新入隊員歓迎料理大会⑤
アブソリュートの依頼受付窓口、主に一般向けに開設されているそこは、ほぼ年中無休、丸1日運営されていて、誰でも気軽に相談に来ることができる。その受付担当になっている組織員たちは、日々何百件も寄せられる相談の中から組織が本当に動くべき内容を選別し、上に報告している。近年は小さなことでも相談に来る依頼者が多く、仕事量も右肩上がりだ。緊急性が低いと判断された依頼は断るようにしているが、それでも多忙なのはあまり変わらない。
今日も依頼をまとめた報告書の山を前に、担当者たちは大きく息を吐く。ここの担当者たちはどこかの隊に所属しているというわけではないため任務に直接出ることはないが、ここはここで大変な仕事場である。
一日中、依頼者の対応に追われ、その後は山のような書類にひたすらペンを走らせながらも、文句ひとつ言わないで黙々と仕事を進める眼鏡をかけた温和そうな男性が、受付カウンターの後ろにある空間の、隅の方のデスクに座っていた。
ふと顔をあげると、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。もう夕方らしい。依頼者たちも夕食の時間が近づいているためか、だんだんと数を減らしていた。
その男性は持っていたペンを置き、背もたれにもたれかかるようにして大きく伸びをした。ふう、とひとつ息を吐くと、そういえばもう歓迎会は終わっただろうかと思案する。もし終わっているのなら、そろそろだろう。
予想通り、その連絡は交替のために窓口にやってきた同僚の女性から伝えられた。
「アムールさん、そろそろ仕事切り上げていいですよ。また息子さんたちが体調崩したみたいですから。一緒に帰ってあげてください」
「またかい?いつも悪いね」
予想通りの言葉に、アムールは申しわけなさそうに頭を下げる。しかし、女性はにこりと笑って首を横に振った。
「いえ、アムールさんはいつも真面目に働いてくれてますから。これくらい、どうってことありませんよ」
この流れも5年ほど前から続いており、同僚たちも慣れたものだ。日頃のアムールの仕事ぶりも非常に真面目なので、文句を言う同僚は今のところいない。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。──おや、息子たち?」
アムールは不思議そうに首を傾げた。
「ええ、そうなんですよ」
女性は苦笑いを浮かべながら頷いた。
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「まさか、ファスまでとはね。びっくりしたよ。歓迎会には出ないって聞いてたのに」
「俺だって……まさかだよ……」
俺とエイド、そしてエイドの父親のアムールは、片道2時間の電車旅を経て、ようやく自宅付近までたどり着いた。最寄り駅で下車し、新鮮な空気を吸う。そうすると、気休め程度には気持ち悪さが緩和した。
例のクッキーは、残すのも何だかルーテルに申し訳なくて結局完食した。その結果、予想通りに体調を崩したため、さっさと帰宅の準備をして救護室のベッドを明け渡したのだった。
俺がよろよろ部屋から出て行くとき、それと入れ違いにソワンの料理の犠牲になったであろう隊員たちが雪崩のように押し寄せてきたのを見て、何だか申し訳ない気分になった。加えて、ルーテルの見舞いの品を食べてしまった、救護室で静養中だったモルドーレ事件の患者たちに対しても。だが、あれは阻止できなくても仕方ないだろう。
いつもは口数が多めのエイドも、今は黙ったまま後ろをついてきている。俺と比べれば、だいぶ症状は重いようだ。いったい、どれほどソワンの料理を口にしたのだろう。エイドの性格からして、かなりの量消費してきたには違いないのだが。
中心街よりかなり離れた場所にあるオプセルヴェ家は、エイドが産まれるときに空き家を安く買い取って改装したものだという。そのため築何十年だろうかという趣を漂わせているが、それはそれで俺は気に入っている。少なくとも、本部の寮にいるよりは気も休まる。
しばらく駅から歩いていくと、都会育ちから見れば田舎と表現されそうな風景が広がっていく。ざぁっ、と風が吹けば緑に覆われた大地が波打つ。
さらに進むと小高い丘になっている場所が現れ、そこには小さな民家が建ち並んでいる。その中の赤い屋根の家が俺たちの目的地だ。
この辺一帯に、大きな店はない。住民の数もそんなに多くはない土地であるので、近所の商店である程度は事足りる。しかし、そこにないものは遠出しないと手に入らない。それを不便だと言ってこの土地を離れていく者もいるが、俺も本部のある、ここと比べたらだいぶ都会で生活するようになって、こういう都会から離れた場所の方が自分には合っていると思うようになった。
すれ違う住民もほとんどいない中、俺たちはようやく目的の家へとたどり着いた。アムールが家の鍵をポケットの中から取り出そうと探っていた時、背後から声がかけられる。
「あら、アムールさんにエイド君、それにファス君まで。また例の歓迎会ですか?」
振り向いてみると、そこに立っていたのは赤い花が植えられた植木鉢を抱え、茶色の髪を後ろで束ねた人間の女性だった。
「おや、リルさん。まぁ、そんなところですね」
アムールは女性の方を向き、微笑んでそれに応じた。俺も彼女のことはよく知っている。リル=メイア、話しかけてきたのはルーテルの母親だった。
「留守中は家の管理の方、ありがとうございました」
「いいえ、隣ですし、ルーテルもお世話になってますから」
幼なじみのルーテルの家はオプセルヴェ家の隣で、花屋を営んでいる。留守の間、家の管理を頼んでいたのだった。
ルーテルは、小さい頃から母親とふたり暮らし。父親は人魚なので、海から離れることができないからだ。他に兄弟姉妹もおらず、俺やエイドは学校に行っていない時の遊び相手だった。学校に行けばルーテルがひとりでいるなんて状況はまず起こりえないのだが、この通り家が学校から離れている上、近所の子供の数も限られているとなると、学校がない日は遊び相手もそれくらいしかいなかったのだ。
「それにしても、うちの夫がまた騒ぎを起こしたそうで……申し訳ないです。ルーテルの心配するのもいいけど、あの子が迷惑してるとは思わないのかしら?」
何のことだろうかとしばらく考えて、ルーテルに会おうとして岸に近づいて打ち揚げられ、自力で海に戻れなくなった時のことだと思い当たった。
「ははは、まぁ娘さんを大事にしている証拠じゃありませんか」
「それにも程度がありますから。夫にも、アムールさんを見習って欲しいですよ」
「そんな、僕なんて全然。父親として息子たちを守るのではなく、むしろ助けられてばかりなんですから」
アムールは寂しそうに目を細めた。彼がこう言うのは、自分が組織に属する者であったとしても、隊員にはなれなかったことを気にしているためだ。オプセルヴェ家は、作戦部隊隊長であるソワンをはじめ、コアマスターのエイド、そして一応オプセルヴェ家で厄介になっている問題児の俺。彼以外は、全員どこかの隊に属している。
本当はアムールも隊員になりたかったらしいのだが、そのためにはコアエネルギーが弱すぎた。コアエネルギー、それは命の灯火であり、魔法へと転換されるもの。アムールは、生まれつき身体があまり丈夫ではなく、今でもよく体調を崩す。こうして元気な時からは想像できないくらい弱ってしまうので、そうなると毎回ハラハラさせられる。
その原因は、やはり持って生まれたコアエネルギーの貯蓄量の少なさだった。無理をしないでやっと普通の生活を送れるくらいのもので、魔法を形成できるほどの量には達していない。
少ししんみりした雰囲気になってしまったが、それに気がついたアムールが再び口を開く。
「おっと、息子たちが限界なので、これで失礼しますね」
アムールは、ふらふらしながら何とか体を支えている俺たちの方に視線を移して、話を切り上げた。
「ええ、お大事に」
余計なことを言ってしまったと、少し気を遣うように微笑みながら手を振るリルさんに見送られ、俺たちは家の中に入った。
家の中に入るなり、エイドは申し訳なさそうにしながらも、そそくさと自室に消えていった。相当我慢していたようだ。アムールはそんなエイドに水と薬を持っていく。
俺はエイドほどではないが、それなりには辛い。しかし、寝込むほどでもないので、とりあえずリビングの椅子に腰を下ろす。ふと気がついたが、リルさんはまめに掃除をしてくれていたようだ。ホコリが被っていたり、クモの巣が張っていたりという様子はない。
ぐるりと部屋を見渡していたが、そうしているうちにまた気持ち悪くなってきたので、テーブルに突っ伏す。そうしていると、エイドの部屋から戻ってきたアムールが俺の前にも同じように水と薬を置いて、俺と向かい合うように座った。
用意された薬を口に含むと、予想通り苦かった。ルーテルの味なしクッキーを食べた後であるせいか、味があるっていいなぁと、少し感動した。
薬を飲み終え、再び突っ伏した俺に、アムールが尋ねてくる。
「ファス、戦闘任務に参加させられているらしいけど、大丈夫かい?」
「ソワンとかルーテルの料理食べるよりは大丈夫だと思う……」
俺は少し頭を持ち上げて答える。
「はは、そうかい。……悪いね、ファス。僕に止めてやれるだけの力があればよかったんだけど」
それを聞いたアムールは少し笑った後、目を伏せた。何かと思えば、俺が戦闘任務に参加すると決まったことに関して責任を感じているらしい。
「別に、アムールが気にすることじゃないだろ。これは、俺が組織に助けられたときから決まってたようなもんなんだし。俺も納得してるし、大丈夫だ」
しかし、アムールは首を横に振る。
「そうだとしても、自分の命を一番に考えないと駄目だよ。いざとなったら、すべてを捨ててでも守りなさい」
「別に、俺のことはいい。それよりも、俺のせいで誰かが傷つかないかの方が心配なんだ」
「君は優しいからね」
「いや、これは違う……そんなんじゃない」
アムールはいつものように微笑んでそう言うが、俺がこういう心配をしているのは、決して優しさからくるものではない。言うなれば恐怖――また同じことが起こるのを恐れているからだ。
アムールもあの日のことを忘れたわけではないはずだ。それなのに、どうして笑ってそんなことが言えるのか、どうして俺を責めないのか、まったく理解できなかった。アムールだけではない。ソワンも、そしてエイドも。優しいのは彼らの方だし、彼らの場合はそれを遥かに通り越して甘すぎると思う。
そしてまた、アムールは言う。
「他者を思いやる優しさは君の長所だし、アブソリュートの隊員としても素晴らしいことだと思うよ。でも、僕としては自分を一番に考えて欲しいと思うんだよね。君がみんなを心配しているように、僕だって君のことが心配なんだよ。それが親ってものだからね。たとえ、君がそうは思っていなくても、僕にとっては大切な息子なんだよ」
俺にとっては、血の繋がった両親よりも、このオプセルヴェ家の人たちと過ごした時間の方が長い。だから、アムールもエイドもソワンも、本当の家族のような存在だ。それは分かっている。
俺の中に残っている両親の記憶はひどく曖昧で、殆ど覚えていないにも等しい。危険生物が原因で両親が亡くなったことはぼんやりと覚えているし、ソワンたちからもそう聞かされている。しかし、霧がかかったように思い出せない部分があるのは、その時のショックで、記憶を無意識のうちに封じてしまっているからだろうと言われた。
行くところのなくなった俺を引き取ってくれたのが、この家。だけど、俺はそんな人たちにとんでもないことをしてしまったんだ。家族のような存在ではあっても、それに甘え、すがってはならない。それは、俺がずっと思い続けてきたことだ。あれは、許されていいことじゃない。
「俺は……本当の息子じゃない」
だから、大切な息子だと言ってもらう資格なんてないのに。
「少し訂正しようか。君が息子でも、そうでなくても、僕にとっては君の存在自体が大切なんだよ」
違う。俺はそんな言葉をかけてもらえる存在じゃない。
「どうして、俺なんかを……忘れたわけじゃないだろ、あの時のこと」
「……初めて、この家に来たときのことかい?」
「ああ。いくらエイドがああ言っても、俺のことを許したら駄目だ」
「……確かに、誉められた行動ではなかったね。でも、あれは──」
「でも、とかそういう言葉で片付けられる問題じゃないだろ!俺はっ……俺のせいで、あいつは死にかけたのに!」
「ファス……」
思わず、声を荒げてしまった。アムールが困ったような、悲しそうな表情を浮かべる。アムールは悪くないのに、これでは八つ当たりだ。
「悪い……ちょっと頭冷やしてくる」
頭に血が上って、冷静になれなくなっていた。少し外に出て頭を冷やそうと玄関に行こうとすると、自室で休んでいたはずのエイドが道を塞ぐように立っている。
「ファス、どうしたんだ?」
異変を感じて部屋から出てきたのだろうか。しかし、今はひとりにして欲しかった。
心配そうに尋ねてくるエイドを押しのけ、俺は足早に外に出た。
「父さん、今の……」
突然飛び出したファスを見て、エイドはアムールに視線を移す。しかし、なぜああなったのか、エイドにはその理由が分かっていた。
「ああ、あの時のことだよ」
アムールは静かに頷く。
「俺、ちょっと行って……」
「いや、今はそっとしておいてあげなさい」
ファスを追いかけようと動いたエイドを、アムールは止める。エイドは少し思案したが、素直にそれに従った。
気持ち悪かったのも忘れ、外に飛び出した俺は、家が見えなくなる場所まで走った。先ほどまではあんなに天気が良かったのに、いつの間にやら雨が降り出しそうな雰囲気だ。
乱れた呼吸を整えるために、深呼吸する。すると、俺の頭の中に、問題の“あいつ”が苛々する笑い声をあげながら語り掛けてきた。
(ははっ、まだ覚えてたんだ、あの時のこと)
「黙ってろ……」
少し落ち着いてきていたのに、また頭に血が上っていくのが分かる。
(忘れちゃえばいいのにさ。いつまでもなんて背負ってられないよ、弱いお前には)
「黙れ……」
(僕のこんな言葉にすら動揺するんだ。それなのに――)
「黙れっ!!」
我慢の限界に達し、俺は思い切り叫んだ。誰かが近くにいたら、何をひとりで叫んでいるのかとさぞ奇妙に映っただろう。しかし、幸いにも周りに広がっているのは青々とした草原だけだった。
(別に、あれをやったのはお前じゃなくて、僕だろ?背負ってもらわなくて結構だよ、お前なんかに)
「お前がやったことは許せない!だけど、俺に責任がないわけじゃないだろ。あいつを傷つけたのは、この手なんだから……俺はやってないなんて言うつもりはない」
(ああ、そう)
少し素っ気なく、半ば呆れたようにそう言うと、アンヴェールは引っ込んだ。
俺は……俺はいつまで、こいつに取り憑かれていなければならないのだろうか。いつになったら、俺は俺を取り戻すことができるのだろうか。
そんな先の見えない事を思案しては、途方に暮れるしかなかった。




