのか……それを調べるのが、今回の任務だ。
「う~ん、まだこいつらはCランクだし……でもなぁ……」
フォグリアが、ぶつぶつと何か呟きながら危険生物を気絶させてゆく。
「フォグリアさん、まだ行くんですか?」
疲労が溜まってきた隊員のひとりが、肩で息をしながらフォグリアに尋ねる。
「ここで調査は終われないよ。あたしは終わってもいいんだけど、このままじゃロクな報告書書けないし、そしたらメディアスが怖いし……あー、思い出したら寒気が……」
そう言って、両手で腕をさする動作をする。
「というわけで、あたしはもうちょい先に行くよ。嫌なら、ここで待っててもいいけどさぁ」
それは冗談じゃない。ここで置いていかれたら、本当に迷って出られなくなる可能性もある。
それが分かったのか、それ以上は何も言わず、皆フォグリアの後について、さらに奥へと進んで行った。
「ちょっと待った」
ある程度進んだところ――といっても、今いる位置があやふやなので、どれくらい進んだのか俺にはよく分からないのだが――で、フォグリアが突然制止をかける。
言われた通りに立ち止まり、何事かとフォグリアの方に視線が集まる。
「許可証、ちゃんと持ってる?」
振り向いたフォグリアは自分の許可証を右手に掲げ、俺たちにも出すように求める。俺もウエストポーチの中から許可証を取り出して確認した。
「……あれ!?」
すると、後ろの方から声が上がる。ポケットをひっくり返したり、バッグの中を探ったりしているが、どうやら許可証を持っていなかったらしい。
そんな様子を見たフォグリアがその隊員に近づき、自分のとは別の許可証を渡す。
「やっぱ、持ってなかったみたいだねぇ。はいよ」
それを受け取った隊員は、それが自分のものであることに気がつき、許可証とフォグリアの顔を交互に見た。
「落とし物には気をつけなよ。戦ってる最中に落としたみたいだねぇ。理由はどうあれ、テミスの国境越えるときに許可証ないと捕まるよ、たとえ片足が出ただけでもさ」
「あ、ありがとうございます!」
危険生物と戦っている最中に、他の隊員の落としたものにまで気がつくとは、視野の広さ、気の配り方が尋常ではない。
見た目とは裏腹に、結構神経質なのだろうか。
全員が許可証を所持していることを確認してから、フォグリアが一歩先に踏み出し、誰もいないはずの空間に声をかける。
「いるなら出てきなよ、監視員さん?」
「……気がついていましたか」
その声に反応するように、突如として、上から黒い法服を纏ったエルフらしき女性が下りてくる。どうやら、木の上からこちらの様子を監視していたようだ。その気配に気がつかなかったことに、少し驚く。
「それでは、許可証の確認をさせていただきます」
予想はついていたが、やはりこの女性はテミスの監視員だったようだ。
冷たい声質で、機械的に俺たちの許可証をひと通り確認し終えると、すっとどこかへ姿を消してしまった。登場といい退場といい、移動するときに音がほとんどしないというのは、少し怖い。
テミスの国境を越えた俺たちは、調査を続行するべく外層をひたすら歩く。そして、歩いては立ち止まり、あたりの様子を探り、記録していく。
その最中、フォグリアが俺に話かけてきた。
「君も気をつけなよ。テミスをなめてかかると痛い目見るからさ。今回の任務の行動は、すべて監視されていると思った方がいい。気配はなくても、まだあちこちに潜んでるはずだよ。そういう能力に関しては、あたしらアブソリュートよりも上かもしれないねぇ」
「詳しいな」
「あたし、ちょっと前までテミス国の支部にいたんだよ。言ってなかったっけ?」
俺は首を縦に振った。それは初耳だ。
出張帰りというのは、テミスから帰ってきたところだったのか。
「まぁ、詳しいのはそれだけが理由でもないんだけどさ……」
ぽつりとフォグリアが何か言ったような気がしたが、よく聞き取れなかった。




